“世界の終わり”が数ヶ月後に迫る中、長女と次女と、母親の違う三女は、初めて3人だけの生活を始める。そして――。
『とおいらいめい』は、発足以来、意欲的な作品を送り出し続ける自主映画制作ユニット・ルネシネマの最新作。髙石あかりさん、吹越ともみさん、田中美晴さんをトリプル主演に迎え、彗星の衝突による人類滅亡が近づいた世界で、3人の姉妹がときにすれ違い、ぶつかり合いながら“家族”になっていく姿が、現在と過去を交錯させながら描かれていきます。
メガホンをとったのは、各地の映画祭で受賞経験を持つ大橋隆行監督。特異な設定の中で登場人物ひとりひとりを繊細に描き出すユニークな“家族の物語”は、どのように完成したのか? 大橋監督にお話をうかがいました。
大橋隆行(おおはし・たかゆき)監督プロフィール
1984年生まれ、神奈川県出身。大学在学中に映画制作を開始。大学卒業後は映像の仕事に携わりつつ自主映画を制作し、2014年短編『押し入れ女の幸福』がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2014短編部門で最優秀作品賞を受賞したほか各地の映画祭で高評価を得る。2018年には池袋シネマ・ロサで長編『さくらになる』の上映と『押し入れ女の幸福』を含む短編3作品の特集上映がおこなわれた。2019年にはルネシネマ製作のオムニバス『かぞくあわせ』の一編「最高のパートナー」を監督
髙石あかりさんに出会ったことで三姉妹の話になったところがある
―― 映画『とおいらいめい』は、ルネシネマの創設メンバーであるしゅはまはるみさんの主演、同じく創設メンバーの長谷川朋史さんの作・演出で2004年に上演された舞台劇が原作ですが、映画化にあたって変更された部分も多いようですね。
大橋:そうなんです。姉妹が主人公で、話が進んでいく中でふたりがお互い抱えているモヤモヤをぶつけ合って家族になっていくという大きな枠組みは守っているんですけど、もともとは双子の姉妹の話だったのを三姉妹に変えていたり、一幕一場、ワンシチュエーションのお話だったのはまったく変えていますし、あちこち変わっていますね。
―― 主人公を三姉妹に変更した理由はなんだったのでしょう?
大橋:この映画の企画がスタートしてから、ルネシネマで別にもう1本『かぞくあわせ』(2019年)というオムニバスの作品を作っていて、ぼくはその2話目の監督をやらせてもらったんです。その『かぞくあわせ』が完成して試写をやったときに、今回『とおいらいめい』で三女を演じてもらった髙石あかりさんが、当時の担当マネージャーさんに連れられて観に来てくれたんですよ。それで試写のあとに感想を聞かせてもらったりして、そんなに長く喋ったわけではないんですけど、当時16歳とは思えないくらい落ち着いていたり、声のトーンなど独特な感じがあってとても魅力的な女優さんだなと思ったんです。長谷川朋史さんもその場にいらっしゃって「あの子ちょっと気になるよね」と一致しまして、もともと『とおいらいめい』の原作は20代後半から30代の姉妹の話なのでその役を髙石さんに演じてもらうのは難しいけど、それならいっそ三姉妹の話にして末っ子として髙石さんを置いたら、髙石さんに出てもらえて、なおかつ姉妹の話として展開できるのではないかということで、髙石さんに出会ったことで三姉妹の話になったところがあるんです。
―― 三姉妹という設定が決まってから、どのようにストーリーを作っていったのでしょう?
大橋:やはり、先ほどお話ししたようにベースとなる「姉妹がちゃんとぶつかりあって、ちゃんと家族になる」という枠組みは原作にあるので、あとは3人をどう動かすか、パワーバランスをどうするかをすごく考えた気がします。ぼく自身が三兄弟の一番上なので、誰かと誰かがギュッと近づくともうひとりが疎外感を抱えてしまうとか、3人のバランスみたいなことは昔からずっと感じていたところがあるので、双子から三姉妹に変えたことで経験的に書きやすくなったところはありました。
―― もうひとつ作品の大きな要素となっているのが、彗星の衝突で世界が終わるという設定ですね。公開前に発表されたしゅはまはるみさんのコメントに、彗星が衝突するストーリーの『ディープ・インパクト』(1998年・米/ミミ・レダー監督)の素晴らしさを監督と語ったというお話がありましたが、それがヒントになっているのでしょうか?
大橋:彗星が落ちてきて世界が終わるという設定は原作にもあるんです。もともとぼくも『ディープ・インパクト』とか『アルマゲドン』(1998年・米/マイケル・ベイ監督)とか1990年代後半から2000年代初頭に流行したディザスタームービーは大好きでいっぱい観ているんですけど、自主制作でああいうものを作れるとは到底思えなかったので、自分で作る話としてはずっと避けてきたジャンルではあったんです。それが、今回の原作は世界が終わるという状況だけど、わりと小さな家族の間の話をやっているというところにすごく惹かれたんです。こういうアプローチであれば「彗星が落ちてくる」というとんでもない状況の話も我々の規模でちゃんと映画として作れるなと感じて、挑戦してみようとなったんです。
―― 撮影は岡山県の瀬戸内市をメインにおこなわれていますが、瀬戸内で撮影するのはどの段階で決まったのでしょう?
大橋:けっこう早い段階で決まっていました。長谷川さんが勧めてくれたんです。ぼくは今度『とおいらいめい』を公開していただく池袋シネマ・ロサで、2018年に過去の短編の特集とそのとき新作だった『さくらになる』という長編を公開していただいたんです。長谷川さんはそれを観に来てくれていて、ぼくのこれまでの作品の雰囲気を知っているので、きっと瀬戸内海の雰囲気が合うのではないかと言ってくださったんです。ぼくは毎回ロケーションにはけっこうこだわっていて、車で5時間くらいかけて浜松まで行ったりするくらいだったんですけど、そろそろ関東周辺で撮るのに限界を感じていたんです。そのタイミングで瀬戸内を勧めてもらったので、まずは一度見てみようと、脚本を書く前に遊びがてら岡山に行ってみて、すごくいい街だと思って決めた感じですね。まだキャストが決まる前で、先に「3人が住んでいる街ってこんな感じなのかな」というイメージが自分の中にできて、そのイメージに合致する人に出演をお願いしたという感じがあるので、瀬戸内に決まったことはこの作品を作る上で大きかったという気はしています。
3人が持っている個性が脚本にじわじわ浸透していった感じがあります
―― ここからは主人公の三姉妹を演じたキャストの方々についてお話をうかがいたいと思います。三女の音(おと)を演じた髙石あかりさんは、現場で実際にお仕事をされるとどんな印象でしたか?
大橋:ぼくはいままでいろいろな役者さんと相対して来たんですけど、髙石さんは誰とも違う感じがして、なんて言うんでしょうね……変な表現ではあるんですけど、現場で向き合っていると野生動物と相対しているような気分になるんです(笑)。なにを考えながら演じているのかわかりにくいところがあるんですけど、それでも彼女が起こすアクションやリアクションのすべてが、ぼくの中にあった音ちゃんと1ミリもずれていないんです。なので、途中からはこちらからなにかを演出すると言うよりは、まずはやってもらって、やりやすいかやりにくいかを聞くみたいな感じでした。そこで彼女がやりにくそうにしていたら、もう脚本のセリフが間違っているか演出が間違っているんだと思うくらい、音としてそこにいた感じがありました。
―― 長女の絢音(あやね)を演じた吹越ともみさんと、次女の花音(かのん)を演じた田中美晴さんは、どのような点が起用の決め手になったのでしょう?
大橋:吹越さんと田中さんはオーディションで決まったんですけど、さっきお話ししたように、ぼくの中に街のイメージがあって「その街にいる人」が見つかったという感じがありました。それと、オーディションは何組かに分かれてもらってやったんですけど、吹越さんと田中さんはたまたま同じ組で、パッと見たときになんとなく雰囲気が似ているふたりだなと思ったので、おふたりに組んでお芝居をしてもらったんです。吹越さんはそのときセリフが飛んでしまって、2回くらいストップして台本を確認しながら一生懸命やっていたんですけど、そのときの真面目で不器用な感じと言いますか(笑)、同時に柔らかい雰囲気があるのが、三姉妹の長女に置くといいかなと思ったんです。話が進んでいく中で三姉妹のパワーバランスを一回崩したいと考えていたので「真面目でいい人なんだけど頼りにできないお姉ちゃん」という感じが、バランスが崩れていくきっかけを作るにはやりやすいかなというところが決め手だったと思います。
田中さんは、オーディションのときに吹越さんとの組み合わせがすごく良かったのでお願いをした部分が大きかったんですけど、現場に入ってみると、すごく器用にこなす方だなという印象がありました。その器用さが「あっけらかんとしているようだけど裏ではいろいろと思うところもあって、なんとか姉妹のバランスを取ろうとがんばっている」という花音のキャラクターにうまくはまったかなと思います。それから、花音とミネオショウさんが演じた良平くんとの関係を考えたときに、田中さんの小柄でキャッキャキャッキャ笑っている感じがあると、ふたりの関係があんまり悪く見えないなというのも現場で感じました。
―― 三姉妹を演じたのが髙石さん、吹越さん、田中さんの3人だから生まれてきたものというのはありますか?
大橋:もう、作品全体がそうであった気がしています。今回は撮影に入ってから台本を都合3回直しているんです。岡山で1週間撮影して関東に帰ってきたところで緊急事態宣言が出てしまって一旦そこで撮影が完全にストップしたので、夏に1999年の夏部分を撮って、また年末に2020年の続き部分を撮ってと、撮影がバラバラになっていて、その間は撮影した素材を編集したりしながら台本を手直ししていたんです。その中で、3人が持っている個性が脚本にじわじわ浸透していった感じがありますし、セリフは変わっていないんですけど、この3人が演じたために現場で微妙に変化した部分はあった気がしています。
―― 三姉妹だけの約12分の長回しは、この作品の見どころのひとつだと思います。あのシーンはどのように発想されたのでしょうか?
大橋:ある日ふと思いついたとしか言いようがないんですよね(笑)。あの画がポンと浮かんできて、ただただ3人がいて日が沈んでいく風景をリアルタイムで見てみたいなというところだったんです。喋る内容も、台本にセリフを全部書くのではなくて、冒頭だけ決めておいて、あとは3人にお任せしてやってもらおうと思ったんです。もう、どうなるかは実際やってみるまでわからなくて、撮影期間の中で2回だけあのシーンにトライできる状況だったので、とりあえず1回やってもらおうと。それで難しそうだったら翌日の2回目の撮影までに全部セリフを書くつもりだったんですけど、やってみらたら3人にお任せして大丈夫だとわかったので、2日目はこちらから注文することはほとんどなく撮ったという感じです。
―― 映画の中の1999年パートでは、絢音を森徠夢さん、花音を武井美優さんと、子役のおふたりが演じていますが、おふたりについても印象をお願いします。
大橋:子どもたちに関してもオーディションをしていて、大人のふたりを演じた吹越さんと田中さんとのバランスとかは一切考えずに、単純にお芝居に魅力を感じたおふたりにお願いしたという感じでした。ただ、現場に入ってみたら思っていたより吹越さんと田中さんに雰囲気が似ているなと感じて、それは想定外の喜びでした。
―― これはキャストの方々についての話ではありませんが、三姉妹の名前が、絢音、花音、音と、3人とも「音」という字が入っていますね。
大橋:そうですね、原作とは全然違う名前をぼくが付けました。「音」と付けたのは、音にまつわる話をしたいというところがあったんです。誰かと生活をともにするということは、その誰かが発する音を聞きながら生活することであるというところをやりたかったんです。劇中でいろいろ音にまつわる話をしているんですけど、三女の音ちゃんがいままでひとりでいたところに、お姉ちゃんたちが帰ってきて、お姉ちゃんたちの発する生活音なんかが、最初は居心地悪かったのが、だんだん心地よくなるまでの話をやりたかったんです。
いまの状況だからこそ感じてもらえる部分はきっとある
―― ルネシネマは、しゅはまはるみさんと藤田健彦さん、長谷川朋史さんの3人が結成されて、今回の『とおいらいめい』ではしゅはまさんと藤田さんが出演、長谷川さんが撮影監督で参加されていますね。ほかのルネシネマ作品も含めてほんとにユニット一丸で制作されているという印象を受けます。監督はルネシネマでの映画作りについてどう感じられていますか?
大橋:ぼくは藤田さんにはほかの作品に出ていただいたりしてお付き合いが長いですし、長谷川さんとは普段やっている映像の仕事で一緒になることも多いので、知っている人たちと映画を作っているという感覚がすごくあって、やりやすい現場ではありますね。わりと「みんなで楽しく作ってく」という感じがあって、ちょっとでも現場を楽しくしていきたいという感じのあるチームだと思います。
―― 今回の映像に関して撮影監督の長谷川さんとはどのようなお話をされたのでしょうか?
大橋:基本的に映像に関してぼくから言うことはあまりなくて、長谷川さんにお任せしていました。長谷川さんがこの原作の映画化をぼくに託してくれて、唯一の条件が「自分に撮らせてくれ」ということで、安心してお任せできる方だというのはわかっていましたので、相談したのは最終的にシネスコにしてフィルムライクな画にしたいということくらいですね。現場でも、長谷川さんが作ってくれた画を見て、よっぽど「もうちょっとこうしてほしい」ということがあればお願いすることもありましたけど、基本的にできあがった画については長谷川さんのセンスです。
―― 劇中の風景が、日常的なんですけどひと気がなかったりして、どこか不穏さがあるように感じました。
大橋:今回、特別にそれを考えていたわけではなくて、ぼくは映画を作りはじめた学生時代に、自分たちの規模ではエキストラを入れて画面の中をコントロールするのは無理だと感じて、エキストラを入れなくても成立するような人がいないシチュエーションで作れる物語をずっとやってきたところがあるんです。今回の『とおいらいめい』も、最初から人がいないことが不自然ではないシチュエーションを考えていたので、ロケーションを探すときにも人が映らなくて済むような場所を探しましたし、劇中で「彗星が落ちてくる」という直接的な話はしたくなかったので、なるべく終末感が漂う画を作れそうな場所を探し回ったところはありますね。
―― 「直接的な話をしたくなかった」というお話が出ましたが、劇中で説明的なセリフやカットがないのが印象的でした。
大橋:やっぱり「彗星が衝突する」というのは、突飛といえば突飛な話じゃないですか。なので、自分の中でも真面目に語れるかどうか微妙なバランスではあって、なんとか直接的に言わずに見せられる方法はないだろうかと悩んだところではあるんです。それから、ぼくは普段から「いかにセリフを削っていけるか」をつねに考えていて、極力セリフではないところで伝えられる方法を模索しているところはあるんです。極力、具体的なセリフではなく、日常的なことを喋っている中でどれだけ伝えられるかということは、毎回がんばって考えている部分です。
―― 『とおいらいめい』は“世界の終わり”についての映画ですが、いまは現実でもどこか“世界の終わり”のような空気が漂っていると思います。その中で公開を迎えるお気持ちを聞かせてください。
大橋:ぼくは今回に限って特別ということではなく、いつもなんらかのかたちで「世界が終わっていく話」をやっている感じはあって、それはなぜかと考えると、ぼく自身がわりと「自分が死んだらどうなるんだろう」ということに興味がある人間で、その感覚を作品を作る上で大事にしていきたいと思っているところがあるんです。「いずれ自分がこの世界からいなくなる」ということを普段から意識している人はあまりいないのかなと思うんですけど、そういうことを身近に感じやすい、いまの状況だからこそ感じてもらえる部分はきっとあるかなと思っています。良くも悪くもぼくが普段から思っていることが伝わりやすい世の中になっていて、だからこそ観てほしい作品かなとは思っています。
―― 悲観的な物語と感じたり、希望のある物語だと感じたり、いろいろな捉え方ができる作品かなと思います。監督は、どうご覧になっていただきたいと思っていらっしゃいますか?
大橋:特に最近、自分が作った作品をいろいろな人に観てもらえる機会が増えてきまして、人によって本当に感じ方は違うんだなということを感じているんです。自分では「A」というつもりで作ったものが人によっては「B」とか「C」に見えていたり、それをすごく面白く感じています。ぼくはあまり言い切るのは好きではないですし、想像できる余地を作りたいということはつねにあるので、どう観てほしいというよりは、どう感じたかをいろいろな人に聞きたいなと思っています。
―― では最後に、映画をご覧になる方へのメッセージをお願いします。
大橋:表現したいことはお話の中に盛り込んで作ったつもりではあるんですけど、そういう部分ではなく、単純に三姉妹を演じてくれた3人の俳優さんの魅力や個性を味わってもらえる作品になっていたらいいなと強く思っています。もう単純に、3人がどう生きて、どう世界の終わりを迎えるのかというのを、大きなスクリーンで観て受け取ってもらえたら嬉しいです。
(2022年7月14日/池袋シネマ・ロサにて収録)