モスクワの街、ひとつの部屋で暮らす日本人のライカとロシア人のユーリャは、友情を超えた感情で結ばれていた――。
「少女」をモチーフに数々の傑作を送り出してきた今関あきよし監督は、オーディションで選ばれたふたりの女優、宮島沙絵さんとクセーニア・アリストラートワさんを主演に迎えた新作『LAIKA-ライカ-』で“女性同士の恋愛”を描きました。
モスクワでのオールロケを敢行したこの作品は、ふたりの女優の濃厚なラブシーンやオールヌードなど、今関作品としてはこれまでにないストレートな描写でライカとユーリャの愛が表現されていきます。
『LAIKA-ライカ-』に今関監督はなにを求め、ライカ役の宮島さんはなにを感じたのか。おふたりにお話をうかがいました。
宮島沙絵(みやじま・さえ)さんプロフィール
1994年生まれ、東京都出身。2010年に舞台に初出演して以降、小劇場の作品を中心に舞台女優として活躍。オーディションで『LAIKA-ライカ-』の主人公・ライカ役に抜擢され、第12回ロサンゼルス日本映画祭で最優秀新人賞を受賞する。 出演舞台作品に劇団メイカーズ「転人」(2015年)、THIRD PLACE Produce「五右衛門烈風伝~100万両の金魚~」(2015年)など。
今関あきよし(いまぜき・あきよし)監督プロフィール
1959年生まれ、東京都出身。学生時代から自主映画を制作し、1979年に『ORANGING'79』がOFF THEATER FILM FESTIVAL (ぴあフィルムフェスティバルの前身)に入選するなど、当時の自主映画界を代表する存在として活躍。1983年に『アイコ十六歳』で商業作品監督デビューして以降、『グリーン・レクイエム』(1988年)、『すももももも』(1995年)、『タイム・リープ』(1998年)、『十七歳』(2002年)など、若手女優が出演し少女の青春期を描いた作品を数多く手がける。近年は『カリーナの林檎 ~チェルノブイリの森~』(2011年)、『クレヴァニ、愛のトンネル』(2014年)と、海外撮影の作品を送り出している。
「撮りたいように撮ってみたいなというのが最初にあった気がしますね」(今関)
―― 今回はプレス資料などに“今関あきよしから「TABOO」が解放され、”というフレーズもありますが、たしかにいままでの監督の作品と共通したモチーフもありつつ、よりストレートな表現がされていると感じました。監督がそういうストレートな表現を選んだ動機がなんだったのかから質問させてください。
今関:なんかね、自由奔放に作りたかった。ぼくは女の子の映画をいっぱい撮っているけど、かわいらしい面だけを抽出するタイプの映画が多かったと思うんです。そうじゃなくて、全方位、360度いろいろ撮ってみたいなと。そういう意味でヌードのシーンもあったり、日本だとどうしてもいろいろな規制がかかったりするけれど、アングルとかいろいろ見えないように撮るとかを考えないで、撮りたいように撮ってみたいなというのが最初にあった気がしますね。だから、女の子の醜い面というとおかしいけれど、ケンカしあったりとか女の子同士のいろいろなドラマもうまく映画に入れたいなという。前作の『クレヴァニ』(『クレヴァニ、愛のトンネル』2014年)は比較的“映像詩、映像ポエム”だったけど、もうちょっとドラマをゴチャゴチャさせる映画をやりたかったというのもある。セリフ合戦、芝居合戦とか、もうちょっと入りこんだタイプの映画を撮りたいなというのもスタート地点でありましたね。
―― 宮島さんは、脚本を読まれたときに内容をどう感じられましたか?
宮島:読んだときは「なにをしたら正解になるのかな?」って。知らない世界が描かれている印象だったので「できるのかな?」って思っちゃいました(笑)。
―― その「できるのかな?」という不安みたいなものは、撮影に入るまでに払拭されたりはしたのでしょうか?
宮島:そうですね、不安はいっぱいあったんですけど、けっこう払拭してもらいました(笑)。ロシア語の不安とかはきちんと教えていただいたりとか、ロシア人の相手のキャストと呼吸が合うのかというのも撮影に入る前に会わせてもらったりしたので、あんまり不安とかはなく「やるぞ!」って感じに撮影に(笑)。
今関:やっぱり段階だね。けっこう期間は短かったけど、順を追ってね。よく耐えたと思いますよ。まったく知らない未知の世界だからね。
―― 今回はスプートニク2号で宇宙に行ったライカ犬のエピソードがひとつ重要なモチーフになっていて『LAIKA-ライカ-』というタイトルの由来にもなっていますが、監督はこの話に昔から思い入れはあったのでしょうか?
今関:いや、昔からというより、ぼくは『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』(1985年・スウェーデン/ラッセ・ハルストレム監督)という映画での印象が強かったですね。まったく関係のない犬に感情移入しちゃっている男の子の話というのは素敵だなというのはあって、だいぶ前に観た映画なのでその記憶ははるか昔にあったんです。それで、この映画をやるときに、まだ主役の名前も決まっていなくて、ただオリジナルの話で「女の子がふたりルームシェアしていて、お互いに好きすぎて憎悪もあって」というベースだけがあって、ロシアで撮ろうとは思っていたから行ったり来たりしていて、その中で脚本を書くとき「主演の子の名前はどうしようか?」となって「ロシアといえばライカじゃないの?」と、実はあとから出てきた名前ではあるんです。
―― 宮島さんはライカ犬のエピソードはご存知でした?
宮島:全然でした(笑)。ほんとに、私ガガーリンってなにをした人かもわかっていなかったんですよ。名前は知っていたんですけど、だから「へえ」って(笑)。
今関:そうなんだよね、情報をバラバラに知っていたけど、繋がっていなかったんだよね。ロケハンに行ったときも「あれがスターリン建築、スターリンって知ってる?」って言ったら「なんですかそれ?」っていう感じだからね。ロケハンの全員がざわめいたから。そこから説明するのかって(笑)。
宮島:ため息つかれましたからね(笑)。
―― では、今回の作品でライカ犬のエピソードを知ってどうお感じになりましたか?
宮島:なんて言うんですかね、たぶん当時も劇中のライカが感じるようなことを感じた人もいたんだろうなって、けっこう客観的に思いましたね、ライカ犬のエピソードについては。
―― そして、女性同士の恋愛というのが作品の大きな核となっていますが、過去の今関監督の作品では女性同士の関係がなんとなく出てはいても今回ほどストレートに出ているものはなかったと思います。ここまで思いっきり描いた理由というのはなんなのでしょう?
今関:自分でもわからないけどね、でも、ぼくがもともと勝手に女の子に持っていた郷愁とか女の子のかわいさとか、そういうものはいままでにけっこう出せたので、もうちょっとストレートにやってみたいという気持ちが強かったんです。それから、あと付けの説明にはなっちゃうけど、穂香(※『クレヴァニ、愛のトンネル』主演の未来穂香/現・矢作穂香さん)がアメリカに留学したんですよ。日本人って留学しても向こうで日本人同士で固まっちゃうことが多いからさ、行く前に穂香には「がんばって違う国の人と交流したほうがいいよ」みたいなことを言ったんだけど、ちょこちょこ話を聞くと海外の文化も言葉も違う人とルームシェアして、まあ大変そうだったのね。でも面白い。それもどこか頭の隅にあって、女の子同士でルームシェアするって男同士よりも面倒くさそうだなっていうのが漠然とあって、それとモスクワで撮りたいってことがくっついて、女の子同士で部屋にいるというイメージになった気がします。
―― 宮島さんは女性同士の恋愛という要素についてどう思われました?
宮島:一番は、すごく自由さが出ていていいのかなって思いました。ライカという役が縛られることのない子であって、誰かを好きになって、それは端からみたら「恋愛」で、一般的には対象が男性であろうものが、自由に「この人が好き」って言ったのがユーリャだったということだと思うんです。女の子だったのも、年齢が近いのも、だから好きになったんじゃなくて、ユーリャが好きになって、その相手が女の子で年齢も近かったとか、そういう感じだったと思うんです。自由で、縛られていない感じがして、私はすごくいいんじゃないかなと思います。だから、よく「レズビアン」とか「レズの話なんでしょ?」と言われたりすると「そうなんだけど、でもそうじゃなくて……」ってなっちゃうんですよ(笑)。
今関:あまりレズビアンという発想では作られてはいないよね。
―― たしかにライカは男性とも関係を持ったりもしていますし、同性愛というより彼女たちの中では女性も男性も等しいものとしてあるというか。
今関:いいことを言う(笑)。たまたま人間として好きになった相手が彼女だったというだけだと思うんですよね。ぼくは男性を好きになったことはないけど「こいつが女だったらよかったのに」って思うことはたまにあるんです。だからちょっと気持ちはわかるんですよ。
「思うまま、やれるままにやっていったらああなったという感じだったんです」(宮島)
―― 宮島さんはオーディションでライカ役に決まったということですが、オーディションに応募したきっかけはなんだったのですか?
宮島:ちょっと難しいんですよね(笑)。私はオーディションの募集をしている段階で脚本家のいしかわ(彰)さんに「私が脚本を書いて今関監督が撮る映画のオーディションがあるので受けてみませんか」と声をかけていただいて、最初は「行きます」と言っていたんですけど、そのあとで私が出る舞台の直前の稽古が入ったので「すみません、今回はご縁がありませんでした。また機会があったら声をかけてください」って、オーディションには行けなかったんです。そしたら、そのオーディションの中では決まらなかったらしくて、ちょうど舞台が終わった次の日にまたいしかわさんが連絡をくださったんです。
今関:いわゆる本オーディションでは決まりきらなかったんですよ。オーディションにはいっぱい来ていただいて、有名な方にもたくさん来ていただきました。でも決めきれなくて「ライカがいない」と。それで、スケジュールとか急に風邪を引いちゃったとかで、そのオーディションに参加できなかった方が何人かいたんですよ。その方たちにもう一度連絡をとって追加オーディションをしてみようという中のひとりだったんです。
―― それだけの方の中で決めきれなかったというのは、監督がライカ役の女優さんに求めていたものはなんだったのでしょうか?
今関:なんだろう……。あのね、芝居が上手い下手っていうわけじゃなくて、って言うと本人に失礼だけど(笑)。
宮島:アハハ(笑)。
『LAIKA-ライカ-』より。宮島沙絵さんが演じるピンクの髪のライカ。
今関:やっぱり、自分の中に勝手なライカのキャラクター像があって、それになかなかはまらなかったんだね。それがなんなのかっていうのは、一言で言うとできあがった映画のライカのあの感じなんですよ。それから、今回は自由奔放に撮るというのがあったから、女の子ふたりで部屋にいたりすれば下着姿になることもあれば裸になったりもするわけで「脱げません」とか「ここまでなら出せます」という条件を出されてしまったらもうダメなんです。本オーディションでも「この人かな?」という人はいたんですけど、そこでダメになったりもしたんですよね。で、沙絵に聞いたらサラッと大丈夫だと言うので、追加オーディションで会って、そのときに「行けるな」って思ったんですよね。まず背がちっちゃい。それで目が大きい。それから根性がある。この3つは重要なポイントだったんです。短い間にロシア語を習得しなくちゃいけないし、裸にならなくちゃいけないし、ロシア人と芝居しなくちゃいけないし、初めて海外で映画を撮るなんてことを乗り切るのは、それなりに根性が座ってないとできないので、ただかわいい人を選んでも、泣きごと言われて「私帰る」って言われたらアウトなんでね。沙絵は見かけは華奢でかわいいけど、中身はね、どす黒いんだよね(笑)。
宮島:なんか違う気がしますよ(笑)。
今関:(笑)。まあ、根性はあるなというのを感じたので、決めた感じですね。
―― 監督からはライカの「キャラクター像」という話が出ましたが、宮島さんはライカのキャラクターをどう作り上げていったのでしょう?
宮島:あの、作った感じは全然ないんです。台本を読んで、それこそ知らない人間たちの知らない世界で自分に近しいものが全然感じられなかったので、どうしたものかと思って、でもまあ「なんとなくこんな感じ」で作っていたものを持ってロシアに行って、ユーリャ役のクセーニア(・アリストラートワ)と会って一緒にお芝居したら、私が持って行ったものとクセーニアが持ってきてくれたものとが溶けていって、なにか空間みたいなものができあがったという感じだったんです。なので、私はなにも作れていないというか、思うまま、やれるままにやっていったらああなったという感じだったんです。あのゴールが見えていたわけでなかったですし、完成した映画を観た方にいただく感想が、私が思っていたものとちょっと違ったりとかしましたよね(笑)。
今関:沙絵がよかったのは、あんまり作り込んだり役作りしようという努力ではなくて「モスクワに行ってから考えよう」みたいなところがあったんだよね。やっぱり、ここでいくら考えたってわからないもんはわからないんだもん。戦争行くようなもんだから、戦地をイメージしたってわからない。行ってみないとわからないというところもあるので、映画が始まる前にモスクワで沙絵とクセーニアを1回会わせたんですよ。まだ言葉もわからないけど「1回会いなさい」と。そしたら、ふたりとも意外と空気感がよくてね。それからだよね、スタートはね。未知との遭遇だから、まさに(笑)。
宮島:ほんとに。もう、空港も広いし建物も大きいし、そこに来たクセーニアも大きいし、って感じで、ほんとに未知との遭遇でした(笑)。
今関:それを観ているのが楽しかった(笑)。
宮島:アハハ(笑)。
―― 作品を拝見して、これがライカらしさをひとつ象徴している部分かなと思ったのが、映画の後半でライカがユーリャのあとをつけていて、段差を降りるとき階段があるのにスロープを滑るというのが。
今関:細けえな!(笑)
宮島:シャーって滑るとこですね(笑)。
今関:でもね、あれを好きって言われるとね、すげえ嬉しい(笑)。あれはロケハンのときに、ぼくがあそこで滑って遊んでたんです。手すりの高さがちょうどいいんだよね(笑)。
宮島:私も楽しかったですね、あれは(笑)。監督に「そこ、シャーってすれば?」って言われたときも一瞬しか戸惑わなかったです。一瞬「え?」で「あ、ハイ、こういうことですか?」でシャーって(笑)。
今関:似合ってるよね、ライカの格好とあのシャーが。あそこで普通に階段を降りてきたら普通の人だもの。面白くもなんともない。でも、意外と周りのおばさんたちはそんなにリアクションしていなかったね。
宮島:たぶん、子どもだと思われてたと思います(笑)。
今関:明らかに子どもだと思われていた(笑)。あそこいいよね、かわいらしくて。
―― もうひとつ、拝見していると監督の過去の作品を連想するところもあって、具体的には『ルーズ・ソックス』(1997年)を思い出したんですね。
今関:ああ、あれもけっこう自由奔放におバカなノリでやってて、でも縦軸に真面目なものがあるんだけど、たしかにちょっとテイストはあるかもしれないですね。あれも主演の髪の毛がピンクなんだよね、考えてみたら。あのときはたぶんカツラだったけど。言われて初めて気がついた(笑)。
―― まさに思い出したのも『ライカ』と同じで主人公の髪がピンクというところなんですけど、監督の中で「髪がピンクの女の子」の特別なイメージみたいなものはあるのでしょうか?
今関:それはないですね。シナリオ段階では「黒髪」って書いてありましたし、実際にモスクワに沙絵を連れていって、相手役の子と一緒に過ごしている姿を見て、ちょっと作りこんでみたいなって変わってきましたね。
「最初から最後まで“クセーニアでよかったな”って思います」(宮島)
―― すでにお話の中でお名前も出ていますが、ユーリャを演じたクセーニア・アリストラートワさんもオーディションで選ばれた方で、クセーニアさんが先に決まっていたんですね。
今関:そうです。モスクワでオーディションをしまして、彼女はけっこうすんなり決まりました。事前にオーディションで会う人のデータを送ってもらって、写真とか雰囲気とかを見たり、自己紹介する動画も送ってもらってそれを見たりして、モスクワに行く前にほぼ2、3人に絞って「どっちかな?」みたいなところで実際にモスクワに行って、オーディションをしたら決まったという感じでしたね。
―― クセーニアさんについては、オーディションで選ぶ一番の決め手となったのはどんな部分でしょう?
今関:一番思ったのはね、日本人と組んで芝居をするので、芝居がうまいとかだけでなくて、日本人の子とフィットするのかどうかっていうこと。まあ、日本人はまだ決まっていなかったけど、芝居の質があんまり浮いちゃっているとまずいなあって。彼女は映画が初めてだったんだけど、お芝居が映像に合うんですよ。演劇でカチカチに固まっちゃっているとそれを崩せないんだけど、意外とお芝居がナチュラルだったので、それがすごく印象よかったですね。あと、真面目だった。ロシア人って、全員がとは言わないけど、意外とラフな人が多いんだよね(笑)。台本を前もって送ってあるのに全然読んでこないで、オーディションにも台本持って来ないで「ちょっと見せてください」とか言ってその場で芝居する奴とかいるしね。そういうのも別にいいんだけど「あ、そっかあ」とか思うのでね(笑)。彼女は真面目でしたね。それもよかったし、笑顔もかわいらしかったし。
―― 宮島さんはクセーニアさんと共演していかがでしたか?
宮島:もう、最初から最後まで「この子でよかったな」って思います。ロシア語を日本で学んでいるときって、教えてくださっているのは日本人の方で、その方には言葉の意味だったり「この言い回しはこういうことなんだよ」ということを噛み砕いて教えていただいて、台本を読み解く感じの手助けを一番していただいたんですけど、クセーニアには発音だったり「そうは言わないんだよ」とか教えてもらったりしていたんです。
『LAIKA-ライカ-』より。クセーニア・アリストラートワさん演じるユーリャ(左)と、宮島沙絵さんが演じるライカ。
今関:スカイプでやっていたんですよ。週のうちの平日はいま沙絵が言ったようにロシア語の先生に基礎から1個1個噛み砕いて教えてもらっていて、週末はクセーニアとスカイプで繋いで、ロシア語を喋りながら実際の練習をしたり、クセーニアがダメ出ししたりして、それがすごくよかったみたい。生の相手だからね。
宮島:そうなんです。それもすごく真剣に教えてくれて、いざロシアに行ったときも、すごいサポートしてくれるんですよね。お芝居の面でも「ロシア語わからないでしょ」とか「この食べ物はこうなんだよ」とか「ここはこういうところで」とか、すごい助けてくれて、それが役に反映されたところもあるし、実際にもすごい頼りがいがあって。
今関:すごくお姉さん的でしたね。まあロシアで撮るから彼女が有利というところはあるので。
宮島:だからこそ、けっこう激し目のシーンとかでも、向こうもけっこうぶつけてくるんですけど、こっちも「たぶん受け止めて返してくれるんだろう」って思えたので、すごいバーンってできたし、楽しむこともふたりでワーって気持ちがアガれたりして、クセーニアでよかったなって。
今関:楽しむシーンとかは大半がアドリブなんですよ。自分たちをビデオカメラで撮るところなんかは「お前ら勝手に撮っていいよ」って。ほっとくと延々はしゃいでて、ずっと撮ったりしていたからね(笑)。
宮島:ずっとそうですよね、結局、お互いの言葉をあんまりわかっていなかったけど「そうだよね、わかる」みたいな感じで会話はしていたので。
―― 今回はクセーニアさんだけでなく、宮島さん以外はキャストはほぼすべてロシアの方で、監督は俳優さんとのコミュニケーションという点ではいかがでしたか?
今関:まあ、通訳を通じて話してることも多いし、台本はもちろん翻訳してあって、台本読めば役者は80%、90%わかると思うので、プラスアルファでこっちの狙いだけ「もっとここは激しい方がいい」とか「ここはもうちょっと小さい声で喋ったほうがいい」とか「ここからこういうふうに動いて」という動きも含めての具体的な指示だったりをした上でテストして撮るというのは、実は言語が違うほうが日本よりやりやすいんですよね。これは面白いんだけど、日本人同士で日本で撮っていると説明しなくても「なんとなく」でできちゃうんで、あまり説明しないんだよね。海外のほうが正確に喋るようになるね、自分の気持ちというかやりたいことを。通訳してもらうためにははっきり言わないと絶対に伝わんないわけだから。海外のほうが自分の意志を確認するには面白い。
―― 宮島さんはどうでした? ロシアの方の中でお芝居をして。
宮島:すごい面白いなって思ったのは、私だけじゃなくて監督もそういうところあるんですけど、クセーニアの言葉はすごいわかるんですよ。ロシア語なんだけどクリアに聞こえて、自分の中で翻訳して「こう言っている」ってわかる部分もあれば、クセーニアにはよく知らない単語を言われても、なんか言っていることわかるんです。だけどほかのロシア人の方は、男性でも女性でも、なにを言っているのか単語も聞き取れないっていうのがありましたよね。
今関:これは不思議だよね。なんだろうね、なかなか言葉では説明しがたいけど。
宮島:やっぱり心の距離なんですかね?
今関:逆にクセーニアは、ぼくらの言っている日本語もけっこうわかる。言う前に動いているから「あれ?」って思うくらい。ぼくらが打ち合わせしていて「こうだ」って言うと、もうクセーニアのほうが理解しているんです。あと、カットのあと俺が「うーん」って悩んでOK出さないと、向こうから日本語で返ってくる(笑)。
宮島:「もう1回?」って(笑)。
今関:そう。俺がよく「もう1回」って言うので、俺が悩んでいると「もう1回?」って言われて「そう、悪いけどもう1回」って(笑)。
宮島:なんか言い方がまたかわいいんです(笑)。
今関:だから、こっちの気持ちを表情から読み取るとか、ぼくらの癖がわかるんだね。やっぱり、どういうときにぼくらが気に入るかは「OK」とか「もう1回」でわかるから、お芝居がちゃんとできたかどうかがわかるし、キャストからスタッフの動きも見えるから、スタッフの動きもわかってくる。部屋の中での撮影のとき、小さいやつだけど撮影用の照明を焚いているので、もともとの部屋の照明は本番のときは消すんですよ。必ず助監督とかが消すんですけど、あるとき消していなかったのをクセーニアが自分で消しに行ってたし(笑)。
宮島:監督が、誰かいるだろうと思って「誰か電気消して」って言ったら、一番近くにいたのがクセーニアだったので、パチって消していたり(笑)。
今関:お前が消すのかよって(笑)。だから、彼女も映画撮るのが初めてだったけど、映画の流れがわかってきたことと、ぼくらの癖もわかってきたことがあるから、意思疎通で困ったことはあまりないね。
宮島:逆に言うと、私はクセーニアしかなにを言っているかがわからなかったので、映画の途中で出てくる男の方とかビックリするくらいコミュニケーション取れなくて(笑)。ニコニコしてくれるから「よかった、悪い印象はなにもないんだろうな」って思ったくらいで、ちゃんと通訳してもらわないと、なにが言いたいかとか、ちょっとジョーク言っているのもわからなくて、監督の指示でお芝居することに徹していました。
今関:まあ、クセーニアはほんとに特別だったと思うね。気遣いもよくできた子だったから。
「ライカは映画ならではの存在だと思うよね。現実感はあまりない」(今関)
―― 宮島さんとクセーニアさんの間ではコミュニケーションに困ったことはなかったようですが、映画のライカとユーリャの間には、言葉の壁が生む溝のようなものが描かれているように感じました。
今関:というかね、むしろ言葉じゃなくて気持ちが完全に伝わってないジレンマみたいなのがライカにあると思うんです。ただ、ライカは我がままなので、愛情をより一層求めていると思うんですね。それに対するジレンマがどうしても出てきちゃうのかなという気が、ぼくはしていますね。
―― 宮島さんは、いま監督がおっしゃった「ジレンマ」についてはどうお感じになっていましたか?
宮島:うーん、カメラが回ってライカでいるときには、そのジレンマがずっとあったと思いますね。なんて言うんですかね、ライカはある時点からユーリャは受け入れる体制であったとしても自分が拒否されているって思い込んでいて、私はそのときからずっとその気持ちでいたような気がします。映画の中盤から後半にかけてですね。「あたしのこと気づいてたの?」って聞いて、ユーリャが「ライカがどこにいても分かる」と言っても、それでも遠く離れている気がして、でもどうしたいのか自分でもわからないというのがあったりとかしました。だから、ライカはずっとモヤモヤしているんだと思います。そもそもなにがしたいのかというのがわからなくてっていう。
―― 宮島さんご本人としては、そういうライカに共感する部分というのはありますか?
宮島:うーん、どうなんだろう……。私はライカと同じくらい我がままだとは思うんですけど、たぶん私は執着心があまりないので、あんなにひとりの人を追いかけるとか、向かっていくとか、でも最後は離れる決心をするとか、私はできないと思うんですよね。なんか、私はいい感じのところにずっといるというのを選ぶ気がするので、ライカは私とは違う人間だなって、始まるときも思ったし、終わっても思います。共感は……、あまりないかもしれないですね。そう思うと。
―― 今回は、そういうライカの心情だったり、ストーリーとかも説明しきらずに余白を大きく残している感じがありますね。
今関:というよりは、説明のしようがないよね。漠然とこういう世界観をやりたいとはずっと思っていたけど、現実にライカみたいなのがいたらやだもの(笑)。映画の中だからかわいいけど、あれが部屋にいたらうぜえだろって(笑)。
宮島:それを言ったらユーリャもなかなかですよ(笑)。
今関:でも、ユーリャはまだ普通じゃない? ユーリャみたいなやつはいなくはないけど、ライカになると半分架空の空想動物みたいなところもあるので、映画を観た人の意見でも「ライカはユーリャの幻想で、我がままなもうひとりの自分の実体化で、それがいなくなったから独り立ちした」という見方もあるし、いろいろな見方があって、そういう意味では生々しいひとりのキャラクターという感じではないよね。誰かひとりを愛し続けてしまう、依存してしまう、そういう動物キャラクターなんだとぼくは思っているんです。映画にも話が出てくる宇宙に行ったライカ犬なんかは、もし感情がしっかりあるとしたら、ひじょうに寂しい想いをしたと思うんです。ああいう狭いところで、やっぱり愛情に飢えていたと思うし、ライカはそれの擬人化だと思っているので、それこそ共感しづらいと思うし、観ていて楽しいかもしれないけど、ああはなりたくないなと思うので(笑)。
宮島:アハハ(笑)。
今関:でも映画ならではの存在だと思うよね。現実感はあまりないと思うので。モスクワ中をどう探したって、ああいう格好のやつはたまにいるかもしれないけど、ああいうキャラクターのやつは、まあいないと思う。でも、だからこそなんでもできたよね。ゴミ箱で寝てようがなにしようが、全然自由自在だったから。
―― 宮島さんは、ライカのキャラクターも含めて映画の中で説明されていない部分について、監督に質問したりとかはありましたか?
宮島:一番最初のころ、それこそ撮影に入る前は、1回頭から最後まで台本を読んで「ん?」って思って、考えてもう1回読むと全然違って読めたんです。それで「1回目はこう思って、2回目はこのシーンでこう思って、こうでこうで、こう思ったんですけど、どうなんですか?」って監督に聞いたら「わかんない」みたいな感じだったんです(笑)。何度そのやり取りをしても「わかんない」って言われて、でも私も監督に「こうでこうで、こうなんじゃないか?」って言われたら「あ、わかんない」ってなっちゃって(笑)。そのやり取りは、撮影中も終わってからも、ずーっとしていました。
今関:お互いにわからないのを探りながらだよね。脚本家もそうで、なかなか最初ライカ像ができなくて「そうじゃない、ライカはそんなことしない」って言っていろいろやって、そういう問答を繰り返しながら作っていった感じはするかもしれないね。
宮島:そうですね、未解決ですよね。
今関:ぼくは毎回はぐらかして(笑)。「そうかもしれないし。そうじゃないかもしれない。うーん、わかんないね」って。
宮島:「わかんないけど、こうなんじゃないのかな」「そっかあ」っていつも思ってます。
今関:架空の人物を作り上げるということはそうなんだろうなって。答えがひとつじゃない感じはするね。
―― 監督はもうすでに何作も海外での撮影を経験されていますが、今回のロシアでの撮影はいかがでしたか?
今関:海外撮影はいろいろやって来たけど、一番スムーズに行けた気がしますね。次も台湾で撮ろうと思って準備しているんですけど、ぼくにとってはほんとに海外のほうが撮りやすい。やっぱり集中できるので。日本で撮ると、1日の撮影が終わったらみんな家に帰っちゃうし、次の日また集合してってやると気持ちがオフっちゃうんだよね。海外で撮るときは、気持ちがずうっとつながっているからね。それはすごく楽しいし、異国の文化を色々知ることも楽しい。
―― 宮島さんは、初の海外撮影をどうお感じになりました?
宮島:一番に出てくるのは、やっぱり「楽しかったな」ということですね。知らない景色の中に自分がいるのを残してもらった嬉しさみたいなのもあるんですけど、知らないことを知ることができて、知らなかったはずの人と喋れてという、映画を作る目的以前のことがもう楽しくて、もう目新しいことしかなかったので「またこういう体験ができるのかなあ?」って思えるようなことが体験できたのがすごくよかったと思います。ただ、ちょっとつらかったのは、あまり外に出て運動できなかったことですね(笑)。「危ないから出ないで夜は」って言われて、それくらいでしたね。
今関:そりゃそうだよ、主演女優だもん。なんかあったら大変だから(笑)。
―― では最後に『LAIKA-ライカ-』のこういう部分を観てほしいというメッセージをお願いします。
宮島:そうですね、小さい部屋の中で暮らしている女の子たちと、ユーリャの大きなところに出て見えない敵と闘っているという感じとか、見えないなにかを掴もうとしているライカとか、誰しもみんな見えている幸せもあれば、見えなくてモヤモヤしていたりとかもあるので、そういう部分で共感があるかもしれないし、ないかもしれないんですけど、そういうところをまず観てほしいです。あとは、愛情の出し方とか接し方は自由なんだなというのを観てほしいなと思います。昨今の日本だとLGBTのこととかが話題に上がることも多くて、それは別に否定することでもないし、本人たちは本人たちでいろいろありながら楽しくももがきながらもやっているというのを観てほしいなと思います。
今関:とにかく、オリジナルのストーリーだしオリジナルのキャラクターなんで、どう観てくれるかほんとに楽しみです。だから、あんまり先入観なく観てほしいなって思います。まあ、かわいいです。それさえあれば、あとはなにもいらない(笑)。
宮島:きれいですしね。目に嬉しい。
今関:そう。モスクワの街もきれいだし、かわいくてきれいな映画でございます。
LAIKA-ライカ-』劇中とは違った雰囲気ながら、どこかに劇中のライカにも通じる不思議さものぞかせる宮島沙絵さん。『LAIKA-ライカ-』での演技はもちろん、今後のご活躍にも注目です。
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(2018年1月18日/アイエス・フィールドにて収録)
LAIKA-ライカ-
- 監督:今関あきよし
- 出演:宮島沙絵 クセーニア・アリストラートワ ほか
2018年2月17日(土)より新宿K's cinema にてロードショー