
日本に大衆文化が花開き、現代の生活や文化の原型が誕生した昭和初期。『丘を越えて』は、そんななにもかもが新しさに満ちていた時代を舞台に、「真珠夫人」などを著した高名な作家であり、芥川賞、直木賞の創設者である菊池寛と、その周囲の人々が織りなす物語だ。
昭和をテーマに著作を展開する作家・猪瀬直樹の「こころの王国」を原作に、多くのドラマを手がける今野勉が脚本化。『TATOO(刺青)あり』『光の雨』『火火』など、常に時代を象徴する作品を撮り続けてきた高橋伴明がメガホンをとり“モダンの時代”を描き出すフィクションとして完成させた。
菊池寛を演じるのは「釣りバカ日誌」シリーズや『ゲロッパ!』の西田敏行。人気作家にして文藝春秋社社長である“時代のパトロン”を、人間味たっぷりに演じている。
そして、朝鮮の貴族出身で母国に変革をもたらす野心を持つ編集者・馬海松(ま・かいしょう)に『Dolls ドールズ』などの西島秀俊、菊池の秘書となり時代の先端を見つめる葉子役に『金髪の草原』などの池脇千鶴。さらに余貴美子、峰岸徹、嶋田久作など、日本を代表する名優たちが顔を揃えた。
主題歌は『猫の恩返し』の主題歌「風になる」のシンガーソングライター・つじあやのが名曲「丘を越えて」を新たな感覚でカバーしている。
昭和初期という時代を描くため、映画の細部に至るまでこだわりが尽くされている。セリフには時代を映した言葉遊びが盛り込まれ、「丘を越えて」「君恋し」「アラビヤの歌」など昭和歌謡の数々が物語を彩る。現在の目から見れば新鮮さすら感じさせるファッションや、美術、当時の面影を残すロケセットにも注目だ。
菊池寛生誕120年、没後60年を記念する本作は、昭和初期の時代の息吹きを伝え、観客を華麗なるワンダーランドへと誘い込む。

ときは昭和のはじめ。江戸情緒の残る東京・竜泉寺町に育ち、女学校を卒業した細川葉子(池脇千鶴)は、知人の紹介で出版社・文藝春秋社の面接を受けることになった。会社の入口で出会った編集者・馬海松(ま・かいしょう:西島秀俊)は、葉子は社長の目に留まって合格するだろう、と予想する。
馬の予想は当たり、会社の幹部の佐々木(嶋田久作)は、不景気を理由に採用を見送ろうとしたが、高名な作家で社長の菊池寛(西田敏行)は、江戸の心を持った葉子が気に入り、葉子は個人秘書として採用されることになった。
高級外車や、帝国ホテルでの食事、ダンスホールなど、下町育ちの葉子にとって、菊池の生きる世界はまばゆい光に彩られているように見えた。同時に、菊池の人情家の面も知り、菊池という人間の大きさに憧れを抱いていくのだった。
菊池が新雑誌「モダン日本」を創刊して間もなく、会社を休んでいた馬が「モダン日本」の編集に携わりたいとやって来た。葉子からその話を聞かされた菊池は不機嫌になりながらも、馬に「モダン日本」を任せる。
最初は馬を敬遠していた葉子だが、遊び人を気取りつつも祖国・朝鮮に変革をもたらしたいという情熱を秘めている馬に、徐々に惹かれていく。一方、心臓に持病を抱え、自分の余命を気にする菊池にとって、葉子はかけがえのない存在になりはじめていた。
対照的なふたりの男の間で漂いつつ、葉子自身も、女流作家になりたいという目標を抱くようになる。だが、時代の大きな流れが3人を飲み込もうとしていた――。