日本映画専門情報サイト:fjmovie.com

fjmovie.comトップページインタビュー一覧>『ひかりをあててしぼる』坂牧良太監督・派谷惠美さんインタビュー

『ひかりをあててしぼる』坂牧良太監督・派谷惠美さんインタビュー

インタビュー写真 渋谷のゴミ捨て場で発見されたバラバラにされた人体の一部。それは、近くの高級マンションに住む会社員・浩平のものと判明し、妻の智美が容疑者として手配される。幸せなセレブ夫婦に思えたふたりの間になにがあったのか? 夫妻の知人・巧は、智美の妹・恵美に隠された事実を告げる――。
 『ひかりをあててしぼる』は、実際にあったバラバラ殺人事件をモチーフにした同名舞台劇を、舞台の作・演出を手がけた坂牧良太監督自ら映画化した作品。妻に激しい暴力を振るう夫と強い虚栄心を持つ妻の、歪な愛のかたちが描かれていきます。
 壮絶なDV(ドメスティックバイオレンス)を受けながらも夫に依存し、やがて凄惨な行為へと走る妻・智美を演じたのは、2001年公開の初主演映画『非・バランス』で高い評価を受けた派谷惠美さん。派谷さんは、夫・浩平役の忍成修吾さん、夫婦を見つめる知人・巧役の永山たかしさんとともに、まさに鬼気迫る演技で人間が心に抱える闇を表現しています。
 坂牧監督、派谷さんが、歪な愛の中に見たもの、感じたものはなんなのか、そこに「ひかりをあてて」みましょう――。

坂牧良太(さかまき・りょうた)監督プロフィール

1975年生まれ、東京都出身。10代のときから演劇活動やパフォーマンス活動をおこなう。自主映画制作などを経て、2003年に劇場公開されたデビュー作『こぼれる月』が国内外の映画祭で好評を得る。その後もさまざまな映像作品を発表するほか舞台の作・演出もおこない、2011年に舞台版「ひかりをあててしぼる」を上演。2014年には派谷惠美さんを主演に迎えた「ぶざま」を作・演出。2016年には映画版公開に先駆け舞台版「ひかりをあててしぼる」を再演した。

派谷惠美(はたちや・めぐみ)さんプロフィール

1985年生まれ、1999年に芸能界デビューし、初の映画出演作『非・バランス』(2000年/冨樫森監督)で主演をつとめ第23回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を獲得するなど高い評価を得る。その後、ドラマや映画、CMなどで活躍。最近の出演作に、ヒロインを演じた『くらげとあの娘』(2014年/宮田宗吉監督)、『渇き。』(2014年/中島哲也監督)。2014年には坂牧良太監督の作・演出による舞台「ぶざま」で主演をつとめている。

「女優さんにしても男優さんにしても、普通じゃないほうがいい」(坂牧)

―― まず坂牧監督と派谷さんが初めてお会いしたときのお互いの印象をお尋ねしたいのですが、おふたりが初めて一緒にお仕事をされたのは、2014年の舞台「ぶざま」ですか?

坂牧:実は、世に出る順番としては逆になったんですけど映画の『ひかりをあててしぼる』が先で、映画の撮影が終わったあとに「またなにかやりましょう」ということで舞台の「ぶざま」につながったというかたちなんです。だから、もちろん派谷さんの存在は『非・バランス』という映画で知ってはいましたけど、お会いしたのは映画のオーディションが最初です。そのオーディションのあとにもう一度お話をする機会があって、すごく役に対して熱を持って喋ってくれる人だなというのと、声に特徴のある人だなという印象があって、失礼な言い方ですけど面白い女優さんだなと思っていました。

―― 派谷さんは、監督の最初の印象はいかがでしたか?

派谷:たぶん、監督もそうだと思うんですけど、オーディションのときのことはまったく覚えていないんです(笑)。そのオーディションのあとしばらく経ってからご連絡をいただいてもう一度お会いして、きちんとお話したのはそのときですね。オーディションのときはオーディション用の台本だったのでお話の全容をわかっていたわけではなかったんですけど、次にお会いするときには台本をフルでいただいて全部読んでいたので、私が智美という役に対してとか「この夫婦に対してこう思う」みたいなことを1時間くらいずうっと喋っていたんですよ(笑)。監督はひたすらそれをメモしてくださっていて、私はメモも追いつかないくらい喋って、喋り終わってスッキリしてお家に帰ったら「一緒にやりましょう」とご連絡をいただいて。

―― 監督が派谷さんを智美役に起用された決め手はどんな部分だったのでしょう? メモを取っていたということは、派谷さんのお話に惹かれるものがあったのでしょうか?

坂牧良太監督インタビュー写真

坂牧:端的に言うと、さっきもお話しした声の印象がひとつと、アンバランスさがいまの時代にあまりいない女優さんだと思ったんです。ぼくは女優さんにしても男優さんにしても、失礼な言い方ですけど普通じゃないほうがいいなというのがありまして、派谷さんの場合はきれいな方なんですけどルックスと声のバランスがある意味で離れていて、声だけ聞いたら彼女の顔は絶対に想像できないし顔だけ見ていると声は想像できないというのがあるんですよね。今回の智美という役は、実際にあった事件をもとにした、ある意味で「どんな人間だ?」というのが想像できない女なので、その「想像できない」というところが合うなというのがあったんです。メモは、実はそんなに取っていたわけではなくて声を聴いていたんですね(笑)。ぼくは演劇出身ということもあって声をすごく聴く人間で、映画も画だけじゃなくて耳じゃないですか。その声の特徴がすごく残ったのと、それからもうひとつ、すごくしなやかな感じがしたんです。ちょっと動物的、猫的というか、野生のなにかのようで、智美の動物的なところを表現できるのかなと思ったのがありました。

―― 派谷さんは、その時点でそれだけ役についてお話になったというのは、役に魅力を感じていたのですか?

派谷:なんていうか、役を欲しくて熱意を語ったという感じでもないんですよね。単純に智美という人について喋って1時間終わったという感じです(笑)。私は、どんな作品でもキャラクターというか人間の心理とかにすごく興味があるので「どんな人なのかな?」ということを考えるのが好きですし、そこから入るんです。この作品のテーマであったり智美というキャラクターはすごくセンセーショナルではありますけども、私が読んだ印象では智美というのは別に怪物ではないと思ったんですね。智美は生まれたときから別次元の存在だったわけではなくて、誰でも智美のようになる可能性があると思ったんです。みんな自分の中にそういう部分があるのをたまたま知らずに生きているだけで、そうならなかったのは運やタイミングがよかっただけだと思うんですね。私が誰も殺さずに30年生きているのもラッキーだったんだと思いますし、だから私は智美というキャラクターを理解できないとも思いませんでしたし、智美ががどういう生き方をしてきて人格が形成されたのかとかにすごく興味があって、そのことについて熱く語ってしまいました(笑)。

―― 話が前後しますが、監督が2011年に舞台版を作られたときに、この題材を取り上げたのはどんな理由からなのでしょう?

坂牧:どうしようもない裏話をすると、舞台の台本は必要に迫られて書いたんです。ぼくは2011年に映画とかから離れようかと思ってちょっと離れていた時期に震災があって、もう少し作品作りをやってみようかなと思ったときに舞台のお話をいただいたんです。飯田橋に当時あったスタジオ(※1)でやってくれという話で、普通のビルの一室を使ったほんとに小さな場所で、そこでどういうものをやるかと考えたんですね。それで、ぼくの師匠に近い劇作家が実際の事件をもとにした舞台をやっていたので、ぼくも事件ものを読むのが好きで、たまたま夜にそのスタジオの窓から高速道路が見えて車が通るのがきれいだなと思って、実際の事件の加害者が被害者を殺したとき夜景がきれいに見えたみたいな話を読んだのを思い出したんです。ビルの一室ですから高級マンションという設定もできるなというのもあって、だから場所ありきで、そこから事件の内容を調べだしたりしたんです。
 でも、やっぱり根底に自分の興味があるんですね。それは「夫婦ってなんぞや」とか「加害者の人はなんで逃げずに家に帰っていたのだろうか?」みたいなところが引っかかりまして、一番はやっぱり「この事件の犯人ってなにを考えていたんだろう」という興味ですね。ぼくはもともと女性に興味があるんです。それは性的な意味ではなくて「女性ってなんなんだ?」みたいなことで、ぼくは自分の妻のことも16年くらい一緒にいても相変わらずわからなくて「この人はなんでこういうときに怒るんだ?」みたいなことがあるんです。実際の事件を調べる中で、極端なところにいる女だからこそ、逆に普遍的ではないですけど「女性ってなにか」みたいな興味を描けるんじゃないかというのがありました。

―― 派谷さんは、俳優さんとしてこういう役柄を演じるというのはどんな感覚なのでしょう?

派谷:私は、たとえば暴力だったり実際にあった事件がモチーフという表面的なことではすごくセンセーショナルに取り上げられるとは思うんですが、やっぱり監督がいまおっしゃったように女性に対する興味というのをすごく感じるんですね。「わからないものだから知りたいんだ」という意味の興味をすごく感じで、私もそれはすごく共感できて、これは智美と浩平と巧という3人の心理を描いた映画だと思っているので、きちんとキャラクターとしての心理を追っていけばこういう事件が起きてしまうのは必然で、まったく破綻はしていないと思っていたんです。だからこういう話だからというより、智美ってどういう女の人なのかなということを考えるほうが強かったので、こういう役だから特別にということはそんなになかったですね。

  • ※1:飯田橋にあったスタジオモモンガ。2011年4月にオープンし、レッスンスタジオなどとして使われるほか、客席を設置しての演劇公演もおこなわれ、舞台版「ひかりをあててしぼる」初演は同スタジオ初のアトリエ公演としておこなわれた。現在は閉館。

「芝居をしていたという感覚は特になくて、ほんとにリアルな反応だったと思います」(派谷)

―― 派谷さんは智美という人物について相当に考えられたようですが、実際に演じる上での智美という役の人物像は、どんなふうに作り上げていかれたのでしょう?

派谷:私が作った智美は、劇場型というか、つねに自分のストーリーのある女性なんです。いい方向であっても悪い方向であってもドラマティックな展開が起きていることが彼女の生きている実感を得るところなんだろうなと思っていて、そういうところって女性にはわりとあるんじゃないかと思いますし、それがすごく極端に出てしまったので事件を起こしていますけど、私はそんなに智美が特別な女性だとは思わなくて、やっぱり壁一枚を隔てたところでみんながそうなりうる人でいたかったというのはあります。

―― それは、ドラマのような人生を送りたい人という感じでしょうか?

派谷:そうですね、私と永山(たかし=巧役)さん、忍成(修吾=浩平役)さんで話しているときに、永山さんが「“選ばれる人、選ばれない人”ということがこの作品のキーじゃないか」というお話をしていらして、私はすごく「そうだな」って思ったんです。映画の中で智美の幼少期をうかがわせるところで「選ばれる、選ばれない」というのが出てくるんですけど、智美はたとえば「暴力を受ける」みたいな普通は選ばれないほうがいいとされているものでも「選ばれている」ということが重要なんじゃないかなと思うんですね。智美がすごく見栄を張って生きているのも、お金への執着より自分が選ばれた人だという選民意識がアイデンティティとして重要なんだと思うんです。自分が主役のドラマがつねに展開されることが智美の人生にとって重要で、だから、暴力とかマイナス方向のものであってもドラマティックな展開が起きると智美はすごくテンションが上がってイキイキとしているんですね。私も自分でやっていてそうなりましたし、映画をご覧になっていただくと、追い込まれていくほどにどんどん智美は楽しそうになっていくんです。それが智美という人を表しているんじゃないかなと思いました。(監督に)どうですか?

坂牧:そうですね、ある意味ずっと劇的な世界にいた夫婦なんだなって。人間って、なにか修羅場みたいな状況になったときに自分がちょっと離れた場所にいて「すごいことが起こっているな」みたいなことってあるじゃないですか。それの連続性があった人なんじゃないかなみたいな感じがあったので、だから狙いとして智美が派谷さんでよかったのは、笑っちゃうみたいなところなんですよね。ぼくはこの映画って海外の人が観たら笑うだろうなって思いながら作ったんです。人間って、あまりに重い話とか怖い話の度が過ぎると笑っちゃったりするというのがありますよね。日本の人は真面目というか周りが笑わないと笑っちゃいけないと思うから、ときたま試写が終わったあとに「ここって笑ってよかったんだよね?」とか聞かれたりして、それもちょっと狙いとしてはあったんです。たぶん、派谷さんじゃなくてほかの女優さんだったら痛ましすぎて笑えなかったんじゃないかなと思うんです。だから、いま彼女が言ったように、智美がどんどん楽しそうになっていくというのはよかったと思うんです。ぼくはよく俳優さんと話すんですけど、正解なんてないんですよね。ぼくも撮影しながら智美という人間を探していくところがあったので、それが正解かわからないけど必死になってたぐりよせていくのがよかったなと思います。撮りながら智美がそういう女であることがわかったという。

―― 映画の中で、智美が浩平に暴力を振るわれたときに泣いたり叫んだりのリアクションが印象的なのですが、ああいうリアクションはどういうふうに生まれたものなのでしょう?

派谷惠美さんインタビュー写真

派谷:やっぱり、私が考えている智美というのは一貫して「演じている人」なので、殴られたあとに「ワー」って叫んだりするのも、見せていますよね。私が一番「ああ、こういうのあるな」と思うのが、浩平に初めて殴られたときに、智美は浩平の出方をうかがっているんですよ。それで浩平が「ゴメンゴメン」って慌てだしてから「痛いー!」みたいに大げさに痛がっていて、それは浩平の出方を見て「そういう方向でいいんだな」って。そのコントロールの仕方というのが智美の人格をすごく表しているなと思っていて、試写を観ていただいた方に「いや、殴りたくなる泣き方だよね」とか、監督にも「お前の笑顔は気持ち悪くていいね」みたいに言われたり(笑)。

坂牧:失礼ですね、ほんとに(笑)。

派谷:でも、智美ってそういう人だと思うんですね。映画は智美の人生をギュッと凝縮して1時間半で見せているんですけど、智美の30年の人生の中でああいう人格形成があって、30歳になった智美はつねに女優である人なんだと思うんです。人の顔色を瞬時にうかがって注目を引くというか「ここは私の見せ場だ」と思ったら突然痛がったりとか。いい喩えかわからないんですけど、私は「警視庁24時」みたいなドキュメント番組が好きでよく見るんですけど、酔っ払った人でそれまでなんともなかったのに警察に保護された途端に「痛いー!」とか言う人っているんですよね。大なり小なり、注目を浴びだすと大げさにやりだす人はいて、子どもとかもやりますよね。智美はそうやっていると自分もテンションが上がっていく人だと思っていて、私も撮影が過酷になるほどどんどんテンションが高くなって、それがちょっと滑稽なんです。このお話って、智美が「旦那さんに殴られたかわいそうな人」という完全な被害者ではないところが肝だと思うので、その関係性が滑稽で、監督がおっしゃったようにちょっと笑えちゃうところのある人じゃないかなと思っていて、私は自然にそうなっていましたね。芝居をしていたという感覚は特になくて「生きていた」というと大げさな感じもしますけど、でもほんとにリアルな反応だったと思います。

―― 監督はそういう派谷さんをご覧になっていていかがでした?

坂牧:そうですね、すごく無礼な言い方をすると「面白いな」って。

派谷:あはは(笑)。

坂牧:身も蓋もないんですけど、この事件って調べれば調べるほど、彼女も言ったように被害者か加害者かわからなくなっていくようで、もっと言ってしまえば智美像というもの自体もやっているうちに実際の事件からはかけ離れていくわけです。だからさっき言ったように「智美がどんな女なのか?」というのは現場でも探りながらやっていたんです。いま彼女は「自然にやっていた」と言っていましたけど、やっぱり考えてはいらっしゃったと思うんですね。それで、ややオーバーアクトかなと思うところも、極端に振りきれると「いるよね」って思えてくるんですよ。ああいう状況下において、その演じ方が「ありかなしか」で言うと「あり」だと。ぼくはデビュー作のころはボソボソっと喋るような、いわゆる自然な演じ方でやってもらっていたんですけど、今回は智美という人間像を掘り下げるには「なんでもあり」なんじゃないかと心がけていて、彼女から生まれてくるものを正解にしていくように持っていったんです。

「テクニカルな部分ではない本質的な人間が感じる部分でうまく行ったなと思いました」(坂牧)

―― 浩平を演じられた忍成修吾さんについてもお尋ねしたいのですが、監督が忍成さんを浩平役に起用されたポイントはどんなところですか?

坂牧:ぼくら監督の中では忍成修吾といえば、つねになにかしらに出ている日本映画のひとつの象徴のひとりなんですよね。それで、初めて会ったときもそうなんですけど、彼はシャイな方で、でもときたま「いまこの人は笑っているけどなにを考えているんだろう」みたいな感じがあるんですよね(笑)。忍成くんにそう言うと嫌がるだろうし、実際にそういう人ではないんですけど。その感じが智美の相手であり、実はなにを考えているかが映画の後半にならないとわからない浩平に説得力を与えてくれるかなと思ったんです。それともうひとつは、ずっといろいろな映画で忍成くんを見ていたので、彼だったら智美が極限状態でバーってなったときにも受けてくれるんじゃないかというところがあったんです。智美というのはよくわからない人だけど、浩平だったらぼくらも映画を観るお客さんもかろうじてわかる気がするんですよね。でも彼がブレてしまうとダメだと思っていたので、わからないところもあり、わかるところもありという、ある意味で多面性を持っている忍成くんにお願いできたというのは、タイミングもよかったんですけど光栄だったですね。決まったのは忍成くんが先だったんですけど、いま思えば忍成さんがいたからこその派谷さんだったかもしれないです。

―― 派谷さんは忍成さんと共演されていかがでしたか?

派谷:私、直前に違う作品でご一緒していたある俳優さんから「日本で一番いい俳優は忍成修吾だ」って聞いていたので、直後に忍成さんとご一緒することになってすごく楽しみにしていましたし、実際にやっているとほんとにプロフェッショナルな役者さんなんですね。永山さんもそうなんですけど、おふたりがほんとにプロフェッショナルですね。私は浩平って、相手が智美じゃなかったら手を上げる人間ではないと思うんですよ。逆に言うと智美は相手が誰であっても智美で、浩平や巧は智美と出会わなければ自分の闇を知ることがなく生きていけた人だと思うので、そういう部分を表現できる忍成さんと永山さんでなければ違う話になっていたと思いますし、監督がさっきおっしゃっていたように、私が動物っぽいというか理性的な人ではないので、それをきちんと受け止めてかたちにしてくれるのは、忍成さんと永山さんがあってこそだと思うんです。それから、忍成さんって独特の雰囲気というか「この人には嫌われたくない」と思わせる雰囲気がありますよね?

坂牧:そうなんですよ。

派谷:私、忍成さんとそんなにお話はしていないんですけど、変な意味ではなくて目を合わせてもらえないと気になったり「この人には気に入られたいな」って思っちゃうところがあって、でもそういう人ってたまにいますよね。そういう雰囲気が浩平っぽくっていいですよね。

『ひかりをあててしぼる』スチール

『ひかりをあててしぼる』より。派谷惠美さんが演じる妻・智美(右)と、忍成修吾さんが演じる夫・浩平の夫婦

坂牧:だから、この夫婦になったのがすごくラッキーだったのは、はじめにも言いましたけどぼくは俳優さんって普通ではない特徴的な方のほうが面白いと思っているので、もちろん忍成くんも彼女も普通に生活をされているきちんとした方々なんですけど、さっき彼女が言った「嫌われたくないな」って思わせる人のほうが俳優らしい気がするんです。監督とか裏方は「撮りたい」と思う生き物で、そういう意味で言うと忍成修吾にしても派谷惠美にしても「撮りたいな」って思わせる力がある。永山たかしもそうで、まあ永山くんはまたちょっと別のものもあったりするんですけど。この夫婦に関しては、実際にこの夫婦がいたら嫌ですよね(笑)。気を遣うし。

派谷:みんながお世辞を言ってくれるんですよね。パーティーのシーンとか象徴的だなと思ったんですけど(笑)。あと、すごく思ったのが、私と忍成さんって実際は似てないと思うんですけど、なんか映画の中だとふたりの顔が似ていますよね。

坂牧:そう、ちょっと似てるんだよ。

派谷:夫婦って似ているのがいい夫婦みたいなことを言いますよね。ふたりが似て見えるのが私は面白いと思っていて。

―― 実はそれもお尋ねしたかったことで、映画の中で忍成さんと派谷さんが並んでいるとヴィジュアル的にも内容的な意味でも「似ているふたり」の話だという感じがしたのですが、それは監督の中で狙いとしてあったのでしょうか?

坂牧:ほんとに偶然が生んだことなんですけど、今回は一部屋の中というワンシチュエーションだったので順撮りで撮影できて、お互いが興味を持つところから順にやっていけて、なんか夫婦に「なっていく」んですよね。実は、夫婦っぽさを見せるのって「夫婦です」って説明するセリフがあったとしても意外と難しい作業なんです。そういう意味では、ふたりは絵的にも座りがいいですし、たぶん違う空気を持っているんですけどその空気がうまくあいまって、そこに説得力を与えてくれたのはとても感謝していますし、キャスティングの力ってすごいなあって。もちろん最初にホンありきとは言いますけど、キャスティングってとっても大事だと思いました。

―― ちょうどお話に出たところでお尋ねしたいのですが、映画の大部分が一部屋の中のワンシチュエーションで進むのにかかわらず、単調さをまったく感じませんでした。やはり監督は相当に計算をされていたのでしょうか?

坂牧:ぼくはもともと舞台俳優をやったのちに演出部になったので、舞台的になってもいいやと割り切りがあったんです。要するにワンシチュエーションだからといって貧乏臭くは見せたくないというのが絶対にあって、それでいろいろと工夫をしていたんです。その中で、やっぱり派谷さんと忍成くんと永山くん、そして桜井(ユキ=恵美役)さんメインの4人のおかげだと思っていて、夫婦の空間はリハーサル、テストの段階で「まずは好きに動いてみてください」と言って、カット割はあとから付けていったんです。彼らから出てきた芝居を撮るという方向でやれたのがひとつの正解だったんですね。あと、狙いとして夫婦の生活を覗いている感じで撮っていこうというので、演出もちょっと突き放しているんですね。だからこそ逆に観ている人から興味を持ってもらえるようなつくりにしていったんです。そのふたつがうまく行ったので、単調にならずリズムが変拍子になってくれたんじゃないかなと思いますね。もうひとつは、やっぱり声ですね。いま思うとキャスティングで悩んだのは、ぼくは声が揃っていると飽きるんですよ。いまは似たような話し方をする俳優さんがいるんですけど、忍成くん、派谷さん、永山くん、桜井さんは、骨格が違うから当たり前なんですけど、声が4人違うんですよね。映画を観たとき目と耳で区分けができているということも飽きない理由じゃないかと思っていて、テクニカルな部分ではない本質的な人間が感じる部分でうまく行ったなと思いました。

―― 派谷さんはいまの監督のお話を聞いていかがですか?

派谷:そうですね、まず監督が言われた声について言うと、忍成さんと永山さんと私の3人で普通に話しているときの話し方というかテンションが浩平と巧と智美を表している感じがして面白かったんです。忍成さんは独特のオーラがあって冷静な喋り方をされていて、永山さんはすごく気を遣って場を回そうとしてくれるのが巧っぽいんです。それで、私はわけわからないところでいきなりテンションが上ったりとか(笑)。声質プラス話し方があんなに3人バラバラなのが、キャスティングがすごくよかったところだと思いますね。

坂牧:ぼくも面白かったですよ。たぶん、目標とするところも演技論も生き方も全部違う3人だからこその感じで、ひとりはしょっちゅう現場で寝てるし、ひとりはあっちこっち動いてたし、もうひとりはぼくの横でつねに「監督、がんばっていきましょう!」って言ってたり、なんか自由だなって(笑)。ある意味、その場を役として生きていると預けやすいから楽ですよね。ほんとに意識しなくても3人の関係性がうまく出るような感じで、それはたぶん永山くんという存在があったからだと思うんです。本人の前で言うと調子こくんで言わないですけど(笑)。そんなに長く時間を掛けて撮った作品ではないので、そのバランスというのは映画の神様に感謝したいです。

派谷:永山さんがいなかったらまとまらなかったですね、勝手な人たちだから(笑)。人柄がほんとに巧みたいだなって。それで同じ部屋でのワンシチュエーションということで言うと、私はほぼずっと現場の部屋の中にいたので、ほんとに自分の部屋みたいになっていましたね。ずっと部屋の中のベッドがソファにちっちゃくなっているっていう(笑)。安心感があるんですよね。現場はバタバタするのでずっと映画の中で見せているようなテンションではいられないんですけど「ここにいれば大丈夫」という安心感があって、それはあのシチュエーションだったから出せた空気はあるんじゃないかと思いました。

「覗き見しているように“人間を見てもらう”作品じゃないかと思っています」(派谷)

―― 映画を拝見して、これは「答えを出さない映画」だと思いました。事件の背景を解き明かしたりもしないし「なぜ」を描かない。監督はそれは意識されていたのでしょうか?

坂牧:やっぱり、答えを出すのは不遜だなって。こういうことを言うと適当というか丸投げしている監督だと思われてしまうかもしれないんですけど、人間を描くとき、特にこうやって実際にモチーフになる出来事があるときには「わかるわけないじゃん」という姿勢で行こうと。実際の事件はモチーフに過ぎないんだけど現実にモデルとなった夫婦がいるという微妙で危ういバランスの中で物語を描くときに、わかろうとするのではなく「ぼくはこの夫婦をこう思います」と描こうとしたんですね。決めつけてはいけないし、どちらが悪いと思ってはいけない。さっき彼女が言ったように、なにかしらの結果としてああいう悲劇が生まれたということを脚本の段階から脚本の宮崎(大祐)さんとも話していて、それはこの映画の中に狙いとしてたしかにあるんです。やっぱり、最近の作品であまりに簡単に人が死んでしまうものが多いように感じていたので「人間が人を殺すという結果に至るまでなんてそんなに簡単にわからないよ」みたいなものは描きたいと思って、だから、脚本も大変でしたけど演出は正直すごく大変でした。雲を掴むようなものなんですよ、自分から「わからないものはわからない」ってやっているので。だから、そのへんはけっこう俳優さんに預けてやらせていただきましたね。

―― 監督が明確な答えを持っていない中でお芝居をするというのは、派谷さんはいかがでしたか?

派谷:私は自分の中で智美像というのがけっこう破綻なくできていて、それを尊重していただいたというか、監督の思う智美像と極端にずれていなければ私の思うようにやらせていただけたので、そんなに迷いがなかったんです。モチーフとして実際の事件があって実在する方もいらっしゃいますけど、実際にその人がどう考えていたのかとかなにがあったのかは本人じゃないとわからないことですし、それは他人が「こうでした」とやるようなことではないと思うんですね。だから、もちろん実際の事件とかモデルになった方について調べましたけど、私の中ではモデルになった方とは別物として智美の人生をちゃんと描けていたので、自分の中で演じる上での不安というものはなかったですね。

―― そして、日本での公開に先駆けてアメリカの批評サイトHollywood Investigator主催のTabloid Witch Awardsで最優秀ホラー賞と最優秀女優賞を獲得されました。

派谷:わーい、ありがとうございます(笑)。

―― 受賞されての率直な感想というのはどんな感じでしょうか?

坂牧良太監督・派谷惠美さんインタビュー写真

坂牧:最初に「あ、ホラーなんだ」とは思いましたね(笑)。オフィシャルのコメント(※2)でも書いたんですけど、海外の方から見ると東洋的な発想に見えるのかなって思うんです。ぼくはそんなに海外の方で親しい人がいるわけではないんですけど、海外の方には「なんでこいつは帰ってくるの?」とか「なんでこいつは助けに行くの?」とか、ひとりの女性に対しての男性のアプローチとか、ひとりの女性が移す行動とかが、たぶんわからないと思うんですよね。「わからない」って怖いじゃないですか。そんな怖い人たちが起こした事件というのが、海外の方から見るとスリラーとかサスペンスではなくホラーなのかなって。ホラーの賞を獲ったのはそういうことかなと思いますし、最優秀主演女優賞を獲ったのは、異国の地では彼女の存在がとっても怖ろしいものだったんだろうって(笑)。ある意味ちょっと面白いなと思いました。

派谷:私も受賞のコメント(※3)で書かせてもらったんですけど、個人でいただいた賞ではないと思っているんです。忍成さんと永山さんありきというか、ふたりのプロフェショナルに支えられた動物みたいなところがあるので(笑)。でもありがたいです。嬉しいですね。

―― ただ、海外でホラーの賞を獲ったからといって、この作品はホラーだとジャンルを限定するわけではないんですよね。

坂牧:そうですね。ジャンル映画ではないだろうなと思っていましたし、たぶんこういう企画はこういう小さな作品じゃないとできないなと思っていたので、ぼくとしてはノンジャンルでノーガードでやったような映画ですから(笑)。ご覧になった方が怖いと思えば怖いんでしょうし、意外と面白いなと思えば面白いんでしょうし、どうしてもいまは区分けをしたがるじゃないですか。「こういう映画でしょ」とか「こういう話でしょ」「こういう人でしょ」とか、でもそれは、特にネット社会で右へ倣えみたいな言葉が溢れているだけで、さっきの「正解なんてない」に近いんですけど、映画のジャンルだって、たとえば『四谷怪談』にしても見方によってはホラーでしょうけど見方によっては悲恋ですし、スリラーにもなるでしょうし、そういうふうに映画にもうちょっと多様性を持たせたいと言ったら不遜な言い方になりますけど、チャレンジはしたかったですね、ノンジャンル映画みたいな感じで。結果としてぼく自身が「ホラーだったんだ」とあとで知ったという感じです(笑)。

派谷:私は人間を描いた映画だと思っていて、前に監督が「役者の顔を撮っている、体を撮っている」とおっしゃっていて、まさにそういう映画だと思うんです。別にすごくきれいな風景が出てくるわけでもないですし、ほんとに人が生きているだけの「人を見る映画」なんですね。センセーショナルな題材ではありますけど、私はどんな事件でも「他人事ではないな」と思うんです。繰り返しになりますけど智美は特別な存在ではなくて、この映画で浩平と巧が自分の闇を知ってしまうように、誰でもそうなりうると思うんです。もちろん、この映画を他人事だと思って「こういう怖い女の人もいるのね」と思って観ていただくのもいいですし、いつかこういう人に出会うのでは、いつか自分がこうなるのではと思って観ていただくのもいいですし、この映画はほんとに役者ありきというか、逆に言うとそれ以外に見せるものがない映画なんですね。役者の表情だったり体の動きで表現している映画なので、どこかの夫婦を覗き見しているように「人間を見てもらう」作品じゃないかと思っています。

坂牧:彼女の言ってくれたことに付け加えると、とは言え「なぜこの事件をモチーフに選んだの?」と言ったら正直「観てもらいたいから」というのはあるんです。ぼくの師匠の監督が試写を観て「面白かったよ、だってこれレクター(※4)じゃん」って言って帰っていって(笑)、それでもいいと思うんですよ。「人を描いているから高尚な映画だろうし、小難しそうな映画は観たくないな」とは絶対にしたくなかったんです。そういう意味ではアメリカでホラー映画とくくってもらったのはよかったのかなと思っていて、日本でどう捉えられるかはわからないんですけど、映画の間口を狭めたくないなとはずっと思っているんです。プロデューサーともさんざん話し合って、映画の間口を狭めて難しい映画と思われるようなことだけはしないようにと思っていましたし、いまも思ってます。だから、ジャンルにくくってもらうなら構いません、ただ劇場に観に来てください、最後まで観てくださいという気持ちはずっとあるんです。

派谷:観てもらえばわかるんですけど、面白い映画なんですよね。状況的に過酷になっていくほどテンションが上がっていく智美とか、ちょっとコントですもんね(笑)。私も忍成さんも永山さんも、みんなが一番好きだと言っているシーンも、ちょっとギャグ入っているのかなと思うし、それでラストはすがすがしく終わるし。こういうお話にしてはものすごくスッキリした顔で終わるという、面白い映画だと思います。

坂牧:いまは映画から人が離れていて、もちろんヒット作も出ていますけど、昔ぼくが映画を好きになったころほど映画館に人が入っているわけではないので「こういう小さな映画でそういう人を描いたとしても面白い映画になるよ」というのはすごく思っていますし、これからも思い続けてやっていくのかなと思います。幸せな映画ではないかもしれないですけど、たしかにスッキリする映画ではあるのかな(笑)。つらいって思わせないようにしようとは思っていますよね。

―― もちろんホラーとして観ていただいてもいいし、個人的にはラブストーリーだと思っているんですけど、そう思って観てもOKなんですよね。

坂牧:もう、全然構わないです。

派谷:うんうん。

―― 最後に『ひかりをあててしぼる』というタイトルの意味についてお尋ねしたいのですが、カメラの撮影で考えると「光を当てて絞る」と、ピントがより広い範囲に合いますね。

坂牧:自分で言うのも変ですけど、このタイトルはすごくフックがあると思っているので、聞かれるたびに毎回言うことを変えていこうという大喜利を自分でしているんです(笑)。でも、いまおっしゃったピントというのは的確だと思います。智美が劇場型の人間だと撮る側の人間がいなくてはいけないわけで、それをやってくれているのは浩平であり巧であり、特に浩平であって、それがなくなるということは消えていくということなんです。ピントを合わせているのは決して智美ではないということは彼女自身がわかっているので、いい光を当ててドンピシャでピントを合わせていい表情を撮ってくれるのが浩平だったんじゃないかと、そういう意味も込めています。

  • ※2:受賞にあたっての坂牧監督のオフィシャルコメント
    「この作品がアメリカの映画賞で評価されたことをとても嬉しく思います。正直、ホラー映画として評価されるとは思っていませんでした。この夫婦の話が、アメリカではホラー映画のようなことと受け止められたのかもしれません。別の国で、もちろん日本で作品がどのような映画として観ていただけるのか。この受賞が作品に興味を持っていただけるきっかけになればと思っています。劇場で妻を演じた派谷さんの演技を観ていただきたいです。ありがとうございました。」
  • ※3:派谷さんの受賞にあたってのオフィシャルコメント
    「このたびはこのような素晴らしい幸運に恵まれ大変嬉しく思います。
    撮影が進み、精神的、肉体的に追い込まれていくにつれ、劇中の智美同様、わたし自身が奇妙にハイになり、そこに生の実感を見出だしていたことを思いだし、今さらながら恐ろしくなります。
    それを受け止めてくれる忍成さんの度量、寄り添ってくれる永山さんの献身によって成立した芝居です。
    スクリーンの中で生きている智美たちを是非ご覧ください。」
  • ※4:ハンニバル・レクター。『羊たちの沈黙』(1991年・米/ジョナサン・デミ監督)『ハンニバル』(2001年・米/リドリー・スコット監督)など、作家トマス・ハリスの小説およびその映画化作品に登場する架空の人物で精神科医にして連続殺人犯。上記2作の映画版ではアンソニー・ホプキンスが演じた。
インタビュー写真

落ち着いた雰囲気の中に少女のようなあどけなさものぞかせる派谷惠美さん。それも坂牧良太監督の言う「アンバランスさ」なのかもしれません。『ひかりをあててしぼる』で派谷さんが智美として見せる「バランス」をぜひたしかめてください。

※画像をクリックすると拡大表示されます。

(2016年10月26日/アルゴ・ピクチャーズにて収録)

作品スチール

ひかりをあててしぼる

  • 監督:坂牧良太
  • 出演:忍成修吾 派谷惠美 桜井ユキ 永山たかし ほか

2016年12月3日(土)より渋谷ユーロスペースにてロードショー

『ひかりをあててしぼる』の詳しい作品情報はこちら!

スポンサーリンク