いつも笑顔の優等生だが、見知らぬ家のポストに遺書を投函する、いく。不登校気味で、恋愛感情のないセックスや自傷行為をくり返す、鳴海。それぞれに「死にたい」という想いを抱える同級生のふたりは、いつしか互いを支え合う存在となる……。
2020年に日本有数の自主映画コンペティション・PFFアワードで審査員特別賞を受賞した『頭痛が痛い』が、待望の劇場公開を迎えます。2018年に撮影されたこの作品は、オリンピックに向かい新国立競技場建設が進む東京を舞台に、梶井基次郎の小説「檸檬」の引用を織り交ぜながら、現代を生きるふたりの少女の姿を鮮烈に描いていきます。
初監督となる守田悠人監督、いく役の阿部百衣子さん、鳴海役のせとらえとさんは、どう作品に臨んだのか、お話をうかがいました。
阿部百衣子(あべ・もえこ)さん(写真左)プロフィール
1996年生まれ、愛知県出身。8歳から10歳までをアメリカで過ごす。自身が映画や演劇に救われた経験から俳優を志し、多摩美術大学演劇舞踊デザイン学科で学ぶ。現在はミュージックビデオやドラマ出演、ナレーションなどで活躍。『頭痛が痛い』で映画初出演にして初主演
せとらえとさん(写真右)プロフィール
1991年生まれ、兵庫県出身。フリーランスのモデル・俳優として活動。映像作品をメインに、ミュージックビデオやショートドラマ、映画などに出演。『頭痛が痛い』で初の映画主演をつとめる
守田悠人(もりた・ゆうと)監督(写真中央)プロフィール
1997年生まれ、愛知県出身。脚本家を志していたが、井土紀州監督『ラザロ LAZARUS』(2007年)と出会い監督として自主映画制作を始める。『頭痛が痛い』が初監督作品。大学4年生のときに執筆した脚本『幸福なLINE』で第28回新人シナリオコンクール佳作1位受賞
「自分の言葉の力の無さ」みたいなものを実感することが多々あるんです(守田悠人監督)
―― 最初に、守田監督にいくつか質問をさせてください。監督はもともと脚本家志望で井土紀州監督の『ラザロ LAZARUS』(2007年)をご覧になって監督を志されたということですが、脚本家を目指された理由や『ラザロ LAZARUS』にどんな影響を受けられたのかを聞かせていただけますか?
守田:もともと小説が好きだったので文字に携わる仕事をしたいなと思っていたんですけど、そんなに強く思っていたわけではなくて、脚本家になりたいと思ったのは小説が好きで映画が好きだったという、けっこう漠然とした理由です。それで、2016年、大学2年のときに『ラザロ LAZARUS』を観て、スクリーンから伝わってくる作り手の熱量みたいなものを浴びて「すげえ」ってなって、そこで初めて自主制作で映画を作ることに興味が出てきたんです。ほかにも映画を作りたいと思った要因はいろいろあったと思うんですけど、大きなひとつが『ラザロ LAZARUS』との出会いですね。
―― 初監督作となる『頭痛が痛い』は、どのような発想から生まれたのでしょうか?
守田:まず発端としてあるのが、2018年に高校生の女の子がライブ配信中に線路に飛び込むという出来事で、その瞬間の映像や彼女の過去のライブ配信の映像とかがネット上に拡散されたことがあったんです。そのニュースを見たときに、自分が生きる上でずっと持ち続けていたテーマみたいなものとリンクした瞬間があって「いま映画を撮りたい」と思ったんです。同時に「いま撮れるものはなんだろう?」と考えたときに、ニュースで新国立競技場の工事の映像をずっと見ていたので「これも“いま”だ」と思って、新国立競技場の辺りに行ってシナハン(シナリオ・ハンティング)をしていたら、通学路として近くを通る高校生を見かけました。もちろん、競技場の近くを通って通学している高校生がいるのは当たり前なんですけど、実際にその姿を見たときに「ちゃんといるんだ」という実感がすごくあったんです。「その子の登下校には、この工事の騒音と景色が記録されてしまうんだな」と思って、工事中の新国立競技場を横目に登下校している高校生という設定が決まっていきました。
あとは、ぼくは自分の中にいくつかの違ったモチーフがあったときに、どれも自分が惹かれているモチーフなのだから絶対にどこかに共通点があるはずだと考えて、その共通点を探すように作品を作っていくんです。たとえば梶井基次郎の「檸檬」のモチーフだったり、ヒッチハイクのときに「あの世」って文字を掲げる「あの世ヒッチハイク」だったり、そういう自分の中にあるモチーフを網羅して作品にできればという感じでした。
―― いまお話に出てきた「ずっと持ち続けていたテーマみたいなもの」というのは、どのようなものでしょう?
守田:ぼくは「自分の言葉の力の無さ」みたいなものを実感することが多々あるんです。まず、自分の思っていることを言語化するのが、すごく遅い。タイムラグがあって、その間黙りこくってしまう。でも黙りこくっている時間が長ければ長いほど、どんどんハードルが上がる感じがするんですよね。それで余計言えなくなったり、焦ってトンチンカンなこと言っちゃったり。なんとか自分でも納得のいく言葉を捻り出しても、ときすでに遅しだったりする。身の回りの人が「しんどい」と伝えてきてくれたとき、その遅さは致命的になってしまうというか、いま救ってほしい人に、いま言葉をかけられない。
―― もうひとつ、作品のテーマなどからは離れた質問になりますが、2020年のぴあフィルムフェスティバルで上映されたときは上映時間が131分で、今回は108分になっていますね。再編集をされたのでしょうか?
守田:そうです、再編集しました。再編集は自分でやっていないんですよ。ぴあで観たときに、これで折り合いをつけられたという感じがなくて「まだなにかできたんじゃないか?」という後悔のほうが強かったんです。それで、自分ではしんどくて編集できないから他人に任せようと思って、ちょうど高校を卒業したてで編集に興味がある18歳の子がいたので(※編集の小本菜々香さん)「試しに1回切ってみて」と131分あったのを渡したら、90分くらいにしてきたんですよ。それを見て、肝が座ってるなと感じましたし、主人公たちに近い年齢の視点を入れたら面白いと思い、小本に任せました。ぼくも作業に立ち会ってはいるんですけど、小本のおかげで108分になりました。自分では131分のよりこっちのほうが好きかなって思います。
どうしてもこの映画に出たいという気持ちになって応募しました(せとらえとさん)
―― ここからは阿部さんとせとらさんにも加わっていただこうと思います。おふたりは、どのような経緯で『頭痛の痛い』に出演されることになったのでしょうか?
せとら:オーディションですね。
阿部:私もオーディションです。
―― オーディションの時点で作品の内容はある程度わかっていらっしゃったと思いますが、どんな印象を持たれましたか?
せとら:最初にオーディションの概要に書いてあったあらすじを読んだんですけど、自分が演じた鳴海が過去の自分と重なる部分がすごくあって、どうしてもこの映画に出たいという気持ちになって、それで応募しました。
阿部:私もせとらさんのお話と重なるところが大きいんですけど、あらすじを読んで、私が演じさせていただいたいくは当時の自分が考えていたこととか苦しんでることとかを持っている子だなと思って、私とすごく近い子だなというのが印象でした。
―― 演じられた役と過去の自分とが近いというお話は作品へのコメントでもされていましたが、具体的に似ている部分をおうかがいできますか?
せとら:自分は、鳴海と同じ学生のときですと、それこそ家では親とうまく行ってないし、学校でも友達って呼べる人がいなかったりとか、居場所がなかったし、自分も鳴海と同じようにライブ配信もやっていたので、そういうところも似ていますね。あとは鳴海の性格が、けっこうやさぐれているんだけど不器用だったりナイーブで傷つきやすかったりして「そういう行動をしたら全然違う方向に行っちゃうよ」というのがわかっているのに、その場しのぎで紛らわすような行動をして、結局は自分の居場所をなくしてしまって、自分で自分の首を絞めているようなところとか、過去の自分にすごく似ていました。
阿部:私も一時期、環境に馴染めなくて周りの人ともうまくやっていけない時期があったんです。そういうときの「逃げたいけど、でも逃げられないしなあ」みたいなところはすごく共感しました。そのときに自分がやってしまうのって、映画の中でいくがやることと同じで「私って他人から見たらこうだよね」っていう自分を作り上げて、絶対に「ダメ」と言わずに「いいよ、大丈夫だよ」って言っていたりするんです。それによって、鳴海とは違う方向で自分の首を絞めているみたいなところがあって、そこにすごく共感しました。
―― 監督が、いく役に阿部さん、鳴海役にせとらさんを起用する決め手となったのはどんなところでしょう?
守田:まず阿部さんのほうから言うと、オーディションに来た人には全員に「死にたいと思ったことありますか?」という質問をしたんです。そのときの阿部さんの答え方が、ヒョイってかわされる感じがして。
阿部:「誰でもあるんじゃないんですか?」みたいな答え方をした気がします(笑)。
守田:そうそう。自分を当事者から外す感じの答え方で、そこにすごく惹かれました。せとらさんは、オーディションのあと正式に決まる前に一度飲みに行ったんです。そのとき、生きる上での出力が全部不器用な感じがして。
せとら:アハハ(笑)。
守田:話を聞いていてそう思ったし、出てきた居酒屋の料理全部に一味唐辛子をメチャクチャかけたりとか(笑)。そういうところでふたりとも「その人の生き方」がとても魅力的に感じて。ぼくの中でも「いくはこういうイメージ、鳴海はこういうイメージ」というのはそんなになくて、その人が持っているものがこぼれてくれたら一番いいので、そこですね。ふたりが他人と話す中でどういうこぼれ方をしてくれるかな、ということで決めました。
ぼくは他人のツイッターとかの下書きが気になるんですよ(守田悠人監督)
―― 阿部さんとせとらさんは、それぞれの役を演じる上で、どのように役を作り上げていったのでしょう?
せとら:自分は、やっぱり鳴海が昔の自分と重なる部分だったりとかがけっこうあったので、そのときのことを思い返して「あ、自分はこうだったな」とか「自分はこういう状況のときこういう気持ちだったな」とか、思い出しながら演じた部分もたくさんありました。
阿部:私は、いくが表で言っていることややっていることの裏で、本当は彼女がなにを考えているのか、なにが嫌なのかを、すごく考えていました。奥底にあるものと実際にしてしまう行動との葛藤みたいなものは、すごく意識して演じていました。
―― おふたりとも、劇中でのそれぞれの役の行動などについては、あまり違和感なくすんなり理解できた感じですか?
せとら:わりかしすんなりでしたね。鳴海が家で食事しているときに味噌汁をひっくり返すところとか「ああ、意図的にしたんだろうな」とか、そういうのは思いました。
阿部:私も大体は理解できたんですけど、遺書を知らない家のポストに入れるのは「え、ポスト入れる?」って。あそこはすごく「いくちゃん」ですね。私が考えたことがなかったようなことでしたし、授業中に遺書を書くところも、脚本を読んだ段階で「やりよるなあ」とちょっと思いましたね(笑)。
守田:たぶん、ぼくが脚本を書いている時点で、いくのイメージに「男子高校生が思い描く女神」みたいなものがあって、いくに関してはそれが邪魔をして脚本の段階でブレているところが何箇所かあって、それをそのまま阿部さんに投げてしまったので、阿部さんもちょっと困惑しながらやっていたと思います。
阿部:それを聞いてなるほどと思いました(笑)。撮影のときには監督に「妖精みたいな感じで」って言われたんですよ。ちょっと幻想的であってほしいって。私は「え、妖精?」って(笑)。
せとら:言ってましたね(笑)。
守田:言いましたね(笑)。ぼくはけっこう他人のツイッターとかの下書きが気になるんですよ。その人が優等生っぽいほど気になって「下書きにどういうものを書いているんだろう、なんでそのツイートを躊躇したんだろう」ということに惹かれるところがあるので、いくをそういうふうにしたかったんです。
―― いくと鳴海の関係については、監督はどのように描こうとされていたのでしょうか?
守田:ざっくり言うと、近くて遠い。で、近くなった瞬間にもずっとうしろ暗さみたいなものに覆われていて、それは拭えない。そういう関係性ですね。
―― 阿部さんとせとらさんは、ふたりの関係をどう捉えて演じられましたか?
せとら:普段クラスメイトにいたら、絶対に会話とかもしないし、一見すると仲良くなることなさそうふたりだなと思いました。
阿部:うん、そうですね。さっきも話したように、いくは「他人から見たらこういう存在でなければいけない自分」を作り上げて、それに課せられている感じがあるので、鳴海に対しても「寛大である自分」を作り上げて、鳴海に優しさをかけることで自分自身を守るみたいなところで関係性を築いていたんじゃないかなって思います。たぶん、壁を作っていたいのは、いくのほうなんじゃないかなと思います。
―― 映画中盤の、いくと鳴海が学校を抜け出して買い物とかをするシーンはふたりの関係を示す上で重要な場面だと思います。あそこはふたりのやり取りがすごくナチュラルな感じがしましたが、あの雰囲気はどう作っていったのでしょう?
守田:あれは営業中のドン・キホーテでゲリラ撮影をしたんですけど。たしか、脚本にセリフはほとんど書いてなくて、スタッフが少人数だったので俳優さんとスタッフ全員が1台の車に乗って、撮影に向かう間に「どんな話をしようか?」って車内で考えたり、お店に着いてからも考えましたよね?(頷くふたり) それで、制服を着たふたりがアダルトグッズのコーナーに入っていくとき、店員さんに気づかれてしまって、いまにも怒られそうだったので、みんなで走って逃げて(笑)。そんなことがありました。
―― おふたりは、その場面を演じられていていかがでしたか?
せとら:楽しかったですね。「これ着なよ!」とか言いながら服の押し付けけあいをしたりして、映画の中でも明るいシーンが少ないので、和みました。
阿部:私は、もうリアルにドキドキしながらやってましたね。「大丈夫かな?」って(笑)。
せとら:ね(笑)。
当時の自分とかが結晶みたいにギュギュッとしたものなんじゃないかと思っています(阿部百衣子さん)
―― いま話していただいた買い物のシーン以外で、印象に残っていたり好きなシーンがあれば教えてください。
守田:ぼくは、一番気に入っているのは鳴海のラストシーンです。あそこは現場がカオスだったというか、全員ツボに入ってしまって笑っちゃうので現場が全然進まなくて。
せとら:そうなんですよ。
守田:本番を回すとどうしたって笑っちゃうのでぼくとカメラマンは退室して、ただフィックスのカメラでせとらさんを撮っていただけなんですけど、芝居と素の境目がうまく調合してくれた感じがします。隣の部屋ではクランクアップした阿部さんが小道具を作っていたりして、「この瞬間が永遠に続けばいいのに」と思いました。
せとら:自分は、ひとつのシーンを選ぶのは難しいんですけど、鳴海が保健室でカーテンをシャって開けて、いくとふたりでお互い笑うところはすごく好きです。
阿部:私はどこだろう……(しばらく考えて)あと30秒もらえますか?(笑)
守田:好きなシーンはないそうです(笑)。
阿部:違う違う(笑)。作品全体としての存在が大きくて、どこかを抜き出すのが難しいって思っているんです。……いくと鳴海が新国立競技場が見える橋にいるところは印象に残っています。あそこは特に好きですね。
―― いま監督から、現場がカオスになったことがあるというお話がありましたが、撮影全体を通して現場はどんな感じだったのでしょう?
守田:どうだったんでしょう、わからないですね。ほかの現場がどうなのかという基準をぼくが知らないので(笑)。ただ、想像ですけど主演のおふたりとの距離感は、ほかの現場と違っていたのかなと思います。ほんとにおふたりとも制作に食い込んでくる感じで、さっき話したように小道具を作ってくれたりしましたし「私たちの作品だ」って思ってくれている感じがあって、すごく助けられました。
阿部:自主映画ならではの、みんな一丸で作り上げるみたいなのはあったと思います。
―― 残り時間も少なくなってきたところで、ラストについてお聞きしたいと思います。この作品は観客に問いかける作品のように感じて、特にラストは「どう思いますか?」と問う終わり方のように思えました。阿部さんとせとらさんは、ラストをどう捉えていらっしゃいましたか?
阿部:先に答えていいですか? ラストはふたつの解釈があると思うんですけど、私は最後のシーンを撮るときに監督から「いく的にはどっちだと思いますか?」って聞かれて「私はたぶんこっちだと思います」と答えて「じゃあその方向でお願いします」ということで撮りました。
せとら:自分は、最初に監督から「最後はこうなるんだけど、こう考えることもできるから」と聞いていたんです。それで……そう思っていましたね(笑)。
―― 監督は、ラストにどういう想いを込められていたのでしょう?
守田:余白を残したいというのはありました。あと、フィクションとして嘘をつきとおすことができなかったんです。脚本を書く段階では、あそこでもう少しはっきりと示すような「フィクションだからこそできる嘘」を目標にやってはいたんですけど、それが書けなくて、書きたくたくて、ああいう形になりました。
―― この作品は撮影が2018年、PFFでの上映が2020年で、そこから時間を経ての公開となりますね。世の中もいろいろな変化した中で公開を迎えるご心境を、最後に聞かせてください。
守田:ぼくはそのギャップが苦しくて、2018年に自分が思っていたことをいま振り返るのもしんどいし、いま思い出しながら語るというのがリアルじゃないような気がしているんです。「死にたい」という言葉自体の捉え方もすごく変わっているような気がして、自分でも『頭痛が痛い』がどういう捉え方をされるのか読めない部分があるので、いまの時代にこの映画を観た人がどう思うんだろう、なにを感じるんだろうということは、すごく興味があります。
せとら:自分は、撮影中にこの映画とともに自分自身が成長させていただいたという気持ちがすごくあるんです。ただ、この2年間で映画はすごく大きくなったけど自分はなにか変われたのかなという、自分に対しての自信のなさみたいなものも出てきたりして、みんなこの映画を観てどう思うんだろうという不安な気持ちもたくさん出てきているんです。でも、時間が経ってからの上映になるので、もちろんすごく嬉しいし、たくさんの人に観てもらいたいです。
阿部:この映画は私にとってなにもかも初めてだったので自分の芝居に関してはいま見ると恥ずかしい気持ちもあるんですけど、でもそういう気持ちも含めて、当時の自分とか、新国立競技場とかオリンピックのことも全部含めて、結晶みたいにギュギュッとしたものなんじゃないかと思っています。なので、時代によって見え方が変わってもいいし、見るときの体調やコンディションによっても感じ方が違っていいんじゃないかと思います。コロナ禍前とは捉え方もかなり違うと思うので、どんな感想が生まれてくるのか、不安と楽しみのどきどきという気持ちです。たくさんの人に観ていただきたいですね。
インタビュー中にリアクションがシンクロすることも多かった阿部百衣子さん(左)とせとらえとさん。『頭痛が痛い』の中でのお二人の姿も、ぜひ劇場でたしかめてください。
※画像をクリックすると拡大表示されます。
(2022年4月18日/アップリンク吉祥寺にて収録)