絶滅したニホンオオカミに興味を抱く漫画家志望の青年・草介は、ある夜に飼い犬を探す女性・ミドリと出会い、彼女を家まで送り届けることになる。ミドリの家族と和やかな時間を過ごした草介は、もう一度彼女に会おうとするが……。
初長編『アルビノの木』が海外の映画祭で20冠を獲得した金子雅和監督の新作『リング・ワンダリング』は、現代の東京で生きる青年が、不思議な体験を通して東京の土地に刻まれた記憶や命の重さを知っていく幻想譚。
主演に笠松将さん、ヒロインに阿部純子さんを迎えたこの作品は、金子雅和監督のこれまでの作品の魅力を漂わせると同時に、金子監督の新境地を感じさせる作品となっています。『リング・ワンダリング』で金子監督が描こうとしたものとは?
金子雅和(かねこ・まさかず)監督プロフィール
1978年生まれ、東京都出身。大学在学中より映画制作を開始。大学卒業後に映画美学校で学び同校修了制作作品『すみれ人形』(2006年)が劇場公開され注目を集める。その後も短編作品を発表し、2010年には短編作を集めた特集上映「辺境幻想」がアップリンクXで開催される。初長編『アルビノの木』(2016年)は海外の映画祭で9個のグランプリを含む20の賞を獲得。2018年には『アルビノの木』までの作品を網羅した特集上映が池袋シネマ・ロサで開催された。安達寛高(乙一)監督の『Good Night Caffeine』(2015年・オムニバス『ぼくたちは上手にゆっくりできない』の一編)では撮影、同監督の『シライサン』(2019年)では撮影監督を担当
いままでと違うことにチャレンジしたかったんです
―― 『リング・ワンダリング』は、テーマやモチーフはこれまでの金子監督の作品と共通した部分もありますが、より間口の広い作品になっているように感じました。監督ご自身は間口を広くするということを意識していらっしゃったのでしょうか?
金子:そうですね、いままでの作品がありつつ、より多くのお客さんに観てもらいたいというのは企画開始時からすごく考えていたので、シナリオの内容、キャスティングも含めて、たくさんのお客さんに届けられる作品になるよう心掛けました。
―― 主人公の草介とヒロインのミドリの両親との会話などで、ちょっとユーモラスなやり取りが出てきますね。そういう部分はいままでの監督の作品にない部分かなと思いました。
金子:たしかに、いままでは全体的にもうちょっとシリアスだったり静謐さのほうが強かったとは思います。ただ、ぼく自身も映画などでユーモアがあるものは好きなんです。前作の『アルビノの木』までは会話劇というよりは映像の力で見せるというところが強かったんですけれども、今回はいままで以上にドラマの部分や会話のやり取りを見せたいという想いがあって、要するにいままでと違うことにチャレンジしたかったんです。その結果として、そういうシーンも入ってきたと思っています。
―― 今回は共同脚本で吉村元希さんが参加されていますね。吉村さんはご自身も監督であると同時にメジャーな作品やアニメなどにも参加する経験豊富な脚本家でもありますが、吉村さんが参加されているのも新しいチャレンジという部分なのでしょうか?
金子:吉村さんとは過去に映画ではないんですけど企業用の映像の仕事でご一緒したことがあります。そのときも自分が監督をして吉村さんに脚本をやっていただいて。もともとは2016年のゆうばり国際ファンタスティック映画祭に自分が『アルビノの木』で行っていて、吉村さんも『お墓参り』という監督作でいらっしゃっていて、そこで知り合って「なにか一緒にやりましょうか」と話していたんです。今回の脚本自体は自分が2017年からひとりで書いていたんですが、自分の書くシナリオは文語体というか小説調になりがちなので、第五稿か第六稿くらいまで進んだ段階で、特に草介とミドリの会話にもうちょっと話し言葉の柔らかさが欲しいと思ったんです。それと女性のセリフのリアリティという部分で自分が書く言葉の限界があるなと思って、そこで吉村さんに入っていただいたという経緯でした。ですから、作品の構成とかシーン自体は完全にぼくが作ったままなのですが、セリフの部分に吉村さんの筆が入り、それによって、より観やすい作品になったと思っています。
それからセリフに関しては、草介を演じた笠松将さん自身が語尾などについて「ここの部分をこういうふうに変えるのはどうですか」とシーンごとに台本に書き込んだのを写メで送って提案してくださったんです。ぼくもやはり役者さんが自然な言葉で喋ってくれるのが一番いいと思いますし、もとの伝えたい意味が変わるような変え方ではなかったので「ぜひそうしましょう」というかたちでやったところはありました。
―― ちょうどお名前が出たところで、主人公の草介役に笠松将さんを起用する決め手となったのがどんな部分だったのかをうかがわせてください。
金子:草介という役は、現代のごく普通の青年でありつつ、ニホンオオカミというものにこだわっているという、ちょっと変わった部分もある役なので、どこか野性的というか、なにをするか予想できないような内に秘めた鋭さがある人がいいなと思っていました。それで、かなりの人数の20代の役者さんを調べて探したんですけど、いまの俳優さんはどちらかというと柔らかい感じの人が多い印象で、なかなか「この人は」と思う人がいなかったんです。その中で、ちょうど東京国際映画祭で笠松さんの初主演作の『花と雨』(2019年/土屋貴史監督)が上映されるというので、ツイッターでその予告編が流れてきたんです。それを観た瞬間に「あ、この人だ」と思って、わりとすぐにお会いして決定したという流れでした。草介自体もオオカミのような、動物的な部分があってほしかったんです。笠松さんにはそれがあるように感じたのが決め手だったと思います。それから、先ほどもお話したように自分はわりと映像の力で見せていくスタイルで映画を作るんですけど、今回は主人公が漫画を描くシーンが多く、より静的な分、画作りがありつつそこからはみ出していくような、こちらの計算を超えたものを演じてくれる役者さんとご一緒しないと面白くならないと強く感じていたので、笠松さんにはそれができると思ってお願いしました。
人間自体に対しての愛というものを描いている話だと思っているんです
―― 実際に笠松さんとお仕事をされていかがでしたか?
金子:ひじょうに勘がよく、そして芝居について考え抜いている繊細な方だと思いました。ぼく自身がこだわっているものとして、少ないセリフであったりまったくセリフを使わずに表現するシーンがあって、この映画でも後半の重要なところで本当にセリフが少ないんです。台本で言うといわゆるト書きしかなくて、ちょっとした目配せであったり動きだけで表現しなければならないところですね。この映画に入る前に俳優さんのワークショップをやる機会があって、そのときにそのシーンを演じてもらったんです。ぼく自身が事前に演出のテストをしたい面があったのですが、やはりト書きの中に込められている繊細な感情の変化をセリフなしで表現するのは難しいなと感じていました。笠松さんは、それを見事にやってくれて、お客さんの想像力に任せつつ曖昧ではなく、強く伝わるシーンにしてくださいました。
―― 映画後半で草介がある事実に触れるところなどは、映画によってはすごく感情を大きく表現するところだと思います。この映画はそういうわかりやすい表現をせずに、でも草介の背負ったものをきちんと伝えていて、それは笠松さんの力が大きかったのかなと、いまお話をうかがっていて思いました。
金子:すでにご覧になった方でそこの草介を見てハッとしたという方も多くいらっしゃって、やはり笠松さんの力のおかげ でしっかりお客さんに伝わったんじゃないかと思っています。おっしゃるとおりに映画によってはひじょうに大きく感情を見せるシーンだとは思うのですけど、この映画自体が企画の段階から「一番大事なことをあえて声を大にしては言わない。一番底に秘めて静かに伝えたい」と思っていたんです。それから、草介に限らず、現実にぼくらが生きているということ自体が意識はしていないけれど誰かを傷つけているかもしれないし、もしかしたら誰かの死や犠牲の上で成り立っているかもしれない。そういった「自分たちの生きている足元を見つめる」というのが大事なテーマとしてあったので、あえて静かな、押し付けにならない、語りすぎないシーンにしています。
―― ヒロインのミドリと漫画の登場人物の梢を演じた阿部純子さんは、どのように決まったのでしょうか?
金子:阿部さんは、ぼくが最初にスクリーンで観たのは深田晃司監督の『海を駆ける』(2018年)という作品で、すごく不思議な魅力のある人だなと思って自分の中で引っかかっていたんです。そのあとで『孤狼の血』(2018年/白石和彌監督)を観て、これもまた不思議な、いわゆるファム・ファタール的な役で、その2本で全然違う人が演じているかのように印象が違うけど、どちらも惹かれてご一緒したいなと思っていたんです。今回、この企画を進めていく上で親しくしている芸能事務所の方がキャスティングのお手伝いをしてくださったんですけど、その方から「阿部純子さんはどうでしょう」と話があって、ぼく自身も阿部さんがいいのではないかと思っていたので、ほとんど即決で阿部さんにオファーさせていただくことになりました。
―― 現場での阿部さんの印象はいかがでしたか?
金子:今回は一人二役を演じているということもありましたし、草介とは違ってごく普通の現代人ではない難しい役だったとは思うんですけど、阿部さんは役が降りてくるタイプというか、普段はすごく謙虚な方なのですが、役に入ると今回であればミドリであり梢に完全になるんです。集中力の高さと、阿部さんご自身がいろいろ考えて持ってきてくださっているのを感じました。笠松さんも、阿部さんは監督が修正するとすぐそれに対応できるので「そこがすごい」と感心していました。
―― ミドリの両親を演じた安田顕さんと片岡礼子さんについてもお願いします。
金子:この映画というのは、物語の一番大事なところに草介とミドリとの出会いがあり、ふたりの淡い恋愛要素もありつつなんですけど、主軸としてはミドリの家族との出会いと別れを描いていて、ラブストーリーというよりはもっと大きな人間自体に対しての愛というものを描いている話だと思っているんです。その上では、ミドリだけではなく両親もすごく重要で、ほんとに演技力と存在感のある役者さんでないと成立しない、と思っていました。
安田顕さんは、もともと役のイメージとして安田さんがいいと思っていて、キャスティングを手伝ってくれた方とも「安田さんにお願いできないかな」と話をしていたんです。そしたらたまたま自分が居酒屋で隣の席になりまして(笑)。カウンターだけの小さなお店なのですが、その日はほぼ満席で、安田さんの隣しか空いていなくて「こんな幸運はないから、いま話すしかないな」と思って、その場でご出演をお願いしたんです。
片岡礼子さんは自分の『アルビノの木』を観てくださって公開のときにコメントもいただいていたというご縁がありました。現場をご一緒したことはなかったのですが、もちろん出演作をたくさん拝見していますし、ぜひご一緒したいなと思ってお願いしました。実際に現場をやってみて気づいたのは、阿部さんと片岡さんが身長もほぼ同じで、横顔のシルエットがすごく似ていて、おふたりが向かい合ったときに本当に親子だという感じがしたんです。片岡さん自身も、昔撮ったご自分の写真に阿部さんにそっくりなものがあると現場でおっしゃっていましたし、片岡さんの顔立ちに安田さんの要素が少し入ると阿部さんになるのでは(笑)、という説得力もあり、この3人は親子の役として本当にぴったりだったなと思っています。
―― その家族が揃った食事シーンの本編映像が事前に公開されていますが、あそこの安田さんのセリフは先ほど監督がお話になった作品のテーマをさり気なく表現しているように感じました。
金子:まさにそうです。映画のテーマ的なところに触れています。安田さんも撮影が終わったあとに、このご自分のセリフが映画全体にリンクしている、というようなことをおっしゃっていました。
この映画は運命づけられていたと言うか、不思議な縁でつながっている
―― 今回は主人公が漫画家志望であり、彼の描く漫画の世界が映像として描かれていて、漫画が重要な要素となっていますね。
金子:ぼく自身、いまはまったく描かないのですがもともと絵がすごく好きで、子どものころから絵で表現をやりたいと思っていた延長で、映像に入っていったんです。なので、自分の中ではつねに絵が大事なものとしてあるんです。同時に今回の映画は2020年の東京を舞台に「東京の地面の下に埋もれた記憶」というものを描きたいという想いが先にあって、その主人公をなにをしている人物にするかと考えたときに、自分の好きな絵という要素を入れたかったのですが、同時に現代を生きている若者としてすごく特殊ではない青年にしたかったので、漫画家を目指しているというのが現代の日本ではある程度の一般性があるのかなと思ったんです。これが油絵を描いている美大生となると、現代ではもうちょっと特殊な存在になってしまうので、それよりもポピュラーな漫画がいいと思ったんです。
―― 草介の描く漫画の世界を映像にして映画の一部分にするのは、最初から決まっていたのでしょうか?
金子:最初から主人公が漫画家志望で工事現場でバイトをしているというのは変わっていないんですけど、実は劇中の漫画が実写になるというシーンはまったくなかったんです。もともとこの映画は『花火の夜』という短編の企画としてスタートしていて、短編企画を募集する「小山町フィルムクリエイターズアワード」(2017年)というコンペで大賞と制作準備金をいただいて実現に向かい動き出したんです。そのときの審査員が前の東京国際映画祭のディレクターで今回コメントもくださっている矢田部吉彦さんで、その時点でぼくは『アルビノの木』を撮っていたので、矢田部さんが「長編を撮っている監督なんだから短編ではなく長編を撮ったほうがいいのではないか」というアドバイスをおっしゃってくださって、そこから長編化していったんです。長編にするとなると、もうひとつ世界を広げなくてはいけないなということで、漫画の世界を実写にするというアイディアが出てきたんです。
―― その劇中漫画を漫画家の森泉岳土さんがお描きになっていますが、森泉さんはどのような経緯で参加されたのでしょう?
金子:主人公が漫画家の話ですから、もちろんどなたに漫画を描いていただくかすごく大事な要素で、撮影の1年以上前からいろいろ考えていたんです。ぼくは以前に大林宣彦監督の娘さんの大林千茱萸さんが審査員をやっている「うえだ城下町映画祭」で賞をいただいていて大林さんとご縁がありまして、大林さんとご夫婦である森泉岳土さんとも試写会でお会いしたこともあって作品も読んでいたんです。森泉さんの作品はとても文学性があり、そして余白のある表現なのが素晴らしく、勝手ながらこの映画のテイストにぴったりだと思い、直接お会いしてお願いしたという経緯です。そのときに驚いたのは、ちょうど森泉さんの最新の短編が雑誌に掲載されていて、そのタイトルが「リングワンデルング」。これは『リング・ワンダリング』のドイツ語の発音なんです。その偶然にすごく驚かされました。先ほどお話した安田顕さんのご出演の経緯にしても、この映画は運命づけられていたというか、不思議な縁でつながっているなと思っています。
―― 映画の中で、草介がペンではないものを使って漫画を描きますね。森泉岳土さんは爪楊枝や割り箸などペンではないものを使って漫画を描かれるそうで、実際の森泉さんの技法が物語に反映されているのかと驚きました。
金子:もともとの台本では草介は最後まで普通にペンで描いていたんですけど、大事なのは草介がミドリの家族と出会う一夜を体験したことによって、それまでに描いていた絵とそれ以降に描く絵が変わることです。ただ「絵が変わった」というのをお客さんに伝えるのは難しいんです。すごく絵に詳しい方とか、それこそ漫画家さんなら「絵のタッチが変わったな」とわかるだろうけれど、一般のお客さんにはわかりにくい。それで、森泉さんと最初に打ち合わせをしていろいろと話をした中で、使う道具が変わることで草介自身の変化が視覚的に伝わるのではないかという話になったんです。その道具についてもいろいろ意見を交わしました。ですから、最後に草介がペンでない道具で絵を描くシーンは、森泉さんの漫画の「墨と水と爪楊枝を使って描く」というスタイルからの影響で生まれたアイディアであるのは間違いないです。
そこに生きている人たちの人間的あたたかみがないと、お客さんに届かない
―― 漫画ということで連想したのですが、主人公の草介の名字が「間」(はざま)ですね。これは過去と現在や生と死の間にいる存在なので「間」かなと思ったのですが、同時に手塚治虫の漫画の「ブラック・ジャック」で主人公が間黒男なのを思い出しました。監督はそれは意識されていたのでしょうか?
金子:この作品自体で手塚作品をすごく意識したということはないんですけど、手塚作品はすごく好きですし、間黒男は絶対に意識の中にありますね(笑)。名前の意味としてはおっしゃるとおりで、ふたつの世界の間をさまよう=リング・ワンダリングするということで「間」なんです。あと手塚作品ということでいうと、昨年11月にインド・ゴアで開催された第52回インド国際映画祭で本作が上映され最高賞をいただきましたが、インドのお客さんの反応が驚くくらいよかったんです。手塚治虫の代表作のひとつである「火の鳥」は、輪廻転生などインドから伝わった仏教やインド哲学的なものからの影響がすごくありますよね。だからぼくの中にもこの作品にも、子どものころから大好きで何度も何度も繰り返し読んでいた「火の鳥」を通じてインドの思想の影響が少しあるのかな、と思いました。
―― 名前のほかにも手塚作品を連想したところがあって、前作の『アルビノの木』で現代の猟師を演じていた長谷川初範さんが今回も漫画の世界で猟師を演じているのが、それこそ「火の鳥」で同じ顔のキャラクターが別の時代で同じような役で出てくるのに似ているかなと思いました。
金子:手塚作品のスターシステムですね(笑)。今回の猟師の銀三という役を最初から長谷川さんに当て書きしていたわけではないんですけど、ぼく自身がわりと生き生きと面白く書けて、この役をどなたにお願いしようかと考えたときに、どこかで『アルビノの木』で長谷川さんが演じた猟師がひとつ前の時代に転生した姿という感じで長谷川さんがぴったりだと思ったのはたしかにありますね。長谷川さんとは『アルビノの木』ですごく意気投合してその後も親しくさせていただいているんですけど、前回『アルビノの木』ではワンシーンだけだったので、もっと長谷川さんが活躍するところをぼく自身も見たいと思っていたんです。
―― その漫画の世界は監督ご自身が撮影をされていて、そのほかは古屋幸一さんが撮影をされていますね。これまでの作品は『すみれ人形』以外はほぼすべて監督が撮影もされていましたが、これも新たなチャレンジという部分なのでしょうか?
金子:そうですね、やはり過去作品と違うことをやるべきだというのと、それに加えて今回は最初にお話したようにユーモラスなやり取りの会話シーンを重視したかったんです。失われた命や記憶という、シリアスなテーマを扱っているからこそ、そこに生きている人たちの人間的あたたかみがないと、お客さんに届かないと思っていたからです。カメラを覗きながらだとどうしても画作りに注力しなくてはいけないので、役者の芝居は見える量が減ってしまうところがあるんです。特に屋内の芝居のときは撮りながらだとちょっと固くなってしまうので、カメラマンを入れたほうがいいと思ったんです。同時に、この作品に関わってくれた方たちから、いままでぼくが撮影してきた「自然のロケーションの中にいる人間の姿」というのは作品としての魅力であり強みでもあるから今回もやったほうがいいという意見があって、結果として漫画のシーンをぼくが撮影するということになったんです。この映画の中では、現代と、草介がミドリと出会う幻想的な一夜と、漫画の世界という3つの位相があって、その中で漫画の世界というのはほかのふたつとはまったく違うルックであるほうがお客さんにもわかりやすいだろうということで、カメラマンを変えよう、と。スケジュールとか予算の都合などではなく、明確な狙いとして、古屋さんが撮影する本編と、ぼくが撮影する漫画パートに分けたんです。
―― 今回の漫画パートの撮影は、これまでの撮影の中でもかなりハードだったのではないでしょうか?
金子:まあ、冬山でしたからね(笑)。だけど、すごく楽しく撮っていました。あれは長野県の木曽というところがロケ地なのですが、木曽在住のアーティストの方が全面的にバックアップしてくださったり、行政の方もお手伝いしてくれたので、すごく撮影しやすかったです。それから、正直ぼくは自然の中で撮っているほうが楽しいから、あんまり漫画のシーンは苦労した記憶がないんです。どちらかというと、新たなチャレンジをした街のシーンのほうがいろいろ試行錯誤しながら取り組んでいました。
大事なテーマだからこそ、それを多くの方に観ていただけるかたちにしたい
―― これまでの監督の作品で自然のロケーションが印象的だったのと同じように、今回は街のロケーションも印象的で、ロケ場所選びは相当にこだわられたのだろうなという印象を受けました。
金子:やはり東京の話なので一番最初にロケハンを始めたのは街のパートからした。撮影が2020年の1月、2月だったのですが、その前の年の8月から本格的なロケハンをスタートさせ、シーンによってはクランクインしてからもロケハンが続きました。今回は70年以上前の東京の雰囲気を映像化しないといけなかったので、まずは実際の東京でそういう感じを撮れるところはないかと探したんです。戦時中の東京を記録した地図があって、空襲で焼失してしまった場所が赤く塗られているんです。東京の中心部は8割くらいが焼けてしまって真っ赤なんですけど、赤くないところは当時の建物が残っている可能性があるので、その地図を参考にして徹底的に歩き回って探すというのをまずはやりました。ただ、今回はナイター撮影が多いので、屋外でかつナイターで道路の使用許可をとって撮影できる場所となると、残念ながら東京ではなかなかないんです。それで関東近県まで範囲を広げてかなり探しまして、ミドリの家の写真館が出てくるところは栃木県の足利フィルムコミッションにずいぶんお世話になりましたし、以前から親しくしている群馬のわたらせフィルムコミッションの方にも古い建物を探していただきました。そういうかたちでいろいろ協力していただいた部分と、自分自身が足で探した部分が融合しています。これは毎作そうですが。
―― 冒頭の自然の中のパートが川の映像から始まって、そのあと東京に移ってもまず川が映し出されて、川でつながりを感じさせるのが印象的でした。
金子雅和監督
金子:川とか橋というのは境界になりますよね。異界とこちら側という意味で川は意識していましたし、川とか水辺というのは生命感があると思うんです。オープニングの黄金色に輝く草原のあと、舞台は東京に移りスカイツリーの前の川を鳥がバーっと飛んでいくというカットがあるんですけど、大自然から街に入る導入部を、街の中にも息づく自然や生命感でつなげたかったんです。
―― ラストのカットは、過去の短編作品の『逢瀬』(2013年)のラストの手法に似ているなと思いました。あのイメージはどのように発想されたのでしょうか?
金子:ぼくら人間がいま生きている場所とか時間がありますけれども、それよりももっと大きな巨視的な世界の捉え方が存在するのではないか、「自分たち人間を超えた」マクロな視点というものをぼくはいつも映画を作るときに表現したいと思っていて『逢瀬』という短編で初めて、それを具体的にヴィジュアル化しました。今回はシナリオを改稿していく中でラストシーンもいろいろな案が浮かんで変わっていきました。第一稿では本当に草介が部屋で漫画を描けたというだけで終わりだったんです。ですが、それだけだと映画の世界のフィナーレとして足りないのと、やはりニホンオオカミというものから始まっているので、人間ドラマがあり家族との出会いと別れがありつつ、最後はニホンオオカミで締めくくらなければいけないなと思ったんです。それで、ある日突然あのラストシーンのイメージがパッと浮かんで、それを入れることにしたんです。なので『逢瀬』でやったことと同じことをやろうとしたのではないんですけど、先ほどもお話したような、ぼくたちが区切って考えてしまう時間とか場所とか空間の概念を、もっと俯瞰して大きく見る眼差しがあるのではないかということを今回も入れたくて、あのラストカットになりました。
―― 『リング・ワンダリング』はすでに昨年の東京フィルメックスや海外の映画祭で上映されて監督もその感想を目にされていると思いますが、それも踏まえた上で公開を前にしての心境を聞かせてください。
金子:ぼくの映画は毎回そうなのかもしれないですけど、特に本作は、映画をすごくたくさんご覧になっているわけではない方こそ、素直に面白く観てもらえる可能性があるんじゃないかと思っているんです。作品の構造としては少し複雑なところがあるのですが、決して難解な映画ではありません。あまり予備知識なしに観ていただいたほうが楽しんで観てもらえるのではないでしょうか。海外の映画祭では、ご覧になった方は日本の文化もあまり知らないし、日本の戦争のことやニホンオオカミの絶滅についてももちろんそんなに知識があるわけではないと思うんですけど、そういう方たちが、不思議とすんなり楽しんでくれて、作品のコアに込めたものを感じ取っていただけた印象があります。なので、今回の劇場公開でも、年間に何十本何百本と映画を観ている方だけではなく、年1本しか映画館で映画を観ないという方にもたくさん観ていただきたいです。繰り返しになりますが、テーマとしては失われた過去の記憶や命の重さというシリアスなものを扱っていますけれども、大事なテーマだからこそ、それを多くの方に観ていただけるかたちにしないと意味がないと思って作りました。会話のユーモアや漫画シーンのスペクタル的な見せ所など、エンターテイメント性がしっかりとあるファンタジックな作品ですので、ぜひ劇場で、不思議な一夜の夢の世界を、主人公とともに体験してください。
(2022年1月19日/ムービー・アクト・プロジェクトにて収録)