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『半狂乱』藤井秀剛監督インタビュー

 夢を追いつつもチャンスを掴めない29歳の劇団員、将と樹志(たつじ)たち。彼らが勝負をかけた大規模な舞台公演が幕を開けた直後、予想外の事態が起こる。それは200人の観客が人質となる「劇場占拠事件」の始まりだった――。
 20年前に実際に起きた劇場占拠事件を映画化した『半狂乱』は、劇場での異常事態と強盗計画、そして夢を追う若者たちの焦燥が、過去と現在が交差するインターカット劇の手法で描かれる異色の青春クライム・サスペンスとなっています。
 脚本・監督は『狂覗(きょうし)』『超擬態人間』と衝撃作を次々と送り出す藤井秀剛監督。観客を翻弄する展開で《年齢と共に夢を追う事が難しくなる現代社会》を鮮烈に浮かび上がらす『半狂乱』を、いま藤井監督が放つ理由とは!?

藤井秀剛(ふじい・しゅうごう)監督プロフィール

中学卒業後に単身渡米し、カリフォルニア芸術大学を卒業。10年のアメリカ生活から帰国後、2500本 の脚本の中から、音楽プロデューサー・つんく♂氏に見出され『生地獄』で監督デビューを果たす。人の恐怖に社会風刺を交えたサスペンス/ホラーのみを描くジャンル監督。2017年に公開された『狂覗(きょうし)』は1週間のレイトショーに始まり、ロングランヒットを記録。キネマ旬報からも年間BESTに選ばれるなど、高い評価を得る。『超擬態人間』(2018年)で世界三大ファンタスティック映画祭のひとつブリュッセル国際ファンタスティック映画祭のアジア部門グランプリを受賞。社会派リベンジ・サスペンス『猿ノ王国』が2022年公開決定しており、香港の大スターであるジョシー・ホー主演の香港映画『怨泊~OnPaku~』が仕上げ中

『半狂乱』という企画は若い俳優たちのために作るのが一番ふさわしい

―― 『半狂乱』は、以前の『狂覗(きょうし)』や『超擬態人間』に比べてメジャー感があると言うか、ハリウッド映画的な間口の広さを持った作品になっていると感じました。監督ご自身は今回どういう方向を目指していたのでしょう?

藤井:「こういう方向にしよう」と考えたというよりは、自分のいろんな部分が出たのかなと思います。みんなそうだと思うんですけど、ぼく自身の中に「ホラー好きの自分」「サスペンス好きの自分」みたいにいろいろなパートがあって、『半狂乱』はそんな自分の要素の集大成みたいなところがあるんです。ぼくはハリウッド映画も大好きですし、メジャー映画も大好きですし、そういったところがいままでより前に出たのかもしれません。特にこの『半狂乱』という企画は20年くらい前からずっと映画化しようとやってきた企画なので、いろいろな部分がミックスされたのかなと思います。

―― もともと20年前に企画がスタートしたのはどんなきっかけだったのですか?

作品スチール

『半狂乱』より。夢を掴むために若き俳優たちは舞台に立つ――

藤井:発端は、当時ぼくはアメリカから戻ってきたばかりで、いわゆる業界のコネがまったくなくて、企画を持って映画会社とかを回ってもろくに話も聞いてもらえず、なにもできないわけですよ。そうなると自主で力を証明しなければいけないけど、金がないから映画も作れない。そこで、仕方なく舞台を企画しました。しかし、実際に演じていたぼくたちは、舞台上で本気で狂ってしまったんです。その結果、警察が来て事件化してしまった。実際に観客を監禁したわけですから。後日、冷静になったときに「これは映画化すると面白い」と思って、映画のホン(脚本)に仕立てようということになったんです。映画の中で主人公たちがやるのは、ぼくが実際に起こした劇場占拠事件の再現なんです。ただ、それだけだと映画化するには足りないかなと思ったので強盗の話を足しています。それは、当時ぼくがコンビニの売上金をバイトが手持ちで銀行に入金に行く、しかも月曜日には週末の分もまとめて入金に行くという、海外ではあり得ないような入金方法に驚いたので、それを加えて脚本も書いたという、それがきっかけなんです。

―― 完成した作品では、劇場占拠や強盗計画という犯罪の要素に加えて、夢を追っている若者たちの焦燥も大きな要素となっていますね。その要素も当初から脚本にあったのでしょうか?

藤井:ありましたね。でも、当時の脚本はもっと怒ってばかりだったんです。最初の脚本を書いたときぼくは22歳とか23歳だったと思うんですけど、たぶんすごくストレスが溜まっていたんでしょうね。表に出たいし爆発したいのにさせてもらえない、自分の力を信じているのにその力を発揮させてもらえないという鬱憤があって、その鬱憤と同時に将来の不安もあったというのは自分でも覚えています。ただ、ぼく自身で考えると、23歳のときの不安と29歳のときの不安というのはまったく違っていて、23歳のころは表に出たいという欲のほうが強いんですけど、29歳になると不安のほうが全然大きくなって、ほんとの意味のストレスになっていたんです。それはぼくだけではなくて、いろんな人に話を聞くとみなさん29歳のころってそうなんですよ。「30の壁」って大きくて、みんなそこにぶち当たっているんですね。そこを描けたらいいなというのは、今回映画化するにあたって思っていました。

―― 20年くらい前からの企画がこのタイミングで実現することになったのは、どんな経緯だったのですか?

藤井:映画化するために、いろんな映画会社に持ち込んでは脚本を書き直しさせられました。ある映画会社ではSF映画にしろと言われてSF版の脚本を書いたりもしたんですよ(笑)。そうして10年くらいやり続けて、いろんなかたちになって姿を変えて、10年の間にぼく以外の脚本家も十何人入ってます。最後は大手の映画会社でインする直前まで行ったんですけど結局ダメになりました。そのときに、ぼくの心が一度折れました。三十稿以上も書いてなにが正しくてなにが間違ってるかがまったくわからなくなったんです。そこで、一度塩漬けにしようと決めました。いつか映画化しようと。それから7年くらい経って、無名の若い俳優さんたちと付き合う機会が増えていく中で、この企画が、彼らにこそピッタリなのかなって思いはじめたんです。それは、20代後半になり、不安を感じつつ、そのストレス中でもがきながらがんばっている俳優たち。しかし、ストレスを感じてる割に、なにもしない子たちも同時に多く存在してて、ぼくはそこに腹据えて事件を起こしたころの自分とのギャップを感じました。そのギャップがぼく自身のストレスにもなっていったりもしたんです。がんばっている子もいるし、もっとがんばれよ! と叱咤したい奴らもいる。そういうことを全部ひっくるめて、この『半狂乱』という企画は、この子たちのために作るのが一番ふさわしいのかなと思って、もう一回やろうと思ったんです。

「人生の中でずっと語り継げるだけの熱さを持って演じてくれ」という話はしました

―― 企画を再スタートさせるにあたって、当初の脚本から変わった部分はあるのでしょうか?

藤井:変更した箇所はいろいろあるんですけど、穴を埋めるような作業が大半でした。当時はぼくも含めて誰もこのホンをまとめられなかったんです。もともと、ぼくがずっと憧れていた『ゴッドファーザー PART II』(1974年・米/フランシス・フォード・コッポラ監督)のような過去と現在が交差するインターカット劇がやりたくて書きはじめたんですが、ぼく自身がうまくまとめられず、別の脚本家に任せたけどその人も無理で、次に任せた人もまとめられず、十数人の脚本家にトライさせましたが、誰もうまくいかなかったんです。だから、この年齢になって改めてこのホンと向き合うときには、トラウマ的な怖さがありましたが、意外とスラスラ書けちゃって(笑)。当時は埋められなかったミステリーの解決法などを簡単に埋められたりしました。やっぱり当時は知恵が足りなかったんでしょうね(笑)。そうした話の辻褄合わせを、20年経ってちょっとだけ賢くなったお陰で埋めていくことができました。
 そんな過去に書いたものの改編に加え、現代の29歳に対するぼくのイライラも入れました。70年代、80年代の人というのはもっと熱く夢を追いかけていた人たちが多くて、いまの若者にはない思い切りがあったと思うんです。ぼく自身も、命懸けだったし、逮捕されることすらなんとも思わないくらいに、夢を走ることに腹を据えてました。その結果、舞台では本気で狂ったし、本気で仲間を殴り殴られました。それは、なんとかこの業界に入るために壁を壊したくて、とにかくすごいものを作りたい一心でした。SNSなどがなかったのもありますが、SNSなどでは消化できないパワフルで人生に価値のあるものを本気で追ってました。そのためなら死んでもいいと思ってました。その気概が、現代の若い人たちにあるのかと思うんです。そういう話をすると「時代的に無理」という言い訳をされそうですけど、時代は関係なしに「そこまで腹が座った部分が君たちにはあるのか?」というイライラがぼくのストレスとしてこの作品に投影されているところはありますね。だから、この作品の登場人物たちって、主人公の髪型もそうですけど、70年代っぽさを目指したところはあるんです。

―― 作品を拝見して1970年代の青春映画のようなやるせなさを感じたので、いまのお話でなるほどと思いました。

作品スチール

『半狂乱』より。舞台用のメイクをした越智貴広さん演じる主人公・小山田将

藤井:これは20代の人だけじゃなくてぼくたちも含めたほかの世代もそうですけど、いまの人たちってコンプライアンスをすごく気にしていて、もちろんコンプライアンスってものすごく大事で避けては通れないものですけど、そこに逃げているんじゃないかと思うことがあるんです。「いまの時代はこれはできない、あれはできない」と言っているばかりではしょうがないでしょうというストレスは相当にありますね。特に、いま夢を追っている若い人たちはみんな揃ってSNSが唯一の突破口だと思っていて、動画を投稿するしかありませんみたいに発想が陳腐になっていると思うんです。それは熱が足りないんじゃないか、もっとアイディア出して、アイディアがなくてもとにかくやっちゃえよみたいに感じるところはあるんです。

―― そういう若者像を描く上でキャスティングも重要だったと思います。キャストはオーディションで選ばれたそうですが、その際に重視されたポイントはなんでしょう?

藤井:まず20代後半であるということ。29歳という年齢にはこだわりました。あとは、どれだけ自分のやっていることを愛しているかで、そういう熱さを持った子たちは選びたいなと思っていたところはあります。ちょっとした熱さは最低条件でした。それから、プロデューサーからの意見もあって「狂った感」がある人を選んだところはありますね(笑)。『半狂乱』という映画なんだから、狂った役を演じられなければダメでしょうということです。

―― 実際の撮影の際に出演者の方々に求められたのはどんなことですか?

藤井:舞台のシーンではとにかく熱さは求めました。舞台のシーンの撮影は2日間だったんですけど「この2日間は自分の何十年の人生の中でずっと語り継げるだけの熱さを持って演じてくれ」という話はしましたし、鼓舞もしました。ただ、さっきの話ともつながるんですが、いまはこういう狂った作品を作るのは難しい時代に入りましたよね。怒鳴って鼓舞するようなことは時代的にできないですから。「時代なんか関係ねえよ」と無視するのは簡単ですが、問題は時代が変わっているだけではなく役者も変わっているんです。「そんなんじゃダメだ! もっと来いよ!」みたいに怒鳴って演出をすると、いまの子たちはスーっと引いちゃうんですよ。拗ねるとかではなくて、目の奥から光がなくなって芝居をすることに興味がなくなっていくのが見ていてわかるんです。そうなると、こういう演出法はもう使えないですよね。怒鳴って鼓舞しなければいけないときに、怒鳴る演出が使えないのは辛いですよね。狂う芝居なのに、優しく「いいね、その狂い方はいいよ! 君ならできるよ、もっと狂ってごらん」みたいにやらなくてはならないんですから(笑)。そういった意味では面白い体験はしましたし、これからの演出家はそこに向き合っていかなくてはいけないんだなって思います。亡くなったキム・ギドクは、とてつもない作品を作りましたが、彼のような撮り方はもう許されないでしょう。「対時代」じゃなくて「対役者」がそうなので、変わらざるを得ないと思います。その結果、今回のように、なんとかぼく自身が満足できる狂いレベルまで持っていければいいですね。とはいえ、ぼくが実際に舞台でやったときのほうが狂ってましたけど(笑)。

単なるオマージュを超えて、ぼくなりに消化して提示しているところはある

―― 今回は、ブライアン・デ・パルマのような分割スクリーンなど、映像面でのサスペンス的な手法が積極的に取り入れられている用に感じました。

藤井:スタイルとしては以前の『狂覗』も同じ感じだし、全然変わっていないんですよ。唯一、今回多用したのが二分割スクリーンで、もちろんデ・パルマがずっとやっている手法でサスペンス的なものを盛り上げる効果はあるので、そのために使ったというのはあったんですが、ぼくとしてはサスペンスだけではない分割スクリーンの使い方にチャレンジしてみたんです。まずひとつは、今回はインターカット劇で過去と未来を別々にかつ同時に描くというのがぼくのテーマとしてあったので、それをシンボライズした意味で二分割スクリーンを使っています。もうひとつは、心理描写として分割スクリーンを使えないかと思ったんです。実際に、ふたりの登場人物の会話が噛み合わずにすれ違っているのを分割スクリーンで見せられないかと思って使っていて、それは意外とうまくできたのではないかと思っています。それから、ふたりの登場人物の対比を見せるために分割スクリーンを使ったところもあります。そういうチャレンジをしているので「デ・パルマのパクリ」と言われると、敬愛している監督ですから嬉しいのと同時に、ちょっとムカつきますね(笑)。「テクニックとしては同じでも違うことをやっているんですよ」と。デ・パルマ自身も、ずっとヒッチコックのコピー監督みたいに言われていたじゃないですか。でもデ・パルマはヒッチコックのテクニックをさらに応用して使っていたんですよね。ぼくも、単なるオマージュを超えてデ・パルマのテクニックをぼくなりに消化して提示しているところはあるので、オマージュとして楽しんでもらいつつ、サスペンスとは違った分割スクリーンの使い方を楽しんでもらえたら嬉しいですね。

―― 主人公たちが強盗計画を練る場面では、かなり大胆な手法が使われていますね。

インタビュー写真

藤井:あれもぼくなりの応用ですね。よくソダーバーグが使う手ですけど、ソダーバーグはあそこまで場所を変えてやらないので、これも単なるオマージュではなくて、全部応用しているんだというのを観てもらえると嬉しいです。

―― 登場人物の同じ動作をきっかけに過去と現在のシーンが切り替わるのも印象的です。

藤井:いわゆる編集で言う「アクションつなぎ」というやつで、これがうまいのはやっぱりソダーバーグですね。ぼくはこれが大好きなんで『狂覗』とか『超擬態人間』でもやっていますし、それこそデビューのころからやっていますけど、今回はけっこう多用したかなと思います。ただ、アクションつながりの点で言うと、もっとうまくできたかなと思うんです。ぼく的にはギリギリの点数ですね(笑)。

―― 劇場のシーンは客席にエキストラを入れて撮影されていますが、エキストラの方々は脚本を知らないわけですよね。ということは、客席のリアクションはある意味でドキュメンタリーになっているのではないかと思いました。

藤井:そうですね、ひとりエキストラで「こんなの聞いてない!」って怒って帰っちゃった人もいましたからね(笑)。でも、やっていて安心感はありました。ぼくが20年前に劇場を占拠したときは300人の劇場だったんですけど、今回は200人でそれより少ないですし、撮影という大前提でやっているのでぼく自身がすごく客観的に見ることができました。20年前のほうが緊迫感がありましたね。そのときはぼく自身がほんとに「ぶっ殺してやろう」くらいの気持ちでいたんですけど、今回はカメラを回しながら楽しかったです。最後の撮影が終わったときには、エキストラのみなさんがお芝居じゃなく拍手をしてくださって、みなさん「面白かった」とおっしゃってくれて、最後まで帰らずに参加してくださった方はみなさん面白がってくれたのかなと思います。ただ、結局は映画の半分くらいしか見ていないじゃないですか。だから物足りなかったみたいで「これで映画化するのはどうなるんですか?」みたいに心配してくださる方もけっこういたりして、そこは「いや、これにまだ足しますから大丈夫ですよ」って(笑)。

―― エキストラを入れての撮影で、監督が予想していなかったことはありましたか?

藤井:お芝居です。みなさんすごくお芝居をしてくださって「こうしてください、ああしてください」と言わなくても怖がるシーンは怖がってくださったり、喜ぶところは喜んでくださったり、こんなにクオリティの高いエキストラは初めてというくらいみなさんお芝居してくれたので、ほんとに驚きました。ほとんどなにも言うことなくて、逆に「ちょっと芝居が大きいから下げてください」と言うくらいで(笑)。だから感謝しかないですね。撮影とはいえ劇場にずっと監禁された状態で怖い想いをして、ひとりは耐えられなくて帰っちゃいましたけど(笑)、帰っちゃった方も含めてみなさんに感謝しています。

とにかく劇場で観てほしいというのはすごく大きい

―― 今回、一般の方も招待した試写をおこなったあとで、ラスト15分に手を加えられたということですが?

藤井:変更点はふたつあるんです。ひとつは、登場人物たちが考える計画がいまひとつ明確ではなかったので、それを明確にするために二分割スクリーンのカットをひとつ加えています。もうひとつは、もともとはある登場人物の関係が少しボヤけていて、それは映画を観終わって家に帰って考えてわかるくらいがちょうどいいと思ってボヤかしていたんですけど、試写のあとでぼくが想定していなかった解釈をなさった方がいらしゃったんです。ちょっと驚くような解釈で、それだとぼくの意図とはまったく違ったものになってしまうので、その関係を明確にするためのカットを加えました。それによって感情がかなり昂ぶるので、すごくいいカットになったと思います。アメリカ映画なんかでも、試写で反応を見るモニタリングをすごくしっかりやるじゃないですか。モニタリングってほんとに重要で、だからぼくは、極力やれるときは試写のあとにもギリギリ公開前までは変えるつもりでやるんです。そういった意味では、今回の試写もすごくいい試写でした。

―― ちょっと細かいところになりますが、今回メインとなるふたりの登場人物が「小山田将」と「杉山樹志」と、実在の俳優さんの名前が使われていますね。(※実在の小山田将さんは現在は「小山田匠」に改名して活動中)

作品スチール

『半狂乱』より。工藤トシキさんが演じる主人公・杉山樹志

藤井:もともとぼくは友人の名前をよく使っていて、そのほうがぼく自身が役に感情移入しやすいんです。小山田さんも友人で、ご家族もいらっしゃるし日本でのキャリアもあったのに数年前に渡米して、いまはアメリカで活動していらっしゃるんです。そういう挑戦をするバイタリティがあるすごい方でぼくは大好きですし、尊敬できる役者さんのひとりなので、その名前を使わせていただいています。杉山樹志は『狂覗』とか『超擬態人間』で一緒にやった主演の子で、追悼というか、彼が生きていたらこんな役者になれていたらよかったなと思って彼の名前を付けました。(※杉山樹志さんは2017年に急逝)ちなみに、そのふたり以外も全部友人です(笑)。

―― いよいよ公開が迫っていますが、いまのお気持ちを聞かせてください。

藤井:この作品はいろいろな意見があって、楽しむ人はすごく楽しむし、楽しまない人はすごく楽しまないみたいなんです。先ほど「メジャー感がある」とおっしゃっていただいたように、ぼくとしてもこの作品はあまりコアな層を狙ったものではなくて、コマーシャルな作品だと思っているんです。前の『超擬態人間』が賛否両論になるのはわかるし、その前の『狂覗』も癖があるから好き嫌いがあるのはわかるんですけど、この『半狂乱』がダメだという人がいると「なんでだろう?」と思うんです。だから、公開されて好き嫌いがどうなるんだろうって不安なんですよ。これが嫌いと言われたらぼくはなにを道標にして映画を作ればいいんだろうって(笑)。ただ、いままでにいただいたマイナスの意見を見ると、なにかしらの理由で映画を観る集中力が削がれてしまった状態で観ていたのかなって思うんです。試写室で集中して観た方はほぼ満足と言ってくださっているので、劇場向けの映画なのかなと思っていて、とにかく劇場で観てほしいというのはすごく大きいですね。

―― 今回の作品は2度3度と繰り返し鑑賞するとより楽しめる作品かなと思います。

藤井:特に今回は2度目3度目を観る方のためのオマケはいろいろと用意しているんです。そこはデ・パルマの影響ですよね。デ・パルマは2回目観ないとわからないようなヒントを敢えて入れ込むじゃないですか。敬愛するデ・パルマの継承として、実は2度観ないとわからないようなところがいろいろとあるので、2度目3度目のほうが楽しいと思います。

(2021年10月8日/都内にて収録)

【『半狂乱』予告編】
作品ポスター

半狂乱

  • 監督・脚本・撮影・編集:藤井秀剛
  • 出演:越智貴広 工藤トシキ 山上綾加 山下礼 望月智弥 美里朝希 田中大貴 宮下純 種村江津子 ほか

2021年11月12日(金)渋谷ヒューマントラストシネマ ほか全国順次公開

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