小説家になるという夢を持ちながら出版社の編集部で働く修一と、なにをやってもうまく行かずアルバイトも長続きしない莉奈。同棲し、不器用な莉奈を修一が支えるようなふたりの毎日は、偶然の出来事から大きく変化しはじめる……。
新鋭・山口健人監督が、黒羽麻璃央さんと穂志もえかさんの共演で贈る新作『生きててごめんなさい』。『余命10年』『新聞記者』などの藤井道人監督の企画・プロデュースによるこの作品で、山口監督は多くの人が共感を抱くような“現代を生きる若者”の姿を鮮烈に描き出しています。
衝撃的なタイトルを掲げ、痛いほどリアルに「現代」を切り取ってみせた山口監督に、作品についてお話をうかがいました。
山口健人(やまぐち・けんと)監督プロフィール
1990年生まれ、埼玉県出身。早稲田大学文学部演劇・映像コース在学中より映像制作を開始。大学卒業後にBABEL LABELに所属し、CMやミュージックビデオ、ドラマなど幅広い分野で活躍。監督として参加したワイモバイルの配信ドラマ「パラレルスクールDAYS」(2019年)は海外の多数の広告賞を受賞している。近年では、ドラマ「箱庭のレミング」「アバランチ」(2021年)「真相は耳の中」(2022年)など手がけ、最新作の映画『静かなるドン』の公開も春に控えている。
悩んでいる本質のところはみんな変わらない気がするんです
―― 『生きててごめんなさい』は、どのように企画がスタートしたのでしょうか?
山口:「メンヘラをテーマに映画を作ってくれ」という、フワッとしたところから始まったんです。「メンヘラ」って、ある種キャッチーなワードではあるんですけど、現代の若者が抱える苦悩を象徴している部分があると思うんです。そういう、いまどきの若者を描きたいというところが発端にありました。そこから、まずヒロインの莉奈というキャラクターができて、自己投影したわけではないんですけど、莉奈のそばにいる男性という位置付けで修一ができてきて、進んでいきました。
―― 莉奈と修一のキャラクターについて、もう少し詳しく聞かせてください。
山口:莉奈というキャラクターは、社会との軋轢を抱えているというか、抽象的な言い方ですけど「出っ張っている」んです。世の中のいろいろな物事に対して出っ張ってしまっているから、うまく馴染めていないというキャラクターですね。それとの対比で、社会から受けるプレッシャーとか理不尽とかに対して妥協して、かたちを変えて生きてきた人間として修一ができて、そうやってふたりのキャラクターが生まれていきました。
―― 「対比」というお話がありましたが、修一と莉奈は、対照的な部分もありつつ、似ている部分も多いように感じました。
山口:そうですね。表面的に出るかたちは違えど、どちらも「自分らしくある」というところで悩んでいたりする部分は一緒なんだと思っていました。そこに対して妥協したのが修一で、妥協できずに生きちゃっているのが莉奈なのだと考えていたと思います。
―― 修一は守ってあげる感覚で莉奈と一緒にいるようなところがありますよね。一方で莉奈も処分されそうな犬を守ろうとしていたり、ふたりとも「弱いものを守れる自分」でありたいように見えて、そこもふたりが似ている部分かなと思いました。
山口:なるほど、そこは意識してなかったです。その部分で言うと修一と莉奈のスタンスはちょっと違っているかもしれません。修一は、莉奈という可愛くて守れる存在がいることで自分自身を保てて安心できているところがあって、要は自分がちょっと上の立場だと思っているんです。でも莉奈はペットショップのワンちゃんたちを自分と同じ目線で見ていて、彼女にとって檻に囚われた動物を守る行為は、社会や常識の檻に囚われた自分を守ることとイコールなんだと思います。ただ、スタただ、スタンスに違いはあっても、結局は守ろうとすることで自分の存在を肯定したいのかもしれなくて、たしかにそこは似ているかもしれません。
―― 修一も莉奈も、職業とか境遇はそんなにありふれた設定ではないですが、ふたりの言動やふたりが経験することに共感する方は多いのではないかと思います。
山口:その人がなにを目指してどういう仕事をしているとか、もしくは目指すものがなくて困っているとか、そういう部分で違いはあっても、悩んでいる本質のところはみんな変わらない気がするので、そこは大事にしていました。一番描きたかったのは「いまを生きる若い人々の弱さ」というか「日々を過ごす上での葛藤」みたいなところではあったので、どんな設定であれ「やりたいことがうまくいかない」みたいなところは、みんなが共感できるようにと考えていました。
―― 映画をご覧になって「自分を見てるようで痛い」と思う方は多いのではないかと思います。先ほど「自己投影」というお話も出ましたが、監督ご自身は作りながら「痛くなる」みたいなことはなかったのでしょうか?
山口:ありました。やっぱり、自分の中にある痛みというか、見せたくない恥部というか(笑)、そういう部分をちゃんと赤裸々に描くということは最初から意識していたので、ある種「自分イタたた……」なところはあって、黒歴史を描いているみたいな感じではあります(笑)。
―― そうやって痛さを感じながら作品を作るのは、エネルギーを使うのではないでしょうか?
山口:エネルギーは要りましたね。セリフを書く上でも、自分の弱さと向き合いながら「隠したいけど、でもここを隠したら面白くないな」みたいなところがあったので、なかなかつらい作業ではありました(笑)。でも、そこを逃げずにやれたおかげで、観客の方々にも共感できる部分ができたのかなという気はします。
どのキャラクターも一面的でない事情を持たせようと思いました
―― 修一を演じた黒羽麻璃央さんと莉奈を演じた穂志もえかさん、それぞれの起用のポイントを教えてください。
山口:黒羽さんは、2.5次元舞台であったりイケメン的な役のイメージが強いと思うのですが、人間的な弱さを感じさせるものを持っていらっしゃる方だなと思ったので、いままでのイメージとは違う「見たことのない黒羽さん」を見せられればなとは思っていました。
莉奈に関してはオーディションをやっていて、穂志さんはそのオーディションに来たときから「莉奈だな」という感じがしてたんです。穂志さんはオーディションに寝間着で来たんですよ。それは穂志さんが「こういう役だからこういう格好で」と考えてそうしていたんですけど、会場のドアをガチャって半分だけ開けて、ヒョコっと顔を出して、ダルダルの寝間着で「よろしくお願いします」ってトコトコ歩いてくる感じが、思い描いていた莉奈そのものだったんです。
―― 黒羽さんが演じることで修一の説得力が増している感じがしました。というのは、修一が見るからに平凡な若者だったら、もっと前にいろいろなことを諦めたいたのではないかと思うんです。
山口:それはあるかもしれないですね。要は、学生時代までは「ある程度うまくやれていた人」なんですよね。でも、社会に出るともっとシビアな現実が襲ってきて、それだけではうまくいかない部分が出てくるという感じが、黒羽さんが演じたことによって修一に産まれたのかもしれません。
―― もうひとり登場人物で印象的なのが松井玲奈さんが演じた編集者の今日子で、ほかの作品で見る松井さんとは違う新たな面を見た感じがありました。
山口:そうですね、松井さんはすごくしっかりした方でありつつ、いい意味で他人にはわからない部分を内側に持っていらっしゃるような雰囲気を感じて、そこがいいなと思いました。
―― キャラクターとしては、今日子はどのような存在として考えられていたのでしょうか?
山口:修一にとって、莉奈が「現実」だとしたら「夢」というか。たぶん、今日子さん自身も理想的な人生を送っているわけではなくて、いろいろ抱えているんです。でも、修一から見れば理想化された生き方をしていて、自分もそこに行けるのではないかと思う、言ってみれば「夢へのチケット」のような立ち位置になればいいかなと思っていました。
―― 先ほど、修一は妥協して生きているというお話がありましたが、完全には妥協しきれてないところがあって、そこを完全に社会に適合できているのが今日子のように感じました。
山口:そこはまさにそうだと思います。修一には「夢へのチケット」に見えるんですけど、彼女自身はきっと嫌な思いや悔しい経験もしている。それでもちゃんと世間とうまいこと折り合いを付けられていて、その上でしっかりと頑張って闘っているという存在ですね。言ってみれば、それが正しいかどうかはわかりませんが、登場人物の中で一番大人なのかもしれません。
―― ほかにも安井順平さんが演じたコメンテーターの西川をはじめ印象的なキャラクターが何人も登場しますが、どの人物も実際にいそうなリアリティを感じました。リアリティを持たせるために意識されたのはどんなことでしょう?
山口:一面的でないことは大事にしていました。安井さん演じるコメンテーターも、意外と言っていることは正しくて、ただ言われる側からするとムカつくところがあるみたいなことなんです。山崎潤さんが演じた編集長もそうで、言い方は厳しいけどちゃんとしたことを言っていたりする。現実って、はっきりと「超良い奴」と「超悪い奴」に分かれているわけではないじゃないですか。だから、どのキャラクターも善でも悪でもなくて、誰かにとっては善であり、別の誰かにとっては悪である事情を持たせようと思いました。それが「こういう人いるよね」みたいなリアリティに繋がっているのかもしれません。それから、キャラクターひとりひとりの履歴書はちゃんと作ります。それがあると、演じてもらう上でも人としての厚さが増すと思います。
―― 登場人物だけでなく、SNSとかインフルエンサーとか、世の中の「現代的」と言われるような部分の描き方も、非常ににリアリティがあると思いました。
山口:正直、そこはあまり意識したことがないんです。ただ、逆に言うと特別に意識せず、当たり前ですが善悪両方の側面があると思っているので、それがリアルに見えるのかもしれません。SNSとかって、悪いほうにデフォルメされることが多いじゃないですか。そこもキャラクターと同じで、良い面もあれば悪い面もあるというのはしっかり描こうとはつねに思っています。
「自分だけじゃないんだ」って感じてもらえたらいいなと思っています
―― 監督は、この作品についてプレス資料のコメントで「主人公になりたくてもなれず、脇役に甘んじて生きるカップルの物語です」と書かれていますが、ファーストシーンはそれが映像で示されているように感じました。
山口:まさにそういうイメージです。つまり、画面のセンターにいてフォーカスが合っているわけではなくて、なんなら照明も当たっていない、その他大勢のエキストラ的な人に焦点を当てる映画なんだということを最初に感じてもらいたくて、ああいうかたちになりました。
―― そのファーストシーンも含め、作品全体を通して、人物がいる「場所」がしっかりと映っていて「場所があって人がいる」という印象があります。
山口:そこはけっこう意識はしていました。修一と莉奈であれば、ああいうちょっと郊外の街のアパートという空間の中に彼らがいることで「都会でもなく、田舎でもない街に生きている存在」というリアリティであったり説得力が出てくる部分はあると思うんです。それと、単純に空間を撮るのが好きということはあるかもしれません。だから「この空間の中にいる人々」というところはつねに考えていました。
―― そうすると、ロケーションの場所はかなり重視されていたのですね。
山口:そうですね、ロケーション選びは監督にとって重要な仕事だと思うので。なんか、やたらと坂を撮っていましたね(笑)。坂、階段とか、ロケハンが大変でした(笑)。
―― 修一が好きな作家の講演を聴きに行く場面がありますよね。あそこは、会場のホールの雰囲気や、修一のいる客席の照明が消えるところが印象に残りました。
山口:映画の面白さって「語らないでも映すことで伝わる」ところにあると思うんです。あそこで言うと、作家本人は映画の中では一度も登場しないんですけど、会場を映すことで「こういうところで講演ができる人」だということは表現できますし、電気が消えた中で修一がポツンとしているところで「理想に辿り着けない修一」というのも表現できるんです。空間の意味合いであったり、光の意味合いであったり、そういう言語化できない想いを描くのが映画の魅力のひとつだと思うので、そこは意識してやりました。照明が消えるところを撮るのは大変でしたね、時間があまりなかったので(笑)。
―― 『生きててごめんなさい』というタイトルは、かなりインパクトが強いですが、タイトルはどのような発想で決まったのでしょうか?
山口:タイトルはけっこう悩みまして、いろいろと考えて出したんですけど、どれもイマイチしっくりこなかったんです。その中で、藤井(道人)さんから劇中に登場するSNSのアカウント名である「“イキゴメ”ってなんなの?」って聞かれたんです。「“生きててごめんなさい”の略です」って答えたときに「タイトルそれだ!」ってなったんです。そこに莉、そのときに「タイトルそれだ!」ってなったんです。そこに莉奈の抱えているものが表現されていると思いますし、修一もどこかしらでそういう気持ちを抱えていて、作品自体を貫く想いが「生きててごめんなさい」ってことにそのときぼくも気づいて、このタイトルにしました。
ただ、劇場でチケットを買うときに受付で「『生きててごめんなさい』1枚ください」と言うのはちょっと言いづらいので、そこは「ごめんなさい」って思っています(笑)。事前にネットで買ってもらえれば受付で謝らなくて済むので、ぜひネットで買ってほしいですね(笑)。
―― 最後になりますが、この映画をご覧になる方に感じてもらいたいのはどんなことでしょうか?
山口:「自分だけじゃないんだ」って感じてもらえたらいいなと思っています。さっきの話とも重なりますが、この作品は「特別な誰かの物語」というよりは、いまリアルにこの街で生きている「あなたの物語」なんです。日々の悩みであったり、葛藤であったり、いろいろ抱えているのは自分ひとりじゃないんだと思って、少し励まされて劇場を出てもらえたらいいと思っています。ネガティブなタイトルですけど、ちょっとでも希望を持ってもらえるように作ったつもりです。疲れていたり、悩んでいたら、ぜひ劇場に観にきてください。
(2022年12月20日/都内にて収録)