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『Z~ゼット~果てなき希望』鶴田法男監督インタビュー

鶴田法男監督写真 ある日、街に出現し人を襲い出した生ける屍=ゾンビ。ゾンビに噛まれた者もまたゾンビになってしまう。パニックに陥る街に現れたアイパッチの少女は、ナギナタを振るい次々とゾンビを斬り倒していく! だが、ゾンビから逃れた人々が避難する病院の最上階にも、ゾンビ化の恐怖が近づいていた――。
 日本が誇るホラー映画の名匠・鶴田法男監督の新作『Z~ゼット~果てなき希望』は、マンガ界の鬼才・相原コージさんのコミック「Z~ゼット~」を原作にした本格的ゾンビ映画!! 大量の血しぶきが飛び散るスプラッタ描写あり、アクションあり、ユーモラスな笑いあり、鶴田監督初のゾンビ映画となる『Z~ゼット~果てなき希望』は、これまでの鶴田監督の作品とは大きく雰囲気の異なる作品となっています。
 1990年代から日常の中にある怪異を描き“Jホラーの先駆者”と呼ばれる鶴田監督が、いまゾンビ映画という新たなジャンルに挑んだ理由。そこには“現在の日本”への強い想いがありました。『果てなき希望』というサブタイトルに、鶴田監督はどんな“希望”を託したのか!?

鶴田法男(つるた・のりお)監督プロフィール

1960年生まれ、東京都出身。学生時代から自主映画を制作し、映像ソフトメーカーに勤務後、1991年にオリジナルビデオ作品「ほんとにあった怖い話」で商業監督デビュー。同作の続編をはじめオリジナルビデオ作品で多くのホラー作品を送り出し、その後のホラー作品に多大な影響を与える。1999年『リング0~バースデイ~』で初の劇場用ホラー映画を監督。以降も劇場用作品を手がけるほか、長寿番組となった「ほんとにあった怖い話」(フジテレビ)メイン監督をつとめる。
劇場公開作に『案山子~KAKASHI~』(2001年)『予言』(2004年)『おろち』(2008年)『POV~呪われたフィルム~』(2012年)『トーク・トゥ・ザ・デッド』(2013年)など。

「いままでもゾンビ映画のオファーを受けることはあったんですけど、基本的にお断りしていたんです」

―― 『Z~ゼット~果てなき希望』は鶴田監督にとって初のゾンビ映画となりましたが、まず監督にとって“ゾンビ映画”というジャンルがどんな存在だったかうかがわせてください。

鶴田:ぼくはホラー監督ですと公言しているので、これを話すとみなさんに驚かれるんですけど、いままでゾンビものを避けていたんです。ゾンビに限らないスプラッタ・ホラー全部を避けていたので、いままでもゾンビ映画とかスプラッタ・ホラーのオファーを受けることはあっても、基本的にお断りしていたんですね。ですから、今回こういう作品を作ったことに自分でもちょっとビックリなんです(笑)。なにしろ、ぼくは1991年にビデオの「ほんとにあった怖い話」(※1)を自分で企画して撮ったわけですが、当時はそれこそジョージ・A・ロメロ(※2)のゾンビ映画があり、ほかにも『13日の金曜日』とか『エルム街の悪夢』とか(※3)の海外のスプラッタ・ホラーが人気を博していたころで、ぼくは日本には“怪談”という残酷描写に頼らない素晴らしいホラーがあるのに、どうして日本人が海外の直截な残酷描写がある作品を喜んで観るのか疑問に思っていたんですよ。それで、日本の怪談映画というものを現代的にアレンジして作れば絶対に観てくれる人はいるはずだと思った。日本の怪談文化を廃れさせるようなことになってはいけないという気持ちがありました。それがビデオの「ほん怖」を作る発端になったんです。だから「ゾンビ映画というのは嫌いです」といままでずっと言ってきていましたし(笑)、ぼくにとっては鬼門の世界でしたよね。

―― 監督がビデオの「ほん怖」を作られたころというのは、海外の作品だけでなくて、日本でも海外の作品に影響を受けたスプラッタ描写の多いホラー作品が増えていたころで、監督の「ほん怖」はそういう作品のある意味で対極だったわけですね。

鶴田:そうですね。だからいまだによく覚えているのが、ビデオの「ほん怖」が発売される前に、あの連続幼女誘拐殺人事件(※4)が起きたために大手のレンタルビデオチェーンがホラービデオを全部引きあげるという話になって、それこそ『13日の金曜日』とか、日本製のホラーで「ギニーピッグ」(※5)という作品があったんですけど、そこらへんの作品はみんなレンタル禁止になったんです。だから、ぼくの「ほん怖」は仕入れてもらえないと思ったのですけど、ところが、しっかりショップに置いてあるわけですよ。なんでかというと、ぼくの「ほん怖」って要するにホラーと認められていなかったんですよね。だからレンタル禁止にならなかったんだけど、お客さんのほうは「これ怖いよ」ということで借りてくれたわけです。結果的に、当時のビジネス雑誌にそのレンタルビデオチェーンの月間回転率が掲載されていて、あまたのハリウッドの大作がある中でぼくの「ほん怖」がベストテンに入っていたんですよね。それくらい人気があったんだけど、みんな「ほん怖」をホラーと思っていないという不思議なことがありました。それが1991年です。で、1998年に『リング』(中田秀夫監督)が公開されて、そこで初めてぼくがやっていたことがホラーだったということにみんなが気がついたっていう(笑)。

―― そして現在はむしろ“ホラー映画”というと、鶴田監督がずっとやってこられていろいろな方が踏襲してきた、いわゆる“Jホラー”を誰もが思い浮かべる状況ですよね。

鶴田法男監督写真

鶴田:そうなんですよね。だからいまひじょうに難しいことになってる。ぼくのビデオ「ほん怖」がホラーと思われなかったということは、きっとすごい画期的なことをぼくが無意識にやっていたということなんですね。本当にぼくはそんなつもりはなかったけど、新鮮なホラーであった。ところが『リング』がヒットして以降、『呪怨』(ビデオ版1999年・劇場版2003年/清水崇監督)が作られてそれもヒットし、黒沢清監督の『回路』(2001年)や、いろいろな作品が出てきて、“Jホラー第一世代”(※6)の方たちがぼくのホラーに影響を受けた立派な作品を発表した。それによってぼくも注目されて全国公開映画やゴールデンタイムのテレビドラマに進出できた。良きライバルが居る中で切磋琢磨して作品を作るという素敵な時代が到来した。ところがブームになると様々なエピゴーネンが生まれてきて、その中には正直「ちょっとこれはないだろう」っていう作品がいっぱいあったんですね。でも、それが蔓延してしまい、結果的にいまはJホラーは記号化した恐怖表現のジャンルになってしまっている。その中でこれからJホラーはどうしたらいいのかっていうところなんです。でも、ぼくはやっぱり「Jホラーの先駆者」という冠をいただいているわけなので、ならばやっぱりぼくは浮気をせずに、なんとかしてホラーを作っていくしかないなと思っているんです。

―― そういう状況の中で、今回いままで避けてきたゾンビものを作ろうという理由はなんだったのでしょうか?

鶴田:これはね、ぼくはゾンビものを避けていたし「好きじゃないです」と言っていたけど、一方でジョージ・A・ロメロのゾンビ映画は大好きなんですよ。それはなんでかと言うと、ロメロのゾンビ映画にはしっかりとしたメッセージがあるんですよね。それは文明批判であったりとか社会風刺であったりとか、なんといっても『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』のときからそうなんですけど、登場する人たちがひじょうに人間らしい人たちで、ちゃんと人間ドラマがあるわけですよ。だから、ロメロは単に残酷な描写を見せたいというわけではなくて、しっかりと人間ドラマというものを描いて、しかもそこには社会風刺等がある。やっぱり「これこそが映画だなあ」とぼくは思うので、ロメロの『ゾンビ』に関してはまったく別格だったんです。だから、今回原作の「Z~ゼット~」を読んだときに、すごいはっきりとしたメッセージがあるので、ちゃんと映画化すればロメロ同様のゾンビ映画が作れるなと思ったのが一点。もう一点は、やはり原作を「これを映画化するんだ」という想いを持って読んだときの読後感として「これを映画化すると1954年の『ゴジラ』(本多猪四郎監督/円谷英二特技監督)と同じようなメッセージを持った作品になるな」と思ったんですね(※7)。ただ、その想いをちゃんと映画にできるかは不安だったんですけど、逆に「これはなにがなんでも作らなければいけないな」とも思ったんですね。

―― その不安というのはどういう不安だったのでしょうか?

鶴田:つまり、ぼくはいままでスプラッタ・ホラーとか残酷描写をやってきていないですから、それが描けるか自信がなかった。それから、お話をいただいたときに「原作に出てくるナギナタを持った少女を主人公にしたい」と言われたので、当然アクションになるわけじゃないですか。ぼくはアクション映画も撮ったことない。さらに、原作が相原コージさんですから、やはりひじょうにユーモラスというかギャグというか笑えるところもたくさんある。でも、笑える要素の作品もあまり撮ったことがないし、もうないこと尽くしなんですね(笑)。だからこれはちょっとぼくには荷が重いなと思って、「やります」とは言ったものの、最初のうちは家に帰ると頭抱えて悩んでました(笑)。

  • ※1:同名の実話恐怖体験コミック誌(現在は「HONKOWA」にリニューアル)を原作にしたオリジナルビデオ作品。略称「ほん怖」。鶴田監督の商業監督デビュー作である。第1作「ほんとにあった怖い話」(1991年)の好評により「ほんとにあった怖い話 第二夜」(1991年)「新・ほんとにあった怖い話 幽幻界」(1992年)と2本の続編が製作された。残酷描写が一切ない「ほん怖」の恐怖表現は多くの監督らに影響を与え、その後劇場版『リング』など「ほん怖」の方法論を踏襲して多くのホラー作品が作られることになった。
  • ※2:アメリカの映画監督。1940年生まれ。『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968年・米)『ゾンビ』(1978年・米,伊)『死霊のえじき』(1985年・米)の「ゾンビ三部作」を監督。現在のゾンビ映画の原型をつくりあげた。
  • ※3:1980年公開の『13日の金曜日』(米/ショーン・S・カニンガム監督)と1984年公開(日本公開1986年)の『エルム街の悪夢』(米/ウェス・クレイヴン監督)はいずれも多くの続編が製作されアメリカン・ホラーを代表する人気シリーズとなった。2003年には『フレディVSジェイソン』(米/ロニー・ユー監督)でそれぞれのシリーズに登場する殺人鬼が共演している。
  • ※4:1988年から翌年にかけて東京と埼玉で4人の女児が誘拐・殺害された事件。犯人が逮捕された1989年、犯人の部屋からホラー映画のビデオソフトが発見されたとの報道をきっかけにテレビ局がホラー映画の放送を中止するなど自粛の風潮が広まり、その影響は数年にわたり続いた。
  • ※5:1985年発売の「ギニーピッグ 悪魔の実験」を第1作とするオリジナルビデオシリーズ。マンガ家の日野日出志氏、久住昌之氏、放送作家・演出家の喰始氏らが監督をつとめた。特殊メイクを駆使した残虐表現がセールスポイントにされ、第1作はほとんどストーリーのないスナッフビデオ(実際の殺人記録映像)を思わせる作品だった。
  • ※6:現在活躍するホラー映画のクリエイターを年代やデビュー時期により第一世代・第二世代・第三世代と分けることがある。確固たるコンセンサスがあるわけではないが“Jホラー第一世代”とは鶴田監督をはじめ黒沢清監督や中田秀夫監督、鶴田監督と組んだ作品も多い脚本家の小中千昭氏や高橋洋氏らを指すことが多い。
  • ※7:『ゴジラ』が公開された1954年はまだ戦争の記憶が色濃く残っている時代であり、さらに水爆実験による漁船・第五福竜丸の被曝など、核兵器・放射能の恐怖が身近なものであった。

「日本の現状を見ると、実はかなり間近なところに死の恐怖や日常が壊されていく恐ろしさがある」

―― 主演の川本まゆさんはどのように決定したのでしょうか?

鶴田:なにしろ、ナギナタを振り回してゾンビと闘っていく女の子ですからね。身体能力が高くないとあり得ない。映画のことを考えたら有名な役者さんをキャスティングしたいけど、いま日本を見回したときにかつての志穂美悦子さんのように著名なアクション女優さんはいないわけで、ならば、まだ無名で構わないから、ちゃんとナギナタが振り回せてお芝居ができる人を見つけたほうがいいだろうと。その中で川本まゆという女の子に出会うことができたんです。川本くんはオーディションのときに試しに「ナギナタを持ってくれ」って持たせてみたら、まあほんとに腰が座っていて、しかもそのときミニスカートを履いていたので太ももの筋肉がピッと上がるのがわかるわけですよ。この人は相当に鍛えているなと(笑)。それで芝居的にも癖がないし、かといって表現力がないわけではないので、たぶん「こういうお芝居をしてください」と言えばちゃんとやってくれる人だろうという期待感もあり、もう川本くん以外あり得ないなということになったんです。それで、川本くんはナギナタは扱ったことがないということだったんですが、さすがに空手でロシアの大会で優勝するような人ですからね(※8)、もう身体はしっかり鍛えているので、実はナギナタの指導をしてもらったんだけど1日やっただけで先生が「基礎が出来てるからこれ以上、私が教えることはない」と(笑)。で、「練習用のダミーのナギナタを渡すから家で練習しなさい」って(笑)。それを聞いて努力をしてきた人はカッコいいと思いました。

―― 原作のコミックでは、ナギナタを持ってるとはいえヴィジュアルとしては普通の女子高生なのが、映画ではアイパッチという特徴があって、原作以上にフィクション的というかキャラクター的なヴィジュアルになっていますね。

鶴田:やはり、川本くんは新人だから、みんな川本くんの名前も顔もわからないじゃないですか。そういう人が出てきて「主役ですよ」と言っても、ちょっとみんなピンと来ないだろと思ったんです。やっぱり出てきた瞬間に「こいつはなんかえらくインパクトのある奴だな」ってしたほうがいいと思ったんですね。じゃあどうやって特徴づけしようかなと思ったときに、たとえば髪の毛の色を染めちゃうとかいろいろなアイディアを考えたんですけど、さっきも話した「この作品は1954年の『ゴジラ』と同じメッセージを持つな」というのがあって。

―― ああ、1954年の『ゴジラ』に出てくる芹沢博士のアイパッチ(※9)なわけですね。

『Z~ゼット~果てなき希望』スチール

『Z~ゼット~果てなき希望』より。川本まゆさん演じるアイパッチの少女はナギナタを振るいゾンビたちを斬り倒す!

鶴田:そうなんです。実は「『ゴジラ』と同じようなメッセージを持つな」というのは最初に原作を読んで思ったんですけど、ずっと自分の中で封印していたんですよ。やっぱり『ゴジラ』って日本が世界に誇る名作なわけで「この作品はそれと同じようなことになる」なんてことは、おこがましくてとても言えない(笑)。だけど、準備していく中でどう主人公に特徴を付けるかと考えていたら、やっぱり「『ゴジラ』で芹沢博士がアイパッチをしていたし」というのが内心あったわけです。それとは別にいろいろ考えていたら、ぼくは『ニューヨーク1997』(※10)のスネーク・プレスキンの大ファンで、やっぱりアイパッチをしている。それがぼくの頭の中でピチッとつながったわけですよ。そんなわけで「アイパッチさせたいんだけど」という話をして、一応「ほかにいいアイディアがあったらどんどん言ってよ」と助監督連中には話したんですけど、それ以上のアイディアが出てこなかったんですね。それで原作の相原コージさんのほうにも「アイパッチをさせたいんですけど」というお話をしたら了承してくださったので「じゃあやってみよう」と。一か八かだったんですけどね。

―― 個人的に、あの主人公のヴィジュアルがかなり映画の方向性を決めているのかなと思いました。

鶴田:それはもしかするとあるかもしれないですね。もともと口数が少なくて感情を表に出さないというキャラクターではあるにしても、やっぱりアイパッチを付けていることによってインパクトがあるので、アイパッチをした川本くんがこの作品自体を全部背負った感じはしますね。

―― メインにアイパッチの少女がドンといることによって、それこそ『ニューヨーク1997』のような1980年代の近未来SFのテイストが出てきて、作品の構え自体がリアルな日常とは少し違った世界になっている感じがあると思うんです。

鶴田:そうですね。やっぱり、ゾンビというものがまったくあり得ない架空の敵ですよね。しかも目に見えてはっきりした敵であって、それと闘っていくというときに、どんなにリアルに日常の生活を描いたとしてもゾンビが出てきた瞬間にどうやっても非日常になっちゃうんですよね。だから、その非日常に対抗できる非日常を主人公側に作っておかないと映画の中の世界観がひじょうにバランス悪くなってしまう。つまり、ぼくがいままでやってきたJホラーというものは、日常があって、そこにちょっとだけ非日常が入ってくるホラーなんです。つまり幽霊って基本的には見えないじゃないですか。その“目に見えない怪しい存在”が出現したことによって日常が少しずつ崩壊していく恐怖を描くのがJホラーなんですよ。でもゾンビというのは目に見えるとんでもない存在で、それがバーンと出てきちゃうから、そこで日常が全部崩れて全部非日常になってしまう。そうすると、やっぱり非日常の中にいる主人公も非日常にしておかないとバランスが悪いんですよ。たとえば、ロメロが『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』を撮ったときのアメリカはベトナム戦争の真っ最中で、おそらく毎日「どこどこでどういう戦闘がおこなわれてどれぐらいの死者が出て」というのが新聞やらテレビで報道されるのをアメリカ市民は見聞きしていたと思うんですよ。つまり“人が毎日何人も死んでいく”という状況が日常化していたと思うんですね。だからこそ、あの『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』がある種のすごいリアリティをもって観られていたと思うんです。だけど、日本においてはそういうことは起きないので、いままで日本でゾンビ映画が作られるときに、どうしてもおちゃらけたゾンビ映画になってパロディにしかならない。それは、やっぱり日本に暮らしている限りは直截な死を目の当たりにすることがないので、ゾンビという存在があまりにもかけ離れた存在になってしまうからだと思うんです。
 ところが、近年の日本を見てみると、実はかなり間近なところに死や日常が壊されていく恐ろしさがあると気づかされるわけです。それが、この3年じゃないのかなと思うんです。

―― それで映画も“3年前”から始まるという設定になっているわけですね。

鶴田:そうなんです。そしてそれにプラスして、いま日本は先進国の中でも自殺大国と呼ばれていて、年間3万人以上の人が自殺してしまう。さらにニュースなどを見ていると通り魔殺人みたいな事件もしょっちゅう起きるし、親が子どもを殺したとか子どもが親を殺したとか、家族の絆が希薄になっているような事件も起きている。ということは「実は平和だと思っていた日本というのも、実はそんなに平和じゃないんじゃないの?」ということになんとなくみんな気づきはじめた、そんな時代になってきちゃっていて、そういう中で相原コージさんがこの「Z~ゼット~」というマンガを描かざるを得ない気分になっていたんじゃないかなと思うんです。その結果、マンガ「Z~ゼット~」は話題になっていますし、それ以外にも「アイアムアヒーロー」(※11)というゾンビマンガがいま人気になって映画化もされるわけです。そういうものが日本でも注目を浴びるようになってきたというのは、日本はいまけっこう危機的状況にあるのかもしれないなと。そのことをマンガだけじゃなくて映画というメディアを通して「もう1回、日本について、人間について、世界について考えよう」と投げかけるタイミングなのかもしれないと思ったんですよ。

  • ※8:中学時代に全ロシア国際青少年空手道選手権大会・女子の部で優勝経験を持つ。「『ハイキック・エンジェルス』川本まゆさんインタビュー」もあわせてお読みください。
  • ※9:1954年版『ゴジラ』でゴジラ撃退の鍵を握る科学者・芹沢大助博士は戦争によって片目を失ったという設定で右目にアイパッチをしている。演じたのは故・平田昭彦氏。
  • ※10:1981年公開のジョン・カーペンター監督のアメリカ映画。巨大な刑務所となったニューヨーク・マンハッタンを舞台にした近未来アクション。カート・ラッセル演じる元・特殊部隊隊員の主人公、スネーク・プレスキンは左目をアイパッチで覆っている。
  • ※11:雑誌「ビックコミックスピリッツ」で2009年より連載されている花沢健吾氏によるコミック。佐藤信介監督のメガホンで実写映画化され2015年公開予定。

「これだけ社会に対して普段思っていることを伝えたいと思って作った作品は、これが初めてですね」

―― 映画の冒頭は、防護服に身を包んだ“Z処理課”がゾンビを処理するシーンになっていて、あの映像はまさに3年前の2011年にテレビのニュースなどで頻繁に流れた映像を連想するものになっていますね。

鶴田:まずはっきりお伝えしておきたいのは、ぼくがこの作品で描きたかったのは「人間はどんなに苦しい状況、厳しい環境に置かれたとしても、生を受け生き抜いていくわけで、だからこそ希望を失っちゃいけませんよ」というメッセージだったんですね。それを伝えようとするとき、日本において一番厳しい局面というのはなんだろうと考えると、やはりあの3年前の事故と、それ以降いまだに続いている現状ですよね。それは避けられないなと思って、だからそこは勇気を持って描かないといけないと思ったので、あのシーンを最初に持ってきたんですよね。

―― 実際に映画を観ていると、3年前に感じた絶望感と、でもやっぱり絶望しているだけじゃいけないのだろうという、3年前の数ヶ月間で感じた感情の変化を追体験している感覚がありました。

鶴田:正直、ぼくも3年前にああいうことがあって「こんな状況の中でホラー映画なんか作っていていいのかな?」って悩んだり、自分の仕事自体に疑問を持っちゃったりとかして、実は何ヶ月間かの間すごく悩んだんですよ。いまでもそこに関しては明確な回答も得られてはいないし、どうしたらいいかわからない。ただひとつだけはっきりしているのは、ぼくはいま小学校高学年の子どもがいるんですけど、少なくともその子どもたちが安心して元気に育っていける、そういう環境や社会を我々大人がちゃんと護っていかなくてはいけないし、そういう世界を構築していかなくてはいけない。それだけは間違いのないことですよね。だから、この作品では、原作のひじょうに陰惨な出産シーンをそのまま活かしていますけど、そこから生まれてきた子どもは“希望”という言葉が一番はまるべきだし、そこに日本の未来を託したいという気持ちがあるんです。とにかく、ぼくはいままでホラーではあっても家族愛とか友情とか愛情とかというテーマを描きたいと思っていたんですけど、これだけ社会に対して普段思っていることを伝えたいと思って作った作品は、これが初めてですね。

―― その“希望”という部分で「女性が希望を担っていく」というのがひじょうにつよく打ち出されているような気がしました。逆に言うとこの映画では男がすごくダメだという(笑)。

『Z~ゼット~果てなき希望』スチール

『Z~ゼット~果てなき希望』より。田中美晴さん演じる恵(左)と木嶋のりこさん演じるあかり(中央)ふたりの女子高生はアイパッチの少女と行動をともにするが……

鶴田:それはね、別に男性を蔑視とか軽視しているわけではなくて(笑)、やはり子どもを産むのは女性なんですよね。もちろん男性がいなければ子どもはできないけれど、男性は子どもは産めないし、お腹を痛めて子どもを産むのは女性だし、そういう意味ではやっぱり女性の力って大きいしね。「女は弱しされど母は強し」って、昔からある日本の言葉なんですけど、それはひとつの真理だと思うので、女性にがんばってほしいというか、もちろんそれは男のほうもがんばらないといけないんだけど、とにかくみんなでがんばって産まれてきた命を育んでいきましょうってことなんですよね。……でも、たしかに最近の男性は弱いっちゃ弱い感じは個人的に持ってますね。自分も含めてだけど(笑)。

―― 今回『Z~ゼット~果てなき希望』を観たあとに、監督の過去の作品の『予言』(2004年)を思い出したんです。大きな力に翻弄されていく中でどう抗っていくかという点で『予言』と『Z~ゼット~果てなき希望』は共通点があると思うのですが、男性と女性の位置づけに違いがあると感じました。

鶴田:ぼくは『予言』ではお父さんと子ども、要するに父性愛を描きたかったんですよね。『予言』は『予言』で満足している作品で、ぼくなりに伝えたいことは父親や男に対して伝えられた気がしているんです。なので、女性のほうの母性愛という部分をいずれちゃんと描きたいという気持ちはありました。だから今回、産まれてきた子どもを家族として育てていくというところはね、ぜひとも描きたいところではあったんです。

―― もうひとつお尋ねしたいのですが、原作の単行本1巻の「あとがき」で相原コージさんがいまゾンビマンガを描いた理由を書いていらしたのが印象深くて、あのあとがきは映画にも影響しているのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか?

鶴田:「他人が描いていないものを極力描くんだと気張ってきたけど、50歳も過ぎたから好きなものを描こうと思った」という一文ですよね。ぼくはその相原コージさんの心境とは違うんですけども「ゾンビものなんかやりません、興味ないです」と言っていたのをこの作品に関してはやってみようと思ったし、相原コージさんもゾンビなんて手垢のついたものはいままでだったらやらなかったわけですよね。でも、それをいまあえてやられて、そのことによって相原さんの作家の世界観が広がったはずなんですよね。明らかにいままでの相原さんのマンガとは違うし、それだけにひじょうに新鮮な魅力のある “相原コージだからこそできるゾンビもの”になっている。それはぼくにとっても同じで、ぼくはいままで幽霊ばっかり撮ってきた人間なんだけど今回初めてゾンビを撮ってみて、おそらくいままでのゾンビ映画ではやっていないような演出をしていると思うんですね。たとえば、中盤で延々とえらい長回しのショットがあるんですよ。別にゾンビが延々と映っているわけではなくて、ただ病院のエレベーター前の空間が延々と映っているだけという、おそらくいままでのゾンビ映画ではなかった演出をやっているんです。それはやはりJホラーでぼくが培ってきた演出スタイルであって、それをこのゾンビ映画でやってみたら自分で観ていて新鮮に感じたんですね。だから、いままでは「人とは違うことをやらなければいけない」という気負いがあったんだけども、これに関しては「とにかくいま、この日本でこの作品を作らないといけない」という気持ちになったし、相原コージさんもきっとそういう気持ちで描きはじめたんじゃないかと思うんですよ。その結果として、相原さんの作家性や、ぼくの作家性というものが新しい地平を拓いたような気はしますよね。

―― では最後になりますが、公開を前をにしての心境と「ここを観てほしい」というところをお願いします。

鶴田:何度か話したように、ぼくは畏れ多くも1954年の『ゴジラ』と同じようなメッセージを持った作品になると思って映画化を決意したんですけど、実は『Z~ゼット~果てなき希望』が7月26日の公開で、アメリカ版の『GODZILLA』(2014年/ギャレス・エドワーズ監督)が7月25日公開で、ほぼ同時期の公開なんですね。これはまったくの偶然なんですが、ぼくはなにかこれが偶然じゃない気がしていて、いま日本という国がこういう作品を求めているんじゃないかなと思うんです。ぼくもまだアメリカ版『GODZILLA』の本編は観ていないんですけど、やはり日本のこの3年間のようなことが描かれているようですから、どうも1954年の『ゴジラ』が投げかけたメッセージというものを改めて再認識しないといけない、そのメッセージをもう一度受け止めなくてはいけない時代にいまの日本はなっているんじゃないかと思います。だからぼくは、ゾンビ映画を作るならばいままで日本で作られてきたようなパロディ的なゾンビ映画ではなくて「正統派のゾンビ映画、正しいゾンビ映画を作る」というのをまず最初に目標として掲げて、それをスタッフ、キャストにもさんざん言って作った。きっと、その目標はなんとか達成できていると思います。でも、だからといって単に残酷なゾンビ映画ではなくて、そこには我々――ぼくだけではなくてプロデューサーや脚本家、そしてもちろん原作の相原コージさんのメッセージが込められているので、そこの部分をぜひ読み取っていただきたいなと思います。この映画はサブタイトルが『果てなき希望』と書いてありますけど、実は「希望」のところは「キボウ」とは読まないので「じゃあなんと読むのか?」というのは、劇場にこの映画を観にきていただいて、そこで確認していただきたいと思います。たぶん、そこで確認していただいたときに、この作品の持っているメッセージを理解していただけると思います。

(2014年6月13日/シネマート本社にて収録)

作品スチール

Z~ゼット~果てなき希望

  • 監督:鶴田法男
  • 原作:相原コージ
  • 出演:川本まゆ 木嶋のりこ 田中美晴 佐藤永典 ほか

2014年7月26日(土)シネマート六本木、シネマート新宿ほか全国順次公開

『Z~ゼット~果てなき希望』の詳しい作品情報はこちら!

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