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『地球でたったふたり』菅田俊さんインタビュー

菅田俊さん写真 誰からも愛されることなく育ったユイとアイの姉妹。中学生になったとき、ふたりは家を飛び出した。東京の路上で生きるふたりは、あるきっかけから暴力団に追われることになる。逃げ場のなくなった彼女たちを助けたのは、さえない中年の元ヤクザ・谷田だった。追っ手から隠れて過ごす中で、姉妹と谷田の間には、まるで家族のような関係が生まれていくが……。
 『ガチャポン』『TOPLESS』などの内田英治監督がメガホンをとり、世間から虐げられつつも互いの強い絆を信じて生きていく姉妹を描いた『地球でたったふたり』。主演の寉岡瑞希さん・萌希さん姉妹をはじめ、多くの若い俳優陣が参加している中で、姉妹の唯一の拠り所となる中年男・谷田を演じ、作品に重厚さを与えているのが、多くの作品で抜群の存在感を発揮するベテラン・菅田俊さん。
 近年はハリウッド作品にも出演し、世界を舞台に活躍する菅田さんが、静かに、じっくりと語った『地球でたったふたり』について、そして俳優という仕事について。そこにはひとりの俳優の美学が感じられます。
 名バイプレイヤーの語る美学を、ぜひご堪能ください。

菅田俊(すがた・しゅん)さんプロフィール

1955年山梨県出身。大学卒業後、俳優を目指し東映の門を叩く。ドラマなどで活躍の後、劇団状況劇場に入団し、舞台に活動の中心を移す。1987年の映画『あぶない刑事』(長谷部安春監督)出演を期に映像の世界に復帰。以降、映画、ドラマ、オリジナルビデオ作品など、多くの作品で個性派バイプレイヤーとして活躍する。2003年の『キル・ビル vol.1』(クエンティン・タランティーノ監督)、『ラストサムライ』(エドワード・ズウィック監督)以降は海外の作品への出演も増え、国際派俳優としてのイメージも強い。また“劇団 東京倶楽部”を主宰し、年1回の舞台公演もおこなっている。
今後公開予定の作品に『さくら』(主演:ディーン・ パラスケボポラス監督)、同じくハリウッド映画『BUNRAKU』(ガイ・モシェ監督)などがある。

「忘れられている昭和のダンディズムを伝えていきたい」

―― 最初に『地球でたったふたり』に出演が決まったときに、どんな印象を受けたかを聞かせてください。

菅田:初めてお仕事をする監督さんだったので、リハーサルのときにいろいろお話をしたんです。それで「お任せしよう」と思える監督さんだなという印象を受けました。

―― 『地球でたったふたり』という作品、谷田という役に、どのように取り組もうと思われましたか?

菅田:昔はよく「この作品はどういう作品なんだろう、この監督さんはどんな監督さんなんだろう」ということを考えてアプローチしていたんですけど、最近はあまり考えないんですよ。やっぱり、いまはジャンルというものがなくて、ひとつの映画の中にいろいろなものが盛り込まれているわけじゃないですか。だから、役者も「こういうジャンルだ」っていうこだわりとか、ボーダーラインを取り去って芝居をするのがいいんじゃないかと思うんです。芝居のジャンルを越えながら、手探り状態でテストのときから探っていこうというのがあったんです。

―― 菅田さんは、強面の役やユーモラスな役などいろいろな役を演じていらっしゃいますが、今回『地球でたったふたり』で演じられた谷田には、そのいろいろな面が凝縮しているように感じました。

菅田:そう観ていただけると嬉しいですね。自分としても、あまり「このときにはこういう芝居」みたいなことを決めていかないで、いろいろな面を出していこうとは思っていたものですから。それから、主役のふたりの姉妹の芝居には、もうかなわないと思ったんですよね。それはリハーサルの段階ですごく感じたんです。そういうふたりを相手にして、自分がそこに入っていくためにはどうしたらいいかというアプローチの仕方は、長年、脇をやっているとなんとなくわかるものなんです。だから、主役のふたりが作り出す世界に対して、ある種の居心地の良さみたいなものが自分の中にあれば、それでいいんじゃないかと思っていたんです。

―― 谷田は、どんな過去があるのだろうかとか、いろいろと想像させる人物だと思いましたが、役の背景について監督とお話はされたのでしょうか?

菅田俊さん写真

菅田:いや、役について監督さんとはディスカッションみたいなものはなかったんです。最初からどう撮られるかは監督さんにお任せしようと思っていましたし、監督さんも演じるのはぼくに任すみたいな、そういう信頼関係がお互いにあったものですから。ただ、年齢を積み重ねてくると、説明的な芝居をできるだけ排除していくものなんです。ミレーの「落穂拾い」じゃないですけど、説明しないほうがご覧になる側の想像力が膨らむのかなと考えるんです。それから、ひとつ言えるのは、たぶん50代というのが、いろいろな役に対する挑戦の限界だと思うんですよね。これで60代とか70代になってくると、人間っていうのはできあがっちゃうんじゃないかと思って(笑)。だから、その歳からいろいろな役に挑戦していくよりも、いま、いろんなキャラクターに挑戦していきたいというのはありますね。
 谷田に関しては、自分は青春期にテキ屋さんの組織みたいなところにいたことがありまして、そのときの先輩の人たちの中に、うだつのあがらないヤクザの人たちがいっぱいいたんです(笑)。ほんとに人がよくて、三枚目だし、庶民的なんですけど、ケンカとかシノギみたいなときには、ほんとにヤクザらしく、自分の親分のために体を張っていくというところを見てきたものですから、それが自分の中でモデルにはなっているんです。

―― ふたりの少女を助けて、擬似家族のような関係を築いていくというのは面白い設定だと思いましたが、演じる上ではどのように感じられていましたか?

菅田:やっぱり、芝居をやるときには、会社の社長をやるにしても、ヤクザの世界をやるにしても、どれも疑似体験になるわけじゃないですか。だから、擬似家族のような関係を作っていく過程みたいなものが、芝居と通じるものがあるんですよ。姉妹の前でそういう役割を演じているのが、昭和のヤクザの持っているダンディズムみたいなものだと思うんです。自分が青春期に見てきたヤクザ関係の人たちの持っていたダンディズムみたいなものが、いまの若い人たちにはまるっきりないですよね。そういう意味で、自分がやるのであれば、日本男児としての、忘れられているカッコよさみたいなものは出していきたい、伝えていきたいというのはありました。

―― 『地球でたったふたり』は、世間からはみ出してしまった人たちの物語だと思いました。菅田さんは世間からはみ出してしまった、アウトローのような役を演じられることが多いと思いますが、菅田さんの“アウトロー観”を聞かせていただけますか?

菅田:アウトローっていうのは、男が憧れる存在じゃないですか。その代わり、必ずリスクはありますよね。常に破滅と隣り合わせになっていたり、自分自身で生きていかなきゃならなかったり。愛情は似合わないですよね。自分を守るのは自分だし、そういうのがアウトローの条件なのかな。どう思いますか?(笑)

―― そうですね、どこかでなにかを曲げられなかった人間が、世間からはみ出してしまうんじゃないかなと思います。

菅田:そうなんですよね。だから“孤高の案山子”ですよね。なんか、丘の上で威張っているっていうか(笑)。カラスとかを追っ払うために、丘の上に突っ立っている“孤高の案山子”っていうのがアウトローなんじゃないかと、ぼくは思いますね。

「相手の芝居を聞いてあげるのがコミュニケートするのに一番いい」

―― 『地球でたったふたり』の共演者の方々についてうかがいたいと思います。まず、さきほども少しお話に出ましたが、主演の寉岡瑞希さん、萌希さんの姉妹と共演されての印象はいかがでしたか?

菅田:ほんとの姉妹ならではの空気を出していますよね。ラストのほうで、姉妹が追われて逃げていく芝居があるんですけど、そこの芝居は、試写で観たときに、ちょっと鳥肌ものでしたからね。あれだけの芝居はなかなかできないんじゃないかと思います。「なんであんな芝居ができるんだろう、やっぱりほんとの姉妹だからかな」って思いましたよ。だから、そういう意味では勉強になりますよね。自分らだったら、芝居をやるときは、ある程度は取材をして、いろいろな情報を自分の中に取り入れていくんです。その上で、即興の中で自分自身を出していって、どういうものが出てくるか自分で楽しみにしているんです。でも、あのふたりは姉妹だからというか、血ですよね。ふたりに同じ血が流れているという、その中で出てくるものは計り知れない即興性を持っているなあって。すごいと思います。

―― 寉岡姉妹は、撮影の合間はどんな感じなんでしょうか?

『地球でたったふたり』スチール

『地球でたったふたり』より、谷田役の菅田俊さんとユイ役の寉岡萌希さん

菅田:ふたりとも、普段も芝居も一緒ですね(笑)。だから、自分は憧れますよ。この間『BUNRAKU』(2009年公開予定/ガイ・モシェ監督)という、ジョシュ・ハートネットが主演の映画をやってきたんです。その映画には『ノーカントリー』とか『ナチュラル・ボーン・キラーズ』に出ていたウディ・ハレルソンが出ているんですけど、彼も普段と芝居しているときがまったく一緒なんです。それは憧れますよね。だから、自分も老後はそういう役者になりたいなと思っているんです(笑)。

―― 姉妹とお話はずいぶんされたのですか?

菅田:それはなかったですね。こっちが「こういう芝居をしよう」とかあまり決めると面白くないと思うので、決めない中で起こってくることのほうが撮影中は楽しかったです。ふたりはすごく芝居を聞いてくれるんですね。ほかの若い役者さんなんかだと、芝居を聞いてくれないことがあるんですよ。それは自分のプランや主張もあるんだと思うんですけど、自分なんかは脇をやっていて、相手の役者さんの言うことを聞いてあげるっていうのがコミュニケートするのに一番いいんじゃないかと思うんですよね。そういう意味で、この姉妹はふたりともぼくの芝居をよく聞いていてくれたし、それはよく芝居を見てくれているということでもあるんでしょうけど、聞き上手なんですよね。芝居の聞き上手というのはほんとにすごいと思います。

―― ヤクザの組長を演じた忍成修吾さんはどんな印象でしたか?

菅田:独特の空気を持っていますね。役よりも、それを越えたライン上にいるというか、なんか中間の危ういところにいる感じがするんです。だから、いい意味で芝居もすごくファジィなんですよ。そのボーダーラインにいる感じがうまく役とマッチしていますし、それを本人が選択してくるってのは、生まれ持ったものだと思います。いい役者さんですね。

―― 忍成さんの役は、ちょうどさっきお話になった“昭和のヤクザ”の対極のような役どころですね。

菅田:対極ですね。だからキャスティングには成功したんじゃないかなと思います。あの役にあえて忍成くんを持ってきたことで、この作品のバランスが取れたというか、谷田の対極に忍成くんを持ってくるっていう発想の勝利じゃないかなと思います。

―― やはり若手の弓削智久さんとの共演シーンも多いですが、弓削さんについては?

菅田:彼は、ポジション的に同質にならないんですよね。大概の映画やドラマだと、若いひとりがあるお芝居をすると、かなりそれに感化されて、同系色の芝居をする方が増えて、それに染まっていくんですよね。ところが、彼は同質にならない。かなり輪郭を見せてくる芝居をしてくるんですよね。大抵は同じような雰囲気になってくるんでしょうけど、まるっきり違う。そこがすごいですね。全体の中での自分のポジションや、自分の居方というのを知っていますよね。いいバランスだと思いますよ。

―― 弓削さんとの共演シーンは、谷田の中の隠れた狂気とか怖さが垣間見える、凄味を感じました。

菅田:そうなんですよね。ヤクザって必ず汚さもあるでしょうし、狂気があるんですよね。子供たちに見せる顔と、その裏のヤクザとしての顔があって、ヤクザの狂気っていうのは、顔の見せ方だったんじゃないかと思うんですよね。それを見せないでヤクザとはいえないと思いますね。自分も学生時分にそういう中で生きてきて、やっぱり怖かったですから(笑)。若いときは、自分が死のうがなにしようが全然怖くないと思っているんですけど、でもヤクザ屋さんっていうのは怖かったんですよ。それは守る相手が違うからなんですよね。ヤクザ屋さんの場合は、守るものが自分の組であり、自分の親分なわけじゃないですか。それこそ擬似家族ですよね。自分の親のためなら命を捨てるみたいな。

―― やはり同じシーンで、それまでの谷田の言動からすると、こんなことはしないんじゃないかな、という行動をとるのが衝撃的でした。

菅田:ぼくも、役柄の方程式から考えたら、あそこでああいう行動はとらないだろうと思っていましたけどね(笑)。でも、ああいう行動をとるってところで、現実的なものがきっとあるんですよね。だから、あのシーンはできるだけ自分で入り込まないで俯瞰していたつもりだったんですよ。そういうときの芝居って、あとで自分で観ていて自分じゃない感じがするんです。

―― 一緒のシーンはないので厳密には共演者とは言えないかもしれませんが、菅田さんとご縁の深い菅原文太さんが、谷田の父親役でご出演になっていますね(※1)。

菅田:ええ、監督が菅原文太さんのファンだったもので「出てくれるかなあ」みたいな話をしていたものですから、「じゃあ頼んでみましょう」と、自分から菅原のオヤジさんにお願いをしてみたんです。いままで、自分が出る映画に「出てください」と頼んだことは1度もなくて、初めてだったんですけど、オヤジさんが快く受けてくれまして。沖縄のシーンなんですけど「お前が付き人で来るのが条件だ」ということで、自分も実費で行きましたよ(笑)。

―― では、菅田さんも沖縄のロケにいらっしゃっていたんですか?(※沖縄のシーンに菅田さんは出演していない)

菅田:行きました、手鏡を持ってね(笑)。何十年ぶりに付き人をやらせていただいたんですけど、メイク道具はだいたいぼくがオヤジのために揃えていきまして、食事も沖縄料理の美味いお店を全部リサーチしていきましたんで、付き人としては完璧だったと思います(笑)。

  • ※1:菅田さんはかつて菅原文太さんの付き人をつとめており、芸名の“菅”の字は菅原文太さんの名前から一文字を貰ったものである

「1本1本を大事にやっていくことが、声をかけてもらうことに繋がる」

―― 最近は、作品にご出演になるときに眼鏡をかけていらっしゃることが多いですね。

菅田:けっこうシャイなものですから、あんまり素顔を見せたくないっていうのがありましてね。外して芝居をしなきゃって思っているんですけど(笑)。眼鏡はいつも自前なんです。いまはこういう黒縁の眼鏡がまたはやっていますけど、前は全然置いてなかったものですから、昔からやっている眼鏡屋さんに行って、見つけると買っていたんです。うちの親父が同じような眼鏡をかけていましてね、眼鏡をかけて芝居をしていると、試写とかで観たときに死んだ親父に会えるような気がするんです。不思議なんですけど、距離を置いて観られるんですね。

―― 『地球でたったふたり』の中でも眼鏡が効果的に使われているシーンがありましたが、あれは菅田さんのアイディアだったのでしょうか?

菅田:そうですね、テストのときに監督に芝居を見ていただいて、なにも言わないでやっちゃったんですけど(笑)。

―― ひじょうに印象的でした。

菅田:ありがとうございます(笑)。人間っていうのは、いざというときに、なんかすごく日常的な動きをしたりしますよね。それがリアリティがあるのかなって感じたりすることがあるんです。だから、ドラマティックなシーンのときに、できるだけ日常っていうことをいつも考えているんです。

―― ここ数年は、海外の作品にも多くご出演になっていますが、海外の作品と日本の作品での違いは感じられますか?

菅田:いや、まるっきりないですね。向こう(海外)もこっち(国内)も同じですよ。ただ、テイク数なんかが多いだけで(笑)。こないだやった『BUNRAKU』は、ほんとにテイク数が多かったですね。デミ・ムーアも出ていたんですけど、芝居に入る前に、身体をこう動かしてから芝居に入っていくんです。あれだけのスターの人たちが、そういうテンションの上げ方をするんだって勉強になりました。日本だと、そういうことはアクターズ・スタジオに影響されているような若い人たちくらいしかやらないじゃないですか(笑)。でも、大スターさんがそうやって芝居に入っていくのはビックリしましたね。逆に、ウディ(・ハレルソン)なんかは、芝居の前に馬鹿話とかをしていて、そのままスッと入っていくんです。だから、いろいろな役者さんを見られるっていうのは勉強になります。ケヴィン(・マクキッド)っていうイギリスの俳優さんがいるんですけど、ほんとにいい役者ですよ。いろいろアイディアを出してきて、5回くらいテイクをやると5回とも違うんですよ。それで、こっちも芝居を変えていくと、向こうもそれに対してのリアクションも変えてきて、楽しそうな顔をしているんですよね。そういうときは嬉しいですよね。

―― 海外からの依頼が多い理由を、ご自身ではどうお考えになっていますか?

菅田俊さん写真

菅田:それはわからなくて、ぼくみたいな男に声をかけてくれるっていうのが、ちょっと不思議なんです(笑)。でも、向こうの監督さんはほんとに日本の作品をよく観ていますよ。どこでなにを観ているかわからないなっていうくらい。ですから、日本で1本1本の作品を大事にやっていくことが、外国から声をかけてもらうことにも繋がっていくんじゃないかなと思いますね。
 昔、日本映画がちょっとダメな時期があったじゃないですか。そのころマキノ雅弘さんが湯布院の映画祭で「日本映画を観てください」っていうお話をされて(※2)、そのしばらくあとにお亡くなりになったんですよね。ぼくも、ことあるごとに舞台あいさつなんかで「日本映画を観てください」って言ってきたんですけど、いまはほんとに日本映画が盛り返しましたよね。外国の方にも観てもらえていますし、ほんとに嬉しいなと思います。ちょうど自分が芝居を始めたころに、マキノさんのマキノ塾っていうのがあって、そこに友達に連れていかれて勉強していた時期があったんです。縁側に座ってお茶を飲みながらマキノ先生の話を聴くんですけど「楷書があって崩し字があって」みたいな、面白い話でしたね。だから、日本映画もこれだけ元気になってきて、マキノさんも喜んでいるんじゃないかと思うんですよね。話がそれちゃいましたけど、ふと思ったものでね(笑)。

―― とても興味深いお話です。そうやって日本映画が増えている中で、菅田さんは多くの作品に出演されて、役がほんとに多岐に渡っていますね。

菅田:普段がノーマルなものですから、いつも作っていくほうなんですよ。昔はよく「作らないでそのままで行ったほうがいい」みたいなことを言われたんですけど、やっぱり作っちゃうんですよね。それはもう曲げられないと思うんです。

―― 作品ごとにあれだけ違った人物を演じ分ける秘訣みたいなものはあるのでしょうか?

菅田:ひとりの人間の中に、けっこういろいろな人間がありますよね。だから、冒頭でも言いましたけど、ジャンルにこだわらずに、ひとつの役の中にいろいろな人間を盛り込んでもいいんじゃないかな思うんです。人間って一色のはずがないので、そういう部分を際立たせたら面白いかなとは、いつも思っています。ただ、やっぱり今回の谷田と同じように、いつもモデルとなる人がいるんですよね。それは自分が18歳とか19歳、20歳くらいのときに、周りにいた人たちなんです。

―― 榊英雄監督の『GROW −愚郎−』(2007年)では、不良高校生というユニークな役を演じられていて、面白く拝見したのですが、ああいう役でもモデルとなるような存在はいらっしゃるんでしょうか?

菅田:あれはですね、やっぱり18歳とか19歳のころに、自分の周りがみんな不良だったんですよ(笑)。『GROW』では、寺島(進)さんと(木下)ほうかさんが一緒に高校生役だったんですけど、自分ひとりだけ年寄りですから、寺島さんやほうかさんのころの不良学生と、我々の時代の不良学生は違うと思うんです。我々のときの不良学生っていうのは、即、ヤクザみたいなもので、サラシを巻いて、そこにドスを入れて、裸に学ラン背負って、小田急線に乗っている人がいっぱいいましたからね(笑)。でも、どこか人情があるっていうのが、我々の時代の不良だったような気がするんです。だから、ほうかさんとも寺島さんとも異質なものになって、面白くなったんじゃないかと思っています。

―― 最後になりますが、今後演じてみたい作品や、演じてみたい役柄について聞かせてください。

菅田:もう、声をかけてもらえれば、どんな役でも、向こうの作品でもオーディションも受けますし、やっていきたいと思っています。それから、菅原文太さんとか、高倉健さんのようなヤクザ映画を撮ってみたいなというのはありますね。伊集院静さんの最近の作品で「羊の目」というのがありますよね。あれを映画でやってみたいなと思うんですよ。難しいとは思うんですけど、昭和の時代、戦争をはさんだ時代のヤクザをやってみたいんです。さっきも話したみたいに、親のためなら死ねるとか、そういうヤクザの世界っていうのは独特で、アメリカにはないものじゃないですか。ですから、アメリカの人たちも憧れるんじゃないかと思うんです。だから、あの時代のヤクザをやってみたいと思いますね。

  • ※2:1991年に開催された第16回湯布院映画祭シンポジウムでのマキノ雅弘監督(当時は“マキノ雅広”名義)の発言。マキノ監督はその2年後に逝去

(2008年7月30日/ティー・アーティストにて収録)

作品スチール

地球でたったふたり

  • 監督:内田英治
  • 出演:寉岡萌希 寉岡瑞希 忍成修吾 菅田俊 ほか

2008年9月20日(土)新宿K's cinema、横浜シネマ・ジャック&ベティにてロードショー

『地球でたったふたり』の詳しい作品情報はこちら!

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