『童貞放浪記』山本浩司さんインタビュー
「常に出演作が公開されている」と言われるほど多くの作品に出演し、現在の日本映画界には欠かせない個性派俳優・山本浩司さん。久々の主演作となるのが、評論家・比較文学者である小谷野敦さんの同名自伝的小説を原作とした『童貞放浪記』です。
主人公の金井淳は東大卒の大学講師。はたから見れば立派な経歴の持ち主であるが、彼にはひとつの大きなコンプレックスがあった。それは、30歳となるいまも“童貞”であること。後輩の北島萌と再会し、いつしか恋心を抱きはじめた金井は、ついに“童貞”を卒業することを決意するのだが……。
『童貞放浪記』は、世間にあふれる“作られた恋愛”の中で見過ごされようとされてきたものを、露わにして描いていきます。それは、山本さんが主演をつとめることによって、初めて実現したに違いありません。
甘酸っぱく切ない大人の青春映画『童貞放浪記』。その主人公“金井淳”と“俳優・山本浩司”の間にあるものを探ってみました。
山本浩司(やまもと・ひろし)さんプロフィール
1974年生まれ、福井県出身。大阪芸術大学芸術学部映像学科在学中から自主制作映画に参加する。1999年、同大学の後輩である山下敦弘監督の卒業制作作品『どんてん生活』に主演し、同作品がゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター部門でグランプリを獲得するなど国内外で高い評価を得たことで注目を集める。その後も『ばかのハコ船』(2002年)、『リアリズムの宿』(2003年)と、山下敦弘監督作品で主演をつとめるほか、多くの監督の作品に出演し、日本映画界には欠かせない存在になっている。出演作に『イヌゴエ』(主演:2006年/横井健司監督)、『それでもボクはやってない』(2007年/周防正行監督)、『グーグーだって猫である』(2008年/犬童一心監督)、『蟹工船』(2009年/SABU監督)など多数。『色即ぜねれいしょん』(田口トモロヲ監督)、『カムイ外伝』(崔洋一監督)などが公開待機中。
「もし、ほかの役者さんがやることになっていたら、すごく嫉妬したと思います」
―― 最初に、『童貞放浪記』のお話があったときの印象を教えてください。
山本:はじめに「もしかしたら主役をやるかもしれないので原作の小説を読んでください」と言われて、まず原作を読みはじめたんです。それでタイトルを見て「ああ、童貞役ができる!」と(笑)。ぼくは『リアリズムの宿』(2003年/山下敦弘監督)から童貞役をたびたびやってきていて、童貞役をすごく得意としているんです。だから、集大成としていままでやってきたことをすべてぶつけられるんじゃないかなと、すごく嬉しかったですね。思う存分やるぞって(笑)。
―― では「この役はほかの俳優さんには渡したくない」というような感じですか。
山本:ええ、もし、特に同世代のほかの役者さんがやるとなっていたら、すごく嫉妬したと思いますね。絶対にほかの人にはやらせたくないなと思っていましたし、それ以上に原作を読んで「ほかの役者にこれはできないだろう」というくらいモチベーションが上がっていました。
―― 「ほかの人にはできないだろう」とまで思われる理由というのはなんなのでしょうか?
山本:ぼくの勝手な思い込みですけど、ほかの役者さんはぼくほど大きなコンプレックスは持っていないんじゃないかというところですね。ぼくが一番コンプレックスを持っているはずだと思っているんです(笑)。
―― 今回、演じられた金井淳という役は、あまり映画の主人公にはいないようなタイプの人物だと思ったのですが、山本さんご自身はどうお感じになられましたか?
山本:よく、こういうキャラクターを主役にした映画にゴーサインが出たなあって思いました。……嬉しかったですね、こういう映画が作られる状況がここにあって、自分が参加できる環境にあるんだっていうことが。監督とも話しあったんですけど、最近、童貞を扱った作品が多い中で、違うタイプの作品にしたいというか、童貞というキャラクターをもうちょっと違う感じでやりたいという話をしたんです。ただ単に、スケベで女の子が好きだけどできないというのではなくて、そんなにもてないわけではないだろうに、そこにコンプレックスだったりとか思い込みによって、自ら童貞のほうに進んでいってしまうという、そういった“童貞像”というんですかね。それで、自分がいま置かれている環境への不満とか不安というものが、童貞でさえなくなれば一気に解決できるんじゃないかというくらいまで、自分の中で作り上げてしまって、執着しているという、そんなふうに話しあいをしたように思います。
―― 金井淳はけっこう先輩にいじめられたりしますよね。普通の映画だとそういうときに観客が同情することが多いと思うのですが、金井ってむしろこれは説教されても仕方ないよなという感じがして、あまり観客の共感を得ないキャラクターなのが独特だと思いました。
山本:自業自得ですよね(笑)。ぼくはむしろ、そういうキャラクターを演じるのが好きなんです。山下(敦弘)監督の作品がこの世界に入るきっかけになったんですけど、そのときにやった役も、余計な一言を言ったり、孤立するような言動とかを自分からしているようなキャラクターだったので、そういう役を演じることで役者になれた気がしているんです。ですから「ここに来てぼくの原点をぶつけられるな」ということで、水を得た魚の気分でした(笑)。
「これはなにか、映画の神様が味方してくれているなと思いました」
―― 映画の中では、金井淳とヒロインの萌が出会ってからは、かなり甘酸っぱい雰囲気になっていますね。
山本:幼稚と言えば幼稚ですよね(笑)。必要以上にマニュアルに頼っていたりしますもんね(笑)。
―― あれだけ典型的な恋愛というのを演じられた感想はいかがでしょうか?
山本:はじめは、それこそベッドシーンとかもあったので緊張もありましたし、照れくさいのかなとかチラッとは思ったんですけど、それよりも、自分が童貞というキャラクターをどう演じられるかというところに気持ちが行っていたというか……なんて言うんだろう、恋人同士のようなやりとりをしていても、ぼくも金井淳も、目の前に女の子がいるのに女の子を相手している気分じゃなかったんですね(笑)。金井淳だったらセックスができるだろうかということばかり気にしていたり、ぼくは童貞をうまく演じられるかということを気にしていたり、大事なのは目の前にいる女の子とのコミュニケーションなのに、なんか目的だけに気持ちを奪われていたという感じですね(笑)。だから、照れくささはあまりなかったです。
―― 萌役の神楽坂恵さんとは、撮影中はどんな雰囲気でしたか?
『童貞放浪記』より。山本浩司さん演じる金井淳(右)と神楽坂恵さん演じる北島萌(左)
山本:神楽坂さんと最初に会ったときに「主演としてこんなにガッツリお芝居するのは初めてなので、2ヶ月くらい前から演技のレッスンをずっと受けてきた」というお話を聞いて、そこまでやっていらっしゃるんだって思っていたんです。だから、ぼくはぼくで久しぶりの主演でテンパっていたんですけど、先輩であるわけですから、神楽坂さんに胸を貸すくらいの勢いで「お芝居っていうのは」みたいにいろいろ教える立場にならなきゃって思っていたんです。だけど、いざ現場に入ってみると、神楽坂さんはすごく堂々としていましたね。内心はわからないんですけど、ぼくから見ると「全然大丈夫じゃん」って感じだったので、むしろ、ぼくのほうが神楽坂さんの肝の据わり方に頼れるんじゃないかと思ってやっていました。
―― かなり濃厚なラブシーンもありますが?
山本:必死に慣れている体を装っていましたよ、「練習してきましたよ」と(笑)。撮影が進むにつれて、どんどん和やかにリラックスできるようになっていて、カメラのセッティングしている間に手持ち無沙汰になると、無意識に神楽坂さんに触っちゃうぐらいになっていました(笑)。
―― 神楽坂さん以外の共演者には、山口役の堀部圭亮さんはじめ、ユニークな方々が揃っていらっしゃいますね。
山本:堀部さんとは、前の現場で初めてご一緒させてもらって1ヶ月くらい一緒にいて、ほとんど間を入れずに再会したんです。だから、お互いになにをやりそうか、なんとなくわかった上で挑めるなと思っていたんですけど、いかんせん撮影2日目にしてぼくが食あたりを起こしまして、とんでもない体調不良の中で堀部さんに怒られるシーンを撮っていたんです(笑)。ロケ弁が悪かったのかなあ……でもお腹が痛くなったのはぼくだけなんで原因は不明なんですけど、リアルにつらくって、なんか自然に涙があふれてきそうなのをグッとこらえながら、山口氏に懇々と説教されるのを「はい、はい」って聞いているのが、あとで自分で観て「いいシーンだなあ」と思いましたね(笑)。これは狙ってできるものではないですし、ほんとに体力的につらかったんですけど、そのつらい時期に撮ったシーンの内容が、むしろ「これはおいしいぞ」と思えるものだったので、これはなにか映画の神様が味方してくれているなと思いました。
―― 古舘寛治さんとのやりとりも、独特な雰囲気で印象に残りました。
山本:面白いですよね。ぼくは『松ヶ根乱射事件』(2006年/山下敦弘監督)で初めて古舘さんを拝見したんですが、そこでの木村祐一さんと古舘さんのやりとりが面白くて、久々に映画を観ながらゲラゲラ笑ったんです。そのときは初号試写のときにお邪魔させてもらっていたので古舘さんとちょっとお話もしたんですけど、普段は映画の感じとは全然違った方なんです。いつか共演できたらなと思っていたので、今回、あの古舘さんと共演できるとわかったときはすごく嬉しかったですね。ふたりだけのやりとりが多くて、しかもそれが面白いやりとりだったので、負けたくないなと思っていました。
「“こういうことができるようになりました”という報告の意味を含めて観てもらいたい」
―― 『童貞放浪記』というタイトルからは、笑えるような作品を想像される方が多いと思うのですが、実際にはちょっと違う感じで、金井淳のキャラクターもそんなデフォルメされているわけでもありませんね。その部分について小沼雄一監督とはどんなお話をなさったのでしょうか?
山本:ほんと一言くらいだったと思うんです。小沼監督の演出は、言葉ひとつひとつは短いけれどわかりやすくて、こちらのイメージもすごく広がるので、「いい監督さんだな」と思ってやっていたので、話したのはちょっとしたことだったと思うんです。「笑いが欲しい部分もあるけれど、それほど狙いたくはない」というようなことで、ぼくはそれに大賛成で「こうじゃないよね」「ほんとにそうですね」という、それだけでしたね。
―― 撮影中に監督の演出で印象に残っているところはありますか?
山本:シーンによっては何度もリハーサルをやったときがあって、やりながら自分の中で「ああ、こういう感じ、こういう感じ」って固まっていくんですけど、それが過ぎると……なんて言うのかな……プレイヤーみたいになってきてしまうんですよ。そこで「いや、いまなんか型になってきているから、それを1回全部忘れて、気持ちで」と言われて、たしかにそうなっていたなあって。そういうことは言われましたね。
―― ラストはかなり切ないというか、やるせない印象が残るものになっていますが、あの場面はどのようにしてできあがったのでしょうか?
山本:ラストでは、ぼくが最後に一言あるセリフを呟くんですけど、それについてけっこう悩みまして、途中でなんかこう……まったくわからなくなってきたんです。監督は「もうちょっと軽く笑ってくれ」という演出だったんですけど、ぼくはその前にあるくだりを引きずってしまっていて、どうしてもうまく笑えなくて、何回か撮り直したのを覚えています。ラストシーンは中盤くらいに撮ったんですけど、完成した作品を観て、この作品を自分がやる中で「ラストをこういうふうにしたい」というぼくの理想みたいなものが強く出てしまったなと思ったんです。完成した作品を観て、やっと監督の意図が「ああ、そういうことだったのか」ってわかったというか、なんかラストカットだけは想いが強すぎて暴走してしまいましたね。……いいんですかね、こんなあけすけに話して(笑)。
―― では最後に、最近は世間で“モテ”とか“非モテ”とかいう言葉が広まったり、割と高い年齢で童貞の方も増えているとか、現代の恋愛事情みたいなものが話題になることも多いですが、そういう中で『童貞放浪記』をご覧になる方へのメッセージをお願いします。
山本:それは、全国の童貞に向けてですか?
―― じゃあ童貞に限らずに、むしろ非童貞の方に向けてお願いします。
山本:……「笑いたければ笑うがいいさ」っていう感じですかね(笑)。個人的には、すごく思い入れのあるキャラクターをやらせてもらったので、昔からぼくの出ている作品を観てきてくれた人には「いま、こういうことができるようになりました」という報告の意味を含めて観てもらいたいですね。
―― では、童貞の方というか、金井淳に近いタイプの方に感じていただきたいものは?
山本:終わり方が終わり方なんで、希望は持たせられなかったというか(笑)。それはただ単にぼくの気持ちだけで、もうちょっとあのラストの自嘲的な笑いが軽いものであれば……。
―― でも、個人的にはあそこで軽くならないところが共感できるところかなと思うんですよ。
山本:身につまされる映画にはなっていますよね(笑)。「救いを求めて観にいったら身につまされた」みたいなことになるので、観るときには覚悟を持って観てくださいと、そういうことですね(笑)。
(2009年6月9日/アルゴ・ピクチャーズにて収録)