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『フローレンスは眠る』監督・小林兄弟インタビュー

インタビュー写真 同族経営の大企業・佐藤理化学工業の新社長が姿を消したその日、会社に脅迫状が届けられた。犯人の要求は、社の創業者一族が持つ伝説のブルーダイヤ「フローレンスの涙」……。
 日本では珍しい兄弟監督である小林兄弟の新作『フローレンスは眠る』は、創業者一族が経営陣を占める大企業を舞台にしたクライム・サスペンス。3代目社長の誘拐事件を巡り、犯人である秘書課の青年、創業者の長男で事件を内密に処理しようとする2代目社長、その弟で混乱に乗じて会社売却を企てる副社長など、さまざまな人々の思惑が交錯していきます。
 『フローレンスは眠る』は監督自身の製作による自主作品でありながら、豪華な俳優陣の起用など、往年の日本映画を思わせる大きなスケール感を持った作品となっています。そしてこの作品は、リクエストにより映画を上映する「ドリパス」のチャレンジプロジェクト作品として、自主作品としては異例と言えるTOHOシネマズ日劇での上映を迎えます。
 新たな映画製作・公開のあり方を予感させる『フローレンスは眠る』公開を前に、小林兄弟=克人監督と健二監督にお話をうかがいました。

(写真左:小林克人監督・写真右:小林健二監督)

小林克人(こばやし・かつと)監督プロフィール

1960年生まれ、山口県出身。1989年にテレビ番組制作会社を設立し、ディレクターとして番組制作に携わる。また、弟の健二監督とともに劇団を立ち上げオリジナル作品の脚本・演出を担当。短編映画製作などを経て2005年よりジャングルウォークで映画製作に専念し、2009年に健二監督と共同で初長編『369のメトシエラ』を監督、2011年に公開を果たす。

小林健二(こばやし・けんじ)監督プロフィール

1966年生まれ、山口県出身。俳優座で俳優の経験を積んだのち、映画製作を志して兄の克人監督とともに劇団を立ち上げ俳優とプロデューサーを兼任。その後、短編映画製作などを経て、2004年に映画制作会社ジャングルウォークを設立。2009年に克人監督と共同で初長編『369のメトシエラ』を監督するとともに、プロデューサーとして製作・配給にも携わる。

「ぼくらからしたら、ほかの映画監督さんがひとりでやっているのがすごいと思うんです(笑)」(健二)

―― 最初に、ご兄弟で映画を監督をするようになったきっかけをうかがわせてください。

克人:ぼくたちはもうひとり弟がいて男3人兄弟なんですけど、昔から仲よかったというか、けっこうなにをするにも3人一緒だったんですよ。特にぼくと健二は1番目と2番目で歳も近かったし、たとえば映画を観るのも本を読むのも音楽を聴くのもずっと一緒だったので、あえて兄弟監督をやろうという意識じゃなくて、普通に始まった感じはしますね。

健二:家庭環境が大きかったかもしれないですね。うちは親父が普通のサラリーマンでしたから、子どもの部屋がひとつしかなくて、兄とぼくと弟は同じ部屋だったんです。小学校、中学校、高校ぐらいまでのいわゆる多感な時期にずっと同じ部屋で生活していたものですから、兄の持ってくる映画とか音楽とかを共有しちゃってたんですね。それと、うちの父と母がけっこう映画が好きだったんですよ。ぼくらの小さなころってビデオもないですけど、夜9時くらいになるとテレビで「月曜ロードショー」とか「ゴールデン洋画劇場」とか、ほぼ毎日やっていましたよね。そのころですからテレビが家に1台しかないんで、よく両親と一緒に観てたんです。それで、たとえば『荒野の七人』(1960年・米/ジョン・スタージェス監督)を観ていて「この俳優さん誰なの?」とか聞くと「ユル・ブリンナーさんだよ。実は、私たちが初めてのデートで東京の映画館で『荒野の七人』を観にいったのよ」みたいな話を聞かされてね(笑)。余談ですけど、ぼくが小学校4年生のとき、初めて貰ったお年玉でレコードが買いたくて、買い方がわからなかったので兄貴にレコード屋についてきてもらって初めて自分で買ったレコードが『荒野の七人』なんです。

克人:あのテーマ曲ですね。ドーナツ盤ですよ。

健二:あの映画が大好きだったんですよ。「カッコいいおじさんたちだ」と思って。で、今度は兄貴が高校生くらいになると、雑誌の「ロードショー」と「スクリーン」を買っていたんです。それを読んで「おい、ブルース・リーってすげえぞ」「え、なにこれ!」「一緒に行くか!」ってなって一緒に映画館に行ったりしてたんです。

克人:まあ、それをいまだに引きずっているということですね(笑)。

―― 映画を作るということに興味を持たれたのはいつごろなのでしょう?

克人:最初は高校生のときですね。学校に進路指導の先生っているじゃないですか。「お前は将来どういう道に進みたいんだ」って言われて、ぼくはあまり考えてなくて、たまたまそのころ『タワーリング・インフェルノ』(1974年・米/ジョン・ギラーミン監督)を観ていたので、俺は消防士になろうと(笑)。それで母親に「消防士になる」って言ったら「お前みたいなのがなれるわけないだろ! 夜でも通報があったら起きて出動しなくちゃならないし大変なんだよ!」って言われて、たしかにそうだと(笑)。ただそのときに、自分をそういう気持ちにさせた映画ってすごいなって思ったんですね。それで、映画は誰が作るんだろうと言ったら一番偉いのは監督だと。じゃあ自分は映画監督になりたい、映画を作る人になりたいというところからぼくは進んでいったんですが、健二もそばにいますから映画の話はずっとしているわけですよ。「お前『荒野の七人』好きだろ。あれ、実は黒澤明という人が原作らしいよ」とか、そういう話をしていて、気がついたらふたりでいつのまにか映画に関して志向はしていたんですよね。

健二:はっきりと映画を作るという具体的な目標を立てたのは、ぼくが23、4歳で、兄貴が30歳前のころですね。そのきっかけは黒澤明監督の『七人の侍』(1954年)だったんです。ちょうど黒澤監督がアカデミー賞で名誉賞を獲られて(※1990年に受賞)、そのあとに東宝さんで『七人の侍 完全オリジナル版ニュープリント』というのを全国ロードショーしたんです(※1991年11月公開)。それを観にいったらメチャメチャすごい映画だなと。

克人:こんな映画が日本にあったのかと。ぼくらは知らなかったんですよ。

健二:実はぼくらはそのころ黒澤作品って一度も観たことがなかったんです。それが「こんな日本映画があったんだ。“クロサワ”ってこんな監督さんだったんだ」ってぼくも兄も思って、ちょうどそのころ東宝さんがレンタルビデオで黒澤作品を一気に出して観られるようになったので、片っ端から観倒したんですね。そのときに「映画を作ろう」みたいな。

克人:強く意識したのはそこですね。

―― そこから具体的な行動を起こされるわけですね。

小林兄弟インタビュー写真

兄・小林克人監督(左)と弟・小林健二監督

健二:ただですね、映画を作ろうと思ったものの兄もぼくも学校で映画を勉強したわけでもないですし、現場で働いているわけでもないので、とりあえずビデオで黒澤監督の作品や小津(安二郎)さんの作品を観ながら、映画の専門書がありますよね。そういう本をぼくと兄貴で買いあさって勉強したんです。そうすると、いい映画を撮るにはまずシナリオを作らなくてはならないと黒澤監督も言っているよと(笑)。それでシナリオを書かなきゃということで、まず劇団を兄とぼくのふたりで始めたんです。

克人:やっぱり、芝居の基本というのは演劇かと思ったし、お芝居なら映画ほどのお金はかかりそうにないから、まずは演劇からやろうというので劇団を作ってずっとやっていたんです。

健二:それも、兄貴はテレビの仕事をしながらなので、年に3本くらいですね。1週間から10日間くらいの短い期間なんですけど、オリジナル作品を作りながら、やっぱり映画を意識していましたね。いつか映画を撮るために物語を作ると。そういうことをしながら、1995年か96年に短編自主映画を作るんです。それもオールフィルムで。それがやっぱりすごく辛かったんですよ(笑)。

克人:まず、フィルムがどこで売っているのか知らなくて「フィルムってどこで売ってるんだ?」ってところから始まりましたから(笑)。だから、基本的にはすべて独学ですよね。それで、劇場という意味では映画も演劇も一緒で、お客さんに対してものを作るということが明確でしたから、演劇から学んだものって大きかったんです。どうすればお客さんが飽きずに最後まで観てもらえるかというのは演劇でずいぶん学びましたね。演劇も、どこかの劇団に入って学んだわけではなく、自分たちで勝手に立ち上げただけですから(笑)。

―― 演劇も今回の映画も含めてなのですが、作品をお作りになるときはずっと共同作業なんでしょうか? あるいは、この部分はどちらかが主導権を持つという感じで分業をされているのでしょうか?

克人:分業している部分はあります。基本的に、お金の面とかプロデュースの部分というのは健二がやってくれるんですね。「兄貴は金のことは心配しないでいいから書きなさい」と(笑)。もちろん、書いたものを健二に読ませて「ここはもっとこうしたほうが」というのはやってもらいます。

健二:わかりやすく言うと、物語を作るときにあらすじがあるじゃないですか。なにもない真っ白なところから「今度はこういう登場人物でこんな話をやろう」とあらすじを作るのはふたりでディスカッションしながら決めていくんです。それで、具体的に戯曲にしたりシナリオにするのは兄がやるんです。それをまたぼくに読ませてくれて、ぼくは製作面とか俳優のことを考えていくわけです。その辺を勘案しながら「こうじゃないかな」とか兄に差し戻して、そういうことを繰り返しています。今回の作品もそうです。それで映画の場合、たとえばどういう映像のルックにしたいかとかはカメラマンと一緒に3人でディスカッションしたりしながら、ストーリーボードはやっぱり大体兄貴が作りますね。ぼくはどちらかというと、俳優さんとのリハーサルとかスタッフとかの人間的な調整の演出のほうがが大きいですね。これはよく話すんですけど、ぼくと兄貴はずっと一緒にものを作ってきちゃったから、逆にほかの映画監督さんがひとりでやっているのがすごいと思うんですよ(笑)。プロデューサーもひとりでやられていたり、ぼくらからしたらすごいことで、やればやるほどうちは兄弟でよかったなみたいな部分はありますね。

克人:ストレス半分で済むからね(笑)。

健二:よく質問されるのが、ケンカすることはないのかということなんですけど、ぼくらはほとんどないんです。もう、普段から話をするのが大好きなんですよね。生まれてからずっといろんな分野について話をしているんで、うちの会社のスタッフも全員が「よく喋りますね」って言いますよ。それで「仲がよすぎて気持ち悪いって」(笑)。現場でもほとんどケンカはないですね。たまに「兄貴、これはこうだと思うんだけど」みたいなことはありますし、そのときはムカッとしてるかと思うんですけど、でも「俺がプロデューサーだもんね」みたいなところはありますよね(笑)。

「“映画はエンターテイメントでなければいけない”って思っている自分たちがいるんですよ」(克人)

―― 『フローレンスは眠る』は大企業が舞台のクライム・サスペンスとなっていますが、こういう題材を選ばれた理由はなんだったのでしょうか?

克人:まず、この企画を立てたのが2012年か11年の終わりくらいだったんです。前作の『369のメトシエラ』(2009年)がヒューマンドラマだったもので、次はサスペンスをやりたいねと。それで、どういう題材にしようかと考えたときに、やっぱり震災のあとだったということも大きいんですね。ぼくらも含めて日本全国が衝撃を受けて気持ちもブルーになってという中で、なにがほんとで嘘かわからなくなっちゃたり情報が錯綜しちゃったり「これってなんだろうね?」というのがあったんです。それで、自分たちがやっぱり会社を経営していますから「経営ってなんだろう」みたいなことも考えたんですよ。その中で、もう世間で昭和がだんだん遠くなっているんだということをなんとなく感じたんです。新しい経営者が出てきて「アメリカでMBAをとりました、効率化を推し進めています」みたいな会社経営の方法からは、ぼくたちが昭和の時代に体験してきた、いわゆる怖いオヤジが上にいっぱいいて下っ端はいうこと聞くしかなくて、だけど終身雇用も含めて会社が生涯面倒を見てくれたというような価値観というのが、もう終わりかけているのかなというのもあったんです。

健二:兄が昭和35年、ぼくが41年の生まれで、父が高度成長期バリバリのサラリーマンの時代なんですよ。終身雇用があって、それで「新しいテレビが来たー!」とか「電話がついたー!」とか、ぼくらが子どものころって明るかったんですよね。親も「車が来たー」みたいな感じで「うちで車が持てるんだ、すげえ」とか。

克人:もちろん、昭和に対してネガティブなところもあるけれど、ぼくたちにとっては楽しかった記憶があって、今回の映画で同族企業とかを描いたのは昭和に対する追憶というのもあったのかもしれないです。やっぱり、いままで作ってきた日本の企業がすべて悪いのかとか、グローバル化の中で「日本は古すぎる」とかマスコミなんかでは言われていますけれど、終身雇用ってそんなに悪かったんだろうかとかね。

健二:そうでもないんじゃないって。やっぱり、昭和の時代の素晴らしい部分と引き継いだためにダメな部分はあると思うんですよ。いまは時代が変化していく中でコンプライアンスというのが細かく言われるようになってきてますよね。会社を経営するにもコンプライアンスってすごく大事で、情報を密に共有していける時代ですから真実をできるだけみんなに伝えたほうがいいし、経営も私利私欲だけではダメなんですよね。でも、コンプライアンスの良さはあるんだけど、ちょっと重箱の隅をつつくみたいにうるさく言いすぎじゃないかなと思う部分もあるんです。ぼくはそこで「いい悪い」の答えが出せないんです。ぼくはたとえば原発の問題とかも答えが出せないんですよ。やっぱりぼくは原発の享受を受けてきたわけで、高度成長の時代にどんどん国民が豊かになっていって電気の使用量が増える中で、石炭とかじゃないエネルギーが要るということで推し進めていた部分がある。でも3.11のようなことがあると、ああいうことが起きてくるから全部撤廃だという話になってくる。ぼくはどっちの意見も間違っていないなというのがあってですね、50歳にしていまだにブレブレな自分がいるんですよね。そこで答えを出せないのは兄も同じだと思います。

克人:そうですね。だから、自分たちが作品を作ったときに自分たちの思っていることが全部投影されていくんですね。今回、同族企業というのを選んだのも、実は日本の企業の大半が同族企業じゃないですか。中小企業が9割を占めていて、そのさらに9割は同族でできていると。日本の経済云々を支えてきたのは基本的に同族の会社であり、働いている人のふたりにひとりは同族企業に勤めているわけで、そう考えていくと、いまの日本をどう描くかということでは同族企業というのはいい切り口になるのではないかというのはありましたよね。

『フローレンスは眠る』スチール

『フローレンスは眠る』より。誘拐事件を計画した社長秘書・牧羽の目的はなんなのか?

健二:業種によったりタイプによってもいろいろあるけど、2代目3代目と引き継いでいく難しさってどの会社にもあると思うんです。ちょうど3、4年前くらいからいまの60代以上の方々が現役をどんどん退かれていて、次代継承が進んでいると思うんですよ。ましていまはコンプライアンスがうるさくて情報公開がどんどん精緻になる時代なんで、継承するほうも大変だし、ちょっとお聞きした話だと事業精算する方も多いらしいんですよね。「もう自分の息子たちには継がせない」みたいな考え方の方も増えてきているという話を聞いたのもきっかけにでしたね。その辺もタイムリーだなと。

―― そういう現代社会の問題を扱いつつも『フローレンスは眠る』はエンターテイメント性の高い作品となっていますが、エンターテイメント性というのは意識されていたのでしょうか?

克人:それはメチャメチャ意識していますね。基本的に「映画はエンターテイメントでなければいけない」って思っている自分たちがいるんですよ。それは、やっぱり黒澤映画がそうだったんですよ。最後にガツンとくるものは残してくれるんだけど、エンターテイメントとして映画を仕上げていくんだということを黒澤映画から学んだんでしょうね。「これが映画だよ、楽しいだろう?」って。

健二:前作の『369のメトシエラ』でもそうだったんですけど、舞台のときから共通しているのはラストシーンにすごくこだわっているんですよ。物語を最後に帰着させる結末ですよね。1時間とか2時間お芝居を観たあとに、なにか持ち帰れる部分ですかね。そこは、ぼくも兄もお互いに歳をとってきて、どんな絶望の話でも希望は残したいというのはより思ってきたのかな。それが、ぼくと兄の考えるエンターテイメントですよね。

克人:そうですね。それで、観る人を選ばないようにしたいなと。だから、自分の子どもとか、それから自分の親にも見せて恥ずかしくないものは作りたいんです。やっぱり、自分たち以上のものは作れないですから、自分の子どもや自分の孫ですよね。自分の親父が、自分の爺ちゃんが、55歳のときにこんなことを考えてこんなものを作ったんだなって、そう思ってくれたらいいんだなって思っているんです。自分の親にも「どう?」って(笑)。「つまらない」って言われるかもしれないし「難しい」って言われるかもしれないけど、やはりなるべく映画はエンターテイメントということは意識しながら、でも伝えたいことは伝えていくという、そのバランスですね。

健二:きっと、ぼくと兄の考えるエンターテイメントというのは、どこか世代を越えて、できれば言葉も越えて、感情的に理解していただいて、終わりになにか「あ、ちょっとは救われた」っていう部分があるのがぼくらの目指すエンターテイメントですね。

―― その「救われた」という部分につながるのかもしれませんが、作品を拝見して、当然クライム・サスペンスですから登場人物はいろいろと計略を企てるわけですが、観終わったあとに嫌な印象の残る本物の悪人はいないというふうに感じました。

克人:そこを言ってくださるとすごい嬉しいですね。

健二:実はね、この作品をやるときに、ぼくと兄貴はある十字架みたいなものを背負っていたんですね。それは「悪人を作らない」ということなんです。いまは悪人の出てくる映画が多いじゃないですか。そこで勝負したら負けるなって(笑)。ぼくも兄貴もいろいろな映画を観るんですけど、やっぱり完全な悪い人といい人と、ステレオタイプなものが多すぎちゃって、それはよくないんじゃないかって。ほんとのリアルというのは、善と悪というものをあんまり分けすぎないで「罪を憎んで人を憎まず」ではないですけど「悪人でも見方を変えれば」というところに挑戦したいというのはあるんです。

克人:やっぱり、根底にあったのは黒澤映画だと思います。たとえば『七人の侍』で野伏せりの集団が村を襲うけど、その野伏せりを生み出したのはなんなのかみたいなセリフを彼らに言わせているわけですよ。悪いのは誰なのかと。『天国と地獄』(1963年)の最後の面会室での山崎努のセリフとかもね、やっぱり黒澤映画ってすごいなあって思うんですよ。

健二:『野良犬』(1949年)という映画もそうで、主人公の刑事とピストルを盗んで逃げ出した犯人は実は表裏一体で紙一重なんじゃないかという部分を黒澤映画は持っているんですよね。だからぼくも兄貴も考えていたのは、人間というのはそれぞれに立場があって、一見悪く見えても悪くはないんじゃないかということだったんです。「悪人を作らない」というのは挑戦だったんですけど今回の登場人物はそういう人物になっていますし、そこを言っていただけると嬉しいですね。

「昭和の映画の匂いを少しでも残したい」(克人)「情熱を失わなければチャンスはあると思う」(健二)

―― その『フローレンスは眠る』は、ドリパスチャレンジ上映プロジェクト作品として、400枚以上のチケット予約を達成してTOHOシネマズ日劇での1週間公開が決定しました。上映を前にしてのお気持ちはいかがですか?

健二:メチャメチャ緊張しますね(笑)。TOHOシネマズさんのドリパスというチャレンジシステムなんですけど、日劇というあり得ないような大劇場でチャレンジさせていただけることに関しては、もう「映画の神様っているのかもしれないな」って感じですね(笑)。

克人:そうですね、2作目になるんですけど、まさか世間がこんなに大ステージを用意してくださるとは(笑)。実際撮っているとき、そして編集しているときもなにも決まってなかったですから。できあがってから営業しなきゃいけないねということで、健二が先頭に立ってやってくれたときにTOHOシネマズさんのこのお話があって「ほんとに?」みたいな話から、最終的に「日劇」と言われたときに「えっ、日劇って日劇ですか?」って3回くらい聞きましたからね(笑)。

健二:もう嬉しかったし、緊張しましたね。一流の劇場だし、いらっしゃるお客さんも一流の方が多いでしょうし、そこでご覧になっていただけて、どんな反応があるのか緊張しますし、怖い部分もありますね。

―― 『フローレンスは眠る』は、題材の大きさとか豪華なキャスティングなども含めて、日劇という劇場にあったスケール感を持っていると感じています。製作されるときに、メジャー作品のようなスケール感というのは考えられていたのでしょうか?

健二:やっぱり多少はありましたね。

克人:というか、実はメジャー、マイナーという発想がなかったんです。たとえばロケーションがありますよね。今回は群馬の県庁を借りたり入間の歴史的な建造物(※旧石川組製糸西洋館)を借りたりしているんです。ぼくはやっぱり心配して「お金がかかるぞ」と言うんだけど、健二が「昭和の感じを出すなら絶対にここだ」って言って「なんとかする」って(笑)。

健二:ロケハンのときにスタッフが予算に合わせていろんなところを探してくれるんですよ。撮影可で1日いくらでとか。それで、カメラマンと撮影部と制作部とぼくらで見にいって「ここで撮影するということは、泊まり? 移動費?」って考えるんですよね(笑)。「金かかるしどうしようかなあ……やりましょうか」って(笑)。どうするかはあとから考えていくんです。映画に出てくる会社のロビーは群馬県県庁の建物で、なにもないところをロビーに仕立ててるんです。秘書室もそこで撮っています。

『フローレンスは眠る』スチール

『フローレンスは眠る』より。劇中の会議室は埼玉県入間市にある文化財の建造物で撮影された

克人:取締役会の会議室も群馬県庁で撮ることはできたんです。広いからそこにテーブル用意して。でも健二が「なんかイメージ違う」と。たしかにぼくもそうだったんです。脚本を作ったときに「旧日本帝国海軍の参謀が座っているような感じ」みたいなイメージがあったんですよ(笑)。それで、入間の建物を見たときに「ここすごいなあ」って。「どうしてもあそこだよ」と。

健二:やっぱり、スタッフも兄もイメージとしてはそう思っていたけど、入間で撮影すると大変ですからね。群馬県庁と入間に分けたら役者の出入りが大変で、でも、ぼくらがイメージした昭和の感じ、いまの財務省の建物とかに残っていますけど、いわゆる和洋折衷な昭和の日本の建物のイメージがあるじゃないですか。その雰囲気は絶対に必要だなと思って。それをあきらめてほかのところでお手打ちでやったらエンターテイメントには近づかないだろうなと思って、自主映画だけど「ここはほかのなにを削ってでもやるしかない」というふうになったんですよね。

克人:候補としてベイエリアの新しいビルもあったんですよ。「ここだったら安く貸してくれますよ」みたいな。でも、そこの会議室でやっても違うよなあって。やっぱり床は木がいいとかね(笑)。傷をつけちゃいけないとか大変だったけど。

健二:副社長室と会議室は入間の同じ建物をお借りしたんですけど、古い建物なんで特に副社長室のほうは傷んでいるんですよ。要は壁に穴が開いちゃったりしているんです。だから、吟さん(前田吟=副社長・佐藤勇次郎役)のショットを撮るときにもここに穴があるんです。隠すのになにかを貼るのもダメだというので、どうしようかと考えましてね。副社長室だけ別のところでやったらまたエライことになりますし(笑)。それで、たまたま知りあったVFXの会社の社長に「この穴くらい消せるよね?」って泣きつくわけですよ(笑)。だから、みなさんあまり気がついてないんですけど、副社長室は壁紙をVFXで直しているんです。

克人:全部ね。バカなことやったよね(笑)。

健二:だから、そうやってお金がないなりにやっていたので、まだまだだとは思いますけど、日劇にあっていると言ってくださるのはすごく嬉しいです。

―― ドリパスは通常は過去の作品をリクエストによって上映していて、未公開の新作の上映はドリパスでも新たな試みになりますね。『フローレンスは眠る』は、映画公開の新しいスタイルに挑んでいるような部分もあると思いました。

健二:そうですね、そもそもぼくらは自主独立なので、この作品も前作もそうですけど、企画の段階、撮影中、編集が終わったあと、基本的に映画館が決まってないんですよね。それを条件に出演者の方なりスタッフを口説いていくわけです。やっぱり、ぼくらなんかもともと映画界からすればよそ者ですよね。まったく業界の人間でもないし、ある意味ではバカ者です。いまはフィルムの時代じゃなくてカメラも進化したから、普通に売っているデジタル一眼でもいい映像が撮れちゃうし、ぼくらみたいな自主独立でも映画が撮りやすくはなっているんです。それをネットで配信するというのも時代に合った武器なんですけど、50人とか100人の小さな劇場でいいから「劇場で映画をかける」という情熱を失わなければチャンスはあると思うんです。ぼくらは都心の大きな劇場で1週間でも1回でもいいからかけたいという強い想いをはじめから変わらず持っていたので、今回、ドリパスチャレンジとして実現したのも新しいチャレンジの仕方だと見ていただけるならすごく光栄です。ぼくたちが道を作っていって、これから独立自主や学生映画でも東京のそれなりの劇場でかけてもらえるチャンスが増えればすごくいいと思っていて、先陣きってやらせていただいた感じですね。

―― しかも、監督が影響を受けた黒澤明監督の作品と同じ東宝系列の劇場で公開されるわけですね。

克人:わかります、その嬉しさ?(笑) 黒澤明監督の映画って必ず東宝だったじゃないですか。それで日劇って東宝にとっても旗艦館ですし、黒澤監督全盛期のころはみんなあそこでやっているんですよね。同じスクリーンにかかるというのは鼻血が出る勢いですね。もう、嬉しさは(両腕を広げて)こんなですよ(笑)。

健二:兄貴がそれくらいなら俺は(もっと広げて)こんなだよ(笑)。なんて言うんだろう……時間はかかったけれども、名誉ですし、ほんとに夢って叶うんだなって。ぼくが何十年後かにあの世に行ったときにはね、黒澤監督にお会いして「やったねお前」って言われたいですね。それくらい子どものように嬉しいです。と同時に、すごく緊張もしています。

―― では最後に『フローレンスは眠る』にご興味を持っている方々に向けてメッセージをお願いします。

健二:長編劇映画はまだ2本目なんですけど、自分たちの時間、自分たちの中にあるものすべてを情熱込めて注いでできあがった作品ですので、月並みな言い方になりますけれど、ぜひお時間のある方は映画館でご観覧いただいて、ご覧になられたら正直なご意見をインターネットを通じてでもいいので、私たちにぶつけてほしいなと思います。そして、この映画をたくさんの方が支えてくださったらもう1本撮れるかもしれないので、ぜひよろしくお願いします。できればもう1本撮らせてください。

克人:今回、健二とぼくが意識したのは、昭和の匂いをどう出そうかということだったんです。やはりぼくたちは昭和に思春期を過ごしましたし、映画体験もそこがすごく大きいんですね。いまの邦画では少ないと思うんですが、あえて当時の自分たちがすごく面白がったり感動した昭和の映画の匂いというのを少しでも残したいなと思って作ったんです。ある意味では決して観る人を選ばない、若い人からお年寄りまで楽しんでいただける映画になるように精一杯の努力をしましたので、若い人は知らない発見もあると思いますし、昭和の映画をご存じの方はちょっと懐かしいなと思ってくださるのではないかと思いますので、ぜひ劇場でご覧いただきたいなと思います。

(2016年2月9日/ジャングルウォークにて収録)

作品スチール

フローレンスは眠る

  • 監督・脚本・編集:小林兄弟
  • 出演:藤本涼 桜井ユキ 前田吟 山本學 ほか

2016年3月5日(土)より11日(金)までTOHOシネマズ日劇にて連日19時45分より上映

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