『トイレのピエタ』松永大司監督インタビュー
画家を目指しながらも挫折し、現在はビルの窓拭きのアルバイトをしている28歳の青年・園田宏。ある日、宏は医師から余命わずかと知らされる。突然の宣告に死への実感も持てないまま、宏は偶然出会った少女・真衣とバイクで走り出す……。
これまでドキュメンタリー映画や短編劇映画などを発表してきた松永大司監督の初長編劇映画となるのが『トイレのピエタ』。偉大な漫画家・手塚治虫さんがこの世を去る直前に書き記したアイディアを原案にした、死を間近にした青年の物語です。
主人公の青年・宏役には人気ロックバンド・RADWIMPSのボーカル&ギターで映画初出演となる野田洋次郎さん、ヒロインの真衣役にはドラマやCMで活躍する杉咲花(すぎさき・はな)さんを迎え、さらにリリー・フランキーさんや宮沢りえさん、大竹しのぶさんら多彩なキャストの共演で、宏の“最期の時間”を鮮烈に描いていきます。
スクリーンから観客に強く訴える力を持った『トイレのピエタ』。その力はいかにして生み出されたのか、松永監督にお話をうかがいました。
松永大司(まつなが・だいし)監督プロフィール
1974年生まれ、東京都出身。大学卒業後『ウォーターボーイズ』(2001年/矢口史靖監督)『手錠』(2002年/サトウトシキ監督)などに出演し俳優として活動。その後、映画『ハッピーフライト』(2008年/矢口史靖監督)『蛇とピアス』(2008年/蜷川幸雄監督)のメイキング監督や、テレビドラマ『トミカヒーロー レスキューファイアー』(2009年~10年・テレビ愛知)監督などをつとめる。友人でもある現代美術アーティスト・ピュ~ぴるさんを8年間にわたり取材したドキュメンタリー『ピュ~ぴる』(2010年)が海外の映画祭で高い評価を受けたのち2011年に日本で劇場公開され、ドキュメンタリー監督としてデビューを果たす。
ほかの劇場公開監督作に、ドキュメンタリー『MMA Documentary-HYBRID』(2013年)『GOSPEL』(2014年)、短編劇映画『かぞく』(2011年)など。
「プロットを書きはじめる段階で大きかったのが2011年の震災だったんです」
―― 『トイレのピエタ』は、手塚治虫さんが亡くなる直前の日記に残されたアイディアを原案としていますが、これを映画にしようと思われたきっかけを教えてください。
松永:ほんとに偶然で、10年くらい前に自宅でテレビを見ていたときに手塚治虫さんのドキュメンタリーをやっていて、このアイディアを知ったんです。そのときはぼくはまだ監督になりたいと思っているだけか、あるいはなろうとしていたかという時期だったんですけど「いつか監督としてこのアイディアを映画にして撮りたいな」と思ったのが一番最初のきっかけです。当然、そのときは映画を撮れる経験もなければ状況でもなかったんですけど、ずっと撮っていたドキュメンタリー映画があって(『ピュ~ぴる』)、その映画が完成して2011年に公開されたんです。それを今回のプロデューサーである小川(真司)さんが観て連絡をくださって、初めてお会いしたときに「やりたい企画はあるの?」と聞かれて、いくつか話した内のひとつが、この『トイレのピエタ』だったんですね。「それは面白そうだから」とプロットを書くように言われて、そこから始まったんです。それが2011年ですね。
―― 元となった手塚治虫さんのアイディアというのは“トイレのピエタというのはどうだろう。”という、わずか数行のものですよね。監督はそれをどのように1本の長編映画へと膨らませていったのでしょうか?
松永:テレビで手塚さんのアイディアを見たときに、すぐにノートを引っ張りだしてワーっと走り書きをしたんです。そのときに書いたのは、ぼくは当時ビルの窓拭きのアルバイトをしていたので同じようにビルの窓拭きをしている元・絵描きの若い男が死を宣告されて絵を描くということと、都会に住んでいる男が主人公だということで、そういう漠然としたアイディアがまずあったんです。それから、実際にプロットを書きはじめる段階で一番大きかったのが2011年の震災だったんです。自分があの震災をどう受け止めて消化していくかと考えたときに、男の死を受け取る人を作ろうと思ったんです。それも家族ではない誰かということで、映画に出てくる女子高生の真衣という人物ができたんです。お互いよく知らない同士だったのが、期せずして死んでいく男と出会って、その最期の姿を目の当たりにしたとき、それが彼女にどう影響するのか、その変化する瞬間を描けたらいいなと思って、まずそれが大きな軸としてできました。そこから、主人公の男がどういうふうに変化していくか。変化を与える様々な登場人物として、主人公の家族だったり、病院で相部屋になる横田という男とか、病院で出会う子どもとかを作っていったんです。
―― 死期の迫った主人公を若い男に設定したのは、どんな発想からだったのでしょう?
『トイレのピエタ』より。ロックバンド・RADWINPSの野田洋次郎さんが演じる主人公・園田宏
松永:28歳という設定なんですけど、10代ではなく30代でもなくというイメージがあったんです。若いんだけど、もう社会の中でも子ども扱いされないし、30歳を目前にしていろいろ現実と向き合っているし、でもまだまだ人生で新しいこともできるという、そういう年齢かなと思ったんですね。まだ“死”ということを現実的に考えてもいないだろうし、なにも成し遂げていないという言い方をするとあれですけど、まだまだ可能性もあるけれど、そこになにも期待していなくて、ただ「まだまだ生きていくだろうな、人生は永いだろうな」と思っているような年齢の人がいいなと思っていたんです。
―― その主人公・園田宏を野田洋次郎さんが演じられていますが、俳優ではなくミュージシャンの方を起用したのは、どんなことを求められていたのですか?
松永:ミュージシャンだからこれを求めるということではなくて、ぼくは演じる人というのは喜怒哀楽も含めてもともと内に秘めているものがないとアウトプットはできないと思っているんですよ。人生の苦しみも含めてどれだけ豊かなものを持っているかということが表現者として魅力的かどうかということだと思っているんです。その中で“絵を描く”という姿が借りてきたものになったら嫌だなと思っていて、役者であってもそれができる人はいるのかもしれないけども、つね日頃から自分の中から生まれてきたものをアウトプットしているミュージシャンのほうが“絵を描く”ということに馴染むんじゃないかと思ったんです。それが最初のきっかけで、そこから先に求めるものは役者に求めるものと一緒で、自分の中にあるものを嘘なくさらけ出してくれたらいいなと。野田洋次郎という人は普段ライブで何万人という人の前で自分をさらけ出しているわけで、それを映画でもやってもらえたらいいなと思いました。
―― 監督が主人公役に求めているものを持っている人を探したら、それがミュージシャンであり、野田洋次郎さんであったと。
松永:そうですね。それで、ミュージシャンの中でもいろいろな人がいるんですけど、いろいろ歌を聴いたりライブの映像を観たりする中で、野田洋次郎はぼくがシナリオで書いた園田宏という人に一番近いというか、もう「この人そうなんじゃない?」と思うくらいだったんです。歌っている歌詞の死生観とか、そういうところもすごい近いと思いました。
「無責任なことを言えたり思った通りのことが言えるのは、すごくいいなと思うんです」
―― 野田さんが宏に近いというお話がありましたが、実は映画を観たとき、監督をよく存じ上げていたわけではないんですけど、直感的に園田宏という人物は監督ご自身にも近いのではないかと思ったんです。実際はいかがでしょうか?
松永:もう、まさにそのとおりで、ぼくの投影。だから、ぼくの自己肯定と自己否定の両方だと思います(笑)。やっぱり、ぼくが生まれてから育ってきた中での経験値でしかないです。ぼくは余命を宣告されてはいないですけど、宏が窓拭きのアルバイトをしながら考えることなんかは、ぼくが8年間アルバイトでやっていた中で感じたことだったり目の当たりにしたことを全部入れていますね。窓拭きをしていて自分のことを虫みたいだなと思ったりとか、社会の末端だなと思ったりとか、でも自分はいつか映画を撮るからこの人たちとは違うんだと思っていたりとか、言ってしまえばカッコ悪い考え方なんです。宏のそういう考え方は全部ぼくに近いと思います。
―― 劇中で宏が言われるセリフに「背の低い子とキスするときはどうするの?」というのがありますね。監督も身長がお高いですが、あのセリフは実際に言われたセリフなのでしょうか?(笑)
松永:アハハ(笑)。残念ながら言われたことはないですね(笑)。あのセリフはたしか真衣役に杉咲(花)が決まってから入れたのかな? 洋次郎と杉咲が並んでいるのを見て「この人物だから言える言葉ってなにかな?」と考えて作ったセリフだったと思います。
―― そのセリフを言うヒロインの真衣は、先ほど主人公の死を「受け取る人」だというお話がありましたが、どういう存在としてキャラクターを作っていったのでしょうか?
『トイレのピエタ』より。余命宣告を受けた宏は、杉咲花さん演じる真衣とともにバイクで走り出す……。
松永:ある種のぼくの中での理想像というか「こうあれたらいいな」ということだと思うんです。やっぱり、こんなぼくですら日常生活でやっていいこととやっちゃいけないことの分別は持っているというか、誰かを傷つけないように言葉を選んだりしているんですよね。きっとみんなもそうで、それを成長と呼ぶのかはわからないんですけど、社会で生きていく中で分別のある考え方をするように変わっていくんだと思うんです。でも、真衣はそうじゃなくて、無責任なことを言えたり、思った通りのことが言える。それは生きにくいかもしれないけど、すごくいいなと思うんです。世の中には目に見えない越えられない壁がいっぱいあるので、それを打ち破るのってむちゃくちゃなパワーが必要で、そういうパワーを持っている人にしたかったんです。真衣は宏に向かって「死ね」って言ったり「生きろ」って言ったり、言っていることはメチャクチャだし、きっと自分自身でもわからないんですよ。わからないんだけど、まずは想いを口にするみたいなことなんですよね。そういうことができる人って少ないから、そういう人が園田宏という面の皮が厚くなった人をぶち壊していくといいなと思ったんです。
―― 真衣役に杉咲花さんを起用された一番の決め手はどんなところだったのでしょうか?
松永:決め手は、中に抱えているパワーと、野田洋次郎という人との化学反応だと思います。真衣の役は1年かけてオーディションをやらせてもらいまして、その中で何人もの人と会わせてもらって、杉咲とは全部で4回くらい会っていると思います。それで、最後のオーディションのときには、洋次郎には申し訳なかったんですけど「ちょっと来て見ててよ」と言ってオーディションに来てもらっていて、最終オーディションに残った方とは全員と一対一でエチュード(※即興の演技)をやってもらったんです。そのときの洋次郎と杉咲の反発の仕方というか、影響のされあい方がほかの方よりも深かったというか、すごかったんですね。だから、真衣という役に合う合わないにプラスして、野田洋次郎という人とどう反応しあえるかというのがこの映画にとってはとても大きなものだったので、そのふたつが理由ですね。
―― 真衣の行動で印象的なものとして、予告編にも使われているプールの金魚のシーンがありますが、あれと同じような出来事(※)が実際にありましたよね?
松永:そう、あったらしいんですよ。でも、それはシナリオを書いているときには知らなかったんです。シナリオを書いてから誰かに「こういう事件があったんですよ」って言われて「ええっ?」って(笑)。それで、真似したと思われるだろうから1回シナリオから外したんですよ。そしたらプロデューサーが「なんで外したの?」と言うので「いや、実際にこういう事件があったらしいので」と話したら「だったら、なおさらいいじゃん」と言われたので、そんなもんかなあって(笑)。
―― では、実際の出来事をヒントにしたわけではなかったんですね。
松永:そうなんです。すごいビックリしました。中学生が「一緒に泳ぎたかったから」みたいな理由でプールに放ったらしくて、意外とやろうとする人はいるんだなと思いましたね(笑)。
―― あの真衣の行動というのは、先ほどお話に出た分別を持たないところというのを象徴的に見せた部分なのでしょうか?
松永:そうですね。あとは、プールに放ってしまうことの解放感というか、金魚たちもプールの水の中ではそんなに長くは生きられないかもしれないけど、でも数日間だとしても大きなプールの中で泳いだほうが幸せなんじゃないかみたいな、どこまで描けたのかはわからないんですけど、そういう発想もありました。
- ※:2012年8月、埼玉県狭山市の中学校のプールで数百匹の金魚が泳いでいるのが見つかり、4人の女子中学生が「祭で貰った金魚を放した」と名乗り出る事件があった。「一緒に泳げば楽しいと思った」のが動機だったと報道されている。
「人生は自分の価値観でどう思ったかということが本当に大切だと思うんです」
―― もうひとり重要な登場人物として、リリー・フランキーさんが演じる同室の患者の横田さんがいますが、横田さんに関してはどんなキャラクターとして作られたのでしょうか?
松永:横田さんは、宏とも真衣とも違う人間だと思っていて、なんか「そこに存在しているんだけど意外と実が見えない」というか、どう思っているのかわからない人がいいなと思っていたんです。ひとつ「無礼である」ということはあって、勝手に人の心の中とか領域に入ってきてかき乱していく、真衣とは別の意味での変なパワーを持っている人ですね。大人なんだけどスルッとそこにいるというか、気がついたらうしろにいるみたいなイメージで、苦しみを持っているのかとか楽しみを持っているのとかもわからない。どんな人なのか、奥さんがいるのかどうかもわからない、そういう人がいいなと思っていました。でも、実はその人はその人なりに抱えているものがあって、それはほかの人にはなかなか見えないという、そういう人ですね。
―― リリー・フランキーさんはほんとにはまり役だと感じたのですが、リリーさんが演じられることは最初から想定されていたのですか?
松永:これはですね、ほかの登場人物はそうではなかったんですけど、横田さんだけはシナリオを書いているときからぼくの中ではずっとリリーさんが喋っていたんです。だからある意味で当て書きですね。リリーさんと面識があったわけでもないですし、オファーを出していたわけでもないんですけど、ただ、ぼくの中ではリリーさんが喋っていました。だからプロデューサーにも最初から「この横田さんという人はリリーさんのイメージなんです」という話をしていて、リリーさんにお手紙を出させてもらって、お願いをしたんです。
―― この作品は、生きる死ぬの“生”を描いていると思ったのですが、同時にセックスの“性”も描いているように思いました。横田さんの存在は、その“性”の部分を強調しているように感じます。
松永:それはありますね、卑猥なところというか、すごい本能的なエロさも持っているなと思って。病院でも女の人の写真を撮ったりとか、この人が生きていくことの興味ってこれしかないんじゃないかくらいの(笑)。やっぱり、そういうところを持っているのもすごくいいなと思っていたんですよね。
―― 横田さんが作品に「生々しさ」をもたらしているように感じたのですが、もうひとつ生々しさを感じるところがあって、それは映画の冒頭に近い部分での宏の抗がん剤の副作用の描写なんです。
松永:やっぱり、フィクションですけど、患者の苦しみとかってやっぱり生々しくないとダメなんじゃないかと思います。入院中の自慰行為のところも含めて、生々しいところがどこまで見えてくるかで「この人が生きている」ということが如実に見えるところだと思うので、そういう部分はしっかり描きたいなと思っていました。それは、もしかしたらぼくがドキュメンタリーをやっていることに大きく起因しているかもしれないです。
―― やはり、副作用も含めて、入院中の描写はかなり取材をされたのでしょうか?
松永:本はすごい読みましたね。それから実際に看護師をやっている友達がいるので副作用のこととかはいろいろ聞きました。もちろんお医者さんにも話を聞きましたし、監修みたいなかたちでシナリオを読んでもらっています。
―― 『トイレのピエタ』という作品が伝えるものとして「生きる」ということがあると思いました。この映画が描く「生きる」というのがどういうことなのかを、最後に聞かせてください。
松永:そうですね……。これはぼくが感じていることなんですけど、自分が幸せかどうかを自分の価値観だけで決めることができている人ってあまりいないと思っているんですよ。たとえば、収入が多いか少ないか、家族がいるかどうか、結婚しているかどうか、彼女とか彼氏がいるかどうか、長生きしたかどうか、そういう相対的なことで自分が幸せかどうかを決めている。要するにマイノリティじゃないところにいる人が幸せだと考えて、そこに行こうとする人たちが多いと思うんです。でも、ぼくたちの人生は自分の価値観でどう思ったかということが本当に大切だと思うんです。だから、ぼくは28歳で死ぬ男が不幸だとは思わないんです。80歳まで生きても不幸な人はいると思うし、自分の価値観の中で「これでいいんだ、幸せなんだ」と思えることを見つけられるといいなと思っています。ほかの人からしたらまったく見向きもされないようなことでも、自分の人生でなにか大切にしたいものがあって、それを大切にできたらいいんじゃないかって。それを強く持っていれば、人生が豊かになるんじゃないかなと思います。すごく理想論です。でも、そういうのってあっていいですよね。
(2015年4月23日/ユニバーサル ミュージックにて収録)