『Dressing Up』安川有果監督インタビュー
自分の将来を思い描くことのできない中学1年生の少女・育美。父親とふたり暮らしの育美は、自分が幼いころに死んだと聞かされていた母親が書き残したメッセージを見つけ、母の過去を追いはじめる。そして――。
『Dressing Up』は、撮影時25歳だった新鋭・安川有果監督の初長編監督作品。主人公の育美役に2000年生まれの女優・祷(いのり)キララさん、その父親役に映画監督としても知られる鈴木卓爾さんを迎え、亡き母を追う中で変容していく少女の世界が描かれていきます。
映像制作者の人材発掘をおこなうCO2(シネアスト・オーガニゼーション大阪)の助成を受けて2012年に完成した『Dressing Up』は、2013年の第14回TAMA NEW WAVEグランプリ&ベスト女優賞獲得などの高い評価を得て、完成より約3年を経ての一般公開を果たします。
特定のジャンルにはカテゴライズできない独特の感触が観客を強く惹きつけ衝撃のクライマックスへと向かう『Dressing Up』。この作品が生まれた背景を安川監督にうかがいました。
安川有果(やすかわ・ゆか)監督プロフィール
1986年生まれ、奈良県出身。大阪美術専門学校デザイン学科で映像制作を学び、監督2作目の短編映画『カノジョは大丈夫』(2010年)が若手女性監督の作品を上映する企画「桃まつり Presents うそ」の1本として劇場公開される。2011年にCO2の助成企画に応募し、助成作品に選ばれた『Dressing Up』が2012年に完成。2014年には監督作『激写!カジレナ熱愛中!』が青春Hシリーズ第38作として劇場公開された。現在、新作長編映画の準備中。
「私は“空気を読む”みたいな言葉がどうしても嫌だなと思っていたんです」
―― プレス資料を拝見すると『Dressing Up』は、過去に実際にあった殺人事件が発想のもととなっているそうですね。
安川:そうなんです。私は関西出身なんですけど、私が小学生のときに神戸で中学生が起こした事件があって、それがものすごくインパクトに残っていたんです。でもそれをずっと映画にしたいと思っていたわけではなくて、この話を考えた時期に私はアルバイトをしていて、すごく忙しい店で、そういうところではあまり感情を露わにせずに物事を進めたほうがいろいろスムーズに行くんだなと思っていて、そうやって感情を押し殺すことによって感情を爆発させるような事件が起こることもあるんじゃないかというふうに思っていたんです。そのときに神戸の事件のことを思い出して、自分が生きていて感じていた当時の実感と、その事件のことが結びついて、こういう話になりました。
―― それを母と娘の話として描いたのはなぜだったのでしょう?
安川:最初は父と娘というふうに考えていたんです。父親が脳に損傷を負ってしまうことで暴力衝動みたいなものが芽生えるようになってしまって、その父親が自殺して、というような設定を考えていたんですけど、娘が過去に迫っていって自分を見失うくらいに接近していくという話にするには、もしかしたら娘にとっては母親のほうがインパクトが強いんじゃないかと思って、それでけっこう撮影が近くなってからお母さんに変更したという感じですね。
―― 主人公を少女にするというのは最初から決められていたんですか?
安川:自分が女性を描きたいという気持ちがものすごく強くて、なぜかという理由を考える間もなく(笑)、最初から女の子という状態でした。
―― では、少女が主人公というのはごく自然にそうなっていったわけですね。
『Dressing Up』より。祷キララさん演じる主人公・育美
安川:そうですね。それと、この話は人の気持ちと共感して一体化してしまうという話なので、男の子よりも女の子のほうがそういう可能性があるんじゃないかというふうに漠然と思っていました。人の気持ちを想像する力というか共感する力というのは女性のほうが強いんじゃないかと思ったんです。
―― 中学1年生という主人公の年齢設定に理由はあるのでしょうか?
安川:この話を考えた時期は、自分も「将来どうしようかな」みたいな悩みを抱えていた25歳で、あまりそういう25歳を描きたいと思わなかったんです(笑)。なので、そういう将来の夢について悩みはじめる最初の段階というか、ちょっと大人になりかけている段階の少女にしようと思って、世界解釈みたいなものがまだ定まっていない中で母親の事件を知ったことで、母親の世界解釈が自分の世界解釈になっちゃうみたいな、不安定な時期にある少女にしようかなと思いました。
―― 主人公の育美について、どういう人物として描こうと考えられていたのでしょうか?
安川:あまり感情移入ができにくい人物なのかもしれないですけど、自分ではもうちょっと普遍的な部分もあるというふうに思っていて、母親のことを知りたいとか、自分の将来がわからないとか、だれでも抱えている気持ちだと思うんです。特にいまは先行きが見えなくて不安を抱えている時代だと思うので、そういった空気を代表する存在にしたかったという感じですね。だから、特殊な状況に置かれているかもしれないんですけど、抱えている気持ちというか行動原理みたいなものは普遍的だというふうに思って作りました。
―― 育美は、周囲に無関心というわけではないですが、学校の中では周りがどうであれ自分は自分というスタンスの人物ですね。
安川:それはかなり意識していたことで、私の世代って「空気を読む」みたいな言葉がはやった時期だったんですけど、私はその言葉がどうしても嫌だなと思っていたんです。私自身も学生のときにキャラクターみたいなのがあまり定まっていなかったというか、すごい明るい日もあればぜんぜん違うような日もあって(笑)。そうすると、周りが「この子をどう扱っていいのかわからない」みたいになってしまって、なにか不穏な存在に思えるみたいなんですね。位置づけできないというふうに思われちゃうみたいで、そうすると排除されそうになったりというふうな経験が自分自身にもありましたし、周囲を見ていてもそういうことがあるなと思っていたので、それは意識していました。みんながイジメっ子になにも言えない中で、自分の信念を貫くような女の子というふうに思っていました。
「祷キララさんは“自分がこうすべきだ”というのを天才的に感じ取ってやってくれていたと思います」
―― 主人公の育美は祷キララさんが演じられていますが、祷さんをキャスティングする決め手となったのはどんな部分でしょうか?
安川:まず、私が彼女が出ている映画を観ていて顔が好きだったというのが単純にあります(笑)。黙っていてもなにかを感じさせる、収まりきっていない感じがすごく魅力的だなと思っていたんです。この役は、やっぱり役に説得力のあるような迫力のある子がいいなと思っていてオーディションもしていたんですけど、なかなか「この子だ」という子が見つからなかったんです。それで、彼女にオーディションに来てもらってセリフを読んでもらったら、あんまり演じようとせずにそのままで芽生えた感情みたいなのを大事にしてくれる人だと思って、それがまさに求めていることだったんです。技術的な部分ではわからない部分もあって、まだ拙い部分もあったとは思うんですけど、相手に対して反応するということがものすごくできる人だったので、そこが決め手でしたね。
―― この作品を発想した時点で主人公役に祷さんを想定していたわけではないんですね。
安川:でも、チラッとは想像していました。彼女自身はものすごく優しい元気なかわいい女の子なので、この役とはほど遠いイメージなんです。なので、主人公の友人の少女の役も探していたので、その役のセリフも読んでもらったら、そっちもすごくしっくり来たんですね。それで、その役のほうをやってもらうか迷って、でも表情に惹かれて主人公で行ってもらおうと決めました。本人の資質的には友人役のほうが近いと思うんですけど。
―― 現場での祷さんは監督の目から見ていかがでしたか?
安川:やっぱりオーラがすごくあって、それはカメラマンの方(四宮秀俊氏)も「小学校のときクラスメイトに彼女がいたら絶対に話しかけられないよなあ」って言っていたくらいでしたね(笑)。役作りをしていくというよりも、現場の空気を感じ取って「自分がこうすべきだ」というのを天才的に感じ取ってやってくれていたと思いますね。撮影のときは彼女は小学6年生だったんですけど、小学校最後の冬休みを丸ごと使って来てくれて、まったく弱音も吐かずにやってくれました。
―― 育美の父親役の鈴木卓爾さんについては、どのような経緯で出演されることになったのでしょうか?
『Dressing Up』より。鈴木卓爾さん演じる父親・友則と育美
安川:お父さん役もオーディションで探していたんですけど、すごくいいお父さんに見えすぎちゃうか、すごく悪いお父さんに見えてしまうか、両極端しかできないという感じの人ばかりだったんです。お父さんに関しては、娘のことを思っているのはウソではないんだけどどうしてもウソに見えてしまったり、不穏な空気を漂わせないようにして傷つけないようにしようとすることが逆に傷つけてしまうというような、すごく引き裂かれたような状態にあるような人なので、そういう複雑な部分を出せる役者さんがいいなと思っていたんです。そういう役者さんがいないかとカメラマンの方に相談していたら、カメラマンの方が鈴木卓爾さんとよく仕事をされていて「ダメ元で聞いてみるか」みたいな感じで聞いてみてくださって、脚本を読んでいただいたら承諾をいただいたんです。私も以前から鈴木さんが出られている作品をたくさん観ていて大ファンでしたし、鈴木さんだったら絶対に表現してくださるだろうと思ったので、ぜひお願いしたいと思いました。
―― ほかにメインの登場人物として育美の同級生の少女・長谷と少年・本多がいますが、ふたりは育美とは違ってどちらかというと「空気を読む」人物ですよね。ふたりのキャスティングはどのように決まったのでしょうか?
安川:長谷を演じてくださった佐藤(歌恋)さんは、すごく周りに気を遣って自分ができることを精一杯やろうというがんばり屋さんの女の子なので、そういう資質が役にピッタリだったのと、そういうところが主人公にとっては偽善のように見えてしまうというような複雑なところも理解してくれる賢い子だったんです。彼女もオーディションで選ばせていただいたんですけど、キララちゃんとの相性もよかったので彼女に決めました。
本多役の渡辺(朋弥)くんは、背が高いのにイジメられっ子という役なんですけど、イジメられてもなんとなく受け入れちゃうような諦念みたいなものをあの年齢で出せるという不思議な子だったので、なにが起こっても受け入れてしまうみたいな役を演じられるのが渡辺くんしかいなかったという感じですね。
―― いまも「本多が背が高いのにイジメられっ子」というお話がありましたが、ほかの同級生も含めて「いかにも」というタイプのキャスティングではない印象を受けました。
安川:それは意識していたかもしれないですね。たしかにイジメっ子も背の小さい男の子で、イジメっ子って身体が大きくてとかそういうことではないなと思っていて、なにかカリスマ性とか本人の抱えている飢餓感みたいなものがそうさせると思っていたので、ルックス的なものにとらわれないでなにか抱えているような人を選んだというところですね。
「“フィクションってなんなんだろう”ということについてものすごく考えて作った話だったんです」
―― この映画のひとつの特徴となっているのが、ホラー映画のような手法を用いられている部分だと思うのですが、あの手法はどのような意図で取り入れられたのでしょうか?
安川:このお話は主人公の女の子がお母さんを真似して自分をフィクション化していくみたいな話であったし、さらに私にとっては初めての長編作品だったので「フィクションってなんなんだろう」ということについてものすごく考えて作った話だったんです。ヒロインが自分を虚構化していく中で、そしてお母さんが残したメッセージがどういうことなんだろうかと考える中で、少女の中での想像力がああいう映像みたいなかたちになって出てくるという、ジャンル映画みたいなかたちにしたかったんです。
―― 主人公の少女は母親の残したメッセージを映像で描かれたようなかたちで解釈してしまうという、主人公の幼さを象徴的に見せているとも受け取れる表現ですね。
安川:そうなんですよね。だから、いろいろなフィクションを浴びきっている中で、少女の中でうまく想像できなくて、はっきりしたかたちで出てくるというのが面白いかなと自分では思ったんです。周りからは「身も蓋もない」って言われたんですけど(笑)。
―― ただ、内面の表現だと言い切れないようにも見えて、そこが観る方によって解釈が分かれるところかなと思います。
安川:そうですね、そういうところは、もう現実とか夢とかがあやふやになっているというふうに自分では思っているんです。
―― ホラーというかジャンル映画的な手法はクライマックスが一番顕著ですが、それ以外でも随所に取り入れられているように感じました。監督ご自身ジャンル映画はお好きなのでしょうか?
安川:好きですし、自分がジャンル映画を作れるようになれたらいいなとは思うんですけど、この映画でジャンル映画を作ろうと思っていたわけではなくて、ジャンル映画について研究したかったというところはあるんです。そういう映画をたくさん観たので、構造とか参考にしているとは思います。
―― 監督ご自身は、この作品がホラー映画とかジャンル映画と見られることに否定的なわけではないんですよね。
安川:それは全然ないですね。自由に楽しんでもらえたらありがたいというふうに思っています。
―― この作品は2011年に企画がスタートして2012年に完成、今回の公開までに約3年ほど経っていますが、監督ご自身の中で完成した直後といまとで作品の見方に変化はありますか?
安川:できあがった直後はこんなにハキハキと喋れなかったと思うんです(笑)。たぶん、わかっていない部分もたくさんあったと思いますし、いまだから振り返って冷静に話せている部分もあると思います。でも、いまこうして喋っていることと、脚本の段階で考えていたこととは変わっていないと思うので、この作品に対する見方がなにか大きく変わったということはなくて、この作品でやりたかったこととかはいま思い出しても当時と同じ意見になるというところがあるんです。この作品のテーマは自分でずっと興味があることですし、やっぱりこの作品は必然というか、最初がこの作品でよかったなというか、この作品があっての今後の作品になっていくだろうなと思える作品です。
―― 2013年に「CO2東京上映展2013」での上映に合わせて再編集をされたということなのですが、どういう部分に手を加えられたのでしょう?
安川:最初は編集の期間が2週間くらいしかなくて「もうちょっとできたんじゃないか」という後悔があったので、もう1度「もっといい演技のテイクがあるんじゃないか」とか素材を全部見直して違うテイクを使ったりとか、あとは最初は音楽がけっこう散漫に入っていたんですけど「ここは音楽がいらないんじゃないか」とか、統一させるというのを意識して作り変えました。それで、最初からは2分くらい短くなっています。
―― 『Dressing Up』というタイトルは最初から決められていたのでしょうか?
安川:はい、最初に企画を出す時点でタイトルを付けなくてはいけなくて、私はタイトルを付けるのが下手くそで、なかなか思い浮かばなかったんです。それで、その時期にたまたま聴いていたThe Cureというイギリスのバンドの曲に「Dressing Up」という曲があって、そのタイトルの「Dressing Up」というのはどういう意味だろうと思って調べてみたら、いろいろ意味はあるんですけど「仮装遊び」という意味が書いてあって「これじゃん」と思ったんです。お母さんを真似していく話だし、過去の出来事を自分で体験していくという話なので、これがいいんじゃないかと思って。でも、横文字のタイトルってお客さんが入らないと聞いていたので最終的には変えることになるだろうと思っていたんですけど、最後までこのタイトルのままになりました。
―― いまThe Cureの曲が由来だとうかがってすごく納得できたというか、作品全体の雰囲気もThe Cureの音楽に通じるものがあるように思いました。
安川:それはめちゃめちゃ嬉しいですね。その時期に聴いていたことも、もしかしたら話の中に出たのかもしれません。
―― それでは最後に、公開を前にしての心境をお願いします。
安川:ジャンル映画とも言い切れず、なんと言っていいか難しい作品ではあるんですけど、最初のほうにお話したように、将来が見えなかったりする不安であるとか、誰かのことを強く想って知りたいという気持ちであるとか、そういう普遍的なものを描いている作品です。なので、ホラー映画みたいなジャンル映画が好きな方だけでなく、幅広い方に観てもらえたら嬉しいなと思いますし、ぜひ感想を聞かせてもらえたらなと思います。
(2015年7月31日/イメージフォーラムにて収録)
Dressing Up
- 監督・脚本:安川有果
- 出演:祷キララ 鈴木卓爾 ほか
2015年8月15日(土)よりシアター・イメージフォーラムにてレイトロードショー