『チェスト!』雑賀俊郎監督インタビュー
小学6年生の隼人にはある“秘密”があった。実は泳げないことを学校のみんなに隠しているのだ! 毎年恒例の遠泳大会をうまくずる休みしてきた隼人だが、小学校生活最後の今年は逃げられない。同級生の雄太、転校生の智明と3人で、大会に向けたひそかな特訓が始まった――。
鹿児島で実際におこなわれている錦江湾横断遠泳大会を題材にした『チェスト!』は、4キロの遠泳大会をとおして友情を深め成長していく子供たちの姿を、ときにユーモラスに、ときに熱く描き、主人公たちと同年代の子供たちだけでなく、大人たちの心も打つ感動作。そしてこの作品は、鹿児島に伝わる“郷中教育(ごじゅうきょういく)”の精神を感動とともに伝えていきます。
メガホンをとったのは雑賀俊郎監督。遠泳大会の光景に感銘を受け映画化を決意したという雑賀監督に、この作品に込めた想いをうかがいました。
雑賀俊郎(さいが・としろう)監督プロフィール
1960年福岡県出身。大学卒業後、テレビ番組制作会社の泉放送制作に入社。1996年のビデオオリジナル作品「ポイズン」で監督デビュー。以降、数多くのテレビドラマやオリジナルビデオ作品の監督をつとめ、2001年に『クリスマス・イブ』で初の劇場用作品を手がける。劇場公開作として、ほかに『ホ・ギ・ラ・ラ』(2002年)、『RANBU 艶舞剣士』(2004年)がある。
「子供が4キロ泳ぐダイナミズムを映画としてやってみたい」
―― 『チェスト!』は、どんなきっかけで作られたのでしょうか?
雑賀:この作品のプロデューサーとは、よく呑みながら「今の時代になにが足りないのかな」って話をしていたんです。いろいろ話をしていく中で、プロデューサーが「鹿児島に“郷中教育(ごじゅうきょういく)”というのがある」と見つけてきたんですよ。それで1度行ってみようということで、鹿児島に行ったんです。郷中教育というのは、要するに戦国時代にお父さんは戦いに行っていて、お母さんは自宅を守っている中で、子供は子供だけで成長しなくてはならないという状況の中で生まれたものなんですね。大人に頼ることなく、年上の子供が年下の子供の面倒を見ることで成長してくようなシステムなんです。ただ、鹿児島に行って「なるほどこういうことか」というのはわかったんですけど、それだけでは映画にはなりづらいので、東京に戻ってきてからもなにか作品にする方法はないかと考えていたんです。そのときに錦江湾の遠泳大会の話を知って、遠泳大会では“赤帽”“黄色帽”“青帽”というのがあって、これは遠泳経験の回数で色が決まっていて、一番経験ある青帽の子が、経験ない赤帽の子を助けることになっているんです。これは郷中教育をそのまま表現しているので、郷中教育をさり気なく見せられるんじゃないかと思ったんです。それと、子供が4キロを泳ぐというのは世界広しと言えどもなかなかないと思ったので、そのダイナミズムは映画としてやってみたいと思ったんです。
―― 企画がスタートしたのはいつごろだったんですか?
雑賀:2006年のはじめのころだったと思います。それから台本作りをはじめて、台本を第4稿くらいまで作った段階でプロデューサーから「日本映画エンジェル大賞に出してみない?」という提案があって、出したんですね。そして2006年下期の第8回日本映画エンジェル大賞を獲って、そのあとに文化庁からの推薦をいただいて、具体的に動き出していったんです。
―― 子供なりの悩みや、親子の関係など、いろいろなテーマが盛り込まれていますね。
雑賀:鹿児島にしょっちゅう取材に行くたびに、ぼくたちも鹿児島の人たちからいろいろなことを吸収していったんです。実際に遠泳大会を見たときに、泳ぐ子供はお父さんやお母さんの手を借りることはできないし、大人は子供に手が出せない。親離れと子離れの瞬間を一遍に見られたんですね。これはなかなか世の中にはないことだと感じたので、それは台本の中に入れておこうと思ったんです。それから、元気のある明るい子を育てていく家庭ってどんなものだろうというのを考えていて、それも台本の中に入れていった感じがありますね。そうやってぼくらが鹿児島で感じたものを台本に足していったところはありますし、子供たちのそれぞれの悩みも、ちょっとずつ深くしていったんです。
―― そういうテーマがありつつ、娯楽映画として楽しんで観ることができて、その上で考えさせられる作品だと思いました。
雑賀:やっぱり、説教くさくしたくはなかったので、笑いも交えながら、とにかくキャラクターに感情移入してもらおうと。そして作品を観終わったときに、気づいたらいろいろ感じてもらえるような作品にしようと意識していたので、それができていれば嬉しいですね。
―― 地元の方々もかなり撮影に協力してくださっているようですね。
雑賀:すごく大きかったですね。ぼくらは鹿児島出身じゃありませんし、最初は鹿児島の方たちは「なんか東京から来た奴ら」みたいな感じがあったんですよ(笑)。でも、この企画に、この台本に惚れてくれた鹿児島の方がいて、何回か鹿児島に行くうちに、ひとりがふたりになって、またその人が新しい人を連れてきてという感じで、あっという間に、最後は1000人単位でみなさんが協力してくださったんです。子供の映画だということも大きかったんでしょうけど、もう、目に見えるかたちで鹿児島の方たちのぼくらに対する目が変わっていったというのはありましたね。
「子供は変わるときにガーっと変わる瞬間がある。そこが体験できた」
―― 小学生を演じた子供たちは、みんなオーディションで選ばれたそうですね。
雑賀:ええ、東京で2回、鹿児島で1回と大きなオーディションを3回やって、最後に「この子たちに託そうかな」って。主人公の隼人は、台本上ではほんとに“鹿児島の薩摩隼人”って感じの逞しい子かなって思っていたんですけど、なかなかそういう子はいなかったんですね。高橋(賢人)くんは、最初からすごくオーラを感じるというわけではなかったんですけど、オーディションをやるたびに気になっていくタイプ、引き込まれていくタイプだったんです。「この子にもう1度会いたいな」と思うタイプで、オーディションをやる中で、ひょっとしたらこの作品の主役ってニコニコしていて、周りが寄ってくるタイプがいいのかなって思いはじめて、高橋くんに主役を決めたんですよね。
―― ほかの子たちは、それぞれどんなところが決め手となったんでしょうか?
『チェスト!』より。左から雄太役の中嶋和也さん、隼人役の高橋賢人さん、智明役の御厨響一さん
雑賀:智明役の御厨(響一)くんは、クールな二枚目を探していたんですよね。二枚目の子はほかにもいたんですけど、ちょっと陰がある子がいいなと思って、彼にしたんです。実は、難しい役なのでオーディションのときに一番心配していたのは御厨くんだったんですけど、撮影の前の合宿が大きかったですね。そのときに映画の中のシーンをちょっとやらせたら、あんまり感情が入らない感じだったんです。それで一旦中止して「明日もう1回やるから、自分が智明の立場だったらって考えてきなさい」と。そして次の日にまたやったんですけど、そしたら鳥肌が立つくらい変わりましたね。子供のすごさっていうのは、変わるときにガーっと変わる瞬間があるので、そこが体験できたっていうの面白かったですね。本人はけっこうひょうきんな奴なんですけど、この作品で役者になったという感じですね。
―― 成松雄太役の中嶋和也さんは、男の子3人の中では特にユーモラスな存在ですね。
雑賀:中嶋くんはオーディションのときからキャラクターが突出していましたね(笑)。オーディションにはほかの映画で主役をやっているような子も来てくれていたんですけど、どうしても中嶋くんを外せず、毎回毎回コメントも面白いし、とにかく作品に欲しいなと思いましたね。それから、彼はすごくプロなんですよ。「死ぬまで役者をやる」って言っていましたし、ぼくが「このシーンはこうしたい、中嶋わかっているよね?」と言うと「やってみます」と言って、その狙いに沿うよう努力をするし、すごいプロ意識が強いですね。
―― 牟田敦美役の宮崎香蓮さんは、ただ可愛いだけの子ではなくて、いろいろ悩んだりするひとりの女の子という存在感があるなって思いました。
雑賀:リアリティはありますよね。それはぼくも感じました。敦美役には、智明の女版じゃないですけど、ただ明るいだけじゃなくて、なにかを持っていると思わせる子を探していたんです。しっかり者で一生懸命頑張ってしまうゆえに、周りから敬遠されてしまうような女の子というのは、ぼくらが子供のころもいたけれど、香蓮ちゃんはそのへんの微妙なニュアンスを持っている子だなって思ったんです。それから、彼女はあんまり子役芝居をやっていないので、新鮮に等身大で演じきれるのかなあと思って、そこも魅力ではありました。
―― メインの子供たちはみんな複雑な内面を抱えていて難しい役だと思うのですが、監督から子供たちにアドバイスされたことは?
雑賀:まずホン(台本)作りの段階で「子供の社会って大人の縮図だな」っていうのがあって、「子供だからこうだ」というよりも、ちゃんと大人と同じように人格があるってことを表現していきたいなって思っていたんです。なので演出の段階では「君を子供扱いしないでひとりの役者として扱うから、この表現をしてくれ」という話をひとりひとりにしたんです。普通は子供に対しては「よくできましたね、OK」みたいなことがあるんですけど、今回はそれとは違って、ちゃんと表現者のひとりとして正面から対峙してやっていたっていうところはありますね。それから、6年2組の生徒30名で合宿をして、鹿児島の空気に馴染ませたのも大きかったと思います。10日間くらい水泳とお芝居の特訓をしていて、合宿のおかげでそれぞれ「自分の役はこうだ」とわかって撮影に入れたんです。
「予定調和にしたくなかった。心の傷の深さをちゃんと見せたい」
―― この映画はメインのターゲットとしては主人公たちと同世代の子供たちがあると思うのですが、大人にも伝わるものがあるし、むしろ大人が観るべき映画ではないか、と思いました。
雑賀:やはり「今の時代に足りないものは」というのが最初にあったので、大人と子供の距離感を意識しながら作品作りをしていたんです。今はひとりっ子が多いから、どうしても親は子供にベッタリになっちゃうことが多いと思うんです。でも、鹿児島のお父さんお母さんは、子供への愛情は豊かなんだけど、ベッタリじゃなくてカラッとしているところもあるんです。子供は子供だけで遊びに行かせもするし、大切なところは親がきちんと出ていくという、親として一番大切な距離感をわかっていらっしゃるんです。それは、郷中教育みたいな、子供同士でフォローしあえるシステムが根付いているからその距離感が保てるんじゃないか、それはひょっとしたら今の日本人が忘れている感覚なのかなっていうのがあったんですね。鹿児島に何度も行く中でそういうことを感じて、台本に加えていく中で、お父さんお母さんに観てもらいたいという気持ちも出てきたのはたしかです。
―― 高嶋政宏さんが演じる隼人のお父さんが、智明に言葉をかけたあと、智明に言い返されて言葉に詰まりますよね。あのシーンの印象が鮮烈でした。
雑賀:あそこは予定調和にしたくなかったんですよね。あそこの高嶋さんのセリフはすごくいいセリフなんだけど、智明の心の傷の深さを考えたら、その一言で智明が変わるわけはないだろうと思ったんです。智明が反論するのが彼の傷の深さだし、高嶋さんは予想以上の傷の深さを感じてなにも言えなくなっちゃう。そこは高嶋さんと打ち合わせをして「言い返されたらどんな表情をすればいいんですか」「これはね、なにも言えないんですよ」という話をしていたんです。智明の心の傷は大人にも簡単には治せない。それを遠泳大会という経験や、隼人とか仲間たちが治していって、そして高嶋さんの言葉もあとになって智明の中で効いてくるということにしたかったんです。
予定調和にしたくないというのはほかにもあって、40周検定(※実際の遠泳大会の前にプールでおこなわれるテスト)で、ひとり合格しない子が出るんですよね。やはり遠泳は危険も伴うので、実際の遠泳大会でも40周検定で泳げなかった子は絶対に大会には出さないというんです。取材をしたときに、指導する先生たちが「それが一番せつない」と言っていたので、そういうところも映画にちゃんと入れておこうって思ったんです。テーマとしては、大人もそうですけど、子供も生きることって簡単ではないってことですよね。その上で、乗り越える前向きな精神があれば、もしくは仲間がいれば、乗り越えられるかもしれないよということを描きたかったんです。やっぱり、ぼくらもいろいろとドラマを作ってきているので、作り手が楽にやっちゃうと安直に見えてしまうというのを感じているんですよ。安直にならないようにするというのは、作り手としてはエネルギーがいるところなんですよね。
―― もうひとつ強く印象に残ったのが智明のトラウマの表現で、彼の恐怖感の象徴である“掴もうとする手”が、ちょっとホラー映画のような強烈な表現になっていますね。
雑賀:怖がらせようとしたわけではないんですけどね(笑)。あそこまでやったのは、心の傷をどう見せようかと考えたときに、船の上でどんなに「海が怖い」と言っても、智明にとってどれだけ怖いかは伝わらないんじゃないかと思ったんです。傷の深さをどれだけ見せられるかという部分で、ダークな部分を見せたほうがいいんじゃないかなって思ったんです。
―― そしてそのトラウマを克服するとき、その“手”が誰のものかは示されない。あれはいろいろ考えさせられました。
雑賀:まさにあそこは、彼を掴もうとする手が智明のお父さんの手なのか、ほかの人の手なのか、それとももうひとりの自分の手じゃないのかというくらいの表現がしたかったので、こだわりはありましたね。それを智明が自分で克服していくっていう表現にしたかったんです。あそこはホン作りの段階で確実に昇華されていたところではなくて、撮影しながら「どうしようか」と解決法を考えていたんですよね。なので、智明の中で100%解決されてはいないかもしれないんですよ。だけど、1回吹っ切るってみようとしたときに、彼がどう変わっていったかというのがテーマだったんです。傷を絆創膏でふさいでみたら、今までは傷口が開いたままだった怖くてできなかったことができるようになる。傷が完全になくなるわけではなくて残っているんだけど、前ほど意識しなくなることによって、次の行動ができるという表現にしたかったんです。だから、最後に智明が「お父さんに言えたか」って隼人のお父さんに訊かれたときに「もういいんだ」って言うのは、智明の中ではっきり解決できてはいないかもしれないけど、以前の彼とは違うっていう表現なんです。そして隼人のお父さんはそれをちゃんと感じて、嬉しさを見せる。ちょっとわかりづらいかもしれないんですけど、そこが伝われば嬉しいなと思います。
―― 先行公開された九州での反応はいかがでしたか?
雑賀:鹿児島で3月1日に公開をしまして、県知事さんも来てくださって、観終わったあとに「涙が止まらない。この作品は鹿児島の誇りだ」って言ってくれたんですよね。そのときは嬉しかったし、ちょっと肩の荷が下りた気がしましたね(笑)。舞台あいさつもしたんですけど、そのあとでお爺ちゃんやお婆ちゃんや子供たちが握手を求めてきてくれて、お婆ちゃんが「良かったよ」って言ってなかなか手を離してくれないみたいなこともたくさんあったので、伝わることは伝わったのかなと思っています。この映画はリピーターが多いんですよ。九州でもガンガン宣伝しているわけではないんですけど、1度観た方が知り合いを連れて2回、3回と来てくれているんですね。
―― そして、いよいよ全国公開を迎えてのご心境は?
雑賀:今までが遠泳大会で言うと40周検定で、全国公開になるとほんとの海に出るのかなって。気持ちは遠泳大会を前にした少年の気持ちになっています。4キロ泳ぎきれるかなという、そういう心境です(笑)。
(2008年4月5日/TCC試写室にて収録)