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『七瀬ふたたび』小中和哉監督インタビュー

小中和哉監督写真 火田七瀬。彼女はテレパス=他人の心を読み取る能力を持った者。普通の人間と違った能力を持つゆえに悩み苦しむ七瀬。そして七瀬たち"能力者”の存在を快く思わぬ強大な力があった。能力者の抹殺を企む敵に、七瀬と仲間たちは立ち向かう――。
 NHK少年ドラマシリーズの1本としてドラマ化されたのをはじめ、これまで何度も映像化されてきた筒井康隆さんの傑作SF小説「七瀬ふたたび」が、小中和哉監督のメガホンにより初の劇場映画化を果たしました。
 少年ドラマシリーズへのオマージュである『星空のむこうの国』で商業監督デビューを飾り、その後も数多くのSF・ファンタジー作品を手がけてきた小中監督による映画『七瀬ふたたび』は、原作の忠実な映画化であると同時に、紛うことなき“小中SF”に仕上がっています。さらに映画『七瀬ふたたび』は、2010年という時代へのメッセージを込めた、名作の“再生”でもあります。
 小中監督の言葉を頼りにして“小中SF”の集大成『七瀬ふたたび』に、より深く迫ってみましょう。キーワードとなるのは“パラレルワールド”――。

小中和哉(こなか・かずや)監督プロフィール

1963年生まれ、東京都出身。小学生時代より8ミリカメラで映画製作を始める。成蹊高校映画研究会時代から自主映画界で注目を集め、立教大学卒業後の1986年に『星空のむこうの国』で商業作品デビューを果たす。その後、SF・ファンタジー作品を中心に、多くの劇場用映画、オリジナルビデオ作品、テレビドラマを手がける。2003年にはテレビシリーズ「アストロボーイ 鉄腕アトム」で初のアニメ監督をつとめた。
劇場公開作品に『四月怪談』(1988年)、『くまちゃん』(1993年)、『なぞの転校生』(1998年)、『ULTRAMAN』(2004年)、『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』(2006年)、『東京少女』(2008年)など多数。

「人の哀しみを描く人間ドラマとして超能力ドラマというものがある」

―― 最初に、小中監督と原作の「七瀬ふたたび」との出会いについてお聞かせいただけますか?

小中:先に少年ドラマシリーズ(※1)だったと思うんですよ。ぼくが高校生のときに多岐川裕美さん主演の「七瀬ふたたび」(1979年放送)を夏休みにやっていて、それをけっこう熱中して観たという記憶がありますね。たぶん、そのあとに原作を読んだんだと思います。「家族八景」「エディプスの恋人」(※2)も含めて好きな作品で、ぜひ映画でやりたい世界でした。

―― 監督はもともとSF志向を強くお持ちだったと思うのですが、ドラマ版や原作の「七瀬ふたたび」と出会ったことで影響を受けたところはありますか?

小中:少年ドラマシリーズを観るまでは、SFと言ったら怪獣映画だったり特撮だったり、大きなヴィジュアル的な仕掛けがあるものだと思っていたんですよ。でも「タイムトラベラー」から始まった少年ドラマシリーズは、普通の学園ドラマの中にタイムトラベラーという設定が入ってくるだけでSFになったり、あるいはパラレルワールドという設定を持ち出すことによって普通の街が異世界に見えてきちゃったりだとか、ある種のコンセプトがあることによってワンダーが生まれるというインパクトがあったんです。そういうドラマがあるんだって教えてくれたのが少年ドラマシリーズだったんですよ。その中で「七瀬ふたたび」は特撮とかヴィジュアル的な表現で超能力の表現もしていたんですけど、超能力を持った人たちの生身の人間としての哀しみがあったんです。それまでは超能力ものというと「バビル2世」(※3)みたいにヴィジュアルで面白く見せる素材っていうイメージが強かったのが、人の哀しみを描く人間ドラマとして超能力ドラマというものがあるっていうのは「七瀬ふたたび」を観たときに驚かされた部分でした。それは少年ドラマシリーズ全般にあった「ドラマを支えるSF」という道具立てがしっかりあったからだと思うんですよね。

―― 超能力ものというと、監督は商業デビュー作の『星空のむこうの国』(1986年)の前に『PENNY RAIN』というテレパスの少女が主人公の作品を企画されていたそうですね。

『七瀬ふたたび』スチール

『七瀬ふたたび』より。テレパス・火田七瀬(右)は、旅の過程で同じくテレパスの少年・ノリオ(中央)と予知能力者の青年・岩淵了と出会う……

小中:もともと『星空のむこうの国』をやったときは『ある日どこかで』(1980年・米/ヤノット・シュワルツ監督)という作品に感動して、SFのラブストーリーをやりたいと思っていたんです。『ある日どこかで』の場合は“時間の壁”が男女の恋愛の障害になっているというところでSFとラブストーリーのリンクがしっかりできるんだなあと思っていたので、そういう泣けるSFをやるのにどうすればいいかということを脚本の小林弘利さんといろいろ考えて、小林さんから出たアイディアが“女の子がテレパス”という設定だったんです。「女の子がテレパスで男の心が読めちゃったら恋愛の障害になるけど、それを恋愛にするのはどうだろう」と言われて、それは面白いと思ってストーリーを考えはじめたんですけど、やっぱりそれだとなかなか恋愛にならないんですよね。恋愛というのはお互いの誤解があってお互いが妄想しあって思い込みがあって成立すると思うんで、最初っから心が見えて男の下心や性欲も含めて見えたときにほんとに恋愛が成立するんだろうかと。そこを描くには人間の裏の部分や汚い部分も含めて描かないと嘘になっちゃうし、それをドラマとして着地させるのは当時のぼくには難しいということに気づいてきたので「この話はやめましょう」と軌道修正をしたんですよ。それで、人間の裏を描く経験値も人間観察眼もない当時の自分が作るなら、恋に恋していて恋愛のなんたるかがわからないくらいの人をピュアに描くほうがふさわしいなと思って、そこから「赤い糸伝説をSF的な理論立てで、パラレルワールドというものを使ってやってみるとどうなるんだろう」というところから発想したのが『星空のむこうの国』だったんです。ただ『PENNY RAIN』でやろうとしていた「人間のダークサイドを覗いちゃったときに恋愛は成立するか?」みたいな、人間の本質をより深く描く世界というのはSFとして魅力的だし、やってみたい世界だったんですね。だから、いつかやりたい宿題として自分の中ではあったんです。今回の『七瀬ふたたび』は、それをやろうとして実現した企画ではないんですけど、ある種、そこに踏み込んだ話でもあったとは思いますね。

―― 今回の『七瀬ふたたび』での七瀬と予知能力者の岩淵了の関係の描写は、テレパスの恋愛を描くという点で、別の作品の中ではあるけれど『PENNY RAIN』でやろうとしたことが実現した部分があるのかなと思いました。

小中:そうですね、そこは伊藤(和典)さんのシナリオにあったんだけど、けっこう膨らました部分はあるんですよ。たしか伊藤さんの第1稿では七瀬と岩淵の関係性とか、ラブシーンを導入するというのはなかったんです。でも、テレパスである以上、相手の妄想が見えるということは、お互いの「好きだ」という心が通じあった瞬間にラブシーンになっているのも同じだから、そういうシーンを作りたいという想いがあって脚本を固めていく中で作っていったシーンなんです。原作では、七瀬と岩淵は最初の出会いだけで1回しか逢えないという悲恋の話なんですね。だからそこは原作どおりにしつつ、七瀬にとっては逢わなくても精神的に交流することで実際に抱きあうのと同じ感情の揺れがちゃんとあるし、それを歓びとして感じるであろうという、テレパスならではのラブシーンを描きたくて作ったシーンですね。

  • ※1:「少年ドラマシリーズ」は1972年からNHKで放送されたドラマシリーズ。さまざまなジャンルの作品が放送されており「時をかける少女」を原作にしたシリーズ第1作「タイムトラベラー」をはじめSF小説を原作にした作品も多かった
  • ※2:原作「七瀬ふたたび」(1975年単行本発売:以下同じ)以前に主人公・火田七瀬が登場する作品として「家族八景」(1972年)、その後の七瀬を描いた作品に「エディプスの恋人」(1977年)があり、3作品で「七瀬シリーズ」「七瀬三部作」と呼ばれることもある
  • ※3:「バビル2世」は横山光輝氏による漫画。1973年に放送された東映動画(現・東映アニメーション)によるテレビアニメがよく知られている。超能力を持つ少年・浩一=バビル2世が悪の超能力者・ヨミと闘うストーリー

「原作を知らない人にもエモーションの部分はちゃんと伝えたいなと思った」

―― 脚本を担当されている伊藤和典さんとは、いままでいろいろとご縁はありつつ、お仕事で組まれるのは初めてですよね。

小中:初めてですね。この映画はプロデューサーである小椋事務所の小椋悟さんが言いだしっぺで、ぼくが話をもらってふたつ返事で受けたのが13年くらい前なのかな。そのあと伊藤さんが脚本に決まって打ちあわせをして、脚本が固まったのは10年くらい前ですね。そこからが永かったんですけど(笑)。伊藤さんのロジカルだったりクールなタッチは「七瀬ふたたび」には合っていると思ったので、それにプラスして、ぼくがより志向しているエモーショナルな部分がうまくミックスされればいいなと思っていたんです。伊藤さんもぼくも原作に忠実にという点では共通していたので、ふたりが向いている方向は最初からすんなり一致していたのではないかなと思います。

―― 警察側の人間の描き方は伊藤さんらしさが出ている部分かなと思いました。

小中:平泉成さんが演じる刑事の山木というキャラクターは「ガメラ」シリーズで言ったら螢雪次朗さんが演じたようなポジションですね(※4)。セリフも伊藤さんらしいセリフがあって、国家権力に対する怒りみたいなものが明確に書かれているんです。そこは面白いところで、ああいうところはたしかに伊藤さんらしいですよね。
 それから、大杉漣さんが演じた警察署長は、実は原作者の筒井康隆さんが演じる前提だったんですよ。筒井さんが映画化をOKするときにひとつ条件があって、筒井さんがやる役を用意してほしいということだったんです(笑)。それで、出番はそんなに多くないけど目立つ役ということで考えたのが署長だったんです。それが映画化が決まった段階で筒井さんのスケジュールなどもあって筒井さんが演じるという案はなくなったんですけど、そういう経緯があって脚本の上でもある種突出した役になっているので、誰が演じるかというのが重要だったんですね。以前にもぼくの作品によく出ていただいていた大杉さんにその役をやっていただくことで、ぼくの中では成立できたかなと思っています。

―― プレス資料によりますと、脚本が完成してから実現まで時間がかかった理由として、主演女優がなかなか決まらなかったことがあるそうですが?

『七瀬ふたたび』スチール

『七瀬ふたたび』より。七瀬(右)と、七瀬と行動をともにする念動力者のヘンリー

小中:要は、映画として成立させるための重要な要件として「誰が七瀬を演じるか」ということがあったんですよ。それで、いろいろな候補が挙がっては消えということが繰り返されたということなんですよね。10年の間には、その時点で一番知名度のある女優さんに出てもらおうって話もあったんですけど、10年経ってその方向性を少し変えたんですよね。現時点で一番知名度のある女優さんではなく、これから伸びる可能性をもっとも期待されている女優さんとして芦名星さんの名前が挙がって、キャラクターとして七瀬にピッタリなんじゃないかという判断で芦名さんに決まったということなんです。

―― その芦名さんはじめ、役にあったキャストの方々が集まったと思うのですが、特にキャラクターの描き方で気をつけられた点はありますか?

小中:原作では、それぞれのキャラクターが七瀬と行動をともにするにいたるエピソードがひとりひとり描かれているんですけど、それを全部やったら映画の尺には収まらないということで、チームができあがっていて敵とのバトルが始まっているところから描くことにして、前半をバッサリと割愛したわけです。その割愛した前半をフラッシュバックとして入れていくという構成なので、それぞれの関係性を伝えるには難しい構成ではあったのかなと思っているんです。でも、七瀬と各キャラクターの気持ちのつながりはちゃんと伝わるように、気持ちがグッと入るような象徴的な回想シーンを描いていきたいという方針だったんですよ。原作を読んでいる人にとっては「ああ、あの場面ね」ってわかるような描き方なんですけど、原作を知らない人にとっても「この人とこの人はこういう気持ちでつながっているんだ」というエモーションの部分はちゃんと伝えたいなと思ったんです。だからキャストの人たちには「実はこういう話のこういう場面なんですよ」ということはもちろん説明したし、原作も読んでもらって、それを気持ちを入れて演じていただいて、気持ちの部分がお客さんに伝われば細かい設定はいいだろうという想いはあったんです。

―― 構成としてはけっこう大胆な方法ですね。

小中:そうですね。前半を割愛してフラッシュバックで要所要所に入れていくという構成は伊藤さんが考えたもので、第1稿が書かれた10年ちょっと前にはあんまり例のない構成だったんですよ。そのあと『メメント』(2000年・米/クリストファー・ノーラン監督)とか時制をシャッフルするものが出てきて、10年前にやっていればもっとインパクトがあったんじゃないかと悔しいんですけどね(笑)。でも、逆にいまは時制が前後するものをみんな見慣れているから、わかりやすく観てもらえているんじゃないかとは思うんです。実は、映画化が実現するまで時間がかかった理由のひとつとして、ホン(脚本)で時制が行ったりきたりするのがわかりにくいという意見があったという理由もあるんです。ぼくは「映像にするとすんなり観られますよ」とずっと言い続けてきたんだけど、ホンを読み物として見たときに「このシーンはどこなの? この意味はなんなの?」という読み方をする人はいるんですよ。それを「原作のこういう場面なんです」と説明すると「それはわかりにくい」という話になっちゃったりして、映画のホンの読み方って難しいなと実感したところではあるんですよ。

  • ※4:『ガメラ大怪獣空中決戦』(1995年/金子修介監督・伊藤和典脚本)には螢雪次朗さん演じる刑事・大迫が登場する。大迫は続編の『ガメラ2 レギオン襲来』(1996年)と『ガメラ3 邪神覚醒』(1999年)にも登場

「このラストにすることで『七瀬ふたたび』というメインタイトルの意味が変わって見える」

―― 構成が変わっているものの、今回の映画はかなり原作に忠実だと思うのですが、その中で大きな変更として“パラレルワールド”の要素が原作より強調されていますね。

小中:それは「ラストをどうしようか?」というところから出てきたんです。原作のラストも、原作に沿っている多岐川さん主演のドラマも、1970年代の作品としては時代の気分として正解だと思うんですけど「いまこれをこのままやるのはどうだろう?」というのは、ぼくも伊藤さんも共通して思っていたんですね。あまりに後味が悪くてお客さんも気持ちの持っていき方が困るんじゃないかなと思ったし、メッセージとしてどういう意味があるんだろうというところが自分の中で消化できなかったんです。それで伊藤さんが持ち出してきたのがパラレルワールドのロジックだったんです。そのロジックをラストに利用するというのは伊藤さんの発案なんですけど、タイムトラベルがパラレルワールドを生み出すというロジックは筒井さんが原作の中で展開しているので、それを利用するのはいいですねということでぼくも乗ったのがあのラストなんですよ。安易にハッピーエンドにするわけでもなく、原作どおりにするわけでもなく、バトンを渡すようにね、七瀬が決意をして、そこからもうひとつの始まりがあるということが感じられるラストシーンになれば意味を持った終わり方になるのかなということで、ああいうかたちにしたんですよね。

―― そのラストによって『七瀬ふたたび』という作品のタイトル自体が新しい意味を持っていますね。

小中:あれはね、けっこう最後の最後にそうしようと決めたんですよ。実は、ラストについていろいろ意見があって「あのラストでいいのか?」という議論があったんです。あのラストは反則のように感じるという意見もあって、そういう見方もされるんだなあと思ったし、ぼくはあのラストは安易なリセットとは違うと思っているんだけど、何度でも繰り返せるリプレイ的な受け止め方をする人が一部にいて「どうなんでしょうこのラストは」と心配する声もあったんです。そういう意見への「このラストにすべきだ」という対抗策として「このラストにすることで『七瀬ふたたび』というメインタイトルが最後に変わって見える」ということを示したんです。それを自分で思いついたときに「絶対そうすべきだ」と思ったし、伊藤さんに話したら「俺もそれを考えていたんだよね」と言っていたんですよ。本来「七瀬ふたたび」というタイトルは「家族八景」の次の七瀬という意味だったんだけど、いままでの映像作品では「家族八景」の続編ではなくて「七瀬ふたたび」単独で映像化してても、そのまま「七瀬ふたたび」というタイトルを使ってきたんですよね。それを最後に「実はこういう意味なんだよ」と示すことで、あのラストになった意味が、より強化されると思ったんです。

―― ラストについては『なぞの転校生』(1998年)に通じるものも感じました。『なぞの転校生』のラストはネガティブな捉え方もできるんだけど、これはひとつのポジティブなあり方でもあるんだよというラストだったと思うんです。

小中和哉監督写真

小中:『なぞの転校生』のときはけっこう葛藤もあったんですよね。ちょっとネタを明かしてしまうと『なぞの転校生』はピーター・ジャクソン監督の『乙女の祈り』(1994年・米,ニュージーランド)という作品に触発されたところがあって、ぼくの中では「次元ジャンプは現実逃避のメタファーである」という開き直りもあったんです。だけど、脚本の村井さだゆきさんがSFとしてのロジックにこだわっていたんですね。ぼくの中ではエモーショナルな内面ファンタジーとしての意味合いが最大のテーマだったんですけど、村井さんは内面ファンタジー的な解釈と等価としてSF的なロジックも存在させたいというものがあったんです。それで、現実逃避という解釈とそうでない解釈を同時に成立させたいと思っていたんです。

―― その『なぞの転校生』を思わせる部分や、オープニングのアニメの中に“くまちゃん”(※5)が出てきたり、さらに『星空のむこうの国』と同じような手法が使われていたりと、小中監督の過去の作品の要素がかなり入っていたと思うのですが?

小中:ある種の集大成的なものにしたいというのはありましたね。それで“くまちゃん”とか、いろいろな要素を詰め込んでいるんです。ただ、それだけではなくて『星空のむこうの国』と同じカラーとモノクロの色分けの手法を使っているのは、ラストシーンでその色分けの意味づけが 変わってくるという狙いも含めて同じ演出をあえてしています。というのは、ラストシーンの意味合いが『星空のむこうの国』と今回の『七瀬ふたたび』は同じだから。色が変化することでエモーションを表現したいという意味で共通です。

―― これは資料を見直していて気がついたのですが、1986年に『星空のむこうの国』が公開されて、1998年に『なぞの転校生』があって、2010年に『七瀬ふたたび』と、少年ドラマシリーズの系譜を継いでいて、かつパラレルワールドを扱った作品がちょうど12年おきにあるのは面白いなあと(笑)。

小中:ああ、それは意図してはいなかったですね(笑)。そうですね、パラレルワールドものということでは繋がっているし、超能力テーマということでいうと「あなたにここにいてほしい」(1992年・オリジナルビデオ作品)という作品を以前にやっているんですよね。あの作品は原作が新井素子さんで、たぶん原作も七瀬シリーズの影響を強く受けていると思いますし、そういう意味では『PENNY RAIN』とも今回の『七瀬ふたたび』とも繋がってくるんですね。

―― 最後に、いままでの集大成的な作品を完成させてのお気持ちを聞かせてください。

小中:10何年抱えてきた脚本をようやくかたちにできたということで、少し肩の荷が少し下りた感じはしていますね(笑)。今回は「テレパシーという能力を自分が持ったらこう感じるのかな」みたいな、ある種の疑似体験をお客さんに映像として感じてほしくて、実験映画的な手法で「人の心が読める」ということをヴィジュアルで表現してみたんです。そして、ドラマとしても「いかに七瀬の心の揺れもお客さんも同時に体験してもらうか?」という話なので、そういう意味ではいままでに類のないタイプのSFだから、ぜひ作らなくてはいけないと思っていたんです。それがようやくかたちとなって観てもらえるということで、お客さんがそれをどう体験してくれるかというのが楽しみですし、楽しんでもらえればと思っています。
 ここでひとつ宿題が終わったので、今回みたいにダークサイドに踏み込むことをもっと突き進んでみたい気持ちはあって「家族八景」を映像化したいという想いは強く持っています。エンターテイメント性においては「七瀬ふたたび」が七瀬シリーズ随一だと思うんですけど、テレパスが人のダークサイドを読み解いていくときのいろいろな葛藤だったりを深く描いているのは「家族八景」だと思うんですよ。そういうディープでダークな方向もやっていきたいですし、もっと別のいろいろな方向のSFファンタジーも突き詰めていきたい思っているんです。長年の宿題でまだ残っているのもあるので、そういう企画も進めていきたいですね。

  • ※5:ぬいぐるみのくまをモチーフにした“くまちゃん”は、小中監督が自主映画時代からからよく映画に登場させているキャラクター。自主制作時代のSF大作「地球に落ちてきたくま」(1982年)、劇場用映画『くまちゃん』(1993年)が“くまちゃん”の登場する代表的な作品

(2010年9月1日/マジックアワーにて収録)

作品スチール

七瀬ふたたび

  • 監督:小中和哉
  • 原作:筒井康隆
  • 脚本:伊藤和典
  • 出演:芦名星 佐藤江梨子 田中圭 前田愛 ほか

2010年10月2日(土)よりシネ・リーブル池袋、シアターN渋谷ほか全国ロードショー

『七瀬ふたたび』の詳しい作品情報はこちら!

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