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『花宵道中』豊島圭介監督インタビュー

豊島圭介監督写真 江戸時代末期の吉原。山田屋の遊女・朝霧は、体が熱を帯びると白い肌に花のような赤い痣が浮かぶことから「躰に花が咲く」と評判の人気女郎であった。大火のために吉原の外の仮宅に移りつかの間の自由を楽しむ朝霧は、縁日で偶然に出会った半次郎という男と互いに惹かれあっていくのだが――。
 豊島圭介監督の劇場最新作となる『花宵道中』(はなよいどうちゅう)は、安達祐実さんを主演に迎え「女による女のためのR-18文学賞」受賞作である宮木あや子さんの同名小説を映画化した官能時代劇。主人公・朝霧役の安達さんが濃厚な濡れ場に挑んでいることで話題のこの作品は、豊島監督にとっても“初の時代劇”という大きな挑戦でした。
 自ら「プランになかった」と語る未体験のジャンルで、豊島監督はこれまで旺盛に幅広いジャンルへと挑んできたその手腕を存分に振るっています。
 数々の名作を生み出してきた伝統の地・東映京都撮影所での映画作りの中で、豊島圭介監督はなにを見出し、なにを描き出したのか?

豊島圭介(とよしま・けいすけ)監督プロフィール

1971年生まれ、静岡県出身。大学在学中より自主映画を制作し、短編『悲しいだけ』(1994年)が第17回ぴあフィルムフェスティバル入選。大学卒業後にアメリカのアメリカン・フィルム・インスティテュート監督コースに留学し、帰国後に篠原哲雄監督作品『張り込み』(2000年)などで脚本家として活躍。テレビシリーズ「怪談新耳袋」(2003年・BS-i(現・BS-TBS))で監督デビューし、オムニバス『怪談新耳袋 劇場版』の1編「視線」(2004年)で劇場作品初監督、『怪談新耳袋 ノブヒロさん』(2006年)で劇場用長編初監督。その後も劇場用映画、テレビドラマで幅広いジャンルを手がける。
そのほかの監督作に、テレビドラマ「紺野さんと遊ぼう」(2007年・WOWOW)「マジすか学園」シリーズ(2010年~・テレビ東京)「ホリック xxxHOLiC」(2013年・WOWOW)「殺しの女王蜂」(2013年・テレビ東京)、劇場公開作品『ユメ十夜/第五夜』(2006年)『ソフトボーイ』(2010年)『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(2010年)など。よしもとばなな原作の劇場用映画『海のふた』が2015年公開予定。

「京都撮影所内が“ああ、時代劇がやれる!”みたいに明るくなる感じがあった」

―― 『花宵道中』は、豊島監督にとって初めての時代劇となりますね。まず、この作品の依頼があったときのお気持ちから聞かせてください。

豊島:まず、安達祐実さんの主演映画の監督の依頼が来たということに関してはものすごく気持ちがアガったというか「やりたいな」と思ったんです。しかも最初に依頼があったときには撮影時期がちょうど当時準備中だった「殺しの女王蜂」(2013年)というテレビ東京のドラマとバッティングしていたのですが、『花宵道中』のプロデューサーの佐藤現さんに「どうしてもやりたい」と直談判して、幸いなことに撮影時期を調整してもらえたんです。それでドラマも『花宵道中』もやれることにはなったのはいいのですが、いざやるとなると、おっしゃるとおり初めての時代劇ですし、いろいろと怖い噂も聞こえてくる太秦の東映京都撮影所で撮るということで、相当にビビりましたね(笑)。ぼくはときどき自分の過去から未来にかけてのフィルモグラフィというのを考えたりするんですが、時代劇というのはそのプランにまったくないジャンルで、そんなに自分が撮るものと意識して観ていたわけでもなかったし、本当に「時代劇ってどうやって撮るんだ?」と、なにから手を付けていいのかわからないという感じでした。

―― これまでは時代劇というジャンルはむしろひとりの映画ファンという立場でご覧になってきていたのだと思いますが、その中で印象に残っていた作品というと、どんな作品でしょう。

豊島:そうですね、学生時代に映画を観まくっていたときに必然的に時代劇も観たんですけど、印象に残っているのは『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』(1935年/山中貞雄監督)ですね。もともとは時代劇というと黒澤明の『七人の侍』(1954年)とかのイメージだったんですけど、1930年代に『百萬兩の壺』のような傑作があるんだということを知って驚いたり、のちに三隅研次の映画を観たりしてプログラムピクチャーでの時代劇の面白さみたいなものにだんだん気がついていくんです。あとは遊廓の話でいえばやっぱりフランキー堺が主演の『幕末太陽傳』(1957年/川島雄三監督)に度肝を抜かされましたし、そういう時代劇の体験はありましたね。あと、自分で「古代少女ドグちゃん」(2009年・毎日放送)などのアクションものをやっていたときには、低予算でどうアクロバティックなアクションをやるかという意味で、参考に「座頭市」シリーズや「子連れ狼」シリーズをよく観ましたね。

―― 先ほどのお話ですと、時代劇は監督ご自身のフィルモグラフィに想定していなかったジャンルだったということですが、そのジャンルをやるにあたってまず考えられたことや、やったことというのはどういうことでしょうか?

豊島圭介監督写真

豊島:基本的にぼくの監督人生は想定外だらけなんですよね(笑)。もともとプロになる前に憧れていたのはジム・ジャームッシュに代表されるニューヨーク・インディーズだったり、エリック・ロメールの映画みたいにただ散歩するだけの映画を撮ってみたいとか、学生時代はそういうことを考えていたんです。ところがそのあと西海岸のAFI(※1)という学校に行って、ハリウッドスタイルの「映画とは物語を語るためのツールである」ということを徹底的に教わって、反発心もありつつ映画のひとつのあり方を学んでいった。同時に自分が一体なにをやりたいのかわからなくなっていったのもこのころでした。その後日本に戻ってきて、しばらくしてホラーでプロとしてデビューさせてもらうことになるんですけど、それすら想定外だったんですよ。ぼくは幼いころ怖くてホラーをほとんど観ていなかったのでそのときにひたすら勉強して、そこで「ホラーってこんなに面白いジャンルなんだ」と遅まきながら発見するんです。「ホラーには映画のすべてがある」と。つまり「映画とは情報の順番なのだ」ということに実践する中で気づいていったんですよね。ぼくのプランにあったことに近かったのは『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(2010年)でした。ああいうライトなコメディはやろうと思っていたんですけど、たとえば『ソフトボーイ』(2010年)のようなスポーツ青春ものや、ドラマの「マジすか学園」(2010年~・テレビ東京)とかのアイドルものも想定外だったんです。ただ、桁外れに想定外だったのが今回で(笑)。だから、まず吉原のことを知らなくちゃいけないと思ったので、吉原関係の資料を語彙集から浮世絵集にいたるまで目につくものは片っ端から入手して、あとは江戸東京博物館に行ったりしつつ、花魁に関わる映画をひたすら観たという感じですね。今回はチャンバラがなかったので殺陣のことはあまり考えずに済んだんですけど、とにかく女郎のあり方と吉原のあり方について、半年くらいできる限りひたすら資料を漁りました。

―― 『花宵道中』の公式フェイスブックで連載されている「監督日記」によると、最初は太秦で時代劇を撮るということについて臆する気持ちもあったということですが(笑)。

豊島:ありましたよね(笑)。東京で仕事をしているときに「今度、太秦で撮るんですよ」と告白すると、みんなほんとに嬉しそうに笑って「大変ですよ」って、自分が京都でいかにひどい目に遭ったかを話すんです(笑)。ぼくが一番怖かったのは、2005年くらいに中国ロケをしたとき(※2)、一緒に行っていた麻生学監督の「京都に2時間ドラマを撮りに行ったら、なにを言ってもスタッフが“お江戸のカントクはんは、けったいなことをおっしゃいますなあ”と言うんだよ」という強烈な体験談でした。自分も「お江戸のカントクはん」と言われるのかなと思って(笑)。ただ、一方では「京都のスタッフも若くなっているし、いまは違うんだ」と言ってくれる意見もあったんです。それで、最初に(2013年の)夏にシナハン(シナリオハンティング)で初めて京都に行ったんですけど、そのときに京都のプロデューサーが各部署を案内してくれている中で「映画が来るんだ、映画が来るんだよ!」とスタッフに言うんですよ。実は、太秦ってここ10年、20年は自社発の時代劇を撮っていないんですよね。だから、今回の映画を東映ビデオではありますけど“東映”と名の付いた会社発でやることに対して所内が「ああ、時代劇がやれる!」みたいに明るくなる感じがあって「これはもしかしたら、緊張はするかもしれないけどやりやすいかもしれないな」って思ったんです。太秦の人たちもルーティンとは違うものをやれる喜びがあるんだということがなんとなくわかったのが夏でしたね。で、11月になってから実際に打ち合わせをしていく中で、怖れることは何もなくて、きちんと準備をして伝えるべきことを伝えていけば滞りなく仕事ができるんだということがわかっていったんです。実際に揉め事みたいなことはほとんどなかったですね。メイクの山下みどりさんという太秦のかなめみたいな方がいるんですけど(笑)、その方にあとで言われたのは、東京の監督が京撮(京都撮影所)に対して構えたときに、逆にとんがっちゃって「負けへんで」みたいになる人たちがいるんですって。そういう人が多い中、ぼくはひじょうに謙虚だったらしくて「そこがよかった」と言っていましたね(笑)。

―― その、太秦の方々も「映画が作れる」と盛り上がっていたというのは、監督にとっては重圧になったのでしょうか、それともパワーになっていったのでしょうか?

豊島:結果的にはパワーになったんだと思います。正直に言うと、ぼくは夏に行ったときにみんながなんとなく華やかに興奮している様子はわかったんですけど、より具体的に理解できたのは11月に太秦に行く直前に書店でたまたま春日太一さんの「あかんやつら 東映京都撮影所血風録」という本を見かけて読んだときでした。それで、いかに現在の京撮がテレビの下請け会社のようになっていて映画を発信できていないというのを読み、しかも本の終わり方が「どうしたらこれから先また京撮は盛りあがるのだろうか」という問題提起になっていたので、自分がそこで時代劇を撮るということに対して興奮度がより増しましたし、京都のスタッフの燃え方の意味もそのときにわかったんです。それから、安達さんが20代前半のころからドラマの「大奥」(2003年・フジテレビ)で京撮に通っていたこともあって、安達さんは各スタッフにほんとに愛されていて「祐実ちゃんのためなら一肌脱ごうか」みたいな雰囲気がありましたから、ぼくが単独で行って「豊島組」ということだけではなくて、みんなが「安達祐実一座」として燃えたという、そういうふうに見えましたね。

  • ※1:アメリカン・フィルム・インスティテュート (American Film Institute)。アメリカの5大フィルムスクールのひとつに数えられるフィルムスクールで、デヴィッド・リンチやテレンス・マリックなどの映画人を輩出している。
  • ※2:豊島監督と麻生学監督は、2005年に放送されたBS-i(現・BS-TBS)製作のオール中国ロケ連続テレビドラマ「愛の道 チャイナロード」に参加している。

「生身の感情みたいなものを出せる芝居を作ろうと心がけていました」

―― 主演の安達祐実さんとは、以前にドラマの「ホリック xxxHOLiC」(2013年・WOWOW)でご一緒されているんですよね。初めてお仕事されたときの印象はいかがでしたか?

豊島:「ホリック xxxHOLiC」の前に「古代少女ドグちゃん」で1回仕事してるんですよ。そのときは撮影が1日だけで嵐のように過ぎ去ってしまったんですけど、安達さんはけっこうふざけたことをなんでもやってくれたんですよね。ぼくは安達祐実さんのファンで、シャロン・ストーンのファンでもあるので、安達さんに『氷の微笑』の脚組み(※3)をやってもらったんですよ(笑)。毛糸のパンツみたいなのを履いてもらってひたすら10回も20回も繰り返すみたいなことを平気でやってくれて「なんて素晴らしいんだ!」って思ったのが出会いだったんです(笑)。それで「ホリック xxxHOLiC」をやったときには妖艶なファム・ファタール的な役だったのでセクシーでしたし「監督日記」でも書いたかもしれませんけど、ワンカットの中で少女から妖艶な女を経て最後に老婆になるみたいな芝居をするんですよ。「この人は天才だな」と思いました。その芝居も「喜んでいる」とか「怒っている」とか「悲しんでいる」とか記号的にわかりやすいだけじゃないんですよね。少女から老婆まではある種わかりやすさのオンパレードみたいなことをやりながら、その間みたいな、なんて表現していいのかわからないような顔をする姿も見て才能を再確認しました。

―― 安達さんのファンだったというのは、いつごろからだったのですか?

豊島:いつからかは覚えていないんですよね。ぼくは安達さんが少女時代のドラマを見た記憶はあまりなくて、ただ家に写真集の「月刊 安達祐実」はあったという(笑)。だから、世間的に言われるような子役のイメージが抜けないというような印象はぼくにはないんです。それで、さっき話した学生時代に時代劇を観ていた話とリンクするんですけど、溝口健二特集を観にいったときに田中絹代の『お遊さま』(1951年)を観て、田中絹代は『お遊さま』に出たころはそれなりの年齢だったと思うんですけど、それこそ少女から老婆までやっていて「この人は何歳なんだろう?」と思ったし、田中絹代はものすごく煙管の作法が上手で、あのころの俳優さんの芝居ってすごく芸があると思ったんですね。たとえば若山富三郎が日本舞踊ができたりとか、田中絹代にはそういう作法の芸があって「こんなふうに芸を持って芝居ができるのって、いまの時代だと安達祐実くらいしかいないんじゃないかな」って当時思ったんですよ。やっぱり1990年代以降、なぜか日本映画は「長回しの呪縛」みたいなのにとらわれて(笑)、なぜかみんなが引きで長回しをやりだしたころに、俳優の芝居も芸よりも雰囲気と存在感で勝負するみたいな時代が始まったと思うんですけど、安達さんはそうじゃないなと思っていたし、時代劇に限らず、ぼくが好きな『しとやかな獣』(1962年/川島雄三監督)なんかを観ていると俳優がみんないまの俳優の1.5倍くらいのスピードで喋るんですよね。あれもたぶん芸の賜物なんじゃないかなと思っていて、芸がないとああいうことができない。「かつて俳優は芸人だった」というのがぼくの持論ですが、いまはそういう人が少なくなっているんだけど、安達さんはそれができる特殊な才能を持っている女優さんなんだろうなって思っていたんです。

―― そうすると、今回監督を引き受けられたのは、安達さん主演だという理由も大きいのでしょうか?

『花宵道中』スチール

『花宵道中』より。安達祐実さんが演じる主人公・朝霧

豊島:たぶん、別の人が主演でも受けてはいただろうとは思いますね(笑)。でも、やっぱり安達祐実さんが芸歴30周年の年に主演する作品で、濡れ場にも挑戦するというエポックな現場ですから、ぜひそこに立ち会いたいという想いはありました。それで、いま思い出したんですけど「ホリック xxxHOLiC」をやったときに「これだけ才能のある女優さんだったら、テクニックで勝負しない芝居が見たい」と思ったんですよ。カサヴェテスの映画に出てくるジーナ・ローランズのようなというか、いろんなものを削ぎ落としてそこに存在するだけみたいな。「ホリック xxxHOLiC」の現場で話をしていくと、だんだん彼女も対外的なベールみたいなものを脱いでいって「ああ、普段の安達祐実さんはこういう感じなんだ」というのがわかったりするわけですよ。それは芝居をしている彼女と全然違っていて、そういう「そこにポツンといるだけ」みたいなところを撮りたいと思ったんです。だからまた安達さんと仕事をしたいと思っていたんですけど、それが時代劇だったわけですよね。そこでちょっと困ったというか、撮りたいものは安達祐実のいろいろなものを削ぎ落としたものなんだけど、題材は時代劇というある種様式とか作法とかが大事にされるものなので、最初は「やりたいことがほんとにやれるかな?」と戸惑いました。

―― 実際、時代劇というのは監督が安達さんでやりたいと思ったことが実践できる場ではあったのでしょうか?

豊島:やはり、ぼくがどこかで「崩れない型を毎週見せることによって人々に安心感を与える」というテレビ時代劇の印象みたいなものにとらわれていたんですね。よく考えれば黒澤明の映画の芝居がそういう芝居だったかというとそうではないし、それこそ『浪人街』(1990年/黒木和雄監督)みたいに作法もへったくれもないような生身の魂を映そうとする映画があったりとか、はたまた『百萬兩の壺』のように「チョンマゲを付けた現代劇」と言われた洒脱な芝居をさせていたりとか、様式とか作法だけではない時代劇の芝居というがあることにあとから気づいていくんです。だから、逆に言うと「なにをしても大丈夫だな」と思いました。ただ、なにをしても大丈夫にするためにはいろいろなことを知っておかなくてはならない。そのいろいろなことを知るための時間は実は充分にはなくて、今回間に合ったとは思っていないんです。だけど、作法は必要なときに利用すればいいんだと思ったし「普段はこういうときは襦袢を着ているんだけど、場面の心情で言うと小袖を着ていたほうが合うから小袖にしてみよう」というような自由度は実はあるんです。京都の人が言っていたのは「結局、誰も江戸時代なんて見たこともないんやから、なんでもアリなんですわ」って。それは意味なく「なんでもアリ」にしていいということではないんですけど「自由なんだ」ということを心の支えにして、時代劇でありながらスタイルとか形式とかをなるべく取り去ったような、生身の感情みたいなものを出せる芝居を作ろうと心がけていました。

―― 安達さんが演じた朝霧のキャラクターについては、監督は監督なりの朝霧像というのをお持ちだったと思うのですが、それは安達さんとすぐ共有できたのでしょうか?

豊島:まず、今回は映画の成り立ちから言って「安達さんが朝霧をやる映画を作る」ということで始まったので、原作の朝霧とはちょっと違ってきてはいるんですけど、ぼくは「どうしたら安達祐実が活きるだろうか」と考えて台本作りに参加していたので、ブレはなかったんです。ただ、ぼくはあまり姐さん姐さんした朝霧にしたくないなというのはありましたね。最初のホン読みで安達さんはすごく老長けた厭世感たっぷりな姐さんみたいな読み方をして、それはどこかで観たことがあるし、存在として読めちゃう感じがして、あんまり面白くなかったんです。それは安達さんと話をして、だんだんに朝霧像を作っていきました。

―― 共演の方々についてもお聞きしたいのですが、朝霧の恋の相手の半次郎を演じた淵上泰史さんに求められたのはどのようなことでしょう?

豊島:朝霧が惚れるということにリアリティがないとダメだなと思ったんです。朝霧が惚れると同時にお客さんも惚れなきゃいけないし、そのためにはぼくも惚れなきゃいけない。そこの一点でしたね。どうすればぼくも惚れて朝霧も惚れる半次郎像ができるだろうかということを考えました。凛として気取っているだけの男には惚れないんじゃないかなと思ったんですよ。フッとかわいげみたいなものが垣間見える。それを半次郎というより淵上くんの中からどう探そうと思いました。淵上くんは、普段接していると、ときどき照れたような子どもみたいな笑い方をするんですよ。「ああ、ここかな」と。だから、朝霧と半次郎がかんざしを渡す場面でどうしたらふたりがイチャイチャできるかってことを必死に考えて、台本には書いていなかったんですけど、半次郎がふざけてなかなか渡さないみたいなことをする中で、かわいらしい男の人の笑顔みたいなものが撮れたらというふうに思いました。

―― もうひとり、妹女郎の八津を演じた小篠恵奈さんにも、求めるものは大きかったのかなと思いました。

豊島:やっぱり、朝霧を姐さん姐さんした姉女郎にしたくなかったのと同じで、単に朝霧を慕っていて、なんでも「姐さんのすることは素晴らしい」と言うような妹女郎にはしたくなかったんです。ひとりの女郎として売れっ子である朝霧には嫉妬もするだろうし、お追従も言うだろうし、裏表があるんじゃないかなと。基本的には女郎はみんな東北とかの寒村から女衒に買われて連れて来られたサバイバーたちというか、一筋縄ではいかないような人たちの集まりなはずなんですよね。だから冷静に見ているだろうし、チャンスがあれば取って食ってやろうと思っているだろうみたいなことは考えて、そういう話はしました。八津は朝霧の「花は咲かないより咲いたほうがいいんじゃないか」という想いを受け継ぐ人になっていくんですよね。そういう意味ではすごく大事なキャラクターだったとは思います。

  • ※3:1992年公開のアメリカ映画『氷の微笑』(ポール・ヴァーホーヴェン監督)では、シャロン・ストーン演じる女性作家・キャサリンが下着を付けないミニスカートで脚を組みかえるシーンが話題となった。

「これは愛の映画ではなくて恋の映画だと、撮っている最中に確信していったんです」

―― 今回は監督初の時代劇ですけれども、それに加えて濃厚な濡れ場がある映画というのも初めてですよね。

豊島:大変でしたね、俳優の緊張がそのまま照り返されてぼくも緊張したんで(笑)。特に、中盤で朝霧が津田寛治さん演じる吉田屋に陵辱されるシーンがあるんですけど、そのシーンって原作を読んでいてぼくが一番心を揺さぶられたというか、朝霧に感情移入しているから「ひでえことがあるもんだな」と思ったし、同時にすごいエロいなとも思ったし、なんて言うかダブルバインド状態になるシーンだったんです。でも、実はぼくはここが一番原作で好きなシーンだったんです。自分が読んでいて心が震えたシーンというのは、映画にしたときに同じようにお客さんにも心を震わせてもらえなければ、ぼくが仕事をしたことにならないと思っているから、あのシーンをやるのはひじょうに大変でしたね。しかも生身の安達さんがやるわけだし。あそこは段取りがむちゃくちゃ多かったんです。着物を脱がすだけでほんとに大変で、なにをどういうふうに脱がすのか、どのカットでどこまで撮ってというのもひたすら計算の嵐でしたし、(アングルの)表も裏もあるので2回ずつやらなければいけないし、朝霧の肌に咲く花も増えていかなくてはいけないし、そういう感情の芝居以上のテクニカルなことが山ほどあって、ものすごく大変でした。それで、これは基本的にぼくの性格だとは思うんですけど、殺陣を付けるようにものすごくきちんと動きを付けたんです。つまり「外から何回胸を揉んで、左にキスをしたら次に右にキスして」とか(笑)。それを全部津田さんとも決めましたし、半次郎との濡れ場でも全部決めたんです。それはひとつには自分がやりたいことを明確にやってもらうためということもあるし、誰の話だかは忘れたんですけど、ある女優さんが濡れ場のシーンで監督に「いつもみたいにやってよ」って言われて困ったという話を聞いたことがあって。そんなの言われても「できるかっつうの」って思いますよね(笑)。そこはぼくが動きを決めてあげたほうがみんなやりやすいだろうし、チャンスがあればぼくが助監督と一緒にやったりとかして、そうするとなんとなく場も盛り上がるし(笑)。とにかくデリケートなことなんですよね。人前で裸になるって恥ずかしいことですし、見てる方も困るし、まあ、気を遣いましたね。

―― 映画を拝見したあとで面白いなと思ったのが、最初のほうで朝霧が客の相手をする場面があって、中盤でその吉田屋の場面、そして最後のほうに半次郎との濡れ場と、同じ「抱かれる」場面であっても、仕事として抱かれるのと、拒みつつ抱かれるのと、想う相手に抱かれるのと、3回それぞれで意味が違っていますよね。

『花宵道中』スチール

『花宵道中』より。安達祐実さん演じる朝霧と淵上泰史さん演じる半次郎

豊島:そうですね、それは狙いとしてありました。要するに「コントロール」というのがキーワードで、お客さん相手には朝霧自身がコントロールしているんですよね。それで吉田屋にはコントロールされているというかコントロールをまったく奪われてしまっていて、好きな半次郎にはコントロールを委ねている。そういう違いをどうしたら見せられるかというのは最初からコンセプトとしてあったんです。やっぱりこれも性格で、ぼくはA型で真面目なので(笑)、アクションものでも3回アクションシーンがあると「じゃあ最初に単独戦をやり、次は空中戦をやり、最後は集団戦だ」って(笑)。そういうふうに、どうしたらお客さんが飽きないかと考えるんです。それと同様に、3回濡れ場があるのなら3つの種類がないと面白くないかなと思ったんですね。あと、半次郎との濡れ場では「好きな人と体と交わすことができました」ということ自体を結論にしたくなかったんです。たとえば、美しいワンカットがあれば「ふたりは結ばれました」ということは記号的に語れるはずなんですよ。でも、そうじゃなくて「濡れ場で物語を語る」ということをやりたかった。1回目は初手合わせみたいな軽い感じで、2回目はふたりがじゃれ合って、3回目でものすごく達するみたいなことをしているんです。あのシーンは、男性が観ると結構な割合で「長い」って言うんですよね。女の人はあまり「長い」とは言わないんですけど。ぼくはまったく長いとは思っていなくて、なぜなら、あそこにはぼくのしてほしいことが全部あるので(笑)。

―― 以前『怪談新耳袋 ノブヒロさん』(2006年)公開時にお話をうかがったとき、監督は「ロマンポルノみたいな情念の世界をやりたい」というお話をなさっていたのですが、今回はその「情念の世界」というものに一番ストレートにアプローチした作品になっているのかなと感じてます。

豊島:そうかもしれませんね。そこに関して言うと、ぼくは情念ってなんなのかがよくわからなくなっているんですよ(笑)。これを撮る前に「女の情念を描く」みたいなキーワードが出てきたときに、情念というのが男から見た女性像というか「女とはこういうものである」という1970年代的な規定みたいなものになっちゃうんじゃないかと思ったんですよね。なんでそういうことを思ったかというと、最近の映画でも1970年代的な女性観みたいなものを感じるものがあって、ぼくの中でそれが「情念」という言葉とくっついちゃったんですよ。ぼくは全然女性の心がわからないので、ぼくが女性を崇拝し畏怖しというスタンスでやってきているつもりなんですけど、そういう古くさい女性像みたいなのが「情念」だとすると、ぼくが撮りたいのはそれじゃないなと思っていたんですね。それで、今回『花宵道中』を撮っている最中に確信していったんですけど、これは愛の映画ではなくて恋の映画だと思ったんです。「愛」ってすごく深くて、きっとひと山もふた山も越えなければたどり着けないなにかで、でも「恋」は瞬発力でできてしまうし、同時に狂気の状態だと思うんです。ぼくはこの間『舟を編む』(2013年/石井裕也監督)を劇場で観たんですけど、あれも前半は恋に落ちるまでの映画で、途中で「恋とは、ある人を好きになってしまい、寝ても覚めてもその人が頭から離れず、ほかのことが手につかなくなり、身悶えしたくなるような心の状態。成功すれば、天にものぼる気持ちになる」というような「恋の定義」が出てくるんです。「これは要するに狂っている状態の恋をしている話なんだな」と思ったときに、ぼくがやりたいと思ってきたファム・ファタール的なもの、フィルム・ノワール的なものであったり、ロマンポルノ的ないわゆる「情念」と言われるものだったりも、基本的に「恋をすることによって人が狂っている状態」をやりたいんだなって思ったんです。前に撮った『幽霊VS宇宙人 略奪愛』(2007年)なんかも「あれは愛ではなくて恋して落ちていく状態なんだ」と再発見したり。だから、その「恋をして人が狂う」というテーマだけをやったという意味では、おっしゃるように今回が一番やれているかなというふうには思いますね。

―― それでは最後に、映画をご覧になる方に向けてのメッセージをお願いします。

豊島:そうですね、やっぱりぼくはこれからも映画が撮りたいんです。これが当たるとまた映画が撮れるので(笑)、ぜひ、観に来てほしいなと思います(笑)。いま言ったように「恋に狂う」みたいなことを初めてまっとうにやれた映画だったりもしますし、そういう意味では、時代劇であっても現代劇のようにも観てもらえると思います。それとやはり、安達祐実さんの覚悟を決めた芝居というのを観てほしいと思います。

(2014年10月8日/東京テアトル本社にて収録)

作品スチール

花宵道中

  • 監督:豊島圭介
  • 出演:安達祐実 淵上泰史 小篠恵奈 友近 高岡早紀 津田寛治 ほか

2014年11月8日(土)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー

『花宵道中』の詳しい作品情報はこちら!

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