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鶴田法男監督インタビュー

 「Jホラー」という言葉の誕生以前から数々のホラー作品を送り出してきた鶴田法男監督。その貴重な作品群が、8月に相次いで劇場のスクリーンで上映されます。
 8月17日には、1996年のオリジナルビデオ作品で長く鑑賞が困難だったつのだじろうさん原作『亡霊学級』のデジタルリマスター版が、東京の新文芸坐で上映。8月21日より4日間は、自主制作の8ミリフィルム作品を含む11作品がラインナップする特集上映「Jホラーの父 鶴田法男監督特集」が、横浜のシネマノヴェチェントで開催。
 ホラーファン垂涎の1週間を前に、鶴田監督に『亡霊学級』と特集上映について、たっぷりと語っていただきました。

鶴田法男(つるた・のりお)監督プロフィール

1960年生まれ、東京都出身。高校時代より自主映画を制作。1991年に自ら企画したオリジナルビデオ作品『ほんとにあった怖い話』で監督デビューして以降、オリジナルビデオで数々のホラー作品を監督。その後のホラー作品に大きな影響を与えたことから“Jホラーの父”と呼ばれる。劇場用監督作に『リング0~バースデイ~』(1999年)『おろち』(2008年)『POV~呪われたフィルム~』(2012年)『Z-ゼット-果てなき希望』(2014年)など。2019年には中国に招かれ『戦慄のリンク』を監督(日本公開2022年)。近年は「恐怖コレクター」シリーズなど小説家としても活躍中

与えられた条件の中で最良の状態にしようと思って作ったのが、この『亡霊学級』

―― まず、デジタルリマスター版で上映される『亡霊学級』についてお話をうかがいたいと思います。1996年に『亡霊学級』が製作された際は、どういう経緯で企画がスタートしたのでしょうか?

鶴田:最初は、オリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話』のプロデューサーでもある伊藤直克さんと、当時、大映にいらっしゃって、平成ガメラシリーズのプロデューサーである土川勉さんが話し合って、つのだじろう先生の「亡霊学級」を映像化したらどうかという話になったようなんです。実は当時、まったく別のところで、ぼくが監督してつのだ先生の「恐怖新聞」をオリジナルビデオで映像化する話があったんですけど、それが立ち消えになりまして、ぼくはちょっと落ち込んでいたんです(笑)。それを伊藤さんに愚痴ったりもしていたので、ならつのだ先生の恐怖漫画の原点である「亡霊学級」をぼくの監督でどうだろう、みたいなことになったらしいんですよね。それと、1995年に東宝の『学校の怪談』(平山秀幸監督)が大ヒットして続編も作られてましたから、おそらくプロデューサーサイドには学校が舞台のホラーをやれば受けるんじゃないかという発想はあったと思います。

―― 『亡霊学級』は、鶴田監督の作品の中では初の長編ホラーであるのが重要な作品だと思います。原作の「亡霊学級」は『ほん怖』のようなオムニバス形式でも映像化できそうな作品ですが、長編になったのはなぜだったのでしょう?

鶴田:たぶん、ぼくが「オムニバスはやりたくない」って言ったんじゃないかなあ。『ほん怖』も含め、オムニバスはたくさんやっていましたからね(笑)。

―― 劇中につのだじろう先生ご本人や原作の「亡霊学級」が登場する大胆な脚色がされていますが、この方向はどのように決まったのでしょう?

インタビュー写真

私物の「亡霊学級」原作本を手に話す鶴田法男監督

鶴田:最初はもっと原作に沿ったかたちで進めようとしていたんですけど、なにしろ原作が描かれたのが1973年で舞台もその当時ですから、たとえば原作に出てくる汲み取り式のトイレはもう学校にないわけですよ(笑)。だから忠実にやろうとすると1970年代初頭を再現しなくてはいけないんですが、そんなに予算もなくてそれは無理ですから、変更しなくてはならないところが出てくるんです。それともうひとつ、大映サイドから「つのだじろう先生を出演させてほしい」という条件が出されていたんです。当時、つのだ先生はテレビとかによく出演されていて人気でしたから、その意向はすごく理解できるんです。ただ、たとえば通行人とか当たり障りのない役で出ていただくようなことは、ぼくはどうしてもやりたくなかったんです。それで何度か打ち合わせをしているうちに、つのだ先生が出るなら「漫画家・つのだじろう」で出てきて、原作の「亡霊学級」自体も劇中に出てきてしまうという、メタな作りのものにしたら面白いのではないかと思いついて、という流れですね。

―― 『亡霊学級』は、『ほん怖』などの実話に基づいた作品ではできないこと、やらないことをやっていて、監督のそれまでの作品と違ったテイストが出ているように感じます。

鶴田:基本『ほん怖』は実話ベースですから、あまり突拍子もないことはできなかったんですよね。『亡霊学級』も、原作はつのだ先生が「こういうことがあった」とリサーチされた話にインスパイアされて描かれていたでしょうから、実話ベースということは崩したくなかったんです。でもその一方で「フィクションとしての面白味」みたいなところで飛躍させたいという気持ちもあって、それまでの『ほん怖』とかとは違うテイストになったと思います。
 それと、実はぼく自身がちょっと複雑な気持ちを抱えている時期だったんですよ。ぼくの家は祖父が旧・大映の役員で父親は映画館を経営していてという映画一家で、ぼくが子どものころに旧・大映が倒産して家が大変なことになるのを経験していますから、ぼくは周りから散々「映画の仕事をしちゃいけない」と言われていたんです。にもかかわらず監督を始めていたので、作品を撮らせてもらえるのはありがたかったんですけど、どこかで「このまま続けて大丈夫なのだろうか?」という悩みもあったんです。そういう時期に『亡霊学級』の話をいただいたものですから、当時の気持ちがそのまま詰め込まれているようなところがあって、それが作品のテイストに出ているんじゃないかなと思います。
 もちろん、そういう気持ちばかりを詰め込んだのではなくて、つのだ先生へのリスペクトはすごくありました。ぼくは小学生のときに家で幽霊を見た記憶があって、ずっと「あれは一体なんだったんだろう?」というモヤモヤを抱えていたんです。それで、中岡俊哉さんの「恐怖の心霊写真集」とか、佐藤有文さんの怪奇現象関係の本とか、そういう本を読んだり、テレビでその手の番組があると観たりして、自分の中のモヤモヤについて考えていたんです。それが、つのだ先生の「亡霊学級」や「恐怖新聞」「うしろの百太郎」といった作品を読んだときに、自分の中でモヤモヤしているものを創作物として昇華させていくことが可能なんだと思えたので、つのだ先生に助けてもらったところがあるんです。だから、ぼくが「亡霊学級」を映像化させてもらえるのであれば、つのだ先生への想いをちゃんと反映させて、与えられた条件の中で最良の状態にしようと思って作ったのが、この映像版の『亡霊学級』なんです。

低予算でしたけど丁寧な作り方はしていましたね

―― 当時、ラストがけっこう物議を醸したそうですが、あのラストはいま話していただいた当時の心境のようなものが反映されていたのでしょうか?

鶴田:悩んでいたぼくの気持ちがそのまま出ているところはありますね(笑)。ぼく的には、あのラストはけっこうハッピーエンドだと思っているんですよ。なにか困難があるときに、努力して克服するのが一番素晴らしいのかもしれませんけど、どうしようもなくなったときに「受け入れてしまう」という手もあると思っていたんです。当時はバブル崩壊直後で、「頑張れば、まだなんとかなる」みたいな空気が社会にあって焦りとプレッシャーが若い世代にのしかかってた感じがあったんです。だからハッピーエンドなんですけど、いまにして思うと、諦念感というか「諦めてしまう」という感じが出ているかなと思って、それが否定的に捉えられたところはあるのかなと思います。でも、たとえばスピルバーグの『未知との遭遇』(1977年・米)も、ラストは主人公が家族を捨てて宇宙船に乗っていってしまうわけじゃないですか。それでみんな感動しているんだけど、ぼくは「みんなこれで感動するの?」って思うわけですよ(笑)。スピルバーグ自身も最近になって「いまなら、ああいうふうには作れない」と言っていて、ぼくは「そうだよね」って(笑)。やっぱり、あのヴィジュアルとあの音楽で、大きなスクリーンで見せられると、あのラストでもそれなりに納得されられちゃうんですよね。『亡霊学級』は小さな作品だったし、達観みたいなことを納得させるには、力不足だったなと、いまは感じています(笑)。

―― あのラストについて、主演の宮澤寿梨さんは撮影の際に戸惑いとかはなかったのでしょうか?

『亡霊学級』スチール

『亡霊学級』より。宮澤寿梨さん演じる主人公・目黒ゆり

鶴田:ああ、どうだったんでしょうね。最後のあのセリフのときにぼくからなんか言ったような記憶はあるんですけど、最後すごくいい感じの表情になっていたから、そこでOKを出していたと思います。

―― お名前を出したところでお聞きしますが、宮澤さんは『亡霊学級』が初めての演技のお仕事だったのでしょうか?

鶴田:いや、当時テレビ朝日の深夜で「変[HEN]」という奥浩哉さん原作のドラマをやっていて、彼女はそれに出ていたんですよ。ぼくはそれを観ていたので、ちゃんと芝居できる人だなとは思っていました。『亡霊学級』では何十人かオーディションをして、その筆頭が彼女だったんです。ほかにもたくさん素敵な人がオーディションに来てくれていましたけど、彼女が一番、華があって魅力的でしたし、たしかに芝居に不安定なところはあったので悩みどころではありましたけど、彼女が一番いいなと思って決まりました。

―― 宮澤さんの「私、チビだけど力はあるんです」というセリフが印象的でした。あれは宮澤さんに合わせて加えられたセリフなんでしょうか?

鶴田:そうです。あれは脚本の小川智子さんが書いたセリフなんですよ。もうひとりのヒロインを演じたのが石橋けいで、宮澤寿梨と石橋けいが並ぶと、石橋けいが背が高いから、なんか面白い感じだったんですよ(笑)。それで、たしかホン読みのときに小川さんに来てもらったのかな。そしたら小川さんが決定稿にあのセリフを書いてきて、ぼくも読んだときに「これはいいな」って。そういう意味では、低予算でしたけど丁寧な作り方はしていましたね。
 石橋けいもオーディションで決まったんですけど、ぼくは最初から石橋けいで行きたいと思っていたんです。芝居がしっかりしているし、つのだ先生が描くヒロインの雰囲気があると思っていたんです。

―― もうひとりの重要な登場人物を演じている水上竜士さんは『亡霊学級』以前にも鶴田監督の作品にご出演されていますよね。

鶴田:水上竜士は、ぼくの作品では最初に『新・ほんとにあった怖い話 幽幻界』(1992年)の『廃屋の黒髪』に出ているんですよ。そのときにぼくもプロデューサーも気に入って、そのあとに『悪霊怪談~呪われた美女たち~』(1996年)にも、けっこう重要な役で出てもらったんです。『悪霊怪談』がリリースされたのは『亡霊学級』と同じ1996年なんですけど、もともとは前の年に『Giri Giri Girls in 超・恐怖体験』というタイトルで出たもので、発売元が倒産しちゃったので、再編集したりして別のメーカーから出し直しているので、順番としては『悪霊怪談』があって『亡霊学級』の順なんです。それで、ちょうどそのころ室賀厚監督の『SCORE』(1995年)が松竹で公開されて、水上竜士が重要な役で出ていたんです。『SCORE』はかなり話題になりましたから、ぼくもプロデューサーも「『亡霊学級』にも重要な役で出てもらおう」となったんです(笑)。

―― 宮澤さんと水上さんは新文芸坐の上映のあとトークに参加されますが、28年前の作品でメインのキャストの方がいまもご活躍されていて、こうして登壇されるというのは幸せなことですね。

鶴田:そうですね。この間、宮澤寿梨と28年ぶりに再会しまして、全然印象が変わっていなくて嬉しく思いました。水上竜士は、俳優業だけでなく京都芸術大学の教授もやっていますから、なにしろ忙しそうですね(笑)。

オリジナルビデオには映画的なものがギュッと詰まっていたんじゃないか

―― 『亡霊学級』は、当時VHSでリリースされたのみでDVD化も配信もされず鑑賞が困難でした。どんな経緯で今回のデジタルリマスター化がおこなわれることになったのでしょう?

鶴田:7、8年くらい前からですかね、SNSで「『亡霊学級』を観たい」というような声を見聞きするようになったんです。いまはSNSのおかげでぼくを応援してくれるファンの方とつながりが持てるようになって、そういう声がダイレクトに届くんです。それで、気になって検索すると「『亡霊学級』面白かった」「もう一度観たい」というような感想がけっこうあるのに気づいたんです。そして、2022年にオリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話』をDVDで再リリースしたときに、とてもよい結果が出たんですよ。「『ほん怖』がこれだけ行けるんだったら『亡霊学級』も行けるんじゃないか」という話になって、ぼくが動き出したんです。

―― メーカーなどから企画が持ち込まれたのではなく、監督主導で動かれていたのですね。

インタビュー写真

鶴田監督と、1996年リリースの『亡霊学級』VHS版

鶴田:そうなんです。それで『亡霊学級』は大映の作品で、大映は2002年にKADOKAWAに吸収されましたから、現在はKADOKAWAが権利を持っているんです。それで、ぼくは小説「恐怖コレクター」ほかをKADOKAWAから出していて話がしやすかったので、同社の映像関連部署に連絡を入れてみたんです。でも『亡霊学級』はKADOKAWA本体の作品ではないし、やはり昔の作品でいろいろクリアしないといけないことが多くて、話が進まなくなってしまったんです。それで、ぼくは2004年につのだ先生の「恐怖新聞」を『予言』というタイトルで映画化していますし、つのだ先生の作品を管理するコミックス・ウェーブ・フィルムさんにダメ元で相談してみたら話を聞いてくれて、そこからいろいろと進むようになって、現在に至るという過程ですね。コミックス・ウェーブ・フィルムさんは新海誠監督が所属している会社ですから、そこが乗ってくれたことが大きかったですね。

―― デジタルリマスターにあたって、技術的な部分で難しかったことはなかったのでしょうか?

鶴田:難しいというか、すごく悩んだことがあって、製作した1996年当時、ぼくはビデオ撮りの画面が嫌で、フィルムトーンという効果を編集の最後に使用したんです。それはフィルムっぽい雰囲気にはなるんですけど、実は情報量を減らしているので、斜めの線とかがあると「ジャギー」といって輪郭がギザギザになるんです。『亡霊学級』は特にそれが目立つので、なんとかしたいんだけど、下手にいじって逆に変なことになるのも嫌だなと思って、すごく悩みました。結局、撮影の藤石修さんの助言ももらい、リマスター業者さんが、かなり丁寧にやってくださったので、いい感じに補正できていると思います。藤石さんは『亡霊学級』の数年あとに大ヒットした『踊る大捜査線』シリーズをお撮りになったカメラマンで、実は連絡するのが何十年ぶりだったんですけど(笑)、藤石さんにチェックしてもらって、現状では完璧なリマスターができていると思います。

―― 『亡霊学級』も含めて、オリジナルビデオ作品はレンタルビデオという業種があったから作られていたわけですけど、レンタルビデオが終焉に向かっている中、当時の作品がこうして蘇るのは、歴史的にも意義があるように思います。

鶴田:正直な話をすると、ぼくが『亡霊学級』のデジタルリマスターのために動いたのは、たくさんの方が「観たい」と言ってくれたことはたしかに大きいんですけど、もうひとつ「いまやらないとダメだ」というのが大きな原動力になっていたんです。ですが、今年に入ってビデオ市場はさらに縮小しているので、8月17日の新文芸坐の上映がどれだけ盛り上がるか次第で今後の展開を考える状態になってます。でも、いまここで頑張らないとオリジナルビデオ作品はすっかり埋もれてしまうと考えている人たちがいっぱいいて、ここ数年、デジタルリマスター版で出すみたいな動きがあるんじゃないかと思います。

―― 個人的には、黒沢清監督がご自身のオリジナルビデオ作品の『蛇の道』(1998年)をセルフリメイク(2024年)されたのも、その動きと同じ流れにある気がしています。

鶴田:1990年代には、東映Vシネマを筆頭にオリジナルビデオがたくさん作られて、そういうビデオ専用映画は予算が限られていて表現としては限界があるんですけど、その中でみんな面白く見せようと工夫をして作ってきたんですよね。そこから黒沢清監督や三池崇史監督といった人たちが出てきたわけです。これはぼくの勝手な考えなんですけど、それって1980年代にポルノ映画で予算も条件も限られた中で映画的なものを作ろうとしていた人たちがいたのと同じだと思うんですよ。それで80年代にはポルノ映画から金子修介監督や周防正行監督のようにその後の日本映画を牽引する人たちが出てきたし、90年代には、黒沢清監督や三池崇史監督などのオリジナルビデオを作っていた人たちが日本映画を引っ張っていくことになったんですよね。だから、いま90年代のオリジナルビデオ作品が再リリースされたりリメイクされるのは、不思議なことではないと思うんです。90年代のオリジナルビデオには、映画的なものがギュッと詰まっていたんじゃないかなと思います。

特集上映はちょっと埋没している作品を引っ張り上げてくるラインナップ

―― シネマノヴェチェントで開催される「Jホラーの父 鶴田法男監督特集」は、3月に開催された女優・小原徳子さんの特集上映がきっかけで開催されることになったそうですね。

鶴田:そうなんです。小原徳子の映画祭に協力してシネマノヴェチェントに行ったときに、お客さんの間からぼくの8ミリフィルム映画を観たいという声が上がってきて、シネマノヴェチェントの箕輪(克彦)社長も興味を持って話を持ちかけてくれたんです。もう、小原徳子に感謝です(笑)。それで、8ミリをやろうというところから始まっているので、逆にぼくの作品でよく知られている『リング0~バースデイ~』(2000年)とか『おろち』(2008年)は上映せずに、どちらかと言うと歴史の中でちょっと埋没している作品を引っ張り上げてくるという感じで、20年くらい上映されていない『案山子 KAKASHI』(2001年)をどうしても上映したいという話になりました。それからぼくとしては『戦慄のリンク』(2020年)を上映してほしかったので、こういうラインナップに決まりました。

―― 8ミリ上映から始まった企画ということで「8ミリ大会」で上映される3作品について、簡単に解説をお願いします。

鶴田:まず『ライオンVS.ジャガー』(1977年)というコマ撮りアニメで、これはぼくが初めて作った物語性のある作品ですね。高校2年のときに作りました。次に、大学に入って撮った『REDRUM』(1982年)という作品で、これは『サイコ』(1960年・米/アルフレッド・ヒッチコック監督)と『殺しのドレス』(1980年・米/ブライアン・デ・パルマ監督)のオマージュというか、ほぼ真似ですね(笑)。そして『トネリコ』(1985年)という吸血鬼もののホラーで、これは大学時代の記念みたいなつもりで大学4年の夏休みにチャチャっと作ろうと思って始めたんですけど、夏休みの間では終わらなくて、完成したのは翌年の夏だったという(笑)。だから、ぼくは大学を卒業したあと、社会人をやりながら土日になると大学に行って教室を借りて撮影するという、変なことになっていたんですよ(笑)。それから、これはシネマノヴェチェントのラインナップにも掲載されていないんですけど、実は『トネリコ』の予告編が出てきたので、それも上映します。予告編では『血のトネリコ』というタイトルになっていますが、1分くらいの作品です。それと、同じフィルムリールの中に当時ぼくが適当に作った短編が2本入っていて、それも一緒に上映してしまいます(笑)。

―― 『トネリコ』は、存在は知っていて「観たい」と思っていた方も多いのではないでしょうか。

インタビュー写真

『トネリコ』が紹介された雑誌「V ZONE」を持つ鶴田監督

鶴田:当時「V ZONE」というホラー映画専門雑誌がありまして、その編集長に『トネリコ』を見せたら気に入ってくれて、こうして見開きページで紹介してくれたんです。だから当時のホラー好きの人はけっこう知ってます。それから、当時PFFなどの映画祭にも出したんですけど、一次審査は通っても二次でたいてい落とされるんです(笑)。それで悔しかったので、都内にあった自主上映会場で何度も上映したので、自主映画界では知られた作品でした。そうそう、恵比寿にあった「シネプラザ・スペース50」なんて劇場で上映しましたね。
 それから、のちにぼくが『ほんとにあった怖い話』の映像化企画をジャパンホームビデオに出して「監督させてほしい」と言ったときに、ぼくは会社員でなんの現場経験もありませんから、当然「できるんですか?」という話になったんです。そのときにVHSにテレシネした『トネリコ』を持っていって観てもらったら、ジャパンホームビデオも、当時の原作の出版元である朝日ソノラマも「いいんじゃないか」という話になって、監督できたんです。だから『トネリコ』がなければ、いまのぼくはありませんね。そのときに朝日ソノラマで『トネリコ』を観てくださったのは、編集部長で映画評論もやっていらした原田利康さんという方で、実は伊藤潤二さんをデビューさせたのも原田さんなんですよ。

―― 久々に8ミリ作品が上映されるお気持ちというのはいかがですか?

鶴田:この間、シネマノヴェチェントでテスト試写をやったんですけど、映像がきれいで自分でも驚きました。この数十年はぼくもテレシネしたものしか観ていなかったので、やっぱり8ミリ映写機で上映するとすごくきれいだなって。それから、ぼくは当時こだわりがあって、編集のときに何度もつなぎ直すとフィルムをつなぐのに使うすスプライシングテープが画面に見えてしまうのが嫌で、なるべくつなぎ直さないように「この1コマを切るべきか、切らずにおくべきか」と、すごく悩みながらつなげていくやり方をしていたんです(笑)。あと、ぼくは学生時代に何本か撮ってみて「照明が大事なんだ」って気がついて、キャメラもそれなりに高価なものを持っていましたけど、照明機材もかなり買い揃えて、撮影のときはそれをひとりで一生懸命仕込んで、露出計で計ってという、いまから考えればプロと同じようなことをやっていたんです。それでも現像が上がってきたら、前に撮ったショットと照明が変わっちゃっている場合があって、そうするとルックがマッチしないので撮り直しをしました。そんなことをやっていたから1年かかっちゃったんだけど(笑)。でも、それだけこだわったから、当時の多くの8ミリ作品に比べるとルックが全部つながっていて、技術的には相当しっかりやっていたなと、改めてフィルムで観て思いましたね。シネマノヴェチェントの箕輪社長も感心していました。

怖いだけじゃないものを描きたかった。それはいまも変わらないぼくの作家性

―― 『戦慄のリンク』をラインナップに加えたのはどんな理由からでしょうか?

「Jホラーの父 鶴田法男監督特集」上映作品『トネリコ』スチール

「Jホラーの父 鶴田法男監督特集」上映作品『トネリコ』より

鶴田:『戦慄のリンク』は何度も中国に行ってすごく苦労して作った作品ですし、もう配信で観られますけど、ぜひ劇場で観ていただきたいという気持ちがあって、機会があればスクリーンで上映したいと思っていたんです。いまは、どうしても中国のイメージがあまりよくなくて、そこで敬遠されているところもあるかもしれないですけど、いい部分も悪い部分もひっくるめて自分の国と違うところに行って仕事をすることの意義というのがあると思うので、それを感じていただければと思っています。幽霊を出せないとか、中国だからの条件もあったんですけど、やっていることはコテコテのJホラーの手法だったりするので(笑)、それを中国でやっていることの不思議さがあるはずですから、それも楽しめると思うんです。

―― 伊藤潤二さんの漫画の映像化である『案山子 KAKASHI』は、久々のスクリーン上映ですね。

鶴田:実は『案山子 KAKASHI』を上映するのがけっこう大変だったんですよ。『案山子 KAKASHI』はマイピック、プラネット、ビームエンタテインメントと香港のEMGの4社で作っていたんですが、配給もやっていたマイピックが解散してしまって、そのあと権利がどうなっているか、よくわかっていなかったんです。おそらくビームが持っているであろうということだったんですが、ビームもハピネットになり、さらにハピネットファントム・スタジオになりと会社が変わっているので、最初にシネマノヴェチェントさんが問い合わせたら「わからない」と言われたらしいんです。「ええっ」って思って、ちゃんと調べてもらおうと連絡したんですが、ビームにいた人たちは定年とかでもういなくなっていて、わかる人がいないから、話が前に進まなかったんですよ。「これは上映できないかも」となっていたんですが、製作のもう1社のプラネットと連絡がついて、プラネットとハピネットが権利を持っていると。でも、やはりハピネットの現役の人ではよくわからなくて、もう定年退職されている当時のビームの担当プロデューサーだった方のご自宅に連絡をしたり、それでようやく権利はわかって上映できることになったんです。ただ、今度はプリントが見つからないんです。これはもう諦めるしかなくて、今回は残念ながらDVD上映になってしまいます。

―― プリントはまったく手がかりがないのでしょうか?

鶴田:もしかしたら、現像を担当した東京現像所が持っていた可能性はあるんですけど、なにしろ東京現像所が閉じちゃったから、いろいろと探らなければいけないなと思ってるんです。ただ、ジャパンホームビデオの『死霊の罠』(1988年/池田敏春監督)も、ずっとネガがどこに行ったかわからなかったのが、調べてみたら見つかったんですよね。『DOOR』(1988年/高橋伴明監督)も行方不明だったネガが見つかってデジタルリマスターできましたし、そういう作品がほかにもいくつかあるので、探せば『案山子 KAKASHI』もどこかにあるんじゃないかと思います。やっぱり、あのころの作品って、契約もいい加減だし、この段階で所在を掴んで、整理するところは整理しておかないといけないなって思っています。

―― 新文芸坐で『亡霊学級』と、シネマノヴェチェントで『案山子 KAKASHI』が、1週間の間にスクリーンで観られるのは貴重ですね。

鶴田:貴重ですね。両方ともずっと観られなかったわけですから、むちゃくちゃ貴重です。

―― 『亡霊学級』と『案山子 KAKASHI』は、どちらも漫画原作であったりいろいろ共通点があって、続けて観ると発見があるのではないかと思います。

鶴田:あるかもしれませんね。やっぱり『亡霊学級』は自分の中で自信作だったから、『案山子 KAKASHI』を作るときにも『亡霊学級』で描いたような若い人たちのやるせない気持ちを描きたいと思ったし、自分が抱えているものを盛り込みたいと思っていたんです。ただ『案山子 KAKASHI』を作ったときは『リング』(1998年/中田秀夫監督)が大ヒットしたあとだったので、お客さんは『リング』的なホラーを求めていたんですよね。ぼくもそれはわかっていて、求められている怖いものを作らないといけないとは思っていたんですけど、それだけじゃないものを描きたかったんです。それはいまも変わらないぼくの作家性なんですけど、やはり『リング』旋風が吹いていたあのころには「違う」と思う人も多くいました。だから、むしろ『案山子 KAKASHI』は、いま観てもらったほうが楽しめるんじゃないかと思いますね。
 つのだじろう先生の作品も、伊藤潤二さんの作品も、鈴木光司さんの「リング」とは違うわけじゃないですか。ぼくが監督だとしても、つのだじろう原作ならつのだじろう映画、伊藤潤二原作なら伊藤潤二映画でもあるわけです。ホラーだからと言って、すべてに『リング』的な怖さを求めるのは違うと思います。Jホラー・ブームも落ち着いたいまだからこそ、ホラー漫画やホラー小説の原作映画のそれぞれの個性を楽しんでもらえたら嬉しいなと思います。ß

(2024年7月29日収録)

ポスター

亡霊学級

  • 原作:つのだじろう「亡霊学級」(秋田書店刊)
  • 監督:鶴田法男
  • 出演:宮沢寿梨 石橋けい / 水上竜士 沢入しのぶ 長坂しほり ひし美ゆり子 / つのだじろう(特別出演) 黒沢清(友情出演)
  • 脚本:小川智子/鶴田法男
  • 撮影:藤石修
  • 音楽:尾形真一郎
  • 製作:大映株式会社

2024年8月17日(土)新文芸坐にて「『亡霊学級』真夏の復活上映」としてデジタルリマスター版上映

『トネリコ』フライヤー

Jホラーの父 鶴田法男監督特集

2024年8月21日(水)より24日(土)までシネマノヴェチェントにて開催


  • 『案山子 KAKASHI』(2001年)
  • 『戦慄のリンク』(2020年)
  • 『ほんとにあった怖い話』(1991年)
  • 『ほんとにあった怖い話 第二夜』(1992年)
  • 『新ほんとにあった怖い話 幽幻界』(1992年)
  • 「短篇集」(詳細はシネマノヴェチェント公式サイトにて)
  • 「8ミリ大会」
    •  『ライオンVS.ジャガー』(1977年)
    •  『REDRUM』(1982年)
    •  『トネリコ』(1985年)

  • ※画像は上映作品『トネリコ』フライヤー

詳しい上映スケジュールなどは、シネマノヴェチェント内の「Jホラーの父 鶴田法男監督特集」のページをご覧ください

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