テレビ局最上階の役員室に集められた5人と、地下の編集室に監禁された3人。ワクチンの危険性を伝えるニュース特集の放送当日に局の「上と下」で起こる出来事は、やがて予想もできない方向に向かっていく――。
次々と衝撃作を放つ藤井秀剛監督の新作『猿丿王国』が、前作『半狂乱』公開から約5ヶ月という短いスパンでスクリーンに登場します。『猿丿王国』は、責任者不在な日本のタテ社会を鋭く風刺する大人の寓話であると同時に、緻密に構成され観客を翻弄する復讐劇であり、さらにコロナ禍の「現実」を鮮烈に映し出す作品でもあります。
『猿丿王国』の背景にあるものについて、そしてコロナ禍での映画作りについて、藤井監督にうかがいました。
藤井秀剛(ふじい・しゅうごう)監督プロフィール
中学卒業後に単身渡米し、カリフォルニア芸術大学を卒業。10年のアメリカ生活から帰国後、2500本の脚本の中から、音楽プロデューサー・つんく♂氏に見出され『生地獄』(2000年)で監督デビューを果たす。人の恐怖に社会風刺を交えたサスペンス・ホラーのみを描くジャンル監督。2017年に公開された『狂覗(きょうし)』は1週間のレイトショーに始まり、ロングランヒットを記録。キネマ旬報からも年間BESTに選ばれるなど、高い評価を得る。『超擬態人間』(2019年)で世界三大ファンタスティック映画祭のひとつブリュッセル国際ファンタスティック映画祭のアジア部門グランプリを受賞。2021年には『半狂乱』が公開。今後は香港の大スターであるジョシー・ホー主演の香港映画『怨泊〜OnPaku〜』が控える
長年積み重なった怒りがコロナ禍で完全に爆発した
―― 『猿丿王国』は、どのような発想から生まれたのでしょうか?
藤井:端的に言うと「コロナ禍でムカついた」ということなんですけど、そもそも20年間募らせた怒りがあったんです。日本社会というのは責任者不在の社会で、映画の世界も含めてすべてにおいて舵取り役がひとりではなく何十人もいて、最終的に誰も責任を取らないんですよね。ぼくは海外留学を終えて日本に戻ってきてからの20年間、そういう社会の中でやっていくことにずっと疑問とイライラを感じ続けていました。そうして来た中で2020年にコロナ禍が始まって、みんながどうしたらいいかわらかなくて大変な状況だからこそリーダーが真価を問われるときだと思うんですけど、まさにそこでぼくの怒りが爆発する出来事が起こりましてね(笑)。『猿丿王国』に出てくる「責任者は誰なんですか!」というセリフは、ぼく自身がある会議で発した言葉なんです。そうやって長年積み重なった怒りがコロナ禍で完全に爆発したのがきっかけで、2020年の秋ごろに企画がスタートしました。発想というほどきれいなものではないですね。もう純粋に「このムカつきをかたちにしたい」という(笑)。
―― 怒りから生まれたというのは作品からも感じられますが、同時にこの作品は緻密に構成されたエンターテイメント作品にもなっていると思います。激しい感情を緻密で娯楽性の高い作品へと昇華するのは、かなり難しいのではないのでしょうか?
藤井:ぼく自身は、そのあたりのバランスを取るのはそんなに難しく感じていないんです。映画学校とかに行くと理屈でいろいろと教えられて、脚本の書き方も「何部構成で、箱書きをして」というような作り方を教わるんですけど、実際にそのやり方で作っていくと意外とうまく行かないんですよ。ぼくはやっぱり感覚で作っていくのが一番やりやすくて、結局は感覚でバランスを取っているので、そんなに難しくはないです。ただ、それがうまく行くときと行かないときがあって(笑)。『猿丿王国』に関しては、すごくうまく行ったのかなと思っています。
―― バランスというお話が出たところでお聞きしたいのですが、この作品はリアルとフィクションのバランスが絶妙だと思います。リアルなテレビ局の内幕ものとして進行していきつつ、ちょっと現実離れしたある人物が登場してきても違和感がありません。そのリアルとフィクションのバランスも感覚で取られているのでしょうか?
藤井:実は、そこの部分はすごく気をつけたところなんです。昨今の映画事情を見ると、作風にすごく共感を求められますよね。本来はアートってクリエイターの感情と触れあえるのが面白さで、たとえば絵画に共感を求める人はあまりいなくて、その絵を通して画家の感情に触れて自分の感情が乱されたときに面白さを感じるのだと思うんです。映画も昔はその傾向が強かったんですが、ここ10年くらい共感を求める度合いがどんどん高くなってきていて、共感できない映画はダメだという風潮になってきていますね。誰にでもあるような恋愛をそのまま描いたみたいな映画が大ヒットする時代に入ってきているので、ちょっと現実と違うことをやったり大風呂敷を広げるためのハードルが高くなってきているんです。だから、あり得ないことをあり得ることとして消化するにはどうしたらいいか、いままで以上に考えるようになりました。今回も、どうすればその人物が登場したときに「あり得ないよ」と思われないか、もちろん感覚にも頼っていますが、すごく考えましたし、すごく苦労しました。やっぱり、大風呂敷を広げてあり得ないことをあり得るようにするのが映画の醍醐味だと、ぼくは思うんです。
この映画は役者さんの化学反応にすごく助けられています
―― 『猿丿王国』は「コロナのある現在」を描いているのが大きな特徴だと思います。現在を舞台にしていても誰もマスクをしていない作品が多い中で、みんながマスクをしている映画を作ろうと思った動機はなんだったのでしょう?
藤井:一番の理由は、後世に語り継ぐということですね。映画って、もちろんいまの人たちが楽しむものでもありますが、ぼく個人としては、大袈裟かもしれませんがひとつの文化として100年後200年後の人たちが観て楽しむという価値観のほうが強いんです。そういう意味で「現在」を後世に語り継ぐために、クリエイターとしてマスクの状況を描かずしてどうするというのが一番の前提としてあったんです。とは言っても、マスクをしている映画って難しいんです。ぼくはコロナの流行が始まったころに『見上げた空とマスク』(2020年)というチャリティ映画を作ったんですが、表情が見えづらいし、口元が映らないから誰が喋っているかわからないし、マスク映画の難しさがそのときにわかりました。だから、もう少しマスクをうまく活用する方法はないだろうかと考えて、ぼくが一番嫌いな「タテ社会」をマスクを使って描けるのではないかという発想になったんです。
―― 映画の中でマスクが上下関係を示すアイテムとして使われているのがすごい着目点だと思いました。監督は、このマスクの使い方をどのように発見されたのでしょう?
インタビュー中の藤井秀剛監督
藤井:普段の生活でもけっこうあると思うんですよ。ぼくはこの前まで香港映画をやっていたんですけど、プロデューサーがけっこう年配の人で、目上だからというより年配の方がコロナに罹ると大変だという理由で、その人と話すときは普段以上にマスクを付けるのに気を遣ったりしていたんです。ぼくだけではなくみんなそうで、そういうところからの発想ですね。やっぱり、この映画ほどあからさまではないにしろ、いまは誰しも少なからずそんな感じはあると思うので、それを誇張した感じです。
―― マスクの使い方で登場人物ひとりひとりの性格も強調されていたように思いますが、今回のキャラクター造形で意識されたのはどういう点でしょうか?
藤井:キャラクターははっきりしているので適材適所な役者さんを入れるということは頭に置いていたんですけど、今回はそれ以上に役者たちに助けられた部分も大きかったです。たとえば、悪の根源的な役で出てくる千葉という女性アンカーマンを種村江津子さんが演じているのですが、あの役の立場がすごく微妙なんです。映画の最初で彼女がテレビ局の取締役と会うときに、役職でいうと取締役のほうが地位は上なんですが、千葉は大人気の女性アンカーマンですから、局内での実質的な立場は彼女のほうが上なんです。だから、建前の地位でいったら千葉が取締役に気を遣ってマスクをしなければいけないんですが、実質的な立場は逆なので、マスクで上下関係を表すのがすごく難しいんです。ぼくの指示としては、ふたりが会った瞬間に取締役が「あっ、付けなくちゃ」という感じでマスクをするように言ったつもりだったんですけど、取締役をやった田中大貴くんも自分の役のほうが地位は上だと考えているので、その瞬間にはマスクを付けなかったんです。そしたら種村さんがそれに反応して、嫌味な感じで親指を鼻に向けるという仕草をしたんです。その仕草って女性の嫌らしさがすごく出ていると思うんですよ。種村さんがそれをやってくれたので、田中くんもそれに気づいて「あ、すみません」みたいな感じでマスクを付けるという芝居をしたわけです。これはひとつの例ですが、今回はそういう化学反応というか反射が随所にあったんです。それによって随所で嫌らしさが増大していったところがあるので、この映画は役者さんの化学反応にすごく助けられていますね。
―― いまお名前が出た方々も含めて、今回は過去の藤井監督の作品に出演されていた方々が多く出演されていますが、脚本作りの段階で配役は想定されているのでしょうか?
藤井:当て書きはまったくしていません。今回の制作会社であるCFAでやるときには内部オーディションがしっかりあるので、そのオーディションで決めるということです。
―― それぞれの役を演じてもらう上で、監督が俳優さんたちに伝えたことがあれば教えてください。
藤井:今回ぼくは俳優たちの周りにある邪魔なものを削っただけなんですよ。お芝居というのは、素の自分を見せることではなくてなにかになりきることであり、演じるキャラクターがどういう人物なのかを見せることだと思います。『猿丿王国』に出ている人たちは、それがわかっていて、お芝居がすごく好きな人ばかりなんです。その人たちのエネルギーがかたちになったという部分はありますね。いまの役者さんって、ただ自分の素でセリフを吐く人も多くて、それって器用な人がちょっとセリフを喋る「お芝居ごっこ」でしかないと思うんです。今回はそうではなくて、ちゃんと役作りをして挑んでくる人たちが出ているので、ぼくは役作りができる方向にリードしただけです。彼ら彼女らが自分たちで化学反応を起こせる才能を持っている人たちなので、そこに助けられた作品だと思います。
感心したところは今回出てくれた俳優全員にある
―― 先ほど、千葉役の種村さんについてのお話がありましたが、ほかの俳優さんについて監督が感心されたところがあれば教えてください。
藤井:感心したところは全員にあるんです。役員室で会議する面々もそうですし、地下の編集室に監禁される3人もそうです。
特に役員室の面々は、撮影場所がいろいろな都合で1日しか使えなくて、ぼくは最低でも2日は必要だと思っていたので撮り切るのは難しいんじゃないかと思っていたんです。でも撮ってみると、俳優たちがみんな自分の役割をわかっていてパッパッと反射してやってくれたので、有名な人とやった感覚でした。やはり、有名な人と無名な人ではかかる時間が全然違うんですよ。ぼくはそれをデビュー作の『生地獄』(2000年)のときに知ったんです。その作品はホラーなので、ぼくは海外のホラー映画のように出演者はみんな無名な人でやりたかったんです。ところが、制作プロダクションで入っていた喜八プロダクションのプロデューサーで岡本喜八監督の奥様である岡本みね子さんが「無名な人を使うと時間がかかるよ。悪いことは言わないから脇には有名な人に入ってもらいなさい」とおっしゃって、岡本喜八監督も隣で頷いていらして、それでメインはぼくの信念を貫いて無名な人で固めたんですが、脇に平泉成さんに入っていただいたり、ちょこちょこ入っていただいたんです。そしたら、もうスピードが全然違う。有名な人は一を言えば十をわかってくれる感じなんです。無名の人だと一わかってもうために二十言わないといけないこともあるんですよ。それは事実として顕著にありますね。そういう部分で、今回の役員室の面々は有名な人のようなスピードでできました。
それから地下のシーンでは、佐竹という女性ディレクターを坂井貴子さんがやっているんですが、この映画はぼくにとって初めての復讐劇ですし、映画を作った理由がぼくの「怒り」ですから、上っ面ではない心から溢れ出る怒りで叫んでほしかった。それがどうしてもぼくがやりたい挑戦だったんです。そのために、ぼくが抱えた怒りをそのまま坂井さんに共有してもらおうとして、彼女を鼓舞しました。これは前回の『半狂乱』のときにもお話しましたが、いまは「それじゃ足りねえよ! もっと怒れ!」みたいに怒鳴って鼓舞するような演出はできないんです。コンプライアンス的な問題もありますし、いまの若い俳優たちはそういう演出をすると引いてしまって、演じることへの興味が消えていくのが明らかにわかるんです。だからと言って「いいねいいね、もっと怒ってみよう」と優しくやってもなかなかエッジを越えられないという難しさがあるんです。その部分で坂井さんはすごくバイタリティのある女性で、ぼくの「腹の底から煮えくり返るような叫びがほしい」という要求に対して、誠心誠意答えようとして向かってきました。結局、叫びのシーンだけで7時間くらいやって日を跨いでいたので坂井さんはけっこうきつかったと思うのですが、弱音を一切吐かずヘトヘトになりながらも心から叫ぼうとしていて、その姿には感服しました。
―― 今回の映画は「誰が上なのか」という、猿山のボス争いのような権力争いも大きな要素となっていると思いますが、争うのが女性だというのが強調されているように感じました。監督は女性同士の争いというのを意識されていたのでしょうか?
藤井:それはありますね。いまは女性の時代だというのもありますし、女性だと男同士の争いとは違ったニュアンスが出ると思ったんです。同じことを男性でやろうとすると、もうちょっと説明とかが増えたかなと思います。女性のほうが雰囲気だけで責任者を促す争いができるかなと思ったのが理由ですね。こう言うと、女性から反発を受けるかもしれませんが(笑)。
―― 最上階と地下の「上と下」を対比させて描くという発想はとのように生まれたのでしょうか?
藤井:これはぼくの発想というよりは、映画史全体がずっとそういう流れで来ていて、それこそ黒澤明監督の『天国と地獄』(1963年)とか最近の『パラサイト』(2019年・韓国/ポン・ジュノ監督)とか、映画監督ってみんなどこかで「上と下の争い」を描きたくなるタイミングが来ると思うんです。逆に言うと、みんな上下間の争いを描きたくて映画監督をやっているところがあると思うので、ぼくも昔からやりたいことのひとつだったということですね。
上映できる喜びはほかの作品とは比べ物にならないほどに感無量です
―― この作品はコロナワクチンの危険性を扱うニュース特集を巡る物語ですが、この作品自体がワクチンについてなにかを主張しているわけではないんですよね。
藤井:そうですね、ワクチンはあくまで時事ネタとして使っています。ぼくも数日後に3回目のワクチンを打ちますし(笑)。映画の内容に少し触れると、越智貴広くんがやった元川というディレクターは「ワクチンは危険だ」という特集を作ってはいるけれど、裏をちゃんと取っていないんです。放送を止めようとする千葉たちはそこを突いているわけで、実は上層部は正しいことも言っているんです。いまの時代って、そういった根拠が曖昧な情報が都市伝説のように独り歩きしちゃっているじゃないですか。それで「ワクチンを打ちましょう」と言うと「危険だ」という人がいたりして、コロナに限らずいろいろな意味で対立の時代になってしまっている。そういったことに一石を投じたいという狙いがありました。ワクチンの安全性が云々というより「都市伝説を蔓延させてしまっているこの社会ってみなさんどう思いますか?」というのが狙いとしては大きかったんです。
―― 監督は2020年にチャリティー映画の『見上げた空とマスク』を監督して、今回『猿丿王国』を監督してと、コロナ禍を背景とした作品を2作品作られています。コロナ禍を意識した作品作りというのは実際にどんな感じですか?
藤井:やっぱり、いい加減もう嫌ですよ。ぼく以外にも何人もやっている方はいますが、時代に合わせてマスクを付けているだけの映画はもういいかなと思います。ただ、そこにクリエイティブな要素があるんだったらチャレンジしてみたいとは思います。今回はタテ社会を扱う道具として使いましたけど、そういうふうに意味がある道具として使えるアイディアがあれば、もしくはアイディアを絞り出せる機会があるのなら、またチャレンジしてみたいとは思いますし、そういうアイディアや機会はまだありそうな気はしています。
―― コロナ禍では撮影の現場もいろいろと変わってきていますが、そういう現場の変化はどう感じられていますか?
藤井:難しいですよね。スタッフからエキストラから撮影現場の全員がPCR検査を受けてひとりでも陽性が出たら中止になるとか、そこまでやるのは無理でしょうという気持ちは正直あるんですけど、実際に「対策なんてしてられないよ」なんて言ってられる状況ではないですよね。この間までやっていた香港映画でも毎日毎日検温をするんですが、監督のぼくには代わりがいないので絶対に熱を出せないというプレッシャーがすごくて、疲れましたよ。コロナ禍になるまでは、ぼくたち活動屋の価値観としては、熱が何度あろうが現場に行けばいいだろうという感じはあったんです。若いクリエイターの方はどうかわかりませんが、ぼくたちはそうでした。それがここに来て、そういう問題じゃなくて熱が出たら即アウトとなるのはすごくやりにくいです。でも、どこの現場もそうしなければならないし、もちろん『猿丿王国』の現場もそうでした。もしも潤沢な予算があれば完全に周りと隔離したバブル方式でやることは可能でしょうけど、日本でバブルでできる現場なんてよほどの大作くらいでしょう。どこの現場もいろいろな意味でやきもきしながらやらざるを得ないので大変ですよね。神経は使います。
―― では最後に『猿丿王国』公開を間近に控えてのお気持ちをお願いします。
藤井:クリエイターとして、時事的な感情をかたちにできて公開できる機会ってなかなかないんです。『猿丿王国』は、現在のぼくが現在のぼくをそのまま脚本にできて、そのまま映画を作れたという、ぼくにとっても初めての経験で、奇跡の映画なんです。絵画でたとえると、画家がいまの気持ちをそのままキャンパスに殴り当てたような映画なんです。そういう、なかなかできない映画を公開できるのは幸運だと思いますし、上映できる喜びはほかの作品とは比べ物にならないほどに感無量です。だからこそ、お客さんにはそこを楽しんでもらいたいです。そして、共感できるものであれできないものであれ、作者の感情に触れられることほど面白いことはないですよという、アートの真髄を楽しんでもらえると嬉しいですね。
(2022年3月16日/都内にて収録)