|
映画監督って何だ!
|
|
2006年3月2日(木)・19日(日)、京都文化博物館「監督協会創立メンバーの11本+1」の中で
2006年3月24日(金)、新文芸座「映画監督が愛した監督―日本映画監督協会70年の70本+1」の中で、
それぞれ上映
|
|
|
|
|
映画『映画監督って何だ!』は、日本映画監督協会が創立70周年記念事業の一環として製作したものです。協会員が一丸となって製作したこの記念映画には、監督90名が俳優として出演し、さらにスタッフとして60名の監督が参加しています。まさに「監督の監督による」映画作りだったといえます。もちろん、協会員150名以外にも、小泉今日子、佐野史郎、石川真希、原田芳雄などの俳優陣や、撮影、美術、録音などの本業スタッフの援軍も得ています。
「映画監督」の仕事の本質は何かを改めて問うところからはじめ、<時代劇>あり、<再現劇>あり、さらには<ドキュメント>、<インタビュー>で構成されるこの映画の一貫するテーマは、<「映画の著作権」獲得>への宣言です。そうです。この記念映画は、1971年施行の現行著作権法により奪われた映画監督の著作権について、映画監督の誇りをかけて「監督は映画の著作権者である!」と宣言し、悲願の実現を目指すものです。
映画のオープニングは“設立秘話”です。1936年(昭和11年)2月26日未明、東京・神田の駿台荘に集まった伊丹万作、衣笠貞之助、伊藤大輔、村田実、牛原虚彦の5監督が衆議一決、日本映画監督協会の設立を決定しました。折りしもこの日は、「動乱の昭和」の予兆となった「2.26事件」の当日でした。
次に映画は一転して時代劇になります。登場するのは浪人・管徳右衛門(小栗康平監督)と元・花魁の脚本太夫(阪本順治監督)。ふたりの間に生まれた子供を悪徳大家・著作軒二十九(若松孝二監督)が用心棒を連れて奪いに来るアクション劇です。いうまでもなく、カントクとキャクホンの間に生まれた「作品」を「著作権29条」が奪っていく――この映画のテーマ、「著作権問題」のアナロジーです。
さらに著作権にかかわる話は女弁士(小泉今日子)と男弁士(成田裕介監督)によって案内されます。女弁士は“歴史探偵”となって、1931年(昭和6年)、日本帝国議会での著作権法改正法案説明者、内務省警保局図書課員・小林尋次氏(山本晋也監督)を訪ね、当時の「映画監督と著作権の関係」を聞きます。小林氏は「完成された映画の著作権は映画監督が原始取得するものであるが、契約に基づき、完成と同時に映画会社に移るものとして意見を統一した」が、「質問を受けなかったので答弁の機会はなかった」と応えて、無情にも冥界に去っていきます。しかしその内容は小林氏の著した「現行著作権法の立法理由と解釈」(昭和33年文部省発行)に明記されています。1971年施行の改正著作権法は、著作権は「著作者が映画の製作に参加することを約束しているときには、映画製作者に帰属する」と、監督の著作権をまったく認めていません。改正著作権法によって「監督の著作権が剥奪された」と主張する所以です。
そして映画は、1960年代の著作権制度審議会や、69年、70年の衆参両院の文教委員会での現行著作権法の審議過程を黒海議事録を基に精密に再現します。そこに登場する安達健二文化庁次官役の小水一男監督をはじめ、野党議員を演じる監督協会員諸氏の演技は全員“著作権奪還への思い”を秘めてか、迫力に満ちており、静謐な中にも次第に緊張が高まっていくその芝居は圧巻です。かつての「文士劇」をはるかに凌駕する「監督劇」となっています。
「映画監督って何だ!」という問いには、直接的には協会員20名がインタビューに応えています。その問いは、<自らの存在自体が明らかになる多様な答え>と現実の撮影現場での<監督を凝視するドキュメント>が相まって、重層的に解き明かされていきます。
さらに、五所平之助監督の『煙突の見える場所』(1953年度作品)の一場面を鈴木清順、林海象、本木克英の3監督がそれぞれの視点で撮影する劇中劇が加わります。映画ファン必見のシークエンスです。「同じ脚本でも監督が違えば、まったく違う場面ができる。これは監督が真の著作者であり、監督に著作権が存在する証明になる」(伊藤俊也監督)という狙いを越えて、その<方法自体がテーマ>と重なるこの記念映画は、結果として映画の「新しい可能性」すら期待させる作品になっています。
|
|
|
|
脚本・監督:伊藤俊也
プロデューサー:高橋伴明/林海象/山本起也
音楽:宇崎竜童
撮影・照明:長田勇市
美術:今村力
録音:福田伸
編集:清水怜
助監督:茅場和興
製作:協同組合 日本映画監督協会
|
小泉今日子
佐野史郎
石川真希
原田芳雄
監督協会員総出演
|
|