『妖怪奇談』亀井亨監督インタビュー
ろくろ首、かまいたち、のっぺら坊…。日本人には馴染み深い存在である“妖怪”を、まったく新しい解釈で描いた映画が誕生しました。その名は『妖怪奇談』。
自分に自信が持てないモデルの美智子、ネイルアートに夢中のフリーター・みひろ、幼さゆえの残酷さを秘めた女子中学生のまな。それぞれの心に潜む闇が、彼女たちの姿を変えていく。伸びていく首、刃のように尖る爪、消えていく顔。そう、彼女たちは“妖怪”へと変化していくのだった。そしてなにかに引き寄せられるかのように3人の奇妙な運命は重なっていく…。
3人の美しい女性の物語として『妖怪奇談』を完成させたのは、『心中エレジー』『楽園 〜流されて〜』で海外での評価も高い亀井亨監督。新境地で亀井監督が挑んだ、現代の妖怪の姿とは?
亀井亨(かめい・とおる)監督プロフィール
1969年生まれ。テレビの情報番組のディレクターを経て映画界へと入り、『GUN CRAZY』(2002年/室賀厚監督)、『アンテナ』(2003年/熊切和嘉監督)などで助監督をつとめる。オリジナルビデオ作品を手掛けたのち、2005年に『心中エレジー』で初の劇場用作品を監督。同作品はベルリン・アジア−パシフィック映画祭、アメリカ・シネマ・パラダイス映画祭、アトランタ・アンダーグラウンド映画祭というみっつの映画祭で最優秀作品賞を受賞した。ほかの劇場用監督作品に『楽園 〜流されて〜』(2006年)がある。
「妖怪ってどこにでも存在する」というのが世界観のベース
―― 『妖怪奇談』は非常にユニークな作品となっていますが、この作品が製作されるきっかけはなんだったのでしょうか?
亀井:原案は製作のバイオタイドの松井(建始)さんで、松井さんとAMGエンタテインメントの永森(裕二)さんとで妖怪ものをやろうっていうのが始まりなんです。妖怪っていうのははじめから存在するものではなく、人間が変化していったものじゃないかという前提で妖怪を描いてみようというのが発端ですね。
―― 監督は、妖怪を題材とした映画と聞いたときはどう思われました?
亀井:最初は「大丈夫かな?」って思ったんですよ。今まで妖怪ものというのは撮ったことなかったし、自分でも妖怪にすごく興味があったわけではないですから。でも、妖怪の描き方として「人のメンタルな部分が人間を妖怪に変化させる」という前提があったので、ぼくとしてはその部分に乗りやすかったという感じですね。
―― 3人の女性が主人公というのは初期の段階から決まっていたのでしょうか?
亀井:そうですね。「内面が変えていく」というテーマになると、男性よりも女性の方が感情の動きの幅が広いし、細かい複雑なものを持っているので、女性を主人公にしたほうが描きやすいんですよね。あとは、女性のほうが見た目にいいっていうのが一番の理由ですね(笑)。
―― 3人がそれぞれ主人公になる3本のエピソードからなりつつ、それぞれが関連しあうという構成になっていますが、このアイディアは?
亀井:3人を主人公とすると、単純にみっつの話を並べたオムニバスにする方法論もあるし、ひとつの話の中で3人が入り乱れる形もあると思うんですが、この作品の世界観の中で一番ベースになっているのが「妖怪ってどこにでも存在する」という前提なんですね。そうした場合、妖怪と妖怪が出会ったことによって、妖怪と妖怪の心の引っ掛かりが絶対に出てくると思うんですよ。ただ、それをやり過ぎてしまうとまた違う形になってくるので、ちょっとだけ引っ掛けるという形にしたんですね。ろくろ首がかまいたちに出会い、そしてかまいたちはのっぺらと出会うという連鎖の仕方にしたほうが、妖怪に変化してしまった人間の気持ちはうまく表現できるかなと考えてこういう形にしたんです。
―― ろくろ首になる美智子のエピソードと、のっぺら坊になるまなのエピソードでは、同じシチュエーションを別の視点で見せている箇所がありますね。それで視点が異なると起きている状況も変わって描かれていて、あそこはすごく面白かったです。
亀井:それは美智子がなぜろくろ首になって首を伸ばしたかの理由にも関わってくるんですが、美智子は自分が他人にどう思われているかすごく気になるわけですね。それが幻像に近いものを見せているんですけど、それを子供ののっぺらがすごく客観視していたということですね。人間の社会生活でもそういう状況ってあると思うんですよ。あそこは自分でも好きなところですね。そのシーン以外でもちょこちょこダブってくるところがあるんですけど、まったく同じカットを使っているようでいて、実はその話の主人公側に近いカットになっているんですね。そのことによって、どっち側から見たんだろうというのが見えてくる。そのとき「誰がなにを見ていたんだろう」というのを考えて撮っていました。
―― 古典的な妖怪話って、悪いことをしたから妖怪になっちゃうとか、教訓的なものがありますよね。この作品もそういう部分がないわけではないですけど、むしろかなり不条理に妖怪になっていますよね。
亀井:自意識過剰なために首が伸びてしまうとか、のっぺらに関しては心の欠落が表面上の造形も消していくってこともあるんですが、もっと伝えたかったのは、妖怪の姿に変化した人間を取り巻く人間たちの方がいびつな心を持っているんじゃないかということだったんです。特に、手塚とおるさんが演じた医師が、美智子の首が伸びるのを目の当たりにしたときにそこから立ち去ってしまう。表面的な部分じゃなくて、ほんとの違いは中身にあるんじゃないかと。そういうことがちゃんと伝わればいいなあと思っていましたね。
―― 作品の雰囲気として、いわゆる“都市伝説”と言われるような現代の怪談的なものも感じましたが、そういうお話も意識されたんでしょうか?
亀井:特にどの話を参考にしたというわけではないんですけど、現代のどこにでもあり得る話にしたいと思っていたんで、そういうテイストはあると思います。昔話ではない「たった今の話」として伝えることができればと思っていたんです。
体の形状が変わったときにどうするか? ということを考えて演じてくれればいい
―― ろくろ首とかまいたち、のっぺら坊という、3種類の妖怪はどういう理由で選ばれたんでしょうか?
亀井:オーソドックスな妖怪で形態がわかりやすいということを考えると、あんまりないんですよね。ほかの妖怪も考えたんですけど、子泣き爺にするわけにもいかないし(笑)。かまいたちに関してはちょっと変則的になっていますけど、典型的であり、かつ表現としてわかりやすい妖怪を選んだということですね。
―― 主人公を演じた3人の女優さんは、みなさんすごく役に合っているという印象を受けましたが、脚本ができた上でそれにあった方を選ぶという形だったのでしょうか?
亀井:脚本を先にやっていますね。永森さんがこんな感じがいいんじゃないかなという大枠を考えて、それをベースに永森さんと松井さんとぼくで話し合いながら練り込んでいって、ある程度ガイドライン的な脚本を書いた上でオーディションをやりました。それでキャストが決まってから実際に決まった人に合わせた形でかなり書き直しをしているんです。
―― 3人の女優さんおひとりずつの印象はいかがでしたか?
亀井:ろくろ首の宮光真理子さんは独特の雰囲気を持っている方ですよね。たぶん、ご本人は他人の気持ちをすごく重要に考える方だと思うんですよ。美智子という役は、他人が自分をどう思っているかというのを考え過ぎて自意識過剰なまでになってしまっているので、そこでご本人と役とが結びつくところがあって、そこが良かったなと感じています。
かまいたちの伴杏里さんは、役としては他人の気持ちを踏みにじる感があるんですけど、ご本人はすごく人のことを見ているんですね。だから3人の中では、一番ご本人と真逆をやってもらっている気がしますね。お芝居でまったく違う面を出してもらったのがしっかりはまっていたと思います。
のっぺら坊の市川春樹さんはオーディションのときに度胸があるなと思ったんです。なんせ、のっぺら坊の役で顔もなにもなくなるってのは撮影にしても心理状態にしてもかなりしんどいと思うんですよ。それをその度胸でやってもらったし、すごく幼いがゆえの残酷さを秘めている役なので、市川さんはその部分がすごく出せていたと思います。
『妖怪奇談』より。爪が長く伸び、かまいたちとなってしまうみひろ役の伴杏里さん
―― 妖怪を演じるために特殊メイクをしていますが、みなさん初めての経験だったのでは?
亀井:たしか全員初めてだったと思います。ろくろ首の場合はメイクで首を伸ばすわけにはいかないから合成でやっているので、宮光さんは1カットにつき頭、首、体と、必ず3カットずつ別々に撮っていくわけですよね。それも大変だったと思いますし、伴さんはかまいたちの爪をずっと付けているので、あれを付けていると指が使えないからご飯も食べられないんですよね。あれはどうしようもなかったみたいですね(笑)。市川さんはのっぺらのメイクをしてしまうとほんとに周りが見えないし音も聞こえないし、3人とも大変だったと思います(笑)。
―― 監督から3人には役作りの上でどのようなことを話したのでしょうか?
亀井:「普通の人が持ち合わせる感情でいって欲しい」という話はしました。体の形状が変わっていくけど、内面は普通な人なので、妬みやエゴ、恐怖だとか、そういう感情は普通に出していって、そして体の形状が変わったときに「さあ、そこからどうするか?」ということだけを考えて演じてくれればいいという話はしましたね。3人ともそこは良くわかっていたと思うので、その部分ではあまり苦労はなかったんじゃないかと思います。
「生きていく」ということのバトンリレーが成立していればいい
―― 「“妖怪奇談”はまぎれもなく“女”の物語である」というのがプレス資料にもありますが、監督は以前の作品から女性のダークな部分を描いている感じがありますね。
亀井:ぼくは裏側のある女の人がほんと大好きなんですよ(笑)。嘘つき女やふしだらな女がめちゃくちゃ好きですね。普通は男の人はそういうところは嫌うと思うんですよ。やっぱりみんな女の人を理想にはめたがっていると思うので、そういう裏側を見せると拒絶反応を起こす場合もあるし、だから男性はぼくの撮る作品に関して嫌悪感を抱くかもしれないんですけど、ぼくは本音の部分や核心の部分を見たいし、見せたいなと思うんです。
―― 実際に監督の体験した女性のダークな部分というのも映画には含まれているのでしょうか?(笑)
亀井:やっぱり、自分で脚本を書いていれば含まれますね。おのずと自分を削っていかなければならないという(笑)。恥ずかしいからどの部分かは言えませんけど(笑)。
―― そういう女性特有のダークさだけでなくて、男性にも当てはまるような普遍的な陰の部分もあるように思うのですが、監督自身を投影している部分というのはありますか?
『妖怪奇談』より。まな役の市川春樹さん
亀井:精神的な面でいうと、ぼくはのっぺらになるまなに一番近いでしょうね。知らず知らずの内に他人に残酷なことを言っているんじゃないかとか良く思うんですよ。あとは、完璧に大人になりきれていないところですね。まなは14歳の女子中学生という役柄だから実際に子供とも大人ともつかなくて、ぼくは年齢から言ったられっきとした大人なのでそこは違うんですけど、ぼく自身に大人になりきれていない面はあると思うし、そこは似ているところかもしれないですね。
―― まなに関しては子供とも大人ともつかない時期からの成長の物語ともとれますし、この映画は3人の女性のイニシエーションの物語という感じもします。
亀井:ぼくはこの3人でリレーをして、バトンを渡したかったんですよね。ぼくはなにを撮っても「生きる」ということがテーマなんです。死というのは生きることと反面ですけど、表裏一体で同じことだと思うんですね。この映画では、美智子が持っていたバトンをみひろが受けて、そのあとまなに伝達して「生きていく」ということのバトンリレーが成立していればいいなあと思っていたんです。
―― ラストは余韻を残すような終わり方で、人によってはすごく悲惨な終わり方ととらえる方もいらっしゃるかもしれませんね。
亀井:そうでしょうね(笑)。でも、あれをハッピーエンドと解釈してもらってもいいですし、もっと壮絶なラストだと思っていただいてもいいし、「これからどうなるんだろう?」と思っていただければいいのかなあと思いますね。
―― 個人的には、あれはひとつの救いの形ではあるのかなと思いました。
亀井:一応完結はしていますけど、これ自体を終わりと考えないで、想像の幅が広くなればいいなあと思うんですね。ぼくはどの作品を撮るにあたってもそうしているんですけど、映画を観終わったときに「ああ良かったね」で終わるのがちょっと嫌で、できるだけ「この人たちってどういう価値観でものを描いたんだろう」とか「この結末はぼくだったらこう思うな」という疑問を少し残して終わらせたいんですね。スカッと終わるのもいいし、ボロ泣きして終わるのもいいんですけど、ぼくは考えつつ終わっていくというのが好きなんで、それを意図してやっていきたいんです。
―― この映画って、妖怪が出てくるけどホラーじゃないですし、ファンタジーとも違う気がするし、すごく独特な作品なので、ご覧になった方がどう思われるかが興味深いところです。
亀井:「目指せニュージャンル」だったんですよ。型にはまったものではなく、ジャンル分けがしにくいものをやりたいなあというのが最初からの試みでもあります。だから、公開を前にしてちょっと複雑な心境なんですよ。ラブストーリーだったりホラーだったりすると反応って大体わかるんですけど、この作品はみんながどう思うのかが読めないところがあるので、その点では楽しみでもありますね。それから、昔からある妖怪の姿を根本から覆しているところがあるので、ほんとの妖怪ファンの方にはどうとらえてもらえるんだろうと思っているんです。「これは自分の思っていた妖怪とは違う!」って思われるかもしれないですけど、「こういう解釈があってもいいんじゃない」っていう風に観てもらえると一番ありがたいですね。
(2006年12月28日/バイオタイドにて収録)