『東京少女』小中和哉監督インタビュー
SF作家志望の女子高生・未歩はある日、携帯電話を落としてしまう。その携帯を拾ったのは、なんと明治時代に生きる青年・時次郎だった! 携帯を通して100年を隔てた会話を交わすうち、未歩と時次郎は打ち解けあい、互いの抱える悩みまで話し合える大切な存在になっていく――。
携帯電話がタイムスリップするというファンタジックな設定で描かれる『東京少女』は、主演に昨年多くの映画新人賞を受賞した夏帆さん、相手役に佐野和真さんという、注目度上昇中のふたりで送る“時間を越えた恋”の物語。
監督は、デビュー作『星空のむこうの国』や『四月怪談』などで、少女を主人公にしたファンタジー作品に定評のある小中和哉監督。小中監督にとって久々のファンタジーとなった本作は、最新作であると同時に、その原点をも感じさせる作品となっています。
丹羽多聞アンドリウプロデューサーとの意外な関係も披露された小中監督のインタビュー、どうぞお楽しみください。
小中和哉(こなか・かずや)監督プロフィール
1963年東京生まれ。少年時代より兄の千昭氏(現在脚本家として活躍)とともに8ミリカメラで映画製作を始める。成蹊高校時代から自主映画で注目を集め、立教大学卒業後の1985年にSFファンタジー『星空のむこうの国』で商業作品デビュー。劇場公開作品に『四月怪談』(1988年)、『くまちゃん』(1993年)、『なぞの転校生』(1998年)など多数。また、1990年代よりウルトラシリーズなど円谷プロ製作の特撮作品の監督をTVシリーズ、劇場版ともに多く手掛けている。ほか、TVアニメ「アストロボーイ 鉄腕アトム」(2003年)監督や、TVシリーズ「ケータイ刑事 銭形海」(2007年)チーフ監督をつとめる。現在放送中のTVシリーズ「MAGISTER NEGI MAGI 魔法先生ネギま!」に監督として参加。
「互いの気持ちを通じさせて芝居を成立させたい」
―― 劇場作品としては久々のファンタジー作品となりますね。
小中:実は、この作品の丹羽多聞アンドリウプロデューサーは成蹊高校時代の映研の後輩で、ぼくのデビュー作の『星空のむこうの国』にも制作部として参加している映画仲間なんです(※1)。ぼくが参加する以前に多聞プロデューサーの原案をもとに脚本家の林誠人さんが脚本の第一稿を書かれていて、脚本を検討する中で『ある日どこかで』(※2)というアメリカの映画をお手本にしていたんですよ。『ある日どこかで』は、ぼくが大好きな作品ですし『星空のむこうの国』を作ろうと思ったきっかけの作品でもあるんです。多聞プロデューサーは当然それを知っているので、この企画ならぼくがいいだろうと声をかけてくれたということですね。
―― かなりの部分が携帯電話の会話だけというのは、映像作品としては難しい設定ですよね。
小中:それで映画が成立するかどうか「ある種の実験映画だな」っていう言い方もしていましたね。この映画の前に公開される『東京少年』と『東京少女』の2本を通しての多聞プロデューサーのテーマというのが「決して報われない愛」なんですよ。決してふたりが逢えないんだけれども、そこで恋愛を成立させるということで『東京少女』の場合は携帯電話でしか言葉を交わさないというハードルを設定した上で、ふたりが心を通わせるのをラブストーリーとして描けるかというのが、最初に掲げられた条件だったんです。当然、電話の会話だけだと動きが少なくなるわけで、それが映画的と言えるかどうかというところから始まったんですけど、多聞プロデューサーには「電話というのは直接会って話をする以上に映画的なんだ」っていう持論があったんです。「声だけしか伝わらないから自分の気持ちが素直に出せちゃう。会って話すとつくろわなくてはならないようなことも、電話だと赤裸々に描写できるんだ。だから電話のシーンは面白いんだ。だからこういう映画を企画したんだ」と言っていて、そこまで力説されると、監督として受けて立とうじゃないかと(笑)。そういう企画だったわけです。
『東京少女』より、夏帆さん演じる未歩
―― 実際に現場ではどういう工夫をされていたのでしょうか?
小中:普段、映画やドラマの撮影では、往々にして電話のシーンは助監督がセリフを読むのにあわせてやってもらわざるを得ないんですけど、それは避けようと。だから、撮影のときは相手役にも現場にいてもらって、リアルタイムで会話してもらうというのを基本にしていました。現代の夏帆ちゃんのパートを先に撮っていったんですけど、佐野和真くんには顔が出るシーンがなくても現場にいてもらったんです。そして、未歩と時次郎の会話を、実際に携帯を繋げて話をするというかたちでやっていたんです。逆に明治時代の佐野くんのパートを撮るときは、夏帆ちゃんのパートで一度お芝居が成り立っているので、その芝居を再現してもらうということで、夏帆ちゃんの録音した声を現場で流していたんですけど、ちゃんと互いの気持ちを通じさせて芝居を成立させたいなと考えていたんです。
―― 同じ「電話で会話をする」という場面でも、いろいろと見せ方が変化していましたね。
小中:シークエンスによって映像的な表現も変えていきたいとは心がけていたんです。最初は単純にカットバックで見せるところから始まって、スプリットスクリーンで画面を分割して同時に芝居をしているところもあるし、同じ月を見ているという媒介で月を中心にふたりを据えてみたり。それから、脚本の構造も、全部が電話だけでは動きがないので、後半は現代と明治と同じ場所を歩いているんだけど100年という時が隔てているのを映像で見せていこうということだったので、後半は画的な変化が出てくるという設計で作っていたんですね。
―― そして、一方の舞台が明治時代というのも難しい設定ですよね。
小中:映像化しづらい時代ではあると思うんですよね。今回は多くの部分を愛知県にある明治村で撮っていて、この企画自体が明治村ありきで発想されたところもあるんですよ。以前にBS-iのドラマの「恋する日曜日」で中原俊監督が明治村で撮っていて(2007年1月放送「綾子の恋」)、その経験から多聞プロデューサーの中では「ここを使えば明治もできるぞ」という勝算があったんですね。明治村はそう広い画は撮れないし、周りの建物が映らないようにアングルを切ったり、合成を使ったりしているところもありますけど、やっぱり本物の迫力はありますし、素材があればそこから工夫して画面が作れるので、貴重な場所ですね。明治村に移築してある浜町にあった旧・新大橋と現在の新大橋をカットバックするのはシナリオからそういう設定になっていて、シナリオ・ハンティングをやりながら「これは撮れる」というネタを組み合わせながら話を作っていったんです。銀座のストリートのシーンは長野の海野宿という宿場町で撮っていて、そのへんはスタッフがいろいろ努力して場所を探して、限られた画にならないように膨らませてくれたんですよね。
- ※1:商店街で自転車を奪われる通行人の役で出演もしている
- ※2:1980年のアメリカ映画。原題『Somewhere in Time』。ヤノット・シュワルツ監督、クリストファー・リーブ主演。愛した女性と出会うために過去へと旅する男を主人公にしたラブストーリー
「夏帆ちゃんにはリアルな女子高生が感じたことを表現してほしかった」
―― 未歩役の夏帆さんは、これまでいい子の役が多い印象があったので、親に反発をしていたり、あの年代の等身大の子を演じているのが新鮮でした。
小中:未歩が抱えている問題で一番大きく描いているのは、母親の再婚の問題なんですよね。心の中では認めているんだけど、感情的に納得できずに、亡くなったお父さんに対する気持ちも含めて整理できていない。そこが未歩のテーマだったんですけど、夏帆ちゃんは脚本を読んでわりとすぐに未歩というキャラクターを理解してくれたんです。だから、ぼくからはそんなに細かい注文はしなかったんですね。やっぱり、話を作っているのはオジサンなので、ぼくらが「今の女の子はこうなんじゃないか」って妄想したことを押し付けるよりは、リアルな女子高生が感じたことを表現してほしいなって思いが強かったんですよ(笑)。だから、あまりぼくから「こうだ」とは言わないほうがいいかなって思ったんですね。特に夏帆ちゃんは感性が豊かで、表現力も持っていますから、現場でぼくが芝居に対して注文をつけたってことはほとんどないですね。「その感情の揺れみたいなものを、もうちょっと大きくしてみて」みたいな、そういうレベルでの話はしていますけど、基本的には彼女の役柄の解釈に委ねたという感じです。
―― 未歩は時次郎との電話の会話以外は、母親と、母親の再婚相手とのやりとりしかないですけど、彼女が学校でどういう子なのかとか、そういう背景まで見えた気がしました。
小中:実は、未歩が学校でどんな存在なのかを示すかどうかは、すごく揉めたんです。最初は、学校の友達をひとりは登場させて、学校での未歩を示そうということで、第一稿では友達が出てきていたんです。でも、この映画はシンプルな構造で登場人物ひとりひとりがすごく大きな意味を持っているので、出すのであれば、その友達との関係も徹底的に描かなきゃならない。そうするとラブストーリーとしての力点がぼやけちゃうので、学校の話は背景に押しとどめようということになったんです。ただ、未歩がどういう人物なのかという設定はきちんと作っておいたほうがいいので、夏帆ちゃんと「未歩は学校ですごく仲良しの友達がいて楽しくやっている子ではないだろう」という話はしました。もし、そういう友達がいたら時次郎のような存在は必要ないはずなんですね。だから大親友はいないというのが、ぼくらの間での未歩像になっていました。映画が完成したあとに書かれたノベライズ版では友達が出てきていて、それはシナリオを検討していく段階で出た別案に近いかたちになっています。
―― 時次郎は明治の人物という設定ですし、リアルというよりはむしろ作りこんだキャラクターなのでしょうか?
『東京少女』より、佐野和真さん演じる時次郎
小中:明治時代の、少し資産のある家の息子で、わりと食うには困らずに文学に傾倒しているというキャラクターですね。脚本の林さんは夏目漱石ファンで、明治の文学史に造詣が深い方なので、当時はそこそこ生活に余裕がある立場でないと文学に打ち込める状況ではなかったというのは、史実に沿っていることなんです。ぼくは、それは現代のぼくらに近いんじゃないかなって解釈したんです。食うに困らないがゆえに、自分がなにをやっていいのかわからないという、現代の若者の持っている悩みに近いんじゃないかという解釈で、明治時代のリアルな生活に追われる悩みというよりは、あまり明治ということを特別には意識しないで作っていった部分はあるんです。時次郎については、未歩とのあわせ鏡となるキャラクターだという意識が強かったですね。
―― 佐野和真さんは時次郎を演じるにあたって苦労された部分はあったんでしょうか?
小中:たぶん、佐野くん自身は、深く悩まずに、ストレートに自分が信じた直感で芝居をしていったんだと思います。ものすごくまっすぐな、いい性格の役なので、それが佐野くんが演じることによって嫌味のない、信じられる表現になったかなと思っています。
―― クライマックスは、別に激しいアクションがあるわけではないですけども、夏帆さんと佐野さんのやりとりだけで緊迫した感じが出ていて、会話だけで映画のクライマックスが成立するんだという驚きもありました。
小中:クライマックスからラストまでの展開はけっこう二転三転していて、第一稿では違う終わり方だったのを、多聞プロデューサーと林さんとぼくとでいろいろアイディアを出しあってまとめていったんです。『ある日どこかで』では、アーサーというサブキャラクターが唯一、過去と現代ふたつの時代に出てくるんですけど、そういう人物を『東京少女』にも登場させようということになって、第一稿では別々のエピソードとして書かれていたものを融合させたりしていったり。そうやって脚本作りを進めていった中で、テーマとして浮かび上がってきたのが「人は成すべきことがある」ということだったんです。「自分の未来を知らされたときにどうするか」というのはタイムトラベルものによくあるテーマなんですけど、この作品ではそれに対する答えとして、ちょっとひねった新機軸を入れてみたんですね。そのテーマが見つかったときに、ぼくも手ごたえを感じたところがあって、やっぱり『ある日どこかで』をお手本にしてパラレルワールドもののラブストーリーとして作ったのが『星空のむこうの国』なので、今回も『ある日どこかで』から派生したラブストーリーを作るという意味では同じなんですよ。でも『星空のむこうの国』とは違うテーマのラブストーリーにしたかったので、そのテーマが決まったことで「これで『星空』とは違うものになったな」と思ったんです。
「自主映画のときの気持ちを変わらずに持って、また一緒に仕事ができた」
―― 『東京少女』は恋愛ファンタジーですけど、SF映画でもあるなって思ったんです。綿密な科学考証があるわけではないんですけど、マインドの部分ですごくSFだなって。
小中:タイムトラベルを扱っているという部分ではSFですね。SFとファンタジーって、傾向として言葉が分かれているだけで、別にジャンルとしてそんなに分けられるものではないと思うんですよ。ぼくは、SFでも科学的な整合性を追求しているところよりも、現実ではない設定を使って、人間の気持ちだったり考え方だったりをどう示せているのかというところに惹かれるので、そういう意味ではぼくがSFとファンタジーを好きな理由ってまったく同じなんです。今回はホン(脚本)作りでも、かなりファンタジー論を闘わせながらやっていたんですよね。最初は、なぜ明治時代にタイムトンネルが繋がって携帯電話が行くのかという説明が必要じゃないかと悩んだんですけど、それは「行っちゃった」でいいいんだと。行っちゃったことでどういうドラマが生まれるかという構造がしっかりしていれば、なんの説明もいらないんです。言ってしまえば、ほんとうに明治時代に時次郎という青年が実在して、未歩と交信したのかどうかってことも、実はどうでもいいんですよ。ファンタジーの構造としては、その経験を通過して未歩がどう変わるのかっていうのが大事なんですね。だから、時次郎と未歩が会話を交わしたことでお互いが抱えていた問題を解消できたと示すことによって、ふたりが話したのは必然だったんだ、未歩が必要としたから時次郎が現われたんだってことを観ている人にわからせる。そこが実感できたときにファンタジーっていうのは成立するんだよってことを、ホンを作りながら確認したところがありますね。
―― これは監督だけではなくて、丹羽プロデューサーや脚本の林さんも含めてかもしれないんですが、そういうふうに「行っちゃったでいい」って発想ができるのって、SFと同時に少女マンガも読めちゃうような、少女的な感性みたいなものをお持ちなんじゃないかと思うんです。
小中:そういうところはあるんでしょうね。SF志向はぼくがわりと強いくらいで、多聞プロデューサーと林さんはあまりSF志向はなくて、ファンタジー志向と少女マンガ志向が強いんだと思うんです。だから3人でシナリオを作ると、自然と「なんでタイムトラベルするのか」ってことより、それによってどんなドラマになるのかという方向になるので、それが良かったんじゃないかと思っています。
―― 最初にもお話が出ましたが、丹羽プロデューサーとは成蹊高校の映研の先輩後輩ということで、やはり当時から気が合う間柄だったんでしょうか?
小中:ぼくが3年で部長をやってたときに多聞プロデューサーが1年で、2年がほとんどやめちゃって3年生と1年生しかいなかったんで、濃い付き合いではありましたね(笑)。今回のホン作りで未歩のキャラクターを考えるときとかも、そのころの経験が入ってるんです。高校の中だと、映研にいるってこと自体がわりと変人というところがあったんですよ(笑)。「未歩はきっとそっちに近い子だよね」っていう話は多聞プロデューサーとしていて、未歩がなぜSF作家を目指しているかといえば、彼女にとっては自分の世界というものを作ることで自分の存在価値を人に証明するしか生きる道はないからなんです。それは自主映画をやっていたぼくらの気分と一致しているんですよ。やっぱり、高校のときクラスの中心にいるのはスポーツをやってるような連中で、ぼくら映研は、クラスの端っこにいて昼休みになると部室にこもってフィルムを編集しているような変人の集まりだったんですよね。でも、そこが居心地が良かったから、プロになった連中もたくさんいるし(※3)、そうでなくてもいまだに付き合いが続いているってところがあるんですよね。
―― 『星空のむこうの国』って、自主に近い映画で、SFファンタジーのエンターテイメント作品を真正面からやっているのが、すごく鮮烈だったと思うんです。『東京少女』も含めて、ここ数年、丹羽プロデューサーが手掛けられてる作品も、大作じゃないけどエンターテイメントに真正面から取り組むという点で『星空』に通じる部分があるような気がするんです。
小中:当時は自主製作映画というと、長崎俊一さんとか石井聰亙さんたちの流れがひとつあって、それとちょっと違った見られ方をしていたのが、やはり成蹊の先輩である手塚眞さんだったんですね。ぼくらもその流れで見られていたのかもしれないですね。手塚眞の下にぼくがいて、その下に丹羽多聞がいたという。ぼくらは、ファンタジー系というか、女の子を可愛く撮るというところも含めて、わりと軟派なエンターテイメントとしての自主映画をやってきてましたしね(笑)。その意味では、多聞プロデューサーは変わらずに来ている部分はあるんじゃないでしょうか。
―― 『星空のむこうの国』から20年以上になりますけど、そのときのスピリットみたいなものが続いていて、今回の『東京少女』に繋がってるような感じがしています。
小中:そうですね。『星空』の現場は、ぼくが当時在籍していた立教大学のS.P.P.というサークルと、成蹊高校映研OBとが中心でやっていたんです。それで、篠崎誠は立教のぼくの後輩で、多聞とそのころに交流したりしてたんですけど、そのふたりが最近になってBS-iの「スパイ道」(2005年)や、映画の『0093 女王陛下の草刈正雄』(2007年)で一緒に仕事をしていたり、そのころの交流がまた活きてきたのが面白いなって思っているんですよ。ぼくと多聞プロデューサーはお互いにプロになってから仕事をする機会はなかなか恵まれなくて『東京少女』の前にやったBS-iの「恋する日曜日」(2007年1月放送「レンズ越しの恋」)が初めてだったんですけど、そのあとに『東京少女』という流れでね。自主映画のときの気持ちを変わらずに持って、みんなそれぞれのフィールドでやってきて、また一緒に仕事ができるっていうのはぼくの中ではすごく良かったです。
- ※3:成蹊高校映研出身者にはほかに手塚眞監督(小中監督の1学年上)、利重剛監督(小中監督と同学年)などがいる
(2008年1月22日/スペース汐留FSにて収録)