売れない女優・蒲田マチ子をめぐる4つの物語を4人の監督が描く『蒲田前奏曲』。マチ子を演じる女優・松林うららさんのプロデュースによるこの作品はそれぞれ趣向の異なる4本の短編で構成されており、安川有果監督がメガホンをとった『行き止まりの人々』は、映画のオーディション会場を主な舞台に、#metoo、セクハラを題材とした内容となっています。
その『行き止まりの人々』で主演をつとめたのは、さまざまな作品で印象深い演技を見せる瀧内公美さん。今回はオーディションを通じ告発を試みる女優・黒川瑞季を演じ、作品のテーマを体現するような存在感を見せています。
現実と虚構が交錯するようなこの作品に参加して瀧内さんが思うことは? お話をうかがいました。
瀧内公美(たきうち・くみ)さんプロフィール
1989年生まれ、富山県出身。高校時代に地元でグラビア活動をおこない、18歳で上京。大学生活を送ったのち、2012年より本格的に女優活動を始め、オーディションで『グレイトフルデッド』(2013年/内田英治監督)の主演の座を射止め長編映画初主演を果たす。2017年の主演作『彼女の人生は間違いじゃない』(廣木隆一監督)では第27回日本映画プロフェッショナル大賞新人女優賞を受賞したほか多くの映画賞にノミネート。2019年には柄本佑さんとダブル主演をつとめた『火口のふたり』(荒井晴彦監督)で第41回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞、第93回キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞を受賞。
近作に『カゾクデッサン』(2019年/今井文寛監督)『裏アカ』(2020年/加藤卓哉監督・2021年春公開予定)『由宇子の天秤』(2020年/春本雄二郎監督:2021年公開予定)など
なぜこのテーマで映画を企画しようと思ったのか、いろいろお話をさせていただいた
―― 今回、瀧内さんが『蒲田前奏曲』の『行き止まりの人々』に出演されることになった経緯から教えていただけますか?
瀧内:以前『21世紀の女の子』(2018年)という、15人の監督が撮った短編を1本の映画としてお送りする企画がございまして、私はその中の一作『Mirror』(竹内里紗監督)に出演していて、今回お世話になった監督の安川(有果)さんも『ミューズ』という作品で監督として参加していらっしゃったんです。その安川さんの作品が素敵でしたので、機会があればご一緒できればというお話をそのときにしていたんですね。そうしたらありがたく今回のお話をいただき、参加させていただいたというのが理由のひとつです。もうひとつは、この『行き止まりの人々』のテーマが#metoo、セクハラに関することですので、なぜこのテーマで企画しようと思ったのか気になったので、プロデューサーである松林うららさんといろいろお話をさせていただいて、出演を決めたという流れでした。
―― 作品の資料によりますと、瀧内さんご自身はこの作品に参加なさる以前はセクハラや#metooについて「ぼんやりした認識しかなかった」ということでしたね。
『蒲田前奏曲』第3番『行き止まりの人々』より、瀧内公美さんが演じる女優・黒川瑞季
瀧内:そうなんです、ほんとに私は#metooやセクハラについてぼんやりした認識しかなくて。ですから、そんな普段から問題意識のない私がこの作品に入っていっていいのだろうか、難しいのではないだろうかとも思ったんですが、うららさんとお話をさせていただいて、この作品はうららさんの実体験が入っていて、最も個人的なことを描きたいという、うららさんの「想い」があることを知ったんです。それを、私がうららさんの力を借りながら表現していくことになるのだと。自分が「こうしたい」という演技欲ではなく、別の方が感じたことを私が役割としてどう立ち振る舞って表現するかというのは、表現として新たなステップかもと。そういうアプローチの仕方もやってみたいなと感じていきました。
それから、やはり#metooとセクハラの問題は根深い問題だなと感じました。なぜこういう問題が生まれてくるのかとか、SNSの普及で声を上げやすくなってはいますけれども、みんながこの問題についてどういう認識なのかということも、いろいろ考えていかなければいけないなと思いました。
―― 『行き止まりの人々』の劇中では、オーディションの過程でセクハラや#metooに関するやりとりが交わされていきますが、途中から瀧内さんが演じられた黒川瑞季と松林うららさんが演じた蒲田マチ子、大西信満さんが演じた映画監督の間島アランの3人の会話が、ちょっと非現実的な感じになっていきますね。あの場面はどう作られていったのでしょうか?
瀧内:不思議なシーンですよね。あそこは台本には書かれているんですけど、どういったかたちでお芝居をしていくかは台本を読んだときにはわからなかったんです。安川さんは「三点対立で話していくかたちにしたい」とおっしゃっていて「ちょっと違う世界なんだと思ってお芝居をしていただけたら」というオーダーがあったんです。ということは、これは蒲田マチ子の中での妄想の世界であったり、黒川瑞季が間島に対して実際は言えなかったけどほんとは言いたかった過去の想いであったり、その間島の欲望であったり、近藤芳正さんが演じたプロデューサーの板垣の考えだったり、そういったものが浮き彫りになってくるシーンということなのかな、と監督の考えを想像しながら、かたちにしていったつもりです。それをどう表現していくかについては「感情をぶつけるのではなく、淡々と伝えていく言葉を大切にしてください」という演出が安川さんからありましたので「きちんと言葉を伝える」ということを大切にして演じていました。
いろいろお話させていただいたので、自然に役として立てました
―― オーディションの中で、黒川瑞季と蒲田マチ子が即興のお芝居をする場面がありますね。あそこは事前に決まった演技をなさっているのか、それとも実際に即興で演技をされているのか、画面に映っているものが演技なのか現実なのか曖昧になる感覚がありました。実際にはどう演じられていたのでしょう?
瀧内:台本には書かれているけど、どういうふうに見せて、展開させていくかは決まっていなかったんです。今回私の参加した撮影日数が1日半でしたので、限られた時間の中でその部分をどう成立させるかというので、前日にリハーサルの時間をとっていただいて、時間をかけてかたちを作っていって、うららさんと私のお芝居については、ある程度かたちが見えてきたんです。ただ、そのリハーサルのときには大西信満さんや吉村界人さん、二ノ宮隆太郎さんなど、あのシーンに出ているほかの方々はいらっしゃらなくて、大西信満さんたちは現場で私とうららさんのお芝居を見て「自分はこう思いました、こう感じました」とリアクションをその場で入れてくださったんです。それで「このリアクションが入ったということは、こうしたほうがいいんじゃないか」とか、みんなでディスカッションをして、かたちを変えていきながら本番をやっていったんです。そのかたちを変えていった過程が素材として残っているわけですから、それを編集で監督が選んでくださいました。
―― そういうやり方で作っていくというのは、演じられる立場としてはどのような感覚なのでしょう?
瀧内:台本に書かれていないことを大西信満さんたちがアドリブで入れてくださった部分もあるのですけれど、大西さんたちも決してシーンから外れていくことはなくて、必ず役として黒川瑞季に与えなければいけない葛藤であったり悔しさであったりを入れてくださるんですね。もちろん台本に書かれていることはきちんとやってくださるので、私はなんの不安もなく、先輩方と一緒に作り上げていくという感じでした。
―― あの場面を演じるにあたって、松林うららさんとはどのようなお話をされたのでしょうか?
『蒲田前奏曲』第3番『行き止まりの人々』より、瀧内公美さんが演じる女優・黒川瑞季(左)と、松林うららさんが演じる蒲田マチ子
瀧内:そもそもこの作品は松林さんが#metoo、セクハラに関してご自身が感じたことを作品にして残したいということから始まっているので、じゃあ蒲田マチ子は#metoo、セクハラに関してどう感じているんだろうかとか、黒川瑞季はどう感じていて、どんな想いでオーディション会場にやって来たのかとか、そういう細かいことをいろいろお話させていただいたので、自然に役として立てました。 それから、最初にお話ししたように、私がこの作品に入っていっていいのか、こういうセリフを言っていいのかみたいに思うこともあったんですけど、安川さんは「“女性ばかりが傷ついている”というような作品にはしたくない」とおっしゃっていたんです。言える人間もいれば言えない人間もいて、いろいろな立場の人間がいるというのを描きたいということだったんです。それで、黒川瑞季は自分の想いを過去のセクハラへの告発というかたちでぶつけるのであって、隣にはマチ子という想いをぶつけられない人間がいて「それぞれの役割はこうだよね」というのはうららさんとお話しながらやっていきました。
―― 安川監督のおっしゃっていたことというのを、もう少し詳しくうかがえますか?
瀧内:やっぱり、安川さんも「女性監督だから」とか「女性だもんね」みたいなことを言われることがあるというお話をされていて、でも、だからといって、ただ自分たちが受けてきたことを自分たちのために訴えかけるのではなくて、人にはそれぞれの感じ方があって、セクハラ、#metooなどを扱った女性の生きづらさみたいなものがテーマではあるけれど、女性が弱い立場であることを強調したいだけではない、と。
―― 作品の終盤に、帰る途中の黒川瑞季と蒲田マチ子に二ノ宮隆太郎さんが演じる新川が話しかけるシーンがありますね。いまのお話をうかがって「ただ訴えかけるのではない」という部分があのシーンに出ていたのかなと思いました。
瀧内:私は台本を読ませていただいたときに、あそこでは“残酷さ”みたいなことを感じたんです。あのシーンでは二ノ宮さんが演じた新川が「ぼくの映画に出てください」というようなことを言って、黒川瑞季も蒲田マチ子も笑顔になりますよね。でも彼女たちはこれまで何度も役を得るために苦しい想いをしているんですよ。それなのに目の前にチャンスがあるとそれを掴みたくなって笑顔になってしまうという、それは残酷なことなんじゃないかと私は感じたんです。希望と捉える方もいらっしゃるでしょうし、逆に「それはまた同じことを繰り返すんじゃないのか?」と感じる方もいらっしゃると思います。私はあそこで黒川瑞季が笑っていたほうが、ご覧になる方に突きつけることができるのかなという気持ちはありました。
4本を重ねてみると、わりと淡々と観られるものになっているのではないかなと思えました
―― ここからは『行き止まりの人々』だけではなくて『蒲田前奏曲』全体についてお聞きしたいと思います。瀧内さんは、4本の短編が揃ったものをご覧になってどんな印象を受けられましたか?
瀧内:拝見したときは「こんなかたちでまとまるんだ」と思いました。私は蒲田マチ子の女優という姿を隣で見てはいましたけど、友達と会うときのマチ子や、家族といるときのマチ子は知らなかったので、いろいろな表情を持っているんだなと思いましたし、蒲田マチ子の日常を描いているわけですから、また違う関わり方をすれば、また違う物語が生まれるんじゃないかなというふうにも感じました。
―― ほかの3本と一緒にご覧になることで『行き止まりの人々』について違う感じ方をするようなことはありましたか?
瀧内:お話をいただいたときも『行き止まりの人々』の部分しかいただいていませんでしたので、ほかの話がなにを描くのか知りませんでしたし、どういった作品になるのかがわからなかったので『行き止まりの人々』は根深い問題をテーマにした作品ですし、観る方にも体力がいる作品になるんじゃないかな、と感じていました。
ですけど、4本を重ねてみると、わりと淡々と観られるものになっているのではないかなと思えて、よかったなと感じています。
―― 今回、女優である松林うららさんが自らプロデュースした作品にご参加されて、同じ女優である瀧内さんはどのようにお感じになりましたか?
瀧内:自分がやりたいことをかたちにするというのは凄いなあと思いました。自分でお金を集めてきて、キャストを集めて、ひとつのかたちにするという作業をすべてやっていらっしゃって、自分が出演もするという、うららさんがやっていらっしゃることなかなかできることではないですし、私にはできないことだなって思います。もちろん、どんな作品でも参加させていただくことに喜びはありますけれども、『蒲田前奏曲』のような作品に呼んでいただけたというのは嬉しいですね。
―― では最後に『蒲田前奏曲』に興味を持たれている方に向けてメッセージをお願いいたします。
瀧内:この映画は、松林うららさんが、いま自分がもっとも描きたいこと、伝えたいことを映画にしたいと思い、ご自身のルーツである蒲田という場所と4つのテーマをもとに作り上げた映画です。こうして私が取材を受けさせていただいたり、女性がプロデュース、女性が監督ということで「女性のための映画」というイメージをお持ちになる方もいらっしゃるかもしれませんが、男性監督も参加していらっしゃいますし、男性と女性が半々くらいのメンバーで作っております。内容は普遍的なことでもありますし、4本の作品を同時に見ていただけるボリューム感あるかたちに仕上がりましたので、フラットに観てきていただけたらいいなと思います。劇場で映画を公開するのも簡単ではない中、こうして劇場で公開いたしますので、ぜひ劇場に観に来ていただければいいなと感じております。
(2020年7月28日収録/取材場所:リョーザンパーク)