原発・原子力政策に翻弄された家族の物語を4世代にわたって描いた『あいときぼうのまち』が6月21日に全国公開初日を迎え、テアトル新宿で菅乃廣(かんの・ひろし)監督と主演の夏樹陽子さんらキャスト・スタッフが舞台あいさつをおこないました。
『あいときぼうのまち』は、終戦間際の1945年、高度経済成長期の1966年、震災後の2011年と3つの時代を舞台に、それぞれの時代で原子力・原発に関わることになるある家族の姿から、日本の70年間の歩みを描いた意欲的な作品。
福島県出身でこれまで脚本家・プロデューサーとして映画に関わり、これが監督デビュー作となる菅乃監督は「ぼくは高校まで福島で、それから東京に出てきて故郷を捨てたような身でこんなことを言うのもあれなんですけど、2011年の3.11のときに福島原発の1号機、3号機が爆発したというニュース映像を見まして、福島に対する想いというものがひじょうに強くなってきました。なんとか映画にしたいという想いでこの企画をスタートさせました」と、この作品が生まれた背景を説明。「企業が作った作品ではなく個人の有志が集まって作ったような作品で厳しい条件の中での製作だったんですけど、素晴らしいキャストとスタッフの方々に恵まれ、自分としては満足できる作品になったかと思っています。みなさんはいかがだったでしょうか?」と問いかけると客席からは大きな拍手が贈られ、菅乃監督はじめ登壇者は深々と礼をして感謝を示しました。
物語の中心人物である西山愛子を演じた夏樹陽子さんは「3.11以来、私なりになにができるかと、支援物資を送ってみたり寄付をしてみたりいろいろなことをさせていただきましたけど、私は俳優ですので、俳優として、なにかかたちとして表に出すことが1番のことだなと思いまして、このお話を菅乃監督からいただいたときに“ぜひやらせてください”と申し上げました」と出演の経緯を明かし「いまでもドキュメントで3.11のその後をやっておりますけど“あのときこうしていれば子どもが助かったんじゃないか、孫を救えたんじゃないか”というように、自分の罪みたいに心を痛めている方がたくさんいらっしゃいます。でもなんの罪もないのですから、将来を見据えて強く生きてもらいたい、ひとりひとりが自分の幸せというものを捕まえて逃がさないようにしてもらいたいと私は思っております。そのことをご友人や身近な方に伝えていたただきたいです」とメッセージを贈りました。
福島の想いを込めた意欲作が全国に発進 『あいときぼうのまち』初日舞台あいさつ
舞台あいさつをおこなったキャストとスタッフ。後列左より、菅乃廣監督、千葉美紅さん、大谷亮介さん、夏樹陽子さん、大島葉子さん、井上淳一さん。前列左より、黒田耕平さん、沖正人さん、里見瑤子さん、伊藤大翔さん、杉山裕右さん
「この問題は“震災で被害に遭ってかわいそうだね”という話ではなくて、もっと根深いものなんだということをフィクションで描けたらと思いました」という菅乃廣監督
「この映画を上映することができ、みなさんに観ていただくことができて、とても良かったなと思っています。私も責任の重さをすごく感じております」と西山怜役の千葉美紅さん
「この映画って、ぼくもそうだったんですけど、何回も観て気づくことがいっぱいあるんですよね。ぜひ、何度も観にきていただければなと思います」と沢田役の黒田耕平さん
「この映画は、いろいろな人の強い想いと大きな協力があってかたちになった映画だと思っております。声をかけてくれた監督に感謝しています」と草野英雄役の沖正人さん
撮影で福島に行き「被害に遭われた方々のご苦労たるやいかばかりかということを感じました。それが少しでもぼくらの仕事でお客様に伝われば」と西山徹役の大谷亮介さん
人手が足りず撮影現場では交通整理までやったという西山愛子役の夏樹陽子さん。「みんなで作るということが基本なので交通整理ぐらいなんてことなくて楽しくやりました」
『あいときぼうのまち』は全国公開に先駆け舞台でありロケ地である福島県で先行上映されており、現代の東京で募金をおこなう男・沢田を演じた黒田耕平さんは「先行上映で上映後に目を真っ赤にしたお母さんたちに“この映画を作ってくれてほんとにありがとう”というお言葉をいただきました。そのときにぼくはバトンを受け取ったなと思いました。福島の想いをこれから全国40館に広げていきたいと思いました。ただ、ぼくたちだけではまだまだ力が足りませんので、映画をご覧になった感想などを広めていただければと思っております」と福島で得た想いを語りました。
脚本を執筆した井上淳一さんは、2011年の夏に脚本の依頼があった際「まだ震災はぼくの中で表現に足るほど熟してはおりませんでした。さらに、そのころテレビでたくさんのドキュメンタリーが流れておりまして、たとえば海に親友や家族を流された人の流す涙、その涙に我々が描くフィクションは勝てるだろうかと、そういうことを思いました。さらには、ぼくはほんとうに被災された方の目線に立てるだろうか、福島の被災された方に観ていただいて恥ずかしくない作品が作れるだろうかと、ほんとうに恐れ慄きました」と、戸惑いもあったことを明かしつつ「実際に被災地に行かなくては仕方がないと思って、仲間の監督や脚本家と一緒に車で被災地に行きました。車でずうっと走っていきますと、その当時はまだ道路にひび割れとかがありまして風景がだんだん変わっていくんです。被災地に入るとほんのちょっとの高低差で全然だいじょうぶなところと根こそぎ流されているところがあったり、そのときに“ああ、実際に東京と被災地は地続きなんだ”と実感しました。その帰り道に、ずっと興味があった(映画に登場する)福島県石川町のウラン採掘場に車で寄りまして“土地だけじゃなくて時間も地続きなんだ、俺たちは絶対にこのことを忘れちゃいけないんだ”と、そのことを思い出してこういう話を書きました」と、作品に込めた想いを述べました。
「私は3.11以降、自分でなにもやってこなかったことが気になっていまして、この作品に参加してなにか一歩踏み出せたかなと思っています」と草野弥生役の大島葉子さん
「(ロケ地の)現地のところに身を置かせていただいて、私なりにその中を生きさせてもらえたらという気持ちで演じさせていただけました」と草野芙美役の里見瑤子さん
「震災から3年経ち、記憶が薄れている方も多いと思います。この映画をきっかけに3.11のこと、福島のことを忘れないでほしいと思います」と奥村健次役の伊藤大翔さん
「この映画は様々な人のご助力がありまして、いまこの場に立たせてもらっていると思っています。この日を忘れないと思います」と少年時代の草野英雄役の杉山裕右さん
作品への想いを語り「口コミで広まっていく映画だと思っておりますので、気に入っていただいた方はぜひみなさんに宣伝してください」と呼びかけた脚本の井上淳一さん
舞台あいさつ開始時には、夏樹陽子さんをはじめ登壇者の方々に客席からたくさんの花束が贈られました
『あいときぼうのまち』というタイトルは、1955年の大島渚監督のデビュー作であり、映画会社の意向でタイトルを変更された経緯を持つ『愛と希望の街』から引用されたもの。このタイトルを付けた井上さんは「(大島監督の映画は)反語的に“愛も希望もない街“という内容になっています。ぼくはシナリオを書いたときにこのタイトル以外思いつきませんでした。書いたのは2011年の終わりでしたけども、そのころですら東京の街はすでに明るく、震災は年末のニュースの中でしか流れていませんでした。ですから、この国には愛も希望もないんじゃないか、しかもその“愛と希望”は55年前の漢字ではなく、よりソフトに見えにくくなっているんじゃないか、そんな気がしてこのひらがなのタイトルを付けました」とタイトルに込めた意図を明かすとともに「現実社会では誰もが東京電力が悪いとわかってて、ニュースやドキュメンタリーの中では東電と言っているのに、フィクションのドラマや映画の中では“関東電力”とかそういうことに変わっている。それは自粛とか忖度の名のもとで、我々は表現の自由を放棄してしまっているんじゃないかという気がするのです。だからそういうことも含めて、こういうことをフィクションでやる意義を感じました。わざと“金目”という下品な言葉で被災者を貶めたり、平気で集団的自衛権を抜けしゃあしゃあとやろうとしている、もう原発ではなくてこの国がメルトダウンしているんじゃないかと思っているので、こういう映画が水際の抵抗になればとぼくは願っています」と語り「夏樹陽子さんはじめこれだけの舞台あいさつがあってなお(満席でない)これだけの客席の埋まり方が現在のこの映画の認知度だと思います。(大手メディアでは)東京新聞と日経以外にはまったく無視されております。映画は人に観ていただいて初めて完結します。ぜひ、この映画がもう一度舞台あいさつをやるときにはこの席がすべて埋まっているよう成長するように、みなさんで育ててください」と呼びかけました。
そして菅乃監督は「怒りのロードショー」というこの映画の宣伝コピーに触れ「そんな怒りを露わにするような作風ではなくてですね、ほんとうは静かな映画なんです。かと言って、静かな映画だからといってすぐ忘れちゃうような作品でもなく、静かな作品ではあるんですけど、みなさんの記憶の中に永くとどまっていただけたら私としては幸せかなと思っております」と舞台あいさつを締めくくりました。
舞台あいさつ登壇者のほか、勝野洋さんらが出演し、東電や国に翻弄された人々の苦悩と哀しみ、そして再生を描く『あいときぼうのまち』は、6月21日(土)よりテアトル新宿、ほか全国順次公開されます。