ある町で起きた殺人事件。不眠症に悩まされる刑事の今村は、捜査で訪れた精神科の療養所で、幼いころから入院している少女・夕子と出会う。今村と夕子が奇妙な関係を築いていく中で再び起きる殺人、そして……。
『心魔師』(しんまし)は、日中の若き映画人が生み出したサイコホラー。刑事と少女を中心に精神科医や患者たちの謎が渦巻いていくこの作品で、今村役には多彩に活動する生津徹さん、夕子役には注目の新人・真崎かれんさんが起用されました。
猟奇殺人をめぐる迷宮のようなストーリーの中で、ふたりの主人公を実感ある人物としてスクリーンに息づかせた生津徹さんと真崎かれんさん、そして日中合作作品で見事な演出手腕を振るった新鋭・今野恭成監督に、お話をうかがいました。
生津徹(きづ・とおる)さんプロフィール(写真右)
1970年生まれ、山梨県出身。東京YMCA英語専門学校卒業後、ロンドンのマウントビュー・アカデミー・オブ・シアター・アーツで演劇を学ぶ。多くの映画やテレビドラマ、舞台などに出演し、自ら企画・演出までこなす一人舞台も開催するなど多彩な活動をおこなう。近年の映画出演作に『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』(2014年/大友啓史監督)、『海賊とよばれた男』(2016年/山崎貴監督)、『サバイバルファミリー』(2017年/矢口史靖監督)など。
真崎かれん(まさき・かれん)さんプロフィール(写真中)
1997年生まれ、東京都出身。スカウトにより芸能活動を開始。東京ガスCMや楽天オーネットイメージモデルで注目を集め、テレビドラマや映画を中心に女優として活躍中。『心魔師』が映画初主演。2018年はほかに『センセイ君主』(月川翔監督)、『SUNNY 強い気持ち・強い愛』(大根仁監督)、『響 -HIBIKI-』(月川翔監督)と出演映画の公開が続く。
今野恭成(こんの・やすまさ)監督プロフィール(写真左)
1989年生まれ、福島県出身。早稲田大学在学中より自主映画を制作し、多くの映画賞を受賞。東京藝術大学大学院映像学科映像研究科映画専攻で黒沢清監督・諏訪敦彦監督に師事したのち、劇場作品やDVD作品でホラー、コメディなど幅広いジャンルの作品を手掛ける。劇場公開監督作に『バレンタインナイトメア』『劇場版ほんとうにあった怖い話2016』(いずれも2016年)、『CHATZONE』(2017年)など。
「映画の中で起こっている出来事にどうやって興味を持ってもらえるか」(今野)
―― 真崎さんと生津さんは『心魔師』で主演をつとめることが決まったときのお気持ちはいかがでしたか?
真崎:私はオーディションを受けるときから、すごく受かりたいと思っていたんです。だから、受かったときもすごく嬉しかったですし、同時にビックリもしました。それまでは自分がカメラに映るという経験もそんなになかったので、撮影に入ることに不安もありましたし、でも初めての現場が楽しみでドキドキもしていて、不安と楽しみな感じが混ざっていました。
生津:はい、嬉しかったです。あと中国との合作ということで、どういう現場になるのかすごく楽しみでした。
―― 監督は、夕子と今村、ふたりの主人公を演じる俳優さんにどういうものを求めていらっしゃったのでしょうか?
『心魔師』より。真崎かれんさん演じる入院患者の夕子(左)と生津徹さん演じる刑事の今村
今野:夕子に関しては、やっぱり彼女の次第に明らかになっていく部分が演じられるかということが一番でした。それから病んでいるのは精神ではあるんですけど、ずっと療養所にいて外に出ていないから肉体的にも不健康な様子も見えつつ、でも性格としては明るい気持ちでいるようなキャラクターなので、ルックスとしても演技としても、病んでいる患者としての夕子と幼い天真爛漫な夕子と、その両サイドをどっちも演じられるような役者さんを求めていました。
今村に関しては、野蛮で暴力的なキャラクターではあったので、黙っている状態でもそれが伝わらなければいけないというのがあったので、やっぱりルックスとか雰囲気になってしまうんですけど、まずそこが一番大事かなと思っていました。生津さんとは一度やっていて(※中編『レンコーンの夜』2016年)、セリフ回しとか演技については知っていたので。
―― おふたりは、いまの監督のお話を聞いてどう思われました?
真崎:私は昔ずっとスポーツをやっていたので、けっこう健康的な体型だと思っているんです(笑)。すごく細いというわけではないので、そういうふうに見て選んでいただいたというのはちょっと意外でした(笑)。
今野:頬周りとかですよね、すっきりしていて。オーディション来てくれたほかの子たちは丸顔の子も多かったから(笑)。あと身長もあるから細く見えるし。
真崎:よかったです、不健康そうに見えて(笑)。
生津:ぼくは「俺、黙っててそんな暴力的な感じがするのかな?」って(笑)。
今野:それはぼくも最初に思ったんですよ(笑)。生津さんは前に一緒にやった映画では優しいインテリの役だったのでちょっと不安もあったんですけど、生津さんが探偵役をやられた『本牧アンダーグラウンド』(2016年・東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻第11期プロデュース企画作品/後閑広監督・廣原暁監督)という映画があって、それの髭を生やして脂ぎった生津さんの写真を見せてもらって、これなら大丈夫だって。
生津:よかったです、暴力的に見えて(笑)。前にご一緒した映画の役とは、ちょっとかけ離れた感じでしたものね。
―― 監督はこれまでもホラーを何作か手がけていらっしゃいますが、今回の『心魔師』では、方向としてどういう怖さを狙っていらっしゃったのでしょう?
今野:怖さというよりは、事件とか人物とか、映画の中で起こっている出来事にどうやって興味を持ってもらえるかということを考えていました。怖さは脚本の段階というよりは演出で考えていこうという方向だったので、最初の脚本段階で考えていたのは、いかにして興味を持ってもらえるようなお話や事件にするかですね。
―― 真崎さんと生津さんはホラーは普段から親しまれているほうでしょうか? サイコホラーに出演するにあたって特に意識されたことはありましたか?
真崎:私はサスペンスとかは好きなんですけどホラーはすごく苦手で、でも苦手なのに好奇心でちょっと観ちゃうんですよ。観ちゃうのはいいんですけど、画面を全部は観られないので、いつも手でこうやって隠して画面の端っこだけを観るみたいな感じなんです(笑)。だから、自分がホラーの映画をやるというのは全然思っていませんでしたし、でもあまり知らない分、どういうふうにやったら怖いかなというのは考えました。
生津:ぼくもそれほど観ないです。観るのは大体人間ドラマですね。今村という男は、あくまでも事件に巻き込まれていく一般人であって、彼自身が恐ろしいなにかではありません。なので、特別「ホラーだから」という意識はしなかったです。
―― 今回の主人公は、夕子も今村もわかりやすいキャラクターではないとは思うのですが おふたりはそういう役をどう演じようと考えていらっしゃいましたか?
真崎:夕子は、小さいころからずうっと先生やほかの患者の人たちと一緒にこの病院にいて、学校にも行っていないし、世界を知らないので、とりあえず人と触れ合うということがすごく楽しくてワクワクしたり、いろいろなところに興味を持ったり、ちょっと子どもっぽいところがあるんです。私も自分の中に子どもっぽいところは持っていますし、そういう私自身にもあるところを探しながら演じていました。たとえば、今村が夕子に病院から薬を持ち出させるのと交換になにかを渡すというシーンがあって、夕子はそこで「なにが欲しい?」って聞かれて「お菓子がいい」って言うんですけど、私もお菓子が好きですし(笑)、自分でも持っているところは夕子に投影させて、心の底からそう思って演じられるようにしていました。
生津:今村は不眠症に悩まされていて、昼は眠いけど夜はまったく眠れないという、ほんとにギリギリの精神状態にいます。その感じ、というか状態はどのシーンでも持っていないといけないというのは意識していました。あとは、動きに関してですね。監督の考える今村のテンポというのが明確にあったので、現場ではしっかり監督のイメージに近づけるように気をつけました。特に、今村が夕子に長靴を履かせるシーンがあるんですが、監督の考える今村のテンポ、というか履かせ方がぼくが持っている感覚とは全然違っていて。けっこうやり直しましたね。
―― 監督からおふたりに演じる上でお話しされたことはあるのでしょうか?
真崎:けっこうありましたよね(笑)。
今野:そうですね、やっぱり、さっき真崎さんがおっしゃっていましたけど、おふたりとも肉体的にも精神的にも健康的な方なんですよ。
生津・真崎:アハハ(笑)。
今野:それはまぎれもない事実なので、その健康的なふたりをカメラの前で変えなければならないというのはどうしてもあって、ぼくはけっこう細かい動きを、それこそ指の先まで演出しようと思っていたんです。ただ、ぼくが最初から正しい動きというのをわかっているわけではないので、まずはワンテイク目で動いてもらって、そこからすり合わせていこうということでやっていました。ぼくはそのすり合わせをカメラを回しながらやるほうなんですけど、役者さんによってはそれを好まない人もいるので、おふたりがそこをサラっと「じゃあここはこうしましょうか」ということで2テイク目、3テイク目をやってもらえたのはありがたかったですね。
「“ちょっと変わった人”にはならないようにと思っていました」(生津)
―― 映画の中では今村と夕子ふたりでのシーンが多いですが、今村と夕子の関係について、真崎さんと生津さんはどうお考えになっていましたか?
真崎:私としては、今村と会ったときはすごい興味を持つ対象だったし、どこか心の底で「助けてほしい」とか「一緒にいてほしい」という気持ちがあって、今村もたぶん夕子に心の拠り所ではないですけど、なにか一緒にいたら強くなれそうという……。パートナー、相棒みたいな関係だったのかなって思います。
生津:ぼくが思ったのは、生きていて「あの時期、なぜかわからないけどあの人とすっげえ仲良かったな」っていうようなことがあると思うんです。今村もちょうどこの状態のときに、夕子がすごく必要な存在だったんだと思います。夕子がいてくれたから今村もギリギリのところでなんとか生活できたというか。そこに明確なもの、たとえば恋愛感情だったりがあるのではなくて、ただなにか猛烈に必要な存在だったんだと思います。その距離感ていうのは、やっぱりちょっと難しかったのかな。今村と夕子が一緒にご飯を食べているところも、どこまで仲良さそうにするのかというのは考えながらやっていたかもしれないですね。その基準は監督がOKを出すか出さないかということになるんですけど。
真崎:(頷く)
―― 監督は、今村と夕子の関係についてはどのように?
今野:そうですね、いま、なにを考えていたか思い出しているんですけど(笑)。
生津・真崎:アハハ(笑)。
『心魔師』より。夕子(一番左)と、阿部翔平さん演じる療養所の谷医師(中央)、入院患者たち
今野:やっぱり、たとえば『レオン』(1994年・米,仏/リュック・ベッソン監督)もそうなんですけど、ふたりの関係というのが親子みたいな肉親としての関係なのか、恋愛なのか、それとも利害関係があるのかっていう。まあ、この映画では今村が睡眠薬を手に入れるため夕子に近づくというちょっとした利害関係はあるんですけど、ふたりがどういう関係かというのは……。なんだろうな(笑)。
―― では、あまり現場ではおふたりに今村と夕子の関係について具体的なお話はしてらっしゃらない?
今野:いや、それは避けられない話なので、たぶんしていたと思うんですけど、(生津さん、真崎さんに)ぼく、なんて言っていましたっけ?
生津:まあ、一言一句覚えているわけではないですけど、感触としては、あんまり仲良くなりすぎるのはよくないのかなと。相思相愛みたいに見えるのは避けたいんだろうなというのはありましたね。ただ、じゃあなんとも思っていないかと言ったらそんなことはなくて、そこの距離感は、微妙ですよね。なんとなく、そういう感じです。
今野:(真崎さんに)どう思っていた? 恋愛していた?
真崎:うーん、恋愛……。夕子は今村に対して「彼氏になってください」とかではないですけど、ちょっと小悪魔的な感じで「この人はこうしたらどういう反応をしてくれるかな?」とか、そういう興味はあったし。
生津:わりと今村が遊ばれているところもあるしね(笑)。
真崎:そう(笑)。薬を口で渡したりとか、それが今村のことを好きだからすることなのかはわからないんですけど。
生津:あれは今村のほうが崩れるっていう(笑)。
今野:あれなんですよ、今村は夕子が初めて見る部外者であり、夕子は親も死んでいるので、恋愛とかそういうものすら知らないと、そういうことだったと思います。
―― 映画では今村と夕子の関係だけではなく、阿部翔平さんが演じられた療養所の谷医師と夕子の関係も大きな要素だったと思いますが、谷と夕子の関係はどう捉えていらっしゃいましたか?
真崎:谷先生は……。家族というか、お父さんに近いような存在ですね。ずっと育ててくれていた人ですし、ほんとの血の繋がっている家族みたいな信頼関係はないですけど、この人が自分を育ててくれているんだという感じでした。
―― 柳憂怜さんが演じられた田島刑事と今村の関係も、作品に欠かせないですね。
『心魔師』より。今村と、柳憂怜さん演じる先輩刑事・田島(左)
生津:柳さん自身がほんとに素敵な方なんですよね。今村はああいうガサツな荒っぽい人間なんですけど、田島だけは本当に信頼しているんだなと思いました。演じるのが柳さんだったので、そこはそのまま委ねられたというか。今村としては態度はひじょうにつっけんどんなんだけど、手放しに甘えているというか。はい、信頼ですね。
―― ちょうど今村が「ガサツ」というお話が出ましたが、今村はたしかに行動は乱暴ですけど単に粗暴な人間ではないし、同じように夕子も単に病んでいる人ではないという、ふたりに共通して人物としての深みのようなものを感じました。演じる上で、そういう部分を意識されたことはあるのでしょうか?
生津:たしかに、不眠症で粗暴でというと一般の人からは遠い存在のように思われるかもしれませんが「どこにでもいる人がこうなり得るんだ」というのはありました。だから「ちょっと変わった人」にはならないようにと思っていました。微妙なところですけど。
真崎:夕子は、普通に見れば自由な子で、幼稚な子で、明るくてという感じだったと思うんですけど、実際はずっと谷先生に制限されて生きてきたから、そういうものをどこかで感じ取っていると思うんです。だから、表面的には楽しくしているし笑うけど、でもそれはほんとに楽しくて笑うのかなと考えたら、実は抜け出せない迷路にいるかわいそうな子で、寂しがり屋で、それに自分で気づいてない子だというのがあったので、自分の中では「どうにかしてこの子を救ってあげたい」と思ってもらえるようにしていました。
―― 監督はその点いかがでしょう?
今野:そうですね、ぼくの映画はよく「キャラクターに心がないよね」って言われちゃうので、どこらへんで深みを感じてもらえたのかが逆にすごく気になるんです(笑)。もちろん深みを感じさせるようにやってはいて、演出としてはそれぞれの事情みたいなものはできるだけ隠すというか、今村も夕子も、どこかのシーンで自分の過去について語りだしたりとか泣いたりすることもできたんですけど、それは隠す方向で、その分「隠している」ということも伝わらなきゃいけないなというふうに演出していました。
「ひとりひとりを“愛おしいな”と思って観ていただけたらいいなと思っています」(真崎)
―― 少し別の角度から話をおうかがいしたいと思います。この作品は字幕とかで「何年」と出るわけではありませんが、1990年代の半ばくらいが舞台となっていますね。なぜその時代だったのでしょう?
今野:ひとつの理由としては、その時代にすることで脚本段階で便利な面がいくつかあったんです。たとえば携帯を出さなくていいとか、療養所が和風の建築なのがその時代ならまだ成立するとかの具体的なところがあったのと、謹慎中だった今村が殺人事件の捜査に動員されるきっかけとして、宗教団体に大きな家宅捜索が入るので人手が足りなくなったという設定を持ち込むのに、そういう事件があった時代にするとちょうどよかったというのもありますね。
―― 監督は1989年生まれで、90年代半ばというのはまだ小さなころなんですよね。
今野:そうなんですよ。だから、あんまり胸を張って「舞台がこの年です」とは言えないんです(笑)。
―― 真崎さんは、1990年代半ばは生まれる前ですが、監督のお話にあったように携帯が出てこないとか、そういう知らない時代を演じてみていかがでした?
真崎:でも、私も小学生のときには携帯があって親に持たせてもらっていたんですけど、いまみたいなスマホではなくて電話しかできないものでしたし、私自身そんなに携帯とかスマホに依存しているわけではないので、そんな違和感はなかったですね。おばあちゃんの家に行くとけっこう昔のものも置いてありますし、夕子の衣裳も昔っぽいデザインの衣裳だったんですけど、すごくかわいいなと思って着ていました。
今野:ワープロとかVHSのビデオとか初めて見た?
真崎:ワープロは初めて見ました(笑)。
生津:あれ懐かしかったですね、現場で見て(笑)。
―― 生津さんは、1990年代には20代ですね。
生津:そうです。20代が丸々90年代なんですけど、さっき話に出た宗教団体の事件があった年、ぼくはちょうどロンドンに留学していたんです。だからぼくはあの事件も、同じ年にあった阪神大震災もどちらも実際には体験していないんです。留学先の友達がニュースで見て「日本が大変じゃないか、大丈夫か?」みたいに言われて知ったくらいだったんです。それで、これから日本はいままでと違ったすごい状況になるんじゃないかという予感とともに帰ってきたら、90年代後半は大したことは起こらなかったという感じでしたね、ぼくの記憶では。
―― 1990年代は『羊たちの沈黙』(1991年・米/ジョナサン・デミ監督)や『セブン』(1995年・米/デヴィッド・フィンチャー監督)、日本でも黒沢清監督の『CURE』(1997年)などがあって、猟奇殺人や犯罪者の心理を扱った作品がある種のブームだったと思います。『心魔師』にはそういう作品に共通する雰囲気も感じました。
生津:たしかに、連続殺人鬼みたいなのが題材になるのは多かったですね、あのころ。
今野:まさにぼくは黒沢清監督を尊敬していて、黒沢監督が2000年前後に撮ったホラー作品の影響も受けていたので、その時代を選ぶことには、その理由もあったかもしれないです。
―― ほかに『心魔師』で印象に残る点として音の演出と色調の演出があるのですが、音と色調ではどのようなことを意図されていたのでしょうか?
今野:音に関しては、それこそ『羊たちの沈黙』なんですけど、遠くでなにかが鳴っているとか、つねに聞こえる聞こえないくらいの不協和音が鳴っているみたいなことはホラーにとってすごく重要だということは知っていたんです。これは黒沢清監督からの受け売りなのでぼくが生み出したアイディアではないんですけど(笑)。だから、音楽もけっこう弦楽器の不快な音とか、ピアノの天板の開いたところの中を叩く音とかを効果音としていっぱい作ってもらって、おそらく観客が気づくか気づかないかくらいの範囲くらいのところで流しているシーンというのはいくつかあるんです。それから、どの程度作品に影響しているのかはわからないんですけど、今回は効果さんが中国の方なので、中国の方のイメージする効果音と日本の人がイメージする効果音とに微妙なズレがあるんです。たとえば「パイプ椅子」が伝わらないんですよ。
生津:へえ、パイプ椅子。
今野:パイプ椅子が壁に当たる音をオーダーしたら、どう考えても木の椅子がゴンって音が聞こえてくる(笑)。そういう微妙な差異があったり、たとえば鳥の羽ばたきの音もぼくたちが考える鳥と中国の方が考える鳥が違う可能性があったり、そういう効果音の微々たる違いというのは、居心地の悪さを出している可能性はあるかなと思っています。
真崎:そうなんだ……。
今野:色に関しても、カラリストも中国の方なので、黄色とか赤とか紫とか、色を傾けることに対してなんの抵抗もないというのを一緒にやっていて感じたんです。たぶん、ハリウッドとか海外の映画ってガッツリ色を変えちゃうんですよ。邦画はそれに比べてわりと元の色に忠実なほうが多いんじゃないかとぼくは思っているんですけど、中国のカラリストにやってもらったおかげでためらいなく色を変えてくれたんです。そして、たぶん中国の日常にあふれている色が日本の日常に乗ってくるというか、その違和感がすごく面白くて、実はカメラマンさんとカラリストさんの間でケンカになるくらい付けたい色に対しての違いがあって(笑)。話し合えばわかるんですけど、カメラマンさんのほうはもっと全体的に青くて暗いトーンで統一したいという方向で、カラリストさんは「このシーンはこれ、このシーンはこれ」みたいにけっこう多様性に富んだ色をつけてくれるなという感じはしました。今回の企画に関しては、中国のセンスを持ち込むということがぼくにとって重要だったので、最終的にはカラリストさんの方向性に寄せているんです。
―― 音や色というのは撮影しているときにはわからない部分ですが、真崎さん、生津さんは完成した映画をご覧になって、どうお感じになられましたか?
真崎:「映画だな」って思いました。撮影しているときは撮られている側だから自分がどう映っているかもあまりわからなかったんですけど、シーンによって、たとえばちょっと怖いシーンだから色とか明るさも暗くなって怖い雰囲気を出していたりとか、いろいろとそのシーンをより引き立てるようになっていて、すごいなって思いました。
生津:音とか色だけではなく、全体がかたちになったのを観て感動しました。特に診療所での食事のシーンは撮影中ほとんど見られなかったので、新鮮で見応えありました。一気に物語に厚みが出ますし、一種独特な雰囲気になってましたよね。
―― この作品は、ジャンルとしてはホラー、サスペンスですが、夕子という女性の救いの物語としても捉えられますし、いろいろな捉え方ができる作品だと思います。ご覧になる方にはどんな捉え方をしていただきたいですか?
真崎:サイコホラーなので、けっこうみなさんにも「怖いの?」とか「観にいきたいけど怖いの苦手だから」と言われることがあるんです。でも、ただ怖がらせにいくというよりも、今村と夕子ありきで、谷先生という障害があって、そこをどう抜け出していくかという人間ドラマもありつつ、サイコっぽいところもある作品なので、最初から「ホラーだから」と毛嫌いしないで、今村とか夕子とか谷先生とか、ひとりひとりを「愛おしいな」と思ってもらえるように観ていただけたらいいなって思っています。あとは、1回観ただけではわからないところもあると思うので、その都度観てもらえたらなと思います(笑)。
生津:そうですね、最後まで観るともう一度最初から観てみたいと思わせるなにかはありますよね。いまおっしゃったように、サイコホラーというところで毛嫌いをしないで、これは夕子の旅立ちの物語でもあるし、ぼくくらいの中年の男から見たら、相手が若い女性ということに限らず「ある時期にほんとに必要な人間と出会ったとしたら、自分は、未来はどうなるか?」という視点もあると思います。監督が意識していたかはわからないですけど、ぼくはそれをすごく感じます。夕子も、別に療養所に入っている特別な子ということではなく、いろいろな状態の若い子たちに当てはまると思います。みなさんが普通に暮らしているところにはたくさんの今村がいると思いますので、ホラーやサスペンスのファンに限らずいろいろな人に観ていただきたいと思います。
今野:もう、おふたりがおっしゃられたとおりですね。やっぱり、夕子と同じくらいの年齢の10代の子というのは、療養所で夕子が感じているような苦しみとか痛みとかを普通に感じている人のほうが多くて、そういうときに救われた人と救われなかった人がいると思うんですけど、ぼく自身はこの映画で夕子は救われるほうだと思っていますので、そういう見方をしてもらえたらいいと思います。サイコホラーですけどそんなにグロテスクでも怖くもないですし(笑)、たくさんの方に観ていただきたいです。
取材時には和やかな笑顔の生津徹さん、真崎かれんさんは『心魔師』劇中ではまったく違った表情を見せています。おふたりが演じる今村と夕子の姿を、ぜひスクリーンでたしかめてください
※画像をクリックすると拡大表示されます。
(2018年9月20日/アルタミラピクチャーズにて収録)