『アジアの純真』片嶋一貴監督・韓英恵さんインタビュー
チマチョゴリを着ていたことを理由に、ひとりの在日朝鮮人少女が殺された。少女の双子の妹と、かつて少女に救われたことがある日本人の少年。世界を変える術を求めて旅に出たふたりは、やがて“テロリスト”と呼ばれることになる――。
パリシネマ映画祭、ロッテルダム国際映画祭など、海外の映画祭で正式上映され話題を呼んできた衝撃作『アジアの純真』が、ついに日本での一般公開を迎えます。モノクロームの映像で綴られた少女と少年の逃避行は、かつての日本映画を彷彿とさせる無謀なほどのエネルギーを放ち、観る者の感情を強く揺さぶります。
殺された少女とその妹の二役で主演をつとめたのは、10歳のときに鈴木清順監督『ピストルオペラ』で鮮烈なデビューを飾り、以降、映画を中心に活躍する若き個性派女優・韓英恵さん。メガホンをとったのは『ピストルオペラ』でプロデューサーをつとめるなど、監督・プロデューサーとして多くの作品を手がけてきた片嶋一貴監督。デビュー当時からお互いを知るおふたりの信頼関係は、『アジアの純真』という作品を成立させる大きな要素となったに違いありません。
物議を醸すこと間違いなしの過激な青春ロードムービーの中に流れる、監督の、そして主演女優の想いは? 公開を前にお話をうかがいました。
韓英恵(かん・はなえ)さんプロフィール
1990年生まれ、静岡県出身。2001年公開の鈴木清順監督作品『ピストルオペラ』で映画デビューし、年齢には似合わないほどの存在感で期待の女優として注目を集める。その後も映画を中心に多くの作品に出演。おもな出演作に『誰も知らない』(2004年/是枝裕和監督)『阿修羅城の瞳』(2005年/滝田洋二郎監督)『疾走』(2005年/SABU監督)『悪夢探偵2』(2008年/塚本晋也監督)『悪人』(2010年/李相日監督)『マイ・バック・ページ』(2011年/山下敦弘監督)など。
片嶋一貴(かたしま・いっき)監督プロフィール
栃木県出身。助監督として若松孝二監督、井筒和幸監督、村上龍監督、岩井俊二監督らの作品に参加したのち1995年に『クレイジー・コップ 捜査はせん!』で監督デビュー。監督作に『ハーケンクロイツの翼』(2003年)、『小森生活向上クラブ』(2008年)があり『アジアの純真』後に製作された『たとえば檸檬』が公開待機中。また、鈴木清順監督の『ピストルオペラ』(2001年)、『オペレッタ狸御殿』(2005年)など、プロデューサーとして手がけた作品も多い。2003年に映像制作会社ドッグシュガーを設立し、代表をつとめている。
「カメラの前に立ってなにかをするということが楽しくなって、いまに至ります」(韓)
―― 韓さんと片嶋監督は『アジアの純真』以前にも何度かお仕事をされていますが、おふたりが最初にお会いしたときのことからお聞かせいただけますか?
片嶋:あれは何年前? ぼくが鈴木清順監督の『ピストルオペラ』(2001年)のプロデューサーをやっていまして、そのときに英恵がオーディションで来たんです。2001年にヴェネチア国際映画祭に行ったんだから、オーディションは2000年か。2000年の10月とか11月くらいかな? あのとき誕生日は来てたの?
韓:来てないです。だからオーディションのときは9歳ですね。いま私は20歳なんで、11年前か。
片嶋:オーディションの内容は大したことをやったわけではないんですけど、印象に残ったのはこの顔ですね(笑)。なんか「あんたたち、ふざけんじゃないよ」みたいに思ってそうな顔をしててね。英恵は、そんな気持ちを持ってなくても、そう見えるような顔をしているんですよね(笑)。
韓:まあ、そう思ってましたけどね(笑)。
片嶋:アハハハハ(笑)。英恵がこの世界に入ったのは、お母さんと横浜を歩いていたらスカウトされたんですって。いまはうちの事務所に所属しているんですけど、前の所属事務所の人にスカウトされて。前の事務所って、子役事務所なの?
韓:モデル事務所だったんですよね、子供の。
片嶋:あんまり映画とかテレビに所属の子供たちを出すことがない事務所だったんですけど、なぜだか知らないんですけど英恵はオーディションに来まして(笑)。たぶん、キャスティング担当の方がプロフィールとか写真を見て「この顔はいい」と思って呼んだんじゃないかと思います。
―― 10年以上前だと、韓さんはあまりそのときのことはあまり覚えてらっしゃらないですよね。
韓:あのですね、私すごく覚えてるんですよ(笑)。片嶋さんがいて、清順監督がいて、それから美術の木村さん(『ピストルオペラ』美術監督・木村威夫さん)がいて、スクリプターの方がいて、小椋さん(『ピストルオペラ』プロデューサー・小椋悟さん)もいて。
片嶋:そんなによく覚えてるの?(笑)
出会いから10年以上となるという片嶋一貴監督と韓英恵さん
韓:はい(笑)。その中で5人くらいで座らされて「ひとりずつ歌を歌ってみろ」みたいな感じになったんです。それで私は小学校の校歌を歌おうと思ったんですけど、もう緊張してガチガチで、なにがなんだかわからなくなって「歌えません」って言って(笑)。そしたら清順監督に「なんだお前は、校歌も歌えないのか!」って言われて。そこらへんから私ブスッとしていたんですよ。「なんで私、こんなことやらなくちゃいけないの」みたいな感じで(笑)。
片嶋:帰ってから、お母さんに「もうこんなの絶対に嫌」って言ったらしいんですよ(笑)。
韓:「もう絶対あんなの行きたくないからね!」って言って。そしたら、なんか受かっちゃいました(笑)。
―― そのときは「もう嫌」とまでおっしゃっていたのが、その後もお仕事を続けることになったのは、なにかきっかけがあるのでしょうか?
韓:デビューしたときにいろいろな人たちと出会って、面白くなっちゃったんですね。そのころは映画とかもあんまり観ていなかったし、なんにもわからなくてやっていたんですけど、途中からカメラの前に立ってなにかをするということが新鮮な感じで、楽しくなったんです。新しいものを見るのって楽しいじゃないですか。だから、一時期は「学校より楽しい」とか言ってて(笑)。そこから始めるようになって、いまに至ります。
―― 監督が『ピストルオペラ』以降に韓さんを起用されている理由というのは?
片嶋:最初に会ったときから「また仕事がしたいな」と強く思っていたわけではないんですよ。でも、うちの会社の所属になったので「なにか経験させると成長するから」という気持ちがあって、それで出てもらったのが、ぼくが監督した『ハーケンクロイツの翼』(2003年)という作品で、このときはまだ11歳?
韓:11歳とか12歳ですね。
片嶋:そのときには、11歳でギャングのボス役をやってもらったんです(笑)。それで、英恵もだんだん大きくなって、この『アジアの純真』の話を作りはじめたころに、こういうネタの話だしね、「これは英恵でやりたいな」と強く思うようになりました。
「いまの世の中の欺瞞であるとか不条理であるとかを、映画でどのように語っていくのか」(片嶋)
―― 『アジアの純真』の企画は、どのような経緯でスタートしたのでしょうか?
片嶋:2003年の夏くらいだと思いますけど、今回の脚本を書いた井上淳一という者が「半分くらいシナリオを書いたんですけど読んでみてください」と言って持ってきたんですよ。「半分くらい」というのはどれくらいかと言うと、完成した映画で少年の学校に少女が自転車に乗って訪ねてくるシーンがあって、そこらへんまでができあがっていたんです。そのころ井上は大作映画のシナリオをやっていて、やっぱり大作だとプレッシャーとかストレスもすごかったらしいんですよね(笑)。それを発散するみたいに「こういうのがやりたいんだ」ということをバーッと書きはじめたら、あっという間にそこまで書きあがっちゃったんですって。ところが、そこからまったく書けなくて「これからどうしたらいいんだろう?」みたいなことで、ぼくのところに来たんですよ。それで、読んだらけっこう面白くて「ここで終わらせるのではもったいないから、一緒にアイディアを出しあいながら最後までやろうよ」というようなことでシナリオ作りを始めまして、その年の冬くらいにはシナリオを上げたんじゃないかな……。2003年の冬ってことは、英恵はまだ13歳だよな?
韓:そうですね。
片嶋:13歳ではまだ若すぎるんで「このシナリオはちょっと寝せておこうか」というような話になったんです。そのあと、ぼくはまた別の作品(『小森生活向上クラブ』2008年)を監督したり、いろいろやっているうちに時間が過ぎていって、英恵が18歳になって、高校3年生ですよね。「これはいま撮らないとダメだな」って思ったんです。もうどんどん変わっていくんで、18歳の英恵で撮らないとダメだなと思ったんです。
―― 韓さんは『アジアの純真』の企画について、率直にどう思われました?
韓:「これ撮れるかな? 公開できるかな?」って思いましたね。でも、自分も(映画の主人公と)同じような状況になったことは多々あったんです。テロをやったりはしていないですけど(笑)。そういうことがあったので、自分に向きあういい機会かなと思いました。
―― この作品は、かなりセンセーショナルな内容ですよね。そういう作品に主演されることに戸惑いのようなものはなかったのでしょうか?
『アジアの純真』より。韓英恵さん演じる少女は、笠井しげさん演じる少年とともに自転車で旅に出る
韓:うーん……あまりなかったですね。私はハーフなんですけど、韓国人の血が入っているからということでイジメに遭ったこともあるんですよ。向こうはそんなにイジメと思ってはいなかったんでしょうけど、けっこう心にグサグサ来ていたんです。そうやって向こうはそんなに悪いと思ってないのがイジメなのかなって思うんですけど。なので、ずっと自分が半分韓国人だというのを避けて通っていたんです。「別にいいや」みたいな感じで、イジメとかいろいろなことがあるだろうから、そうならないように生きていくっていう道をずっと選んできていて。そういう中でこの映画に出会って、内容を見たときに「あ、これは私だ」って思ったんです。それで、この映画を撮って、向きあうことにしました。
―― 監督が、こういう内容の作品を撮ろうと思われた一番の動機はなんだったのでしょうか?
片嶋:これは海外向けのパンフレットにも書いたことなんですけど、最近、日本で作られている映画は同じような作品ばかりなんですよね。ぼくらは1970年代のATG映画とかが好きで育ってきたので「なんでいまはああいう映画がないんだろう?」というようなことを思っていました。やはり、いまの世の中の欺瞞であるとか不条理であるとか、そういったものに対して映画でどのように物語として語っていくのかということは、自分の中で重要なテーマだと思っていました。
―― 『アジアの純真』というタイトルは、もとはPUFFYのヒット曲のタイトルですよね。映画の内容をストレートに表していて、かつブラックなタイトルでもあると思ったのですが、このタイトルはどの段階で決まったのでしょうか?
片嶋:これは、井上が台本を持ってきた段階でそう書いてありましたね。
韓:すごくきれいですよね。『アジアの純真』ってタイトルは。
片嶋:PUFFYの曲は英題は「True Asia」なんですよね。映画ではそれを勝手に『PURE ASIA』に変えているんですけど、たしかに、ブラックではありますね(笑)。
―― 映画の中では、カラオケボックスのシーンで韓さんと少年役の笠井しげさんとで「アジアの純真」を歌うシーンがあって、エンディングにもおふたりの歌が使われていますが、歌ってみていかがでしたか?
韓:だいぶ歌ったんですよ。映画の最後に流れる歌と、途中でカラオケで歌っている歌は全然違っていて、初めにカラオケボックスの中で歌ったときは「ぶっ壊れてパンクに、別に歌詞とかはどうでももいい」って言われて、自分の中にあるエネルギーというものをすべて出したんです。最後のほうは泣いたり叫んだりして、マイクなんかはなくてもいいくらいの感じでやっていたんです。もう、いたたまれなくなって、終わってすぐにその場所から逃げ出しました。そのときは裸足だったんですけど、そのままカラオケボックスを抜け出して、勝手にロケバスに乗ったりして(笑)。そのくらい、あの場所の空気というものがどうしようもないくらい行き場のない感じになっていて、そこにいれられなくなっちゃったんです。それくらいすごいヘビーなシーンでしたね。エンディングで流れる歌はアフレコのときに録ったんですけど、何回も何回も歌って、最後のほうはシャウト状態でした(笑)。たぶん、声が枯れるまで歌ったものが欲しかったんだと思うんですね。それくらい歌った記憶があります。
片嶋:カラオケボックスはすごい狭かったんですよ。(手で広さを示して)これくらいの狭さなんですよ。
韓:(スタッフが)全員入れなかったですよね(笑)。
片嶋:全員入れなくて、カメラマンと照明と助監督と、あと録音がいたのか。こっち側にカメラ置いて、ここでふたりが歌ってっていて、ボロボロ泣いちゃってね。ぼくらも泣きましたね、すごい迫力で。しげもうまかったよね。
韓:どうしたらいいのかわからない感じが(笑)。
―― その、笠井しげさんを相手役に起用される決め手となったのはどんなところでしょうか?
片嶋:オーディションだったんですけど、何十人か呼んで、それで最後に3人か5人くらいに絞ったのかな。その段階で英恵に来てもらって、芝居の相手をやってもらって、それでふたり残ったうちのひとりがしげだったんです。しげは、オーディションの段階でセリフとかが完璧なんですよ。全部覚えてきてる。英恵なんか読みながらやってるのに(笑)。
韓:フフ(笑)。
片嶋:まあ、覚えていたのはオーディションだからだったのかもしれないけど(笑)、最後のシーンとか読ませるとオーディションの場でもグッとくるような感じだったので「コイツだったらいけるな」と。それとね、しげは芝居にあんまりブレがないんですよ。英恵はブレブレなんで。
韓:アハハハ(笑)。
片嶋:もう、こいつはテイクが違うとそのたびに全部違う芝居やるような奴なんで、ふたりともそれだとやりにくいなって(笑)。それで、しげを選びました。
―― 韓さんは、笠井さんと共演されていかがでしたか?
韓:最初にオーディションに行ってしげと会ったときに、絶対(合格するのは)しげだろうなって勝手に思っていたんですよ。すぐに打ち解けましたし、衣裳合わせの帰りもいろいろ話をしたりして、すごく仲良くなりました。やっぱり、この映画ではふたりの掛けあいというかコミュニケーションをとることが大事だなと思ったんです。どの映画もそうなんですけど、特にこの映画はすごい重い話だというのはわかっていたので。しげは、役とは違ってほんとはすごく明るくて元気なんですよ。けっこうヤンチャだし。でも、本番になってカメラの前に立つと全然違って、そこは私も入りやすかったので、けっこう助けられた部分はありますね。
「賛否両論意見をくれたら、それでいいなって思います」(韓)
―― この作品は白黒で撮られていますけど、撮影はモノクロのフィルムですか?
片嶋:いや、デジタルです。ちょっと変わったやり方をしていて、撮りはデジタルでカラーなんですけど、最終的に白黒にするというのは決めていたので現場のモニターは白黒で出しているんですよ。それで、カラーで撮ったものをデジタル編集し終わったあとに完全に白黒にしてしまって、それをそのままキネコするという段階を経ているんです。「なんで白黒なんですか?」というのは映画祭なんかでよく訊かれるんですけど、まあぶっちゃけ「1回やってみたかった」みたいなところから始まっていますね(笑)。ただ、その答えだと面白くないから、よくインタビューで答えているのは「マークシートから始まる“白か黒か”」じゃないですけど(※『アジアの純真』は、少年がマークシートの試験を受けている場面から始まっている)、英恵がやった主人公は「白か黒か」じゃない現実の中で「白か黒か」で行動している奴だってことで、テーマ的にも重なってくるんですよね。それから、白黒のピュアなイメージというのが、叙情みたいなものを醸し出せるんじゃないかと考えながら始めたんです。
―― 後半のほうで海に出るシーンは、白黒であることを効果的に使った場面かなと思いました。
片嶋:そうですね。実際に海に出て撮影するのはすごく難しいし、CGでもお金をかけたほどの効果は出ない。それで昔、フェリーニの『カサノバ』(1976年・伊)という映画があって、あの映画がでかい船が波の中を行くのを、平気で作り物でやっていたんですよね。それと同じように「こういうことでやるのがこの映画にとって一番いいんだろう」みたいなところですね。それと、映画の構造的な問題として、最後がブラック・ファンタジーみたいなかたちで終わるんだけど、出だしから半分くらいまではリアルな感じで進んでいるので、どこかで少しずつ外していかないとダメだっていうことは感じていました。だから、海のところで少し外しているというところはありますね。ああいう方法が一番いいんじゃないかと。
韓:若干、ファンタジックを入れた感じですね。
―― 先ほど監督がお話になったATG映画などでは、映画の中で舞台劇のような手法を使ったような作品もあったので、そういう雰囲気も感じました。
片嶋:『絞死刑』(1968年/大島渚監督)とかそうでしたね。次はね、英恵で『絞死刑』みたいなことをやりたいなと思っているんだよね(笑)。
韓:フフフ(笑)。
―― 韓さんは、先ほどのお話だと歌うシーンがヘビーだったということですが、ほかに印象に残ってるシーンはありますか?
撮影中のエピソードを明かしてくれた韓英恵さん
韓:穴掘りかな(※少女と少年が、埋められた毒ガスのビンを掘り出すシーン)。寒かったし、穴がなくなっちゃったんですよ。ロケ地としてロケハンしていた穴がなくなっちゃって(笑)。
片嶋:埋められてたんです(笑)。
韓:「え?」みたいな話になって(笑)。そこからまた探すところから始まってですね、撮ってですね、あそこは「イペリットが……」っていうけっこう長いセリフがあって、もう寒くて口が回らなくてモゴモゴしちゃって(笑)。
片嶋:あの寒さの中、けっこう薄着でね(笑)。ぼくたちスタッフは着こんで着膨れしているのに、役者ふたりは薄着だったんで(笑)。
―― 少年と少女が食事するシーンが多かったのが印象に残っているのですが、そこは意図があったのでしょうか?
韓:ああ、そうですね。
片嶋:あれは台本にしっかり書かれているんですけども、ああいうところは削ろうと思えばどんどん削れちゃうんですよ。でも、この映画はそういうところを描く映画なんだと思ったんです。つまり、映画の中では差別とかいろいろな話が出てくるんですけど、この映画は「差別がいけない」とか「イジメがいけない」とか、「北朝鮮が悪い」とか「日本人がダメだ」とか、そういうことを言っている映画ではないんだと。「ああいう環境の中に置かれた人間が、どういう情念を抱えて、どういう行動を起こすのか」というのが自分の中でのテーマだったんです。それで、飲んだり食べたりということは、人がどんなに屈辱にまみれようが怒ろうが絶対にやっていく作業だし、飲んだり食べたりがあることによって、あの少女という姿がだんだん肉付けされていくなと思っていたんです。実際に映画になったときに「削らないでちゃんと撮っておいてよかったなあ」って思いました。
―― もうひとつ個人的に感じたことで、1990年代のオウム事件を連想するところがありました。具体的に事件を思わせる描写があるわけではないのですが、どこかあの事件があったころの空気が流れている気がしたんです。
片嶋:そうですね、これは脚本の井上とよく話すことなんですけど、やはり1995年のオウム事件と2001年の9.11とで、時代精神が相当決まってきていると思うんですね。あのころの厭世感と言いますか、“アメリカの正義”なんてものが、いかに独善的で欺瞞なものであるかとかね。そういったところからできあがった映画であるというのは感じますね。
―― 日本での公開に先駆けて海外の映画祭で上映されていて、監督は昨年のパリシネマ国際映画祭に、韓さんは脚本の井上淳一さんと一緒に今年のロッテルダム国際映画祭に出席されたそうですが、現地での反応はいかがでしたか?
片嶋:パリシネマのときは、キャパが120人くらいの小さな劇場で2回やったんですけど、2回とも満員で、終わったあとの質疑応答が終わらないんですよね。ずっと質問責めで、2回目の上映のときは次の作品の上映があるからということで、ロビーに移動して質疑応答の続きを1時間くらいやったんです(笑)。やっぱり、占領とか差別や偏見というものは世界中に転がっていますけど、日本と韓国や北朝鮮の関係というのは向こうの人には遠いんですよね。やっぱり、日本では微妙な問題があって、少女と少年の行動は絶対に許されないという倫理観は日本人の中には絶対ありますよね。だからこの映画をまったく受け入れられないというところもあると思うんですけど、パリシネマではそこらへんがすごく開放されていてストレートで、好感触でした。
―― 韓さんは、今年のロッテルダム国際映画祭に脚本の井上淳一さんと一緒に行かれたそうですが?
韓:上映が3回あって、300人から400人くらい入るところでやったんです。最後の上映は朝早かったので3分の2くらいの入りだったんですけど、ほかの2回はほんとに満員で、椅子にも座れなくて階段に座る人もいたりして。やっぱり、賛否両論だったんですけど反応はストレートでしたね。差別とかの問題って、アジアだけの問題じゃなくてヨーロッパにもあるし、ほかの国にも共通する問題だから「そういう問題の意識を持つのは大事なことですね」というコメントをくれた方がいて、たしかにそうだなって思いました。私はパリは行っていないのでわからないんですけど、たぶんロッテルダムもパリと同じような反応だったんだと思います。
―― では最後に、公開を前にしての心境をお願いします。
片嶋:まあ「決まってよかったな」と(笑)。日本の映画祭では散々断られて、劇場でも断られて、やっと公開が決まったんで「これでみんなに観てもらえるかな」というのが正直な気持ちだよね(笑)。いま、ネットで「映画,『アジアの純真』」で検索すると、12万件くらい出てくるんですよ。それで、そのほとんどが「この監督はキチガイか」とか、そんなのばっかでね(笑)。それは観ていない人たちの言葉なので、そういう人たちにきちん観てもらいたいということですかね。観てもらって、話をしてみたいくらいの感じかな。
韓:私も、やっと公開が決まって正直すごく嬉しいですね。ずっと溜めて溜めてやってきて……。私は別に反日とか、逆に反北朝鮮とかなんでもないんですけど、この映画を観て、賛否両論意見をくれたら、それでいいなって思います。
(2011年8月2日/ブラウニーにて収録)