『呪怨 白い老女』三宅隆太監督・『呪怨 黒い少女』安里麻里監督インタビュー
日本だけでなく世界を震撼させ、ジャパニーズ・ホラーの代名詞となった『呪怨』。そのシリーズの原点となるオリジナルビデオ版『呪怨』『呪怨2』のリリースから10年となる今年、復活を遂げた『呪怨』は、シリーズの生みの親である清水崇監督ではなく、新たな監督の手に委ねられました。
これまでにも多くのホラー作品を手がけてきた三宅隆太監督による『呪怨 白い老女』と、異色の女性監督・安里麻里監督による『呪怨 黒い少女』。2本の新作『呪怨』は、従来の『呪怨』シリーズとは登場人物も舞台も異なりながら『呪怨』以外の何物でもない、まさに新生『呪怨』と呼ぶべき作品となっています。
新たな『呪怨』ワールドの幕開けを告げる2本の新作は、いかにして生まれたのか? 原案・監修をつとめた清水監督のインタビューに続き、三宅監督と安里監督のインタビューをお届けします。
清水監督のインタビューとあわせ、このインタビューが、さらに増殖を続ける『呪怨』ワールドに近づくための手がかりとなれば幸いです。
(写真左:三宅隆太監督・写真右:安里麻里監督)
三宅隆太(みやけ・りゅうた)監督プロフィール
1972年生まれ、東京都出身。若松プロダクション助監督を経てフリーの撮影・照明助手となり、映画やTVドラマ等の現場に多数参加。自主制作の16mm映画『風のない部屋』でゆうばり国際ファンタスティック映画祭審査員特別賞を受賞。その後、日本テレビのバラエティ番組「ぐるナイ」の主題歌PVで商業監督デビュー。TVシリーズ「ほんとにあった怖い話」(1999年〜)、「怪談新耳袋」(2003年〜)などのホラー作品を数多く監督するかたわら、映画『案山子 -KAKASHI-』(2001年/鶴田法男監督)をはじめ、TVシリーズ「ケータイ刑事」「東京少女」「恋する日曜日」「女子大生会計士の事件簿」など、脚本家としても多くの作品を手がけている。
安里麻里(あさと・まり)監督プロフィール
1976年生まれ、沖縄県出身。大学在学中に映画技術美学講座(現・映画美学校)に1期生として入学。同期に清水崇監督がいる。その後、塩田明彦監督や高橋洋監督の作品で助監督をつとめ、2003年にオムニバス映画『帰ってきた! 刑事まつり』の1本「子連れ刑事 大五郎! あばれ火祭り」を監督。2004年に『独立少女紅蓮隊』で長編作品デビュー。ほかの作品にテレビシリーズ「怪談 新耳袋」第4シリーズ(2005年)、『トワイライトシンドローム デッドゴーランド』(2008年)など。助監督をつとめた『ソドムの市』(2004年/高橋洋監督)では出演もしている。佐々木浩久監督『学校の階段』(2007年)ではアクション監督をつとめた。
「いま、この時期に『呪怨』をやれるってすごく面白いことじゃないか」(安里)
―― 今回、新生『呪怨』となる『呪怨 白い老女』『呪怨 黒い少女』を監督することになった経緯を教えてください。
三宅:じゃ、ぼくから。去年になりますかね……一瀬さん(一瀬隆重プロデューサー)から「新しい『呪怨』を作るんだけど、興味はありますか?」と声をかけていただいたのが最初です。それはもう「ぜひ! ぜひ!」と。でも、だからと言ってすぐに撮らせてもらえるほど話はうまいワケはなくて(笑)。よく訊いてみたら「ほかにも候補の監督は10数人いるから、コンペ形式で」ということでした。そこで、まずはプロットを書いたんですけど、ぼくはストーリー仕立てではなく「こういう事件があって、こういう人が亡くなって、こういう人が発見して、そのあとこういう人が巻き込まれて」という、ひとつの事件とその後の経緯を、数日間に及ぶ新聞記事のスクラップのように書いて「この事件を題材にしたい」と出したんです。そのあと、候補が5人に絞られて「5人の監督で同時に脚本を作って、そこからさらに絞っていくから書いてください」という話になって、シナリオを書いたという流れですね。
安里:私もほとんど同じなんですけど、去年の秋ごろに「コンペ形式になるんだけれど『呪怨』をやってみませんか?」というお話をいただいて、私の場合は普通にシノプシス(あらすじ)のようなものを書いて出したところ、最終的に三宅さんと私で2本撮ることになったという感じですね。
―― どんな作品でも「こういう作品を作ってください」という枠組みみたいなものがあると思うんですけど、今回の場合は「『呪怨』を作ってください」という話で、しかも以前のキャラクターや設定を引き継ぐわけではないわけですよね。それで『呪怨』を作るというのは、相当の無理難題だったんじゃないでしょうか?
三宅:まさにおっしゃるとおりで、リメイクでも続編でもない“『呪怨』の新作”という点がポイントでした。その際、絶対に守ってほしいと言われた要素がいくつかあって、ひとつは時間軸のシャッフル。これは『呪怨』の特徴でもあるから、ぜひ踏襲してほしいと。それから伽椰子は出さずに、代わりに新しいキービジュアルとなる幽霊のキャラクターを作ってほしいということ。そしてもうひとつ「あなたの『呪怨』にしてください」ということでした。清水さんの真似ではなく、いままでの『呪怨』の続編やリメイクでもなく、「あなたの『呪怨』にしてくれ」というのは、「『呪怨』とはなんぞや?」ということを考えざるを得ない。それはまさにぼくがずっと心霊ホラーにこだわってきていることとリンクする部分があったので、無理難題というよりは、逆に燃えましたね。
安里:私も、もともと清水さんの『呪怨』のすごいファンで、『呪怨』がそれまでのJホラーの流れを変えてしまった作品だと思っているんですね。その『呪怨』も10年経って、もっと発展できるんじゃないか、もっと遊べるんじゃないかと思っていて、いま、この時期に『呪怨』をやれるってすごく面白いことじゃないかと思って、最初にお話をいただいたときに「ぜひやりたい」とプロットを書くに至ったんですけど、三宅さんも言われたように「あなたの『呪怨』にしてください」っていうところから、自分はなにを手がかりに『呪怨』を作ればいいのかって考えたんです。そのときに『呪怨』では冒頭に「“呪怨”とは」という定義のような文章が出てくるんですけど(※1)、清水さんの『呪怨』はその定義に基づいて、1軒の家にまつわる、その家に関係する人たちが呪いにかかってひどい目に遭っていくという話なんですね。それを家ではなくて、生きた女の子にしたらどうだろうかというところから話をスタートさせて自分なりの『呪怨』を作っていったという感じですね。
―― 安里監督は、映画技術美学講座(現・映画美学校)で清水崇さんと同期ですと、清水さんが課題で撮った『呪怨』の原点の原点みたいな作品もリアルタイムでご覧になっているのでしょうか?
安里:そうなんですよ。そのときは私もまだ大学生で、もう12年くらい前になるんですかね。黒沢清監督や高橋洋さんという日本のホラーを作ってきた方たちが先生で「3分の短編を撮ってこい」という課題が出されたんです。私はそのときにアクション映画を出したんですけど、清水さんは『家庭訪問』というタイトルで、『呪怨』の伽椰子が階段から降りてくるあたりを3分の短編として撮ってきたんです。それで、みんなで課題を何本も観ていったときに、清水さんのを観て、ほんとうにみんな飛び上がったんですよ。それまでのJホラーの『リング』だったり『女優霊』って、幽霊が遠くでヌボーっと立っているのをわざとピンをぼかしながら撮って、その距離感が怖かったり、なにを考えているのかわからないし近寄らないけどじっとそこに立っているのが気持ち悪いし、怖いっていうのが主流だったところを、清水さんのはどんどんこっちに来る感じがすごく怖ろしかったんです。だから、ほんとにその誕生に生で立ちあっていましたね(笑)。
―― いまちょうど『リング』の題名が出ましたけど、映画には理詰めで近づける作品と近づけない作品があると思うんですよ。たとえば『リング』なら「脚本がこういう構造で、演出がこうなっていて」みたいに、論理でかなりのところまで迫れると思うんです。でも清水さんの『呪怨』って、論理で迫ろうとしても本質のところでポーンっと飛んじゃってて、理詰めでは絶対に近づけない作品だと思っているんです。三宅監督と安里監督は、そういう『呪怨』という作品に、いかにして迫っていったのかをお聞かせいただけるでしょうか?
三宅隆太監督『呪怨 白い老女』より
三宅:簡単に言うと、ぼく自身の「死生観」をさらけ出す、ということでした。論理で迫れない以上、こちらも本質でぶつかるしかないですからね。えーと、ちょっと長くなりますけど、いいですか?(笑) 『呪怨』が10周年なのと同時に、今年はぼくがホラーを作り始めてちょうど10年なんです。これまで『ほんとにあった怖い話』(※2)や『怪談新耳袋』(※3)などの「心霊ホラー」を色々とやっていますが、ぼくにとって“心霊”というのは「現実的なテーマ」を描いたり、伝えるための重要なモチーフなんです。さっき安里さんがお話していたように「遠くに立っているのが怖い」という小中理論(※4)とか、怖さの方法論はいろいろありますけど、ぼくが “心霊”にこだわる理由は、必ずしも「怖さのみ」を追求するためじゃないんです。ぼくがホラーを作る際に守ってきたルールがひとつだけあって、それは「人が人を殺す場面を書かない、撮らない」というものでした。理由は色々ありますが、決定的なのは、ぼく自身が親友を殺人事件で亡くしているという点です。だから、ぼくは「殺人」を心底憎んでいるし、殺人に至る「人の心のすれ違い」に心底哀しみを覚えます。一方で、「生きている人の心が見えない人には、死んでいる人の姿も見えない」というのがぼくの持論です。つまり、「霊の存在を感じられるか否か」は「霊能力の有無」ではなくて、「想像力の有無」だと思うんです。そういった感覚が薄れてゆくと、人が人を想わない世の中になってゆくのではないか? その結果、理不尽で残忍な殺人事件も多発するのではないか、という見解が個人的にはあるんです。だからぼくは、そういったことに対する問題提議として“心霊”にこだわってきたんです。「殺人の是非を問いたいなら、人が人を殺すホラーを作った方が手っ取り早いじゃないか」という意見もあります。でも、それだと「暴力」の部分が目立ちすぎて、「肉体破壊の印象」が強くなり、「心の破壊」が見えづらくなる。それにテレビの場合、その暴力にもオブラートが掛かってしまうから、「肉体破壊の恐怖」すら消えてなくなってしまうワケです。2時間サスペンスの人の死に方なんて、本当に軽いじゃないですか。規制の問題があるからしょうがないといえばしょうがないけど、痛みも哀しみも怖さもなにも描かれてない殺人シーンなんて、ただのアイコンでしかないですよ。ところが、こと幽霊に関しては「規制の対象」には絶対にならない。殺人犯と違って、幽霊は「存在しないことになっている」からです。そこで『ほんとにあった怖い話』ですよ。あれはぼくにとっては「教育番組」という位置づけなんです。たとえばドラマパートで「どこどこの橋の上に、女の人の霊がずっと立っている」という話があったとします。それを観た視聴者の子供たちが「ああ怖かった!」と。で、そのあとにバラエティパートで「なんであの人はひとりぼっちなんだろう? どうして成仏できなかったんだろう? ちょっと考えてみようか」という展開になる。ここが重要なんです。たとえ幽霊の話だとしても、「相手の立場になって考えてみる」「想像してみる」。そういった場や時間を子供たちやその親たちに提供することができる。「殺人鬼ホラー」よりも「心霊ホラー」の方が、ヴィジュアル的な暴力描写がない分、ダイレクトに「心の話」として描けるし、「人と人とが関わることで発生する現実の諸問題の暗喩」として伝わりやすい。その結果、次の日に学校で「なんで、うちのクラスの××ちゃんはいつもお弁当を食べるときにひとりぼっちなんだろう?」というような日常の世界に、本質をフィードバックしてほしいわけです。実際『ほん怖』は、お茶の間の教育番組としては、それなりの評価も成果も出してきたと思います。ところが、どうもここ数年、“心霊”を通じて「現実の心の問題」を描いているということが伝わりにくくなってるような気がしてならない。それは観る側の想像力の低下なのか、なにからなにまで説明しようとする作り手の姿勢が悪いのかはわかりません。もしかしたら、Jホラーという呼び名で「心霊ホラー」が市民権を得たことで、「心霊=生きた人間と地続きの存在」から「心霊=単なるアイコン」に成り下がってしまったのかもしれない。だったら、人が人に殺されて“心霊”になっていく過程から見せないとわからないのか! という、ある種の苛立ちとか憤りも自分の中にあったんです。いずれにしても、消費者に真意が伝わらないのでは意味がないのは確かですから「あなたの『呪怨』を作ってほしい」と言われたときに、やはり自分の死生観をさらけ出していかないと『呪怨』という企画にはならないんじゃないかと思ったんです。ぼくにとっての「あなたの『呪怨』」というのは「伽椰子が階段を降りてくるのに替わる怖いシーンを考えてください」とイコールではないんですよ。あのシーンは清水さんの死生観から出てきたものであって、ぼくからは絶対に出ない。そういう意味では、今回は暴力的すぎて書いていて辛い場面もあったんですけど、変な言い方ですが、頭はあまり使わなかったですね、ボーッとして書いたという意味ではなくて(笑)。理詰めで迫るとか、理論立てて考えるとか、そういった左脳を使っての作業ではなくて、もっと感覚的な、右脳を使ってのシナリオ作業になりました。それがぼくなりの『呪怨』へのアプローチですね。
―― 安里監督はいかがでしょうか?
安里:私の場合は、特に清水さんの『呪怨』になにか近づけなければとか、なにかを狙ったわけではなく、やっぱり最初に「あなたの『呪怨』にしてください」と言っていただいたのをそのまま真に受けたというか(笑)。時制がシャッフルされるというところもあるんですけど、やはり『呪怨』の魅力のひとつとして、ひとつひとつのエピソードに、言葉はあれですけど、いい意味で単純な映像的欲求を満たすというところがあると思うんです。そういう映像的な山場みたいなのを1個1個のエピソードに作って、その串団子状態で、娯楽映画として、フィクション映画として成立させたいというのは、なるべく意識していました。
- ※1:『呪怨』シリーズでは「呪怨【じゅおん】 つよい恨みを抱いて死んだモノの呪い。」というフレーズで始まる文章が作品の冒頭に映し出される。
- ※2:同名の恐怖体験投稿集のコミック雑誌をもとにした映像作品。略称『ほん怖』。1990年代はじめに鶴田法男監督、脚本・小中千昭氏のコンビによるオリジナルビデオ作品として3作品がリリースされ、のちの日本のホラーに多大な影響を与えた。その後、1999年にフジテレビで鶴田監督も参加したスペシャルドラマ版が製作され、好評によりシリーズ化。2004年には装いを新たにレギュラー番組となった。レギュラー版終了後も同じスタイルのスペシャルドラマが年1本のペースで製作されている。三宅監督は1999年のスペシャルドラマから参加、現在にいたっている。
- ※3:実話怪談集「新耳袋」を原作としたドラマ・映画シリーズ。ドラマ版は2003年からBS-i(現・BS-TBS)で数シーズンにわたり製作された。三宅監督、安里監督ともテレビ版に参加しており、三宅監督は『怪談新耳袋 劇場版』(2004年)では脚本と監督も担当、2007年以降、毎年2本ずつ製作されている『怪談新耳袋 絶叫編』にも参加している。
- ※4:ホラー作品を数多く手がける特殊脚本家・小中千昭氏が前述のビデオ版『ほんとにあった怖い話』などで実践してきた恐怖を生み出す方法論を、脚本家・高橋洋氏や黒沢清監督は“小中理論”と名付けた。その内容については小中氏自身の著書「ホラー映画の魅力 −ファンダメンタル・ホラー宣言−」(2003年/岩波書店刊)に詳しい。
「“そうだ、これが『呪怨』だ”という瞬間があった」(三宅)
―― おふたりが監督に決まってから、清水さんと一瀬プロデューサーの意見を入れつつ脚本の改稿を重ねていったということですが、清水さんと一瀬プロデューサーからの意見で「こういうのが『呪怨』らしさなのか」みたいな発見というのはありましたか?
三宅:ぼくの場合は、基本的に初稿からあまり変わっていないんですよ。もちろん予算や諸々の状況に合わせて書き直した部分はあります。でも、清水さんも一瀬さんも、ぼくなりの死生観を受け入れて尊重してくださったので、最初のかたちを崩そうという話は一切なかったですね。その中で、細かいことなんですけど「これは『呪怨』っぽくないから直してほしい」という瞬間がありました。劇中、恐怖の対象として1本のカセットテープが出てくるんですが、ぼくの感覚からすると、カセットはただそこにあるだけでいいんです。テーブルや床の上にカセットテープが置いてある。佇んでいる。それだけで充分怖いし、怖くする自信もある。「なるほど、確かにそうかもしれない。でも、それじゃ『呪怨』にはならない」という話が一瀬さんから出た。「じゃあ、どうすれば『呪怨』になるんですか?」と訊いたら、「置いてあるカセットが回るんだ。それが『呪怨』なんだ」とおっしゃる。「なるほど」と思いましたね(笑)。
安里:一歩先を行くんですよね。
三宅:そう。それで「ちなみに回らないとしたら?」と訊いたら、「それは『ほん怖』だ」と(笑)。つまり、そういう差異なんですよ。
安里:でも、それはわかりやすいというか、なんかありますよね。それが『呪怨』っぽいと言われると、たしかに『呪怨』ですよね。
三宅:そうだよね。ただし、もし「テープが回るほうが“怖い”でしょ?」と言われたら、いまでもぼくは「佇んでいるだけのほうが“怖い”です」と即答します(笑)。鶴田・小中理論の原理主義者という立場上、そこは譲るわけにはいかない(笑)。でも、「回るほうが『呪怨』でしょ?」と言われると「なるほど、確かに『呪怨』だ」と(笑)。
―― 安里監督は脚本作りの段階で出た意見で印象に残っていることというと?
安里:私は「カセットが回る」みたいな「これが『呪怨』だ」というわかりやすい瞬間は思い出せないんですけど、キービジュアルになる幽霊をどうするかというところですね。「2本立ての1本ずつをそれぞれ白と黒で色分けする」というのは、プロデューサーの一瀬さんからかなり終盤になって出てきたことなんです。なにがきっかけだったかは覚えていないんですけど、もうシナリオが完全にできあがるころに色分けというのが出てきて、それは面白かったですね。
―― ちょうどキービジュアルのお話が出ましたけど、『白い老女』のキービジュアルである老女は、三宅監督が以前に作られた『怪談新耳袋 劇場版』の『姿見』(2004年)から続いて登場していますね。それは清水さんの『呪怨』と『学校の怪談G』(※5)がつながっていたのと同じで、そこを再現するのかと試写で驚きました。
三宅:だって、そういうところまでカバーしないと、オリジナルの『呪怨』をリスペクトしてることにはならないでしょ(笑)。
安里:ほんとですか?(笑)
三宅:いや、まんざら冗談でもなくて(笑)。そもそも、ぼくと清水さんは、清水さんが『呪怨』を撮る前から、伊藤潤二さんのオムニバス(※6)を一緒にやったりして知り合いだったんですけど、その流れで、清水さんから『学校の怪談G』を見せてもらって「わー怖い」って喜んでいて。そのあとビデオ版『呪怨』を観たとき「あら、続いてる!」ってビックリした経験があったんです。そういう流れ自体ももう一度再生していくというか、なにがしか根源に立ち返るような発想にいけないものか、という想いが頭にありました。それで、もともと何年も前に、初めて一瀬さんから「一緒に仕事しましょう」と声をかけていただいたときに、『姿見』を非常に褒めてくださっていたのを思いだしたんです。それに、アメリカ版『呪怨』を作るときに、ハリウッド側のプロデューサーが「面白いのを見つけたんだよ」と言って清水さんと一瀬さんに『姿見』を見せたという話も聞いてたんです。ですから『姿見』と『呪怨』とは、決して相性の悪い関係ではないんだろうなぁ、とはなんとなく感じていました。その証拠に『ほん怖』のクルーには『姿見』はあまり評判がよくない(笑)。さっきのカセットテープの話と同じです。一見すると、心霊ホラーという同じジャンルの中にあるけど、両企画には微妙な、それでいてとても深い差異があるんです。で、話を戻すと、ぼく自身『姿見』のお婆さんの過去になにがあったのか知りたいなというのは前からありましたし、『姿見』の中で「お前、あの噂マジで信じてるの?」というセリフが出てくるんですが、そのウラ設定になっている “噂”について掘り下げてみたいという欲求もあった。だから、「あの『姿見』のお婆さんを出して、スピンオフ的な、あるいはプリクエル(前章)的なことにするのはアリですか?」と一瀬さんにお話ししたら「それは面白いんじゃないか」ということになって、「白い老女=バスケ婆さん」の存在がよりフィーチャーされていったというのが今回の顛末です(笑)。
―― リスペクトというと、『白い老女』に出てくるカセットテープの声を三宅監督がご自分でやってらっしゃいますけど、あれは清水さんがよくラジオの声とかテレビの声で遊んでいるののリスペクトなんでしょうか(笑)。
三宅:いやいや、さすがにそうではないですね(笑)。あれは「講義テープの声」という設定なので、スタッフのほうから「監督がやったらいいんじゃないの?」という話が出たんです。というのも、ぼくは監督と脚本家のほかに大学の教員の仕事もしてるんですよ。そのせいか喋り方が先生っぽいらしい(笑)。それと、ぼくは割と声が高いんですけど、ヘッドホンから漏れ聞こえるにはこのくらいがちょうどいい。ボリューム下げても聞こえるから、ってことらしいです(笑)。
―― 安里監督は『黒い少女』のキービジュアルとなる“黒い少女”についてはどのように発想されたんでしょうか?
安里:私はもともと女の子の話にしようとしていたんですけど、デヴィッド・クローネンバーグの『ザ・ブルード 怒りのメタファー』(1979年・米)みたいな映画が撮れないものかと思っていまして、そういうのが頭の片隅にあったんです。『ザ・ブルード 怒りのメタファー』では、女の人から子供の姿をしたものが身体の外にたくさん出てくるんですけど、『黒い少女』の場合は怖い存在として女の子を出してみようと決めていたんです。それに色分けとして黒というのがのちに追加されて「白か黒かどっちがいい」と聞かれたので「黒」って(笑)。
―― 安里監督も、テレビシリーズの『怪談新耳袋』で黒い幽霊というのをやってはいらっしゃるんですよね(2005年放送『ふたりぼっち』)。
安里:ええ、ただあの作品の場合は原作の「新耳袋」に黒い人が見えるという話があって、その映像化でそのまま黒くしていたので、今回それを踏襲したというわけではないんですね。逆に、やったことあるからちょっと変えようと試みた感じなんです。細かいんですけど、色の感じとか、どの程度黒にするのかとか(笑)。実は、ほんとにまっ黒に塗ってしまうとテカっちゃって、おかしなことになるんですよ。だからちょっと白を入れたりとか、そこは以前の経験を踏まえて多少変えたりしました。
- ※5:清水崇監督は1998年放送の関西テレビ製作のスペシャルドラマ(のちにビデオソフト化)『学校の怪談G』で『片隅』『4444444444』という2本の短編を担当している。どちらもオリジナルビデオ版『呪怨』とつながる話で『呪怨』のキャラクターである伽椰子と俊雄も登場している。
- ※6:恐怖マンガ家・伊藤潤二氏の短編を映像化した『伊藤潤二恐怖コレクション 首吊り気球』(2000年)。ネット配信されたのち3話オムニバスのビデオソフトとしてリリースされた。清水崇監督は『悪魔の理論』、三宅隆太監督は『屋根裏の長い髪』をそれぞれ監督している。残る1本の表題作『首吊り気球』を手がけたのは『笑う大天使』(2006年)や『カンフーくん』(2008年)の小田一生監督。
「アッキーナは“レンズを信じることができる”天分の才能の持ち主」(三宅)
―― キャスティングについてお尋ねしたいのですが、監督から「この役はどうしてもこの人で」と要望されたキャストというのはいらっしゃったのでしょうか?
三宅:(ポスターの白い老女を指して)それはもちろん、この方(=老女役の星野晶子さん)ですね(笑)。白い老女のキャスティングに関しては『怪談新耳袋』の『姿見』と同じ人でなければ、というのはありました。星野さんも5年ぶりの「バスケ婆さん」役を大変喜んでくださって(笑)。ちなみに、星野さんは日活ニューフェイスの1期生で、石原裕次郎さんや浅丘ルリ子さんの大先輩にあたるひとなんですよ。映画界の大ベテランの方なので、星野さんと仕事をすると学ぶことがとても多いです。
安里:私は具体的に「この方を」ということではなかったんですけど、加護亜依さんがやられた裕子役は、映画の前半で話を引っ張っていかなくてはいけないんですね。だから、まだ“黒い少女”というキャラクターがあまり出てこないときに話を引っ張っていってくれる人として、リアクション芝居をしっかりとやってくれる人で、普段はかわいらしいんだけど、怯えた顔がインパクトがあるという人を裕子役として探したかったので、キャスティングでは頑張りました。
―― その加護さんも含めて、瀬戸康史さんや、『白い老女』の南明奈さんと鈴木裕樹さんと、主演にはホラー初挑戦の方が揃っていますが、それは意図されていたのでしょうか?
安里:主演に関しては、特にホラー経験のない方をということではなかったですね。
三宅:あかね役でアッキーナ(南明奈さん)の名前が挙がったときは、正直、ちょっと意外な印象を受けました。あかねは非常に重い影を背負った子ですし、アッキーナはバラエティ番組でお馴染みの元気で明るいイメージがありましたからね。ところが、映画をご覧になっていただくとわかるとおり、ピッタリなんですよ。もう反省しきりです(笑)。人をイメージで判断してはいかん、と(笑)。なので、ぼくみたいに彼女をバラエティのイメージで見ている人にこそ観てほしいですね。間違いなく新しいアッキーナが見られます。もちろん、演技経験がそんなにあるわけではないですから、技術で魅せるタイプの芝居ではない。でも、カメラを据えて彼女を映そうとすると、間違いなくスター性があるんですよね。モニターを見ていてハッとする瞬間が何度もありました。一番驚いたのは「気持ち」の作り方。スッと役に入っていくんです。ぼくは現場で彼女に「こう動いて、ああ動いて」ということは一切言ってません。ただ「あかねがどういう子なのか」ということを話しただけです。それだけで、彼女は紛れもなく「あかね」になってカメラの前に立つことができる。これはもう天分の才能だと思いますね。それと、グラビアをたくさんやってる分、レンズを信じる力を持ってるんだと思います。だから役の気持ちになってカメラの前に立つだけで、ごく自然とそれが映る。これは意外と難しいことなんです。レンズを信じてない役者さんは、ついつい演技をしようしようとして力んでしまうことが多いんです。そうすると、かえってどんどん役から離れて「役者としての自意識」や「自己愛」ばかりをレンズが映し撮ってしまう。「演技」が「演技」に見えてしまうんですね。じゃあ、アッキーナは素でやってるのかというと、それはもちろん演技なんだけど、少なくとも「演技をしようとしている演技」ではない。彼女に出てもらえて、ぼくは恵まれていたと思います。
―― 清水崇さんにお話をうかがったときに、キャストで松本花奈さんの名前が真っ先に挙がったんですけど、監督から見て松本さんはいかがでしたか?
安里麻里監督『呪怨 黒い少女』より。松本花奈さん演じる芙季絵
安里:ああ、松本花奈ちゃんはねえ、『黒い少女』で芙季絵役をやってくれているんですけど。
三宅:衝撃でしたねえ、あの子との出会いは。
安里:私と三宅さんとふたりで、子役オーディションということでたくさん子供たちと会ったんです。それで、あんまりたくさんの子供と会ったので、私も三宅さんもぐったりとなったころに松本花奈ちゃんが入ってきたんですよ。そのときは10歳くらいかな、まだ11歳にはなってなかったと思うんですけど、入ってきた瞬間からなんか変な気を発しているんです(笑)。子供なんですけど、なんですかね?
三宅:うーん、いわゆる子役オーラじゃないんだよね。
安里:あ、そうなんですよ。よく子役の子がやる「おはようございます! 頑張ります!」みたいな感じは皆無でしたね。大体何人ずつかのグループで子供たちを見ていたんですけど、なんかフラフラっと入ってきて(笑)。
三宅:それで最初に『白い老女』の台本の子供の会話のところを読んでもらったんですよ。そのときから「おいおい、なんだろうこの子は」って感じがあったんです。
安里:「なんで?」って。それで、急遽、その場で私の『黒い少女』に出てくる、芙季絵が催眠治療を受けるシーンを渡したんですね。その場でパーッと読んでもらって、即「やってみましょう、よーいスタート」ってやったら、もうできあがっているんですよね。小学生の女の子がですよ? だから、10歳の女の子がなんの演出もないのに、文字面だけを読んで理解したってことなんですよ。
三宅:しかも、シナリオ全体じゃなくて、そこの場面しか読んでないのに、もう芙季絵(笑)。これはえらいこっちゃ、と(笑)。
安里:それで、その場ではほかの子たちもやるんですけど、みんな、なんていうか子供然とした頑張った演技なんですけど、花奈ちゃんは、誰もなにも言っていないのに最後に白目をむいて倒れそうになるところまでやったんですよね。もう私も鳥肌が立っちゃって。周りの子供たちもみんなビックリしちゃって、それを小学生がやれるっていう、なんかとんでもない子を見てしまったという、そういう感覚はありましたね。
「“近さ”が気持ち悪い。そういうところが『呪怨』らしさ」(安里)
―― 試写を観たとき、最初のカットがスクリーンに映った瞬間に「あ、ほかのホラー映画ではなくて『呪怨』が始まった」と思ったんです。映像として『呪怨』だというすごい説得力を感じたのですが、映像の面で『呪怨』らしさを意識されたところはあるのでしょうか?
三宅:いや、映像面で特に意識はしてないですね。ルックに関してはカメラマンの金谷(宏二)さんにお任せしてましたから。ぼくが意識したとすればホン(脚本)の段階です。特にオープニングは、絶対にビデオ版『呪怨』を踏襲したかった。初稿を書いたときから「キャストクレジットと、今後出てくる場所をカットバックさせる」というふうに書いていて、それを書きながらビデオ版『呪怨』のメインテーマ曲をかけていたんですよ。サントラCDは持っていなかったのでDVDをかけて……。でも曲が短いからすぐ終わっちゃう(笑)。慌てて巻き戻してまた書いての繰り返し(笑)。
安里:アハハハハハ(笑)。
三宅:そうやって完成像のイメージトレーニングをしてましたね。「最初はこう始まって、最後はあの曲で終わる」というのははじめからありました。それ以外の部分に関しては、逆に「こういうヴィジュアルにしよう」という意識はしませんでしたね。もう、気持ちが『呪怨』モードになっていたので。まあそんなモードがあるのかどうかは知りませんけど(笑)。でも、その気持ちが入っていっているのが、たぶんカメラマンに伝染し、照明技師に伝染し、編集マンに伝染して、結果的に『呪怨』的なヴィジュアルになったのかもしれませんね。
安里:私の場合は、決めの画のときに、なるべく広角で撮るようにしたんです。清水さんの『呪怨』もそうだと思うんですけど、“近さ”が気持ち悪いというか、そういうところが『呪怨』らしさだと私は思っているので、カメラマンってどうしても決めの画になると広角を嫌って望遠にしたりするんですけど、そこはしつこく「いやいや、広角で」と言ってやっていました。
三宅:そっか、じゃぼくとは逆なんだ。ぼくはむしろ「長く長く」って。広角が嫌いだから(笑)。あと最終的に編集で割ってますけど、基本的にレールの上に小型クレーンを乗せて、常にカメラを動かしながら、なるべく芝居を止めないで撮るというやり方をしていたんです。もちろん仕掛けがあるときはカットバックになりますけど、基本は通しでマスター撮って、そのあとカットインを拾って、という感じで、なるべくその場の空気感を止めないでやっていましたね。
―― そろそろ時間も迫ってきているんですが、清水さんはこの前「こういうかたちでおふたりと関われたのは嬉しかったですね。おふたりがどう思っているかは知りませんけど」というようなお話をされててですね。
安里:いやいやいやいや(笑)。
三宅:なにをおっしゃいますやら(笑)。
―― そんなこともおっしゃってたので、おふたりの見解もうかがえればと(笑)。
三宅:もう大喜びですよ、光栄です(笑)。
安里:ほんとに『呪怨』を撮らせていただいてありがとうございます(笑)。
三宅:じゃあ最後に清水さんにそういうメッセージを送りましょうよ。
安里・三宅:ありがとう清水さーん(笑)。
―― では、最後にご覧になる方へのメッセージをお願いします。
三宅:これまでの『呪怨』シリーズのファンの方も、初めて『呪怨』をご覧になる方も、ぜひ楽しんでほしいなと思っています。『呪怨』らしいちょっとした茶目っ気もありますし、『呪怨』という企画が本来持っている、ある種の“しこり”というか、そういうものも残ると思いますので、嫌な気分になって楽しんでもらえたらなと思います(笑)。それこそがホラー映画としての「おもてなし」だと考えていますので。
安里:10周年ということで新しい『呪怨』にチャレンジさせていただいたんですが、『黒い少女』も『白い老女』も2本とも、清水さんがいままでやってきた『呪怨』とは毛色の違う“ネオ呪怨”というか、いい発展をして、また違うカラーでホラー映画として面白く撮れたんじゃないかと思います。ぜひぜひご覧ください。
(2009年6月11日/東映ビデオ本社にて収録)
呪怨 白い老女
- 監督・脚本:三宅隆太
- 原案・監修:清水崇
- プロデューサー:一瀬隆重
- 出演:南明奈 鈴木裕樹 みひろ 宮川一朗太 ほか
2009年6月27日(土)より新宿バルト9、梅田ブルク7にて『呪怨 黒い少女』と同時上映
呪怨 黒い少女
- 監督・脚本:安里麻里
- 原案・監修:清水崇
- プロデューサー:一瀬隆重
- 出演:加護亜依 瀬戸康史 中村ゆり 勝村政信 ほか
2009年6月27日(土)より新宿バルト9、梅田ブルク7にて『呪怨 白い老女』と同時上映