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『函館珈琲』黄川田将也さんインタビュー

インタビュー写真 北海道、函館。「原石」のような若者たちが集まるアパートメント・翡翠館に、木製の丸椅子を携えた青年・桧山英二がやって来た。翡翠館の蔵で古本屋を開くことになった桧山は、実は新作が書けなくなってしまった小説家。翡翠館の人々と函館の短い夏を過ごす中で桧山はなにを見つけるのか……。
 函館で開催される函館港イルミナシオン映画祭は、20周年を迎えた2015年、函館を舞台に映画を創る「シナリオ大賞映画化プロジェクト」をスタートさせました。その第1弾となるのが、黄川田将也さんが主演をつとめる『函館珈琲』です。
 いとう菜のはさんの脚本を西尾孔志監督のメガホンで映画化した『函館珈琲』の中で、黄川田さんは主人公・桧山英二として“生きる”ことでその苦悩や葛藤を表現。桧山というキャラクターに等身大の人間としての息吹きを吹き込んでいます。
 コーヒーのようにほろ苦くも芳しい『函館珈琲』は、黄川田さんの新たな代表作となるに違いありません。黄川田さんの演技への姿勢や人生観がうかがえる言葉から、黄川田さんが『函館珈琲』の世界でどう“生きた”のかを感じてください。

黄川田将也(きかわだ・まさや)さんプロフィール

1980年生まれ、埼玉県出身。2000年に『ホワイトアウト』(若松節朗監督)で映画デビューし『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』(2003年/深作欣二、深作健太監督)、『狼少女 〜Day After Tomorrow〜』(主演:2004年/大滝純監督)などに出演。仮面ライダーシリーズの原点をリファインした『仮面ライダー THE FIRST』(2005年/長石多可男監督)『仮面ライダー THE NEXT』(2007年/田﨑竜太監督)で主演をつとめ話題となる。ほか『クローズド・ノート』(2007年/行定勲監督)、『真夏のオリオン』(2009年/篠原哲雄監督)、『前橋ビジュアル系』(2011年/大鶴義丹監督)、『恋とオンチの方程式』(2014年/香西志帆監督)などジャンルを問わず多くの作品に出演。「風のハルカ」(2005年・NHK)、「Strangers6」(2012年・WOWOW,CX)、「八重の桜」(2013年・NHK)などテレビドラマ出演も多い。また「風が強く吹いている」(主演:2009年)、「ポン助先生」(主演:2010年)、「たとえば野に咲く花のように」(2016年)など舞台でも活躍中。
今秋放送の連続ドラマでは主人公の相手役でレギュラー出演。

「難しいんですけど、俳優としてやりがいがあるなって思いました」

―― 『函館珈琲』は函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞から生まれた作品ですが、最初に脚本を読まれたときはどのようにお感じになりましたか?

黄川田:「なんて優しい物語なんだ」というのが第一印象でした。でも、そこから脚本もどんどんどんどん変わっていって、決定稿の前までは、説明がされている部分が多かったりとか、キャラクターを引き立たせるような言葉がいっぱいあったんですけど、決定稿ではそういうところがなくなっていったんです。だから、決定稿を読んだときに「ぼくが映画の中で生きなければ、なんの意味もない作品になってしまうんだろうな」と思いました。たとえば、ぼくの演じた桧山英二がなぜ椅子を持っているのかとか、なぜ小説が書けなくなったのかとかは書かれていないので、お客様に与える情報がぼくの肉体でしかないんです。なかなか難しいんですけど、「なぜ」の部分を埋めて行くのが俳優としてやりがいがあるなって思いました。

―― 黄川田さんが演じた桧山英二という人物について、脚本を読んだ段階ではどのように捉えられていましたか?

黄川田:小説で賞を獲って成功して、でもその次が書けなくなった人物というと、ちょっとスペシャルな感じがすると思うんです。だけど抱えているものはそうでもないと思うんですね。誰もが感じたことのあるチクッとした部分だったり、ガサガサする部分を持っている。なんか、特殊というかスペシャルな部分みたいなものを削りたかったんです。どこにでもいる普通の人だし、悩みも普通の人だし、やって来たことも普通の人だというのを一番気をつけて演じました。

―― 作品を拝見して、桧山は「書けなくなった小説家」という設定から想像するイメージとは少し違うキャラクターだと感じて、黄川田さんがご自身に役を引き寄せていったのかなと思ったのですが、実際にはいかがでしょうか?

黄川田将也さんインタビュー写真

黄川田:ぼく的には、なるべく自分に近くないようにすることで映画の中では桧山に近づくと思っていたんです。やっぱり、さっきお話した「誰もがわかる悩みだったり苦しみ」というものを黄川田将也でやってしまったら黄川田になってしまうと思うんです。だから、ぼく自身にはちょっと理解できない部分だったりも芝居に入れたりすることで、結果として役と寄り添うかたちになるんじゃないかというのがあったので、ぼく寄りにするというよりは監督の世界に近づいていこうと。ぼく寄りにすることって演じる上ではけっこう簡単だったりするんですよ。でも、そこは監督の世界に行くという感じでしたね。

―― 西尾孔志監督とは役についてのお話し合いはずいぶんなされたのでしょうか?

黄川田:すごくしました。けど、俳優と監督と「作る」ということは一緒でも山の登り方が違うので苦労したところはあって、たとえばぼくは「カメラの前で生きるためにはある程度作り上げてきたものがないと何者でもなくなる」って考えていても、監督はまた別の考え方をされていたりするんです。だから、監督もぼくに歩み寄ってくださいましたし、ぼくも監督に歩み寄っていったんです。「監督はどういうことを目指していますか?」と監督の考えをうかがって「あっ、こういうことですね。それはぼくが間違えていました」ということもありましたし、ぼくが「でも、ここはどうしてもこういうふうにしたいんです」と言って、逆に監督が「なるほど、俳優さんはこう思うんだね。じゃあそうしようか」みたいに、なにが正解かというのを試しながらやっていく感じでした。

―― 先ほど「普通の人だということを気をつけていた」というお話もありましたが、ほかに桧山を演じる上で意識されたことはありますか?

黄川田:うーん……「捨てるところと拾うところ」みたいなことですね。人って自分の中で「もうこれは自分の世界には必要ない」みたいに排除して生きていくと思うんですけど、その中でも「やっぱり大切なんだ」と思ってまた拾うものもあるというのはすごく意識していました。映画の後半で、桧山が動かなくなったバイクをひとりで直してエンジンをブルルンとかけるところがあるんですけど、ぼくはそのシーンを「赤ちゃんの泣き声のようなシーンにしてほしい」とお願いしたんです。まず「ぼくのプランはこうなんです」という話をして、監督も「そういうことなら、このシーンはここをこうして」という感じでやったんです。だから「何度でもおぎゃあと言いなさい」というか「失敗してシュンとしても、次の日にはまたもう1回おぎゃあと生まれるかもしれない」という、そういうことはこだわりたかったというのはありますね。

「撮影の期間は、函館の街に助けられたという感じです」

―― 今回はオール函館ロケで、黄川田さんは函館で映画を撮影されるのは初めてですよね。函館の印象はいかがでしたか?

黄川田:映画の中で「時間の流れ方が違う」というセリフがあるんですけど、ほんとにそういう感じでしたね。街灯もオレンジ色で、なにか許されている感じがするんですよね。新宿とか渋谷とかのきらびやかな光って、いいときはいいんですけど、気分が乗っていないときってちょっと否定されてる感じがしません? 函館の光はそうじゃなくて、なんでも受け入れてくれるような光だなって。街もそういう感じだし、人もそういう感じだし、落ち着いたら、この映画のキャストたちと一緒に函館に行きたいというくらい好きですね。

―― 演じるにあたって、函館というロケ場所が影響した部分はありますか?

黄川田:函館が「映画を創りたくなる街」だというのは聞いていて、でも初めて行くところだから「どんなところなんだそれは?」って思っていたんですけど、たしかにそうだなって。なんて言うんだろうな……人の人生と同じ時間が流れている感じがして、だから焦ることもないし、立ち止まりすぎることもないというか、すごく自然な空気なんだろうなって。だから、ぼくがなるべく黄川田ではなくて桧山として存在していようとしていた期間は、なんのストレスもなく、この街に助けられたという感じですね。

―― 映画の主な舞台となる翡翠館は、実在する建物を利用して撮影されているそうですが、あの建物に入られたときはどんな感じでした?(※明治期建造の店舗を改修したコミュニティスペース「港の庵」で撮影)

『函館珈琲』スチール

『函館珈琲』より。黄川田将也さん演じる桧山英二は、翡翠館の蔵で古本屋を始める

黄川田:もう、興奮しましたね。美術の小澤(秀高)さんという大ベテランの方が完璧に翡翠館にしてくださっていたんです。やっぱり、台本では「蔵に住む」とか「一子(※翡翠館の住人のひとり)の部屋をノックする」とか「蔵から覗く」と書いてあっても「この台本はどんなところで成立するんだろう?」というのは思っていたんです。それが、翡翠館を見たときに「あ、なるほど!」と。なんの違和感もなくて「ぼくはここで桧山がいた時間を生きるんだな」という感じでした。だから、終わるときがすごく寂しかったです。片付けていく様子を見ていると、ぼくのものがどんどんなくなっていくのが「うわー、嘘だろ!」って(笑)。ほんとに悲しくなりましたね。たぶんキャストはみんなが同じようなことを感じたと思います。ぼくがけっこうクランクアップが遅くて、みんなは徐々にクランクアップしていって、自分の部屋が片付けられていくのを見ているというのは、すごく印象深いですね。

―― 先ほどほかのキャストの方々と「一緒に函館に行きたい」というお話もありましたが、共演者の方々の印象はいかがでしょうか?

黄川田:もう、これだけまっすぐな俳優がひとつの現場で揃うのは、なかなかないんじゃないかなと思いました。自分たちがやらなくてはいけないもの、お客様に見せるものとしてどうするのが一番いいかということを感覚でわかっている人たちだったんです。この映画は大きな事件があったりする話ではないので、ぼくたちの関係性とか距離感、アイコンタクトとか呼吸みたいなもので変わっていくところを見せられなければ、物語を見せられないんですよ。ただ台本に書かれた通りに淡々とやってもお客様に見せられるものにはならないような気がするというか、文字では書かれていない微妙なことをやるから観てもらえるものになるんじゃないかなと思っていて、だからインしてすぐにみんなでご飯に行って、会議ですね。「俺はこの作品をこう考えている」「私はこう考えている」「俺はこう」というのをみんなで持ち寄って「その山を登るにはこうしたらいいんじゃないか」というようなことを話しました。それで、楽屋でも本当の名前は呼ばずに役名で呼んで、しかもその役が言いそうなことで会話をするというエチュードに近い感じをぼくからみんなに振っていたんです。たとえば「昨日なに食べた?」とか言うと、Azumi(※翡翠館の住人・佐和役)は本当はお魚を食べたかもしれないんですけど、佐和として「ラーメン」と答えたりというのを自然にやっていて、そのままカメラの前に行くという感じでしたね。

―― では、撮影期間はみなさんずっと翡翠館の住人だったと。

黄川田:はい、そうです! みんなが住人になろうとして、それを誰も面倒だと思っていなかったんですよね。やっぱり撮影期間はそんなに長くないので、その中でそういう関係性を作ろうとしても難しくて、どこかで壁を作ったり鎧を着たりするんですけど、そういうことではこの作品はダメだなというのが誰もがわかっていたんです。だからぼくは初日に「ぼくは裸になるので、みんなもなってください」と話して、みんなも賛同してくれたという感じでしたね。ぼくはわりとそういうことを仕掛けるほうなんですけど、それが受け入れられないこともありますし、期間とか撮影の状況とかで叶わないことも多いんです。今回は、キャストみんなで合宿のように撮影できたからよかったんだなと思います。

「試写会も何回も行っていて、毎回観るところも、感じることも違うんです」

―― 黄川田さんは、今回の桧山のように青年らしい悩みを抱えた役を演じる機会も多いと思いますが、そういう役を演じるのはどんな感覚なのでしょうか?

黄川田:自分が日々悩んで生きているからすごくリアリティがあるというか、嬉しいですよね。ぼくにとって「お芝居をする」ということが「人生を知る」ということに近くなってきていて、だから「黄川田はこういうときにこう考えるんだけど、このキャラクターはこう考えるのか」みたいに、人がどう考えたりとか、周りがどう動くのかということを作品を通じて知っていっている部分があるんです。苦悩みたいなものがない役もいいですけど、悩む役のほうが人として得られるものは多いような気がするんです。

―― 作品ごとにそれぞれ違った役を演じてその役の人生を体験していって、今回演じた桧山英二も含めて、それぞれの役に対してはどのような想いを抱かれるのでしょう?

黄川田:すごく仲がいい演出家さんに言われたことがあるんですけど、ぼくは自分が演じる役のことを愛しすぎて正当化する癖があるんですよね。言われたときに「たしかにそういう節はあるな」と思って、自分が演じる役が最低なときとか悩み苦しんでいるときに「でも、あいつにもいいところがあるんだよ」とか「あいつはこういうことがあってこれだけ苦しんだんだよ」って、ちょっとムキになっちゃう部分があるんです。でも、ときには客観的に「だよね、あいつ最低だよね」みたいに鼻で笑ったり、自分でブーイングできたりするくらいじゃないと俳優として広がっていかないとその演出家さんに言われて、それが自分では衝撃だったんです。だから、今回も桧山のことはわかるんだけど頭を撫ですぎないというか(笑)、その距離感みたいなものは意識して演じました。

―― いま、こうして作品が完成して、客観的に桧山英二という人物を見てみると、どんな人物に見えますか?

黄川田将也さんインタビュー写真

黄川田:「ダセえな」って(笑)。でも、それは「ダサかわいいな」っていう感じですね。だからすごく愛おしいし、なんて言うんだろう……ちょっと「グダグダ言わずにやれや!」って言いたくなるというか(笑)。もし自分の友達にいたら、飲みに連れていって、1回記憶をなくすまで飲んでみたらって(笑)。桧山はそれくらい丁寧に考えちゃっているから「ちょっとは雑に」っていう感じですね。というのも、函館はそれを許してくれる街だから。

―― そういう桧山という役と黄川田さんの間に、共通点とか、あるいは逆に「ここは絶対に違う」というところはありますか?

黄川田:共通点はすごく多いですね。自分のことをよくわかってなくて、すぐイライラするっていうのは似てるかもしれない。モヤモヤの実体がわからないから「うー」ってなるっていうか、実体がわかればそのことを考えないようにするとかそこから逃げるとかできるんだけれど、なにか実体がわからずに状況を変えられないで苦しくなったり息が詰まるというのはすごく似ているかなと思いますね。違うところは、ぼくは小説を書けるほど言葉を知らないっていう(笑)。だから、そこは素敵だなと思うというか、憧れますね。書く人って世の中に言いたいことがあるから書いているんですよね。それだけ言いたいことがあるというのは羨ましかったりします。

―― 『函館珈琲』の中で、黄川田さんがお好きなシーンというとどこになるでしょう?

黄川田:いろいろ気に入っていますね。(少し考えて)……バイクが直ったあとのみんなの顔が好き。あそこはすごくリアルというか、家族に近い感じの表情が見えたと思ったんです。これを見られたのは価値だなっていうか、いままでやって来たことが成立したんだなって思っていたシーンですね。でも、どのシーンも好きです。今回は試写会も何回も行っていて、毎回観るところが違って、感じることも違うから「ああ、そういう作品なんだな」って思いました。そのときの自分の精神状態で大きく変わるんだなって。

―― では最後に、『函館珈琲』という映画をこういうふうに観てほしい、こういうことを感じてほしいというメッセージがありましたらお願いします。

黄川田:この作品は、翡翠館の住人たちの誰かに寄り添えるような作品だと思っているんです。人って誰もがどこかで小さな傷を持っていたり、棘が刺さったまま抜こうか抜かないかで生きているんだけど、でも「その棘ってなんなのかな?」みたいなことをボンヤリとでも考えられる時間があったらそれは素敵だよねっていうか、観たあとに「そういう時間があるのも悪いことじゃないよね」って思ってもらえる作品になっていたら嬉しいですね。

インタビュー写真

飾らない雰囲気の取材時の黄川田将也さん。ぜひ、映画館のスクリーンで黄川田さんが桧山英二として過ごした時間をたしかめてください。

※画像をクリックすると拡大表示されます。

(2016年9月6日/東京都内にて収録)

作品スチール

函館珈琲

  • 監督:西尾孔志
  • 脚本:いとう菜のは
  • 出演:黄川田将也 片岡礼子 Azumi 中島トニー あがた森魚 夏樹陽子 ほか

2016年9月24日より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開

『函館珈琲』の詳しい作品情報はこちら!

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