『江ノ島プリズム』小林弘利さんインタビュー
2度と会えないところに行ったアイツ、なにも言わずに旅立ったあの子――。大切な幼なじみの朔とミチルがいなくなってから2年、予備校生の修太は突然、いつも朔とミチルがそばにいた高校時代にタイムトラベルした。3人の未来を知る修太は、訪れる運命を自分の手で変えようと決意する。そんな修太の前に、不思議な少女・今日子が現われる――。
福士蒼汰さん、野村周平さん、本田翼さん、そして未来穂香さんと、いま注目の若手俳優が集まった『江ノ島プリズム』は、江の島を舞台に青春の眩しさと切なさを鮮やかに描き出した、ファンタジックな青春ストーリーです。
原案・脚本をつとめ、高校生たちの瑞々しい青春とSFが融合するオリジナルストーリーを生み出したのは、脚本家として永いキャリアを持つ小林弘利さん。『江ノ島プリズム』は、小林さんがかつて小説家として送り出してきたジュブナイル作品を思わせる、小林さんの原点ともいえる作品になっています。
いま、ジュブナイルというジャンルが伝えていくものとは。『江ノ島プリズム』という作品の背後にある広がりを感じられるに違いない小林さんのインタビューを、どうぞお楽しみください。
小林弘利(こばやし・ひろとし)さんプロフィール
1960年生まれ、東京都出身。学生時代からさまざまな監督の自主映画の脚本を担当し、自主映画界で活躍していた小中和哉監督の商業デビュー作『星空のむこうの国』(1986年)で脚本家デビュー。また、映画に先がけ1984年に集英社コバルト文庫で刊行されたノベライズ版「星空のむこうの国」で小説家としてデビューする。以降、コバルト文庫の中心作家として多数のジュブナイル小説を送りだすとともにコンスタントに脚本も執筆。現在は脚本家としてオリジナルから原作ものまで幅広いジャンルの作品を手がける。
主な脚本作品に『二人が喋ってる。』(共同脚本・1995年/犬童一心監督) 『ブタがいた教室』(2008年/前田哲監督)『L change the WorLd』(共同脚本・2008年/中田秀夫監督)『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』(共同脚本・2010年/錦織良成監督)『シグナル〜月曜日のルカ〜』(共同脚本・2012年/谷口正晃監督)など。2013年は『江ノ島プリズム』のほか『監禁探偵』(共同脚本・及川拓郎監督)『生贄のジレンマ』(金子修介監督)が公開。
「ファンタジーというのは特別なことではなくて、ぼくたちが生きている日常そのもの」
―― 『江ノ島プリズム』は、どんな作品を作ろうというところから始まったのでしょうか?
小林:最初は女性プロデューサーの方がアニメ版の『時をかける少女』(2006年/細田守監督)が好きで「ああいう映画が作りたいんです」という話だったんです。それで、アニメ版の『時をかける少女』には、ぼくが小説家時代にコバルト文庫の小説で書いた設定やセリフとかがたくさん出てくるんですよ。それは真似をしたということではなくて、たぶん脚本を書かれた奥寺(佐渡子)さんか監督の細田(守)さんが、ぼくの小説を読んだことがあったんだろうなって思っていたんです。それで「アニメ版の『時をかける少女』は、ぼくが昔書いた作品と共通点が多いですし、ああいう作品は書けますよ」という話をしまして『時をかける少女』は何回もリメイクされていますから「リメイクするよりはオリジナルで作ればいいんじゃないの?」と言って「じゃあ、オリジナルでああいうお話を作ってみましょう」ということで始まったのがこの企画ですね。
―― 『時をかける少女』をはじめ、タイムトラベルを題材とした作品はいままでにたくさんありますが、その中で新しいタイムトラベルものを作る難しさというのはなかったのでしょうか?
小林:難しいと思ったことはないですね。いろいろな作品がありますけど、それぞれの作品でやりたいことが違うじゃないですか。今回『江ノ島プリズム』でやりたかったのは、幼なじみの男の子がふたりと女の子がひとりいるという、ぼくが小説でずっと書いていた関係性なんです。それを映像化したいというのがまずあったんですね。
―― 小林さんは小説でも青春ストーリーに超能力やタイムトラベルのような要素が絡んだ作品を多く書かれていますが、青春ストーリーとファンタジーの組み合わせの魅力はどういうところだと考えていらっしゃいますか?
小林:ぼくが小説を書いていたときからずっと考えているのは「普通の日常がそのままファンタジーなんだ」ということなんです。「ファンタジーというのは特別なことではなくて、ぼくたちが生きている日常そのものがファンタジーでしょ?」とぼくは感じているので、それを物語として描きたかったんです。日常の中でもファンタジー的なことというのは日々繰り返し起こっているので、それをデフォルメさせるというニュアンスですね。
―― 今回の『江ノ島プリズム』は、ファンタジーであると同時に、タイムトラベルのロジックがきっちり構築されているという点でSFの要素も濃い作品になっていますね。
『江ノ島プリズム』より。主人公の修太(演:福士蒼汰/左)は、幼なじみの朔(演:野村周平/右)とミチル(演:本田翼/中央)がいた高校時代にタイムトラベルする……
小林:ぼくはジャック・フィニイ(※1)が小説で書いた「その時代になかったものは身につけない」のと「その時代に行きたいと強く思う」というタイムトラベルの仕方がとても好きで、勝手に「ジャック・フィニイ アプローチ」と呼んでいて、今回の映画のセリフにも出てくるんです。そのジャック・フィニイのやり方を映画化したのが、ジャック・フィニイ原作ではないけど『ある日どこかで』(※2)ですね。『ある日どこかで』も大好きな作品なので、そのイメージを『江ノ島プリズム』でやりたいなと思ったんですよね。
―― 小林さんの脚本家デビュー作の『星空のむこうの国』(1986年/小中和哉監督)は、その『ある日どこかで』に影響された作品だったということですが、そうすると『江ノ島プリズム』と『星空のむこうの国』は、つながりのある作品といえるのでしょうか?
小林:地続きですよね。それから、ぼくが書いていた小説には、ずっと学校にいる“地縛霊の今日子”という少女が出てきていたんです。今回の『江ノ島プリズム』では地縛霊ではなくてタイム・プリズナーというかたちにしましたけど、今日子という同じキャラクターを出して小説世界と結びつけたり、ジャック・フィニイで『星空のむこうの国』と結びついていたりするんです。
―― 『江ノ島プリズム』というタイトルについてお尋ねしたいのですが、まず舞台を江の島に設定された理由というのは?
小林:プロデューサーの方が江の島に住んでいて「江の島でやりたいね」というのがあったのと、ぼくがコバルト文庫で書いた小説にも江の島を舞台にした物語があったんです。江ノ電とかあの辺りって、あんまり映画に出てこないんですね。ですから、ああいう映像的な風景があるのだから舞台にするのはいいんじゃないかというイメージでした。
―― もうひとつタイトルに含まれている「プリズム」も劇中に何度か登場しますね。
小林:プリズムというのは「光がプリズムを通ると分かれていく」というイメージがあるじゃないですか。それで今回の物語も「タイムトラベルというプリズムを通すことによって別の未来がいろいろ開けていく」というかたちをイメージしたんです。それと、最初の企画のときにはクライマックスでプリズムを使った大掛かりなシーンがあって『江ノ島プリズム』というタイトルを付けたんです。そのクライマックスは映像化するのが困難ということで教室に飾るというシーンに変わったんですけど、タイトルはそのまま残って、プリズムのシーンも別のかたちで残り、意味合いとしては「プリズムを通すことでいろいろなものが変化していく」というのをうまくタイムスリップと引っ掛けてできればいいなということでした。
―― 個人的に面白かったところなのですが、タイムトラベルものの名作の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年・米/ロバート・ゼメキス監督)に出てくるタイムマシンの“デロリアン”の名前がセリフに出てきますね。
小林:現代の若者ならタイムトラベルといったらデロリアンを思いつくんじゃないかという理由と、あと『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で博士が「どうしてデロリアンをタイムマシンに改造したのか」と聞かれて「どうせ作るならカッコいいほうがいいだろ?」って言うじゃないですか。そこに「映画ってそういうことなんだよね」という想いがあったんですよね。要するに、理屈ではなくて「カッコいいほうがいいじゃん」でいけるという、そういうジャンプが映画としてとてもいいなあと思ったんです。修太が映画の中でオモチャの時計を付けるのは、最初のイメージではボール紙でできた時計でいいと思っていたんです。それは博士のセリフと同じで「理屈じゃなくていいんだ」というイメージだったんです。
- ※1:アメリカの小説家。1911年生まれ、1995年没。代表作のひとつ「ふりだしに戻る」(1970年/原題「Time and Again」)は1880年代のニューヨークにタイムトラベルする青年が主人公で、タイムマシンなどの科学技術ではなく「目的の時代の物品を身につけ、その時代で生きることを強く念じる」ことで時間を越える。そのほかの作品に「マリオンの壁」(1973年/原題「Marion's Wall」)、何度も映画化されている「盗まれた街」(1955年/原題「Invasion of the Body Snatchers」)など。
- ※2:1980年のアメリカ映画。原題『Somewhere in Time』。監督はヤノット・シュワルツ(ジュノー・シュウォーク)、主演はクリストファー・リーブ。愛する女性に会うため過去に旅する男が主人公のラブストーリー。原作・脚本のリチャード・マシスンは前述のジャック・フィニイ作「ふりだしに戻る」に影響を受けており『ある日どこかで』では「ふりだしに戻る」と同様のタイムトラベルの方法を使い、劇中に“フィニー教授”という人物を登場させている。『ある日どこかで』と『星空のむこうの国』の関係については当サイト掲載の小中和哉監督のインタビュー(☆,★)でも触れられている。
「この子たちは高校生だけど小学生のままの関係性でいるんです。そこがキュンとさせるんじゃないか」
―― シナリオを書きはじめる時点でキャストは決まっていたのでしょうか?
小林:まるで決まっていなかったですね。キャスティングがなかなか決まらなかったので、脚本を書いてからの道のりが長かったんですよ。脚本を書いたのは2年くらい前だったのかな? それが映画にすると動きはじめて、監督も決まって、そこから1年間保留になってという感じですかね。よくぞそのまま終わらずに映画にしてもらえたなとありがたく思っています。
―― キャストが決まっていない段階では、どんなイメージで登場人物たちを書かれたのでしょうか?
小林:ぼくがコバルト文庫で書いた小説のとおりですね。「聖クレア・ファンタジー」」(※3)というシリーズの小説があって、幼なじみの女の子ひとりと男の子ふたりが出てくるんです。そのイメージで『江ノ島プリズム』の3人を書いたんです。学校も、最初は「聖クレア・ファンタジー」に出てくる“聖クレア高校”にしていたんですよ。『江ノ島プリズム』は小説の彼らの後輩たちのお話で、映画に出てくる今日子ちゃんは小説の彼らのことも知っているという設定だったんです。
―― そういうかたちで「実は別の作品とつながっている」というのは、すごく作品世界に広がりが出ますね。手塚治虫先生の作品などでも同じような趣向があったと思うのですが。
小林:そうですね。ぼくの作品にはいつも“松戸”というキャラクターが出てきていて、それは手塚治虫先生の作品で同じ顔をしたキャラクターがいろんな作品に違う役で出てくるスターシステムのイメージで、小説だから同じ顔というわけにはいかないので名字を同じにしていたんです。脚本でも『星空のむこうの国』から最近の作品まで、大体いつも“松戸”というキャラクターを入れているんです。
―― 『江ノ島プリズム』の修太と朔とミチルの3人について、もう少しキャラクターのイメージについてお話ししていただけますか?
『江ノ島プリズム』より。タイムトラベルした修太は朔とミチルとかけがえのない思い出を作っていくのだが……
小林:名前のイメージなんですけど、修太はバスケをやっているので“シューター”なんですよ(笑)。いつもスリーポイントを狙う名シューターなんだろうって。要するに、スリーポイントをつねに狙う男、つまり無茶でもやってみたいという男が修太なんです。朔という名前は萩原朔太郎のイメージで、病弱な文学青年というイメージで作ったキャラクターですね。ミチルは「青い鳥」のチルチル・ミチルで、つねにここではないどこかを目指している女の子で、最終的に青い鳥を探して旅に出るという、3人はそういう感じのキャラクター造形ですね。
―― 実際に福士蒼汰さん、野村周平さん、本田翼さんが修太、朔、ミチルを演じているのをご覧になっていかがでしたか?
小林:みんなイメージ通りでしたね。修太はもちろんよかったし、朔はぼくのイメージよりカッコよかったですけど(笑)、ミチルは元気いっぱいで「そうそう、これがミチルなんだよね」っていう感じで。
―― 修太も朔もミチルも、すごくまっすぐなキャラクターになっていますね。
小林:そうなんです。今回、監督の吉田康弘さんも自分なりの『江ノ島プリズム』をイメージしていて、1回、監督の世界に持っていって書き直した脚本があったんです。そのときに普通のいまっぽい高校生にしたんですけど、それを読んで、作り手たちはみんな「こうじゃないな」ってことが改めてわかったんです。この子たちは高校生だけど、小学生のままの関係性でずっといるんですね。ずっとプラトニックだろうし、好き嫌いというのが恋に至る前の状況の3人なんだろうなって。そこが微妙に観ている人をキュンとさせるんじゃないかという想いがあって「そういうかたちに戻そう」ということで、ぼくが書いた3人に戻していったんです。この3人はいまどきの高校生ではないんですけど、それは意図してそうしているんです。「いまはこういう子たちはいないかもしれない。でも、かつて自分たちの中にあったピュアな部分とか、男の子とも女の子とも友達でいられたままの3人というのがファンタジーなのかもしれないね」ということですね。
―― そして、もうひとり重要な登場人物の今日子は、ほかの登場人物とは違う視点を持ったキャラクターですね。
小林:第二次大戦中に、いま学校の建っている辺りが空襲を受けて、その炎の中で時間にとらわれてしまった少女で、そこから動けない。そこに学校ができて、自分と同じ年齢の子どもたちが前を通り過ぎていくのを何世代も見ているという、小説のセリフにもあるんですけど“木のような存在”ですね。つねにそこに立ってすべてを見ているようなイメージです。
―― 今日子は不思議な存在ではありますけど、実は視点としては観客に近かったり、登場人物の知らないことを知っていて示唆を与えるという意味では小林さんご自身の分身というところもあるのかなと思いました。
小林:観客と視点を共有するのはそうですね。それから、ぼくの分身というイメージでは書いていないんですけど(笑)、作者に近いところにはいるでしょうし、客観的な視点で見ているというのはそうだと思います。
- ※3:「月が魔法をかけた夜」(1985年)を第1作とするファンタジー小説シリーズ。“聖クレア・ハイスクール”という高校に通う空想好きの由季、スポーツマンの邦彦、微生物マニアの浩一の同級生3人が遭遇する不思議な事件が描かれていく。同校にずっといついている地縛霊の今日子も登場する。第1作では3人は高校1年生で、3人が2年生になる「風と天使がおどる夏」(1986年)、3年生になる「虹の彼方につづく道」(1987年)、2年時の修学旅行を描いた番外編「旅の神話をつなぐ空」(1988年)と全4作が刊行。さらに高校卒業後の由季たちが活躍する「夢の秘宝にかわる花」(1989年)がある。
「いつの間にか忘れてしまったものが、実は誰の胸の中でもいつまでもキラキラしているんですよ」
―― 今日子は図書室にいるシーンが多いですよね。図書室という場所が重要なのかなと思いました。
小林:そうですね、彼女は時間にとらわれてしまったけど、もともとは普通の女学生だったわけで、それがなぜある意味で神のような視点を持つに至ったのかというと、学校に入って卒業していくまで3年間のたくさんの人生を見てきたんだろうというのと、たくさんの本を読んだんだろうと。そういうことで図書室にしているんです。
―― いまは、昔に比べると図書室で昔の本に触れる機会が少なくなっているのかなと思うんですね。今日子が知識を身につける場所が図書室だというのは、そういう“本を読むこと”がすたれていくことへの想いがあるのかなと思ったのですが。
小林:そういう意識はなかったですね。物語というものはなくならないので。古代ギリシャの円形劇場でギリシャ悲劇なり喜劇なりが演じられたときからこの先も未来永劫、物語というものは必ず必要とされるんです。その形態が書物であるのか、ほかのメディアになるのかは別として、物語はなくならないんです。だから失われていくものへの想いということはないですね。
―― これは少し映画から離れた質問になるのですが、いまは『江ノ島プリズム』のようなジュブナイル作品は小説でも少なくなっていて、かつてジュブナイルを読んでいた年齢層に向けてライトノベルがあるのだと思います。ジュブナイルとライトノベルは共通点もある一方でやはり別のものであると感じているのですが、小林さんはジュブナイルとライトノベルの関係についてどうお考えになっていますか?
『江ノ島プリズム』より。タイムトラベルした修太が出会った今日子(演:未来穂香/右)は、タイムトラベルに関する知識を修太に教える
小林:ぼくが書いていたころは、ジュブナイルというのはマンガと小説の間にある橋渡し役だったと思うんですよ。マンガしか読んだことのない子がジュブナイルを経て小説に至るという流れがあって、それがいいなとぼくは思っていたんです。だけど、いまのライトノベルはライトノベルで終わりで、そこから小説に行かないんですね。成長なりなんなりを必要としなくて「ちょっと背伸びしてみよう」という想いが少ないのかもしれないなって思います。そうすると、作り手が「わかりやすくわかりやすく」ってなるんですよ。ライトノベルに限らず映画やドラマでもそうで、ぼくはいつも「わからなくてもいいんだ、みんなちょっと背伸びするくらいがちょうどいいんだ」って言うんですけど、プロデューサーたちは「いや、それだとついてこないから」と言うんですよね。たしかにそうで、ちょっとわからないとついてこなくなってしまった。先に進まずに同じところにい続けようとするんですね。その結果なにが起こっているかというと、同じところにいる人たちだけをターゲットにするようになって、その人たち以外はライトノベルも読まないし、マンガも読まないし、映画もドラマも観なくなるんです。作り手はどうしてもいつも買ってくれる人たちにわかりやすいものを目指すので、そうじゃない人は興味を持たなくなるんですよ。いまは、テレビドラマも視聴率の上位でも20%行かないのが多いでしょ? それは80%以上の人は見ていないってことですよね(笑)。いま、小説は売れていないって言われているし、マンガも子どもたちは読まなくなっているというんですね。作り手が「わかりやすくわかりやすく」としていった挙句にみんなのリテラシーが下がって、文化そのものが衰退している感じはしますよね。
―― そういう中で、かつてあったような正統派ジュブナイルの『江ノ島プリズム』が公開されるわけですが、ご覧になる方々にどう捉えていただきたいかをお願いします。
小林:先ほども少しお話ししたように、小学生の関係性のままの高校生たちの話なので、違和感があるといえばあるのかもしれません。だけど、自分たちがいつの間にか忘れてしまったものが、実は誰の胸の中でもプリズムのようにいろいろな変化を起こしながらいつまでもキラキラしているんですよ。それを気づかなかったり忘れている振りをしているだけで「自分の心の中をよく見るとプリズムがあるんだ」ということに気づいてくれるとありがたいなと思います。
―― ラストはちょっと悲しい終わり方だと受け止める方もいらっしゃると思うのですが、あのラストにはどういう想いを込めていらっしゃるのでしょうか?
小林:最初の脚本では違ったエンディングだったんですけど、脚本を読んだ大人たちからいろいろ意見が出まして、最終的に完成した映画のようなかたちになったんです。ぼくはコバルト文庫を書いていたときも「最後は必ずハッピーエンド」と決めていたんです。だから今回のエンディングも、切ないけれどもぼくなりのある種のハッピーエンドだし、落としどころとしてはいいのかなって。そういう意味では『星空のむこうの国』に近いエンディングだとぼくは思っています。監督には表情が大事ですからと言ったんです。「エンディングはセリフなんかどうでもいいから最後の3人の表情が大事なんです」という話をしました。
―― 最後に期待を込めてお尋ねしたいのですが、これからも『江ノ島プリズム』のようなジュブナイル作品を手がけられるのでしょうか?
小林:やりたいですね。ぼくは脚本家になってからはなかなかこういう作品のオファーがなかったので「なぜぼくにファンタジーをオファーしないんだ!」って、20年くらいずっと思っていましたから(笑)。ぼくは小説を書いていたときも映画にしたい内容を小説で書いていたんですよ。だから、この話があってとても嬉しくて「このジャンルを書きたいんだ!」と書いた感じです。ほんとに久しぶりでしたし、ぼくの中ではコバルト文庫で書いていた小説の初の映画化というイメージだったんです。『星空のむこうの国』も映画になってはいますけど、先にシナリオがあってのノベライズだったので、小説のイメージが先にあって映像化するのは今回が初めての感じでした。7月に『生贄のジレンマ』(2013年/金子修介監督)という作品が公開されて、それもジュブナイルなんです。ラノベを原作にしているんですけど、観ていただくと、きっと「いかにも小林弘利の書いたファンタジーだ」と思うんじゃないかな(笑)。だから、ジュブナイルものを続けて書けて嬉しいなって思っています。
(2013年7月10日/太秦にて収録)
江ノ島プリズム
- 脚本・監督:吉田康弘
- 原案・脚本:小林弘利
- 出演:福士蒼汰 野村周平 本田翼 未来穂香 ほか
2013年8月10日(土)よりシネマート新宿、109シネマズMM横浜、109シネマズ湘南 ほか全国ロードショー