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『Life on the Longboard』大杉漣さんインタビュー

 定年退職後、種子島に渡ってサーフィンを始めた男性を主人公に、島の人々との触れ合いを描いた映画『Life on the Longboard』。55歳でサーフィンに挑戦する主人公・米倉一雄を演じたのは、多くの作品で印象深い演技を見せ、いまや日本映画界には欠かせない存在である大杉漣さん。映画のため、実際にサーフィンの練習をし、吹き替えを一切使わずに撮影に臨まれた大杉さんに、この作品についてお話をうかがいました。



特別の人間ではないということを意識した

―― 『Life on the Longboard』のお話があったときはどう思われましたか。

大杉漣:主演であるということ、中身がサーフィンだということで、ちょっと意外な感じがしました。「なんでぼくなんだろう?」みたいなところはあったんですけど、喜多(一郎)監督に「最初から大杉さんをイメージして書きました」とうかがって嬉しかったですし、サーフィンというのはまったく触れたことのない世界だったものですから「自分がサーフィンをやったらどうなるんだろう」というのを脚本を読んだ段階から考え始めたんです。だから、意外な部分もありましたけど、やってみたいという気持ちのほうが強かったですね。

―― 初の単独主演となりますね。

大杉:そうなりますね。ただ『不貞の季節』(2000年/廣木隆一監督)も主演ですし、ほかにもあるって言えばあるんですよ。ぼくは主演ということに殊更にこだわっているわけではないものですから、主演だからという特別な肩肘の張り方というのはなかったと思います。

―― 今回演じられた米倉一雄は55歳で、大杉さんより少し年上の設定ですが、この役にはどんな印象を持たれましたか。

大杉:特別にアバンギャルドな役でもないし、エキセントリックなわけでもないし、どこにでもいるかもしれない中年男と言うんですかね。普通のお父さん、特別の人間ではないということを意識したと思いますね。

―― 一雄は、自分の退職であったり、父親の老後の問題、娘の就職の問題と、いろいろな問題を抱えていますね。

大杉:定年退職とは違いますけど、実際にぼくの周りにも商売やっていてうまくいかなかった奴だとか、会社に勤めていて、今で言うリストラというものを受けた友人もいるんですよね。リアルタイムで現実としてそういうことがあるわけですから、そういう状況に置かれている方は米倉だけじゃなくて、世間一般にたくさんいらっしゃるような気がします。
 結局、米倉さんは会社でも期待されていなかったんですよね。家庭でのギクシャクもあるし、そういう意味ではあまり前向きではなかった退職だった気がするんです。それで、辞めたあとに膨大な暇な時間というのがあったわけで、その中で、かつて女房と過ごした時間の中に、サーフィンというものがあったと。それを思い出したときに瞬間の思い付きみたいなことで種子島に出かけたんだと思うんですね。最初からなにか目的があって選択をしたのではなくて、たまたまそういう風になっていくという時間のたどり方をしたんだなという感じがします。
 娘のことにしても親父のことにしても、なにも解決したわけではなくて、問題は問題としてそこに残ったまま種子島に行っているんですよ。そこでいろんな人と出会うことによって、彼自身が今までとは違う形で自分の生というのを見つめることができたという部分はあるのかもしれないし、環境を変えることによって、親のことだったり娘のことを考えられたというところはあったのかも知れないですよね。あのまま東京にいたら、なにも変わらないまま過ごしていたんでしょうね。

―― 一雄は、セリフで語られている以上の思いがあって島に行ったのではないかと思ったのですが。

大杉:それはどうなのかなあ。ぼく自身はそこまでは考えなかったのかもしれないですね。正直、なぜ種子島だったんだろうってことも、ぼくにはわからないところもあるし。でも、近郊ではなかったんでしょうね。サーフィンをやるなら千葉でもできるわけですよ。だけど千葉でもなく、茨城でもなく、もちろん湘南でもなかった。やはり東京の近郊から離れたかったんじゃないかな。どこか自分が行ったことのない島に行きたかった。それが沖縄ではなく、種子島という島だったんだと思いますね。

―― 父親役の奥村公延さんとおふたりでのシーンはとても印象的でした。

大杉:意識したのは行間ですね。父と息子の関係を、セリフとセリフの間の沈黙の時間でどれだけ表現できるかってことが大事だったような気がします。親子だし、特に男同士っていう関係においては、饒舌に言葉を置くこともないし、ひとこと言ったら父親がだいたいのことは理解しちゃっているような関係っていうのが、セリフが出るまでの時間だとか、間合いに見え隠れしているといいかなと意識したと思うし、ぼく自身も、好きなシーンです。

―― 亡くなった奥さんとの回想シーンとそのほかのシーンではかけているメガネが違っていましたね。

大杉:あれは意図的にやっています。実際に近視なものですから普段もかけているんですけど、メガネってやっぱり大事な小道具ですよね。回想シーンでしたから、少し若々しく見えるように変えたかったんですよ。一番ラストではサングラスもかけてますけど、3本とも自前で用意しました。

―― ラストでは髪型もちょっと変わっていますね。

大杉:あれは監督のアイディアで、ぼくは正直そのままでも良かったかなと思ったんですけど、監督はちょっとラフというか、昔で言うとヒッピーのイメージがあったんでしょう。驚くべき変化でしたよね(笑)。昔はぼくも髪を伸ばしていましたから、あんな感じだったのかもしれないですね(笑)。


ずいぶん水も飲みましたし、波に飲み込まれました

―― 大杉さんが実際にサーフィンをやるというお話はどの段階で出たのでしょうか。

大杉:それは最初からです。最初から練習シーンも含めてぼくがやることになっていました。監督は最後にサーフィンのボードの上に乗るところだけは吹き替えを使うというお考えもあったみたいで、それはぼくの安全も考えてくださってのことだったんですけど、ぼくとしてはお引き受けしたときに、全部自分がやりたいと考えていました。もちろん不安もありましたけど、ぼくはそう決めていましたね。

―― 練習はどれくらいやられたんでしょうか。

大杉:ボードの上に寝そべって手で水を掻いて進むのをパドルっていうんですけど、それは何時間もやりました。ただ、ボードの上に立つ練習は1回もできなかったです。立とうとする練習は4時間か5時間くらいやったと思いますけど、1回も立てなかったですね。種子島のロケが3週間だったので、監督とかプロデューサーの方には「種子島に行けば練習時間はたくさんありますから」とおっしゃっていただいていたんですけど、実際には、ほかのシーンをやらなければならなかったりするものですから、思いのほか練習する時間が取れなくてね。パドリングは練習風景のシーンがたくさんあるのでずいぶんやりましたけど、それ以外はほんとに撮影の合間合間に時間を見つけながらやっていました。

―― 種子島では先生について指導を受けていたんでしょうか。

大杉:そうです。向こうの地元の方で、プロのサーファーの方もいらっしゃいましたし、プロではないんですけど、地元で仕事をしながらサーフィンをやっている方たちがたくさんいらっしゃるので、そういう方にもいろいろ教えていただきました。

―― 実際にボードを持って海に入られたときはどんな感じでしたか。

大杉:あれはねえ、撮影に使ったボードはほんとに重くて、ひとりで持つのが至難の業なんです。あれは木製なんですよ。今のボードはほとんどが樹脂でできていますから軽量で扱いやすいんですけど、あれは扱いづらいものらしいんです。このボードを片手で持って何気に海へ運んでいくシーンがあるんですけど、それはちょっと重労働でしたね(笑)。ましてや、それを自在に扱わないと乗れないわけですから、板に慣れるまでが結構かかったと思いますね。

―― 若い頃に買ったボードという設定でしたが、実際にその頃のものだったんですか。

大杉:そうです。1970年代の、いわゆるビンテージ物のロングボードですね。今、あれを使っている方はほとんどいらっしゃらないらしいです。プロのサーファーの方も「漣さん、このボードはぼくらでも乗りづらいんだよね」っておっしゃってました。今のボードは比較的乗りやすくなっているらしいんですね。ボードのどこに足を置くかっていうポイントがあるんですけど、それはその人の体重とか体のバランスとかでまったく変わるんです。そのポイントに立てればいいんですけど、立てないんですよ。ポイントからちょっとずれると一遍でひっくり返っちゃうんですよね。だから何度も何度も海に転落して、ずいぶん水も飲みましたし、波に飲み込まれました(笑)。

―― 映画の中でも何度も海に落ちるシーンがありましたけど、実際にそんな感じだったんですか。

大杉:あれはそのまんまです。演技じゃないですよ(笑)。練習のシーンは演技的な部分は多少はあったとしても、ほとんどはそのままを撮っていただいたような感じです。

―― そうやって撮影をしながら次第にサーフィンに慣れていく感じだったんでしょうか。

大杉:いや、なかなかうまくはいかなかったですよ。パドリングは多少うまくなりました。あれは力じゃないんですね。サッカーをやるときに「ボールと友達」と言うんですけど、「波と友達、水と友達っていう考え方を持ちなさい」って言われたんですよ。抵抗するんじゃなくて、波と一緒に流れていくみたいな感覚というのがあるらしいですよね。それがなんとなくわかったようなところはありましたけど、それ以外に関してはそんなに上達するってことはなかったような気がするんですよね。そういうことをやりつつ本番を迎えちゃったっていうのが実際だったような気がします。


サーフィンは「続けたい」ではなくて、続けます

―― 板の上に立つシーンはいつ頃の撮影だったのでしょうか。

大杉:ほとんど最終日に近い頃で、事務所にも前日に「明日乗るんです」って電話入れました。それくらいプレッシャーがあったんですよ(笑)。「いよいよだね」っていう自分への言い聞かせもあったような気がするし、もちろんボードに乗るシーンがこの映画のすべてではないんですけど、米倉一雄が乗ることによってなにかが変わるかもしれないっていう契機になるシーンだと思うものですから、緊張感もありましたね。
 その日は、波もビギナーにとってちょうどいい大きさでしたし、天気もとてもいい感じだったし…なんかねえ、ぼくだけじゃなくて監督もすごく緊張されてるのがわかるんですよ。カメラの高間(賢治)さんもそうでしたし、スタッフのみなさんも「がんばってくださいね」っていうのが、言葉で言わなくても伝わってきました。共演者の人たちも自分の出番がなくても海辺に集まってくれて、地元のサーフィンの愛好家のみなさんも「いよいよ今日、漣さんが乗るんだよ」みたいなことで集まってくれて、嬉しかったですね。だけど、それを見るとぼくはますますプレッシャーを強く感じて緊張しましたね(笑)。
 テストをしてもしょうがない。もうテスト本番ですね。カメラを回して、波が来て「今です!」ってきっかけを貰って、ぼくはパドルを始めて、立つ場所はそこだっていう瞬間にもう一度キューがあって、ポッと立ったら、立てたんですよね。…ちょっと劇的な話でしょ? ぼくにとってだけかもしれませんけど(笑)。

―― うかがっていても非常に劇的です。

大杉:そうですか?(笑) なんかね、立っているっていう実感もなかったのかもしれないですね。スーッと波打ち際まで行っちゃったものですから。実際の写真をポスターでも使っていて、あれはもう最後の方なんで実際はもう少し波があったんですけど、それにしても大きな波ではないですし、10メートル弱の距離をスーッと乗っただけなんですよね。だけど、ぼくの中では栄光への道みたいなものですよね(笑)。

―― 波の上に立つというのはどんな感触なんでしょうか。

大杉:なんかねえ…なんとも気持ちいいんです。ぼくはなんにも力を入れていなくて、板があって、その下には波があるんですけど、ほんとにただ立っているだけなんですよね。足を踏ん張って力が入るとダメらしいんですね。だからほんとうに立っているだけでいいんです。手は、ほんとはやらなくていいんですけど最後だけ調子に乗ってこう(伸ばして)やっちゃったんですよね(笑)。ただ板に乗っているだけでスーッと行くのは、良く「えも言われぬ快感」って言うけど、ああいうものなのかなあ。嬉しかったですよね。言葉で表現するのはちょっと難しいですけど。
 実際は5回やったんです。それで5回のうち、4回乗れたんですよ。1回だけ失敗したんです。でも、本番のテイクで使っているのはワンテイク目でした。やっぱりワンテイク目が一番緊張感があったし、ぼくの表情も含めて、監督はそれを選ばれたんでしょうね。

―― 波に乗ったときの気持ち良さというのは、今後もサーフィンを続けたいと思うくらいでしたか。

大杉:「続けたい」ではなくて、続けます。もうプロフィールに「サーフィン」って書いているので、やらないと嘘になるし、それは人様に対しての嘘じゃなくて、自分に対しての嘘になっちゃうといやなんで、サーフィンはやります。そうしないとカッコ悪いでしょ?(笑)
 ぼくは今、サッカーを一生懸命やっているんですよ。サッカーは一生ずっと続けるつもりですけども、そこにサーフィンというものを付け加えたいなと思っています。やりがいのあるアウトドアスポーツで、深いんでしょうね。ぼくはまだその入り口の前をちょっとウロウロしているくらいのことなんで、とりあえず門の中に入ってみたいんですよ。中はどうなっているんだろうってね。見極めることはできないかもしれないけど、多少は覗いてみたいなと思っています。

―― サッカーだけでなく、音楽もずっとやられていて、新たにやることが増えたという感じですか。

大杉:そうですね、ひとつ増えたんですよね。音楽も趣味ですし、全部趣味です。所詮は素人、素人だけど一生懸命やるっていうね。遊びは一生懸命やった方がいいし、一生懸命じゃないとつまんないんですよ。やっぱり苦しまないとね。近道で手に入れるっていうことはあんまりしたくないんです。こう言うと努力型みたいに聞こえるかもしれないですけど、努力型でもないんですよ。ただ、長く付き合いたいなと思うんですよね。自分が喜ぶためには少し努力も必要なんだなってことを最近つくづく感じます。
 サッカーにしても、この歳で試合にフル出場なんて、もちろんできないわけです。半分くらいしか出ないんですけど、それでも半分出られる自分がいるし、そこそこ走れる自分がいる。それはこれからもどんどん短くなっていくと思うんですけど、やっぱり走れるうちは多少しか出られなくてもサッカーをやりたいと思います。バンド活動も多少なりともうまくなりたいなと思いますし、うまくなるというのはどういうことかわからないけれども、自分が楽しんで、ライブではお客さんが来られているわけですから、自分だけでなくて、お客さんにも喜んでいただきたいなと思ったりします。サーフィンはほんとに個人で楽しみますから、バンドとはちょっと違うんですけど、自分が楽しむアイテムに入ればいいかなと感じています。


種子島に関しては悪い印象がまったくない

―― 小栗旬さんはじめ、若い方々と共演されていかがでしたか。

大杉:小倉久寛さん以外はみんな初共演でしたからね。でも、ぼくらの世界っていうのは現場に立ったらフィフティ・フィフティだし、若かろうがベテランだろうが関係ないんですよね。キャリアとか今までの経歴で現場に立つわけじゃないから、その中で一緒に向き合って、ベストを尽くすべきだと思うんです。あとは結果ですから、結果に関しては、ぼくらが現場においてどういう時間を過ごしたんだということが問われるわけで、自分のやったことに関しては引き受けなきゃなんないと思っています。
 今回の作品に関しては、種子島で3週間、合宿状態でやるという、とてもラフな撮影現場でしたから、とてもいい状況で彼らとも付き合えましたね。撮影が終わったら家に帰るのとはやっぱり違いますからね。家に帰る時間もそこにいるわけですから(笑)。寝食をともにして、普段は話せないような時間も持てたし、そういう意味では、種子島だったからというのは大きいですね。

―― 種子島のロケの間に、印象に残ったエピソードはありますか?

大杉:島のスーパーマーケットで働いている方が、ぼくのファンだっていうことで、行く度に饅頭とかをくれるんですよね(笑)。美味しかったんですけど、野菜を買ったりお酒を買いに毎日のようにスーパーに行っていたんで、毎日何個も饅頭は食べられないものですから、今だからゴメンナサイなんですけど、部屋に饅頭の山ができちゃったんですよね(笑)。そういう差し入れとか、島の人たちに優しくしていただいたのが嬉しかったですよね。ぼくたちはよそ者なのに、ロケでもすごく協力してくださいましたし、種子島に関しては人に対しても場所に対しても悪い印象がまったくないですね。人のためになにかをしてあげるっていうことを普通にできるんです。そういう人たちがたくさんいましたし、それはサーファーの人たちもそうでした。実は、この映画をやる前はサーファーの人たちに対してあんまりいいイメージがなかったんです。でも、まったくそういうことはないんですよね。普通の生活者でした。農業や漁業に携わられていたり、スーパーに勤めていたりして、普通に生活を営みつつ、普通に海に接して、普通に波を楽しんでいるんです。それに触れたときに、ぼくの中ではサーファーの方たちに対するイメージ、それからサーフィンに対するイメージも一変しました。それは驚きだったですね。そういう方たちがこの映画を裏から支えてくれたような感じがします。それが一番大きなエピソードだと思いますね。

―― それは映画の内容と通じるところがありますね。

大杉:おっしゃるとおりです。米倉一雄が島の人たちに受け入れられたのと同じように、ぼくらも受け入れられたということですね。

―― 最後に、映画をご覧になる方に、この作品をどう観ていただきたいかをお願いします。

大杉:おこがましくて、ぼくなんかが言うことはないのかもしれないですけど、この映画に限らず、観た方の印象そのままでいいと思います。面白かったとか、ちょっと元気を貰いましたとか、いろんなことをお感じになっていただければいいかなと思うんです。ただ、この映画には「普通の一歩」と言ったら変だけど「普通の人間が一歩を踏み出す勇気」と「たかが一歩なんだけど、その一歩を踏み出すか踏み出さないかの違いがとても大きいものだよ」ということがメッセージとしてあるような気がします。出演者としては、そこをご覧になる方が感じていただければとは思います。
 ぼくも今は出演者ですけど、公開時には観客として映画館に足を運ぶつもりです。それで自分がどう思うかを楽しみにしたいと思っています。

(2005年8月16日収録)


 時には笑いを交えつつ質問に答えてくださった大杉さん。50歳を過ぎても、旺盛に新しいことに挑戦していこうという姿勢がお話からは感じられました。作品ごとに様々な顔を見せてくれる大杉さんの新たな一面が見える『Life on the Longboard』を、ぜひスクリーンでご覧になっていただきたいと思います。

大杉漣さんプロフィール
1951年生まれ。1974年から88年の解散まで転形劇場に所属し、1978年に『緊縛いけにえ』(高橋伴明監督)で映画デビュー。1993年『ソナチネ』(北野武監督)で注目を集め、以降、多くの劇場映画、テレビドラマなどに出演し、日本アカデミー賞、ブルーリボン賞、キネマ旬報個人賞(すべて助演男優賞)など、多数の映画賞も受賞。今後も『アバウト・ラブ/関於愛』(下山天監督/9月17日公開)、『疾走』(SABU監督/12月公開)、『銀色の髪のアギト』(杉山慶一監督/2006年正月公開:アニメーション・声の出演)などの公開予定作が控えている。
公式サイト:http://www.renosugi.com


Life on the Longboard
9月10日より渋谷・シアターイメージフォーラムほかで全国順次ロードショー
原作・監督:喜多一郎 音楽:佐橋佳幸
出演:大杉漣、大多月乃、小栗旬、麻宮美果、小倉久寛 ほか


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