『怪談新耳袋 怪奇』篠崎誠監督インタビュー
ベストセラーの実話怪談集を原作にした人気ホラーシリーズ「怪談新耳袋」が4年ぶりにスクリーンに登場します。
最新作『怪談新耳袋 怪奇』で監督をつとめたのは、ホラー映画への造詣の深さで知られ、満を持して劇場用ホラー作品のメガホンをとった篠崎誠監督。就職活動中の女子大生・あゆみがバスの中で奇妙な女性に声をかけたことから始まる怪異を描いた『ツキモノ』と、幼いころに起きたある事件に心を縛られている女子高生・めぐみが奇妙な影を目撃する『ノゾミ』の2話構成で、異なったテイストの恐怖をスクリーンに描き出しています。
脚本に「怪談新耳袋」シリーズ開始当初から参加する日本ホラー映画界の俊英・三宅隆太さん、主演に着実に女優としてのステップを積み上げてきた人気アイドル・真野恵里菜さんを迎えた『怪談新耳袋 怪奇』は、ホラー映画の持つ可能性を提示する作品となっています。
ホラー映画というジャンルが定着し、多くの作品が作られている現状へのひとつの回答とも言える『怪談新耳袋 怪奇』は、いかにして生まれたのか? 篠崎監督にお話をうかがいました。
篠崎誠(しのざき・まこと)監督プロフィール
1963年生まれ、東京都出身。学生時代より自主映画を制作し、大学卒業後は映写技師として働きつつ映画に関する執筆活動をおこなう。1996年、初の商業監督作品となる『おかえり』でベルリン映画祭新人監督賞をはじめ11の映画賞を受賞する。そのほかの劇場用作品に『忘れられぬ人々』(2000年)、『犬と歩けば チロリとタムラ』(2003年)、『0093 女王陛下の草刈正雄』(2006年)、『東京島』(2010年)など。ショートオムニバスムービー「刑事まつり」シリーズ(2003年〜)、BS−i(現・BS−TBS)放送のテレビシリーズ「スパイ道」などで企画プロデュース活動もおこなっている。また、立教大学現代心理学部映像身体学科教授として教鞭をとっている。
ホラー映画に造詣が深く、黒沢清監督との共著による著書「恐怖の映画史」(2004年/青土社刊)がある。
「“ホラー映画ってもっといろいろなことがやれるはずだよなあ”と思っていた」
―― 今回の『怪談新耳袋 怪奇』では、これまでホラー映画について語られる機会の多かった篠崎監督がついに劇場用ホラー作品を監督するという驚きと期待感がありました。監督ご自身はメガホンをとるにあたってどのようなお気持ちだったのでしょうか?
篠崎:ぼくはもともと原作の「新耳袋」のファンで、最初に扶桑社から出たバージョンから持っていたんですよ(※1)。それで2003年にテレビで「怪談新耳袋」が始まったときにはすごくやりたくて、知り合いの監督たちが何人も参加していましたので「ぼくも入れてください」ってお願いしたんですけど、そのときはスルーされてしまったんです(笑)。そのあと「怪談新耳袋」はシリーズ化して、ぼくはBS−TBSでは「ケータイ刑事」とかいろいろ仕事をしたので(※2)、ことあるごとに「今度こそやらせてよ」って言っていたんですけど「今度はいままでやった人たちでやるので」みたいな話で、結局、99話が終わるまでに仲間に入れてもらえず、密かにすねていたんです(笑)。「これは仕方ないな、縁がなかったんだな」って思っていたときに、BS−TBSの丹羽多聞アンドリウプロデューサーとキングレコードの山口幸彦プロデューサーから今回のお話をいただいた感じなんです。なんかね、昔出したラブレターが40年経って届いたみたいな照れくささもありつつ「『新耳』がんばります」という感じでしたね(笑)。
―― これまでホラー映画を監督なさったことがないのは、ちょっと不思議でもありました。
篠崎:実は、中学や高校のときにも心霊っぽい映画を撮ったり、ドッペルゲンガーものやゾンビ映画も撮っていたんですよ。ぼくはブルース・リーの『燃えよドラゴン』(1973年・香港,米/ロバート・クローズ監督)とか、スティーブ・マックイーンの『ゲッタウェイ』(1972年・米/サム・ペキンパー監督)とか、クリント・イーストウッドの『ダーティーハリー』(1971年・米/ドン・シーゲル監督)とか、そういう作品を観て映画にのめり込んだし、一方で『エクソシスト』(1973年・米/ウィリアム・フリードキン監督)に始まるオカルトブームをもろに被っていて『オーメン』(1976年・米/リチャード・ドナー監督)だったり『キャリー』(1976年・米/ブライアン・デ・パルマ監督)だったりを10代の多感な時期に観ていたので、もともと恐怖映画とアクション映画が自分の中でふたつの柱としてあったんです。ただ、商業映画の監督としてデビューした『おかえり』(1996年)という作品がわりと地味だったせいですかね(笑)、ホラーの依頼は全然なかったんですね。
―― 決して、意識してホラー映画から距離を置いていたわけではないんですね。
篠崎:ではないですね。2000年代に入ってからも自主映画ではホラー映画を撮っていたんですよ。今回『怪談新耳袋 怪奇』の話をいただく上で大きかったかなと思っているのが、ぼくは自主映画で『刑事まつり』というシリーズをずっとやっていまして、その中の1本で『霊感のない刑事』という作品を作ったんです (※3)。最初にネットでやったのは20分版なんですけど、編集を変えた40分の長尺版をゆうばり国際ファンタスティック映画祭で上映しているんですね。そのときにキングレコードの山口さんが「いや、面白いっすね」と喜んでくれたんで、それを観てもらったのが大きかったのかなと思っているんです。『霊感のない刑事』のほかにも『留守番ビデオ』(2004年)というスリラー仕立ての映画も撮ったり、ちょこちょこ撮ってはいたんです。商業作品としては今回がほんとに初めてですね。
―― 2000年代に入って、特にここ数年ホラー映画が日本映画の中で確固たる位置を占めていますよね。個人的には、そうやって定着した分、ホラーというジャンルが硬直してしまっている状況があるように感じていて、実は新しいホラー作品を作るのが難しい時期なのではないかと思っているんです。監督は今回『怪談新耳袋 怪奇』を作るにあたって、現在のホラー映画の状況について意識されたことはありますか?
篠崎:ひとつはですね、あんまりホラー映画を細かくジャンル分けするも必要ないかもしれないですけど、もう“心霊ホラー”と呼ばれるようなものをやるのは厳しいだろうなと思っていました。なんかおぼろげなものが立っている、闇の中に誰かがいるみたいな幽霊の表現に関しては、それこそ小中千昭さん、鶴田法男さん、黒沢清さん、それから『リング』シリーズの中田秀夫さんや高橋洋さんによってやり尽くされたと思うんですよね(※4)。実は、ぼくは2001年に黒沢清さんの『回路』が公開されたときに「これでひとつの時代は終わったかな」と思っていたんです。そのあとで清水崇くんが『呪怨』(ビデオ版1999年/劇場版2003年)でそれまでの心霊表現とは違うことをやって「そうだ、こういう面白さはあるよなあ」と思ったんですが、そこから先は『呪怨』の俊男くんや伽椰子みたいなものを真似た作品は増えても、なかなかもうひとつ新しいものが出てこなかったですよね。そして一方ではフェイク・ドキュメンタリーというものがあって(※5)、いまはネットでも散々出てきていますし、白石晃士さんが『ノロイ』(2005年)や『オカルト』(2009年)のように単なるフェイクではないものをやり始めて、でもぼくが自分でやりたいこととは方向性が違うから「ホラー映画ってもっといろいろなことがやれるはずだよなあ」ということは思っていたんです。なので、今回『怪談新耳袋 怪奇』の話をいただいたときに、中編2本にするというのは決まっていたので、どうせならふたつを対照的な話にしようと思ったんです。『ツキモノ』は、最初の案では完成した作品よりもっともっと派手で、アメリカン・ホラーみたいな感じで次から次へといろいろな出来事が起きる動きのあるものにしたいと。それでもう1本の『ノゾミ』をオーソドックスな怪談映画というかたちでやりたいと思ったんですね。そのコンセンサスはわりと早い時期に、ぼくとプロデューサー陣と脚本の三宅隆太くんの間でできていました。
―― 全体が2時間弱の映画で、1本の長編とか3本以上のオムニバスではなく、中編2本という構成になっているのがユニークですね。
篠崎:珍しいですよね。要は「2本あわせて1時間半を越えるものにしてくれ」というのがプロデューサーサイドからあったんです。それで、片方が1時間以上でもう片方が30分とかいうのではなくて、それぞれ1時間までは行かなくてもあんまり短くはしないでほしいと。ちょっと前までテレビの「怪談新耳袋」ではスペシャルとして1時間枠で正味50分くらいの中編2本をやっていたので(※6)、今回は劇場版としてそれを合体しようということなんですよね。実際にやってみて思ったのは、ぼくの『霊感のない刑事』も40分なんですけど、それくらいの時間枠って面白いんですよ。2時間とか1時間半の映画だとドラマをしっかり組み込まないといけないですし、30分以下の短編だとワンアイディアで押していくことになりがちで起承転結をすごくはっきりさせないと難しいんですけど、50分くらいという一見中途半端に見える尺はすごく面白いんです。単にワンアイディアではいけないし、ドラマ的なものもなくてはならないけど、完全にわかりやすいドラマに回収してしまうのではなく、どこかにポツポツと穴を開けていくという、そういう按配がすごくよかったですね。あと、ぼくが子供のころ夏休みに家に帰ると、テレビで“怪談劇場”みたいな感じで1時間くらいの番組をいっぱいやっていたんですよ。それはCMを抜くと正味 45分とか50分くらいなんです。最近、そういう中川信夫さんや石井輝男さんがやった怪談ものを何本か観直す機会があって「この尺でこういう見せ方って面白いな」ということもあったので、中編2本でやるというのはぼくの中では違和感はなかったですね。
- ※1:「怪談新耳袋」の原作である「新耳袋」は、1990年に扶桑社から「新・耳・袋 あなたの隣の怖い話」のタイトルで刊行されたのち、1998年にメディアファクトリーから「新耳袋 第一夜」として再刊され、全十夜まで刊行される人気シリーズとなった。現在は扶桑社版はプレミアも付くレアアイテムとなっている
- ※2:篠崎監督はBS−TBS(旧・BS−i)の作品では「ケータイ刑事 銭形零」(2005年)、「東京少女」(2006年〜)、「ケータイ刑事 銭形海」(2007年)に演出として参加。「スパイ道」(2005年)ではプロデューサーをつとめている
- ※3:『刑事まつり』は、篠崎監督の企画によりさまざまな監督が“刑事”を題材に撮った短編オムニバス。2003年にシリーズ第1弾『刑事まつり』が公開され、その後第8弾まで制作されている。『霊感のない刑事』は2004年の『電脳刑事まつり』の1本としてネット配信され、2006年にゆうばり国際ファンタスティック映画祭で【全長版】として上映された
- ※4:特殊脚本家・小中千昭氏、鶴田法男監督がオリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話』シリーズ(1990年〜)などで用いた心霊表現はのちの国産ホラーに大きな影響を与えた。黒沢清監督、脚本家・監督の高橋洋氏、中田秀夫監督もこの手法を取り入れ、1990年代から2000年代にかけて多くの作品が生み出された
- ※5:「実際に撮影された映像」というスタイルをとるフェイク(擬似)・ドキュメンタリーはホラー作品でよく用いられる手法である。海外作品では『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999年・米/ ダニエル・マイリック、エドゥアルド・サンチェス監督)や『パラノーマル・アクティビティ』(2009年・米/オーレン・ペリ監督)などが代表的な例。日本でもオリジナルビデオ作品を中心に数多くのフェイク・ドキュメンタリーの手法を用いたホラー作品が作られている
- ※6:2007年から2009年まで「怪談新耳袋スペシャル」(DVDタイトル「怪談新耳袋 絶叫編」)のタイトルで1時間枠の中編が年2本放映されている
「残虐な描写はしないという約束の中で、どう見せていくかを考えました」
―― 脚本を担当されている三宅隆太さんは、現在のホラー映画の作り手の中ではトップクラスの理論派の方だと思うのですが、三宅さんとの作品作りはいかがでしたか?
篠崎:面白かったですね。もともとふたりとも映画好きで、仕事をするのは今回が初めてだったんですけど、中古DVD屋に行くとバッタリ顔をあわせることがよくあって、そのままふたりで喫茶店に行って70年代80年代のホラー映画の話とかを延々していることがあったんで、打てば響くというか、余計なことは言わなくても「これはあれだよね」「ああ、あれですね」というふうに、すごくコンセンサスがとりやすかったですね。それから、彼はたしかに理論派なんですけど、一方でそれと同じくらい登場人物の感情を大事にする脚本家なんですね。それは今回やってみてほんとに思ったことです。たぶん、セリフも自分で口に出して言っていると思いますね。「なぜこういうセリフを言うのか」ということを理屈だけではなく感情的なこともひっくるめて考えるから、そこはすごく明快でやりやすかったです。ぼくが違和感を感じて引っかかることをぶつけると、すぐに「だったらこうしません?」というのが帰ってくるんですよ。
―― 先ほど『ツキモノ』と『ノゾミ』の2本を対照的にしようと思っていたというお話がありましたが、それぞれの脚本作りはどのように進められたのでしょうか?
篠崎:『ノゾミ』に関しては、わりあい早い時期に三宅くんが箱書きというストーリーの流れを作ってきて「箱書きで細かくやるよりはシナリオにしたい。まず最後まで書かせてくれ」ということだったので、三宅くんに進めてもらいました。『ツキモノ』は、さっきもお話したように、最初はもっと派手で1分に1回ビックリさせるようなものを目指していたんです。ただ、それだとあまりに収拾がつかないのと、予算的な問題もあるのでどうしようかと。原作の「隣之怪 病之間」にある話は、肝試しに行った友達が墓石の上をピョンピョン飛んでいたというインパクトの強い話なので(※7)、そのインパクトは活かしてほしいというのがプロデューサーの山口さんの要望だったんです。でもそれだけじゃ映画にならないし、肝試しに行くにしても病院とか廃校が舞台のものはたくさんあるし、遊園地とかはいいけどお金もかかるし難しいよねとかって話をしていたんです。そのうちに、たまたまぼくも三宅くんも大学で映画の授業を持っているということもあって「大学で撮って学生をエキストラで呼ぼうか、ついでにパニックシーンも」という話になって、そこからはわりとトントンと進んでいきました。
考えてみると、大学って誰でも入れる場所なんですよね。いまはあちこちでいろいろな事件があったりしたせいで警備もあったりしますけど、自分が教えている立場として簡単に入れる場所だという怖さはすごくあるんです。「大学というのはそういう空間でもあるんだ」ということをやろうと決まったら、そこでノってきて一気に書きあがったところはありますね。撮影で使ったのは三宅くんが教えている大学なんですよ。三宅くんはロケハンのときにも一緒に来てくれて「この校舎のこの部分をこう使おう」と言うとそれにあわせてシナリオを直してくれたし、エキストラに声をかけるのもやってくれたし、撮影のときにも来てくれて、エキストラの動きを見て「ここはこうしたほうがいいんじゃないですかね?」とか、第二班監督みたいにやってくれたんですよ、贅沢なことに(笑)。ほんとにいろいろやってくれて楽しかったですし、彼の存在なしにはこの映画は成立しなかったと思います。
―― 「怪談新耳袋」の劇場版ということで「新耳」らしさを意識した部分というのはありますか?
『怪談新耳袋 怪奇/ノゾミ』より。真野恵里菜さん演じるヒロイン・めぐみは赤い服の影を目撃する……
篠崎:ご存知かもしれませんが「怪談新耳袋」は、たとえば血がバーッと吹き出るというような残虐な描写はしないというのがお約束になっているんです。原作のテイストもそうですから、それは尊重しようというのがあるんです。だから、今回も『ツキモノ』では、そういう約束の上で、どうやったら人が気絶しているのではなくて死んでいるように見えるかというようなことをずいぶん考えました。いろいろアイディアを出しながら細部のディティールを煮詰めていった感じですね。そこはね、やっぱり最初のシリーズからずっとやっていて「新耳」に関しては生き字引のような三宅くんがいましたから(笑)。
―― 脚本を作っていく中で、監督と三宅さんで意見が食い違うような部分はありませんでしたか?
篠崎:ほとんどなかったですね。ただ『ツキモノ』については、ぼく自身は最初はもっと能天気というか「こういう理由でこういうことが起こりました」という因果応報ではなくて、意味はなくてもいいから次から次へと見せ場を作りたいと思っていたんです。だけど、三宅くんはやはり脚本家なので、彼は“フィクションライン”という言い方をするんですけど、ある種の世界観をちゃんと作っておかないとそういうふうに跳躍はできないということで、なにを基本にするかということについてはずいぶん話しあいましたね。よくファミレスにふたりでこもってね、2時間3時間粘りながら延々話をして、途中から脱線して映画談義になったりしたんですけど(笑)。それも含めて楽しかったですね。
いずれにしても、できるだけシナリオを尊重しようと思っていたんです。たとえば『ノゾミ』では森の中の湖が出てくるんですけど、予算面や実際撮影するときの大変さも含めて、近くの河原で撮影することも考えました。でも三宅くんはそこにこだわっていて「クリスタルレイク (※8)とまでは言いませんが日常とは違う世界から始まるものにしたい」と話していたので、それは尊重しようと。ぼくは自分でシナリオを書くと現場で平気でガンガン変えちゃうんですけど、人のシナリオでやる場合にはなるたけ尊重したいので、そういう意味では三宅くんがやりたいことにぼくが乗ったところは多分にあると思うんですよ。両方の作品に通底している主人公の抱えている孤独や、ひとりでなにかに立ち向かわなくてはならないとか、ほんの些細なコミュニケーションがすれ違っていくという部分は、ぼくから「こうしてくれ」と言ったというより、三宅くんが切実なものとして持っているテーマなんじゃないかと思うんですよね。彼はほんとに自分の学生のことも親身に心配しているわけですよ。いまは精神的に不安定になってしまう子も多いし、なんかきっかけがあると引きこもってしまうことも少なくないだろうし、三宅くんは、そういう人に対して作品を作ることで「大丈夫だよ」って後押しをしたいという熱い部分を持った男なんです。ある種の嘘のない希望の光を感じさせたいというのが三宅くんの中にある気がするんですね。それはひょっとすると怖い話としての『怪談新耳袋』を望んでいる人にとっては望んでいるものと違うのかもしれないんですけど、でもぼくはそれに乗って、その上でちゃんと怖がらせるところは怖がらせたいなと思っていたんです。
―― 怖がらせの表現のひとつで、チラシの写真にも使われていますが“赤い服を着た人影”が出てきますよね。赤い服というのは、1990年代以降の日本の心霊ホラーでよく使われたひとつの象徴的な存在だと思うのですが、赤い服を使われた理由というのは?
篠崎:正直、それはいろいろ考えたんですよ。やっぱり赤と言えば源流にはハマー映画の『吸血鬼ドラキュラ』(1958年・英/テレンス・フィッシャー監督)のマントがあるし、あとは『赤い影』(1973年・英、伊)というニコラス・ローグ監督の傑作もあります。そうそう、そのローグがカメラマンとして撮影を担当していた『赤死病の仮面』(1964年・米/ロジャー・コーマン監督)もありますしね。鶴田法男さんや黒沢清さんも幽霊役に赤い衣裳をよく使っていますから、色を変えたいという気持ちはあったんです。でも、なかなかいいものがない。黄色は普通の小学生のレインコートにしか見えないし(笑)。青も水色に近い色だと明るすぎるし、群青色だと沈んでしまう。だから暗目のグリーンとかがうまく見つかればよかったんですけど、見つからなくて。予算があれば作れたんですが(笑)。ただ、やはり緑は湖や自然の中だと目立たないんです。結局、カラー映画では引きの画にしたときでも赤って目が行くんですよね。だからそこはオーソドックに行きましょうということで、最終的には「いいや、赤に戻そう」ということになったんです。
「真野恵里菜さんは、段取りではなく自然な感情で涙を流しているんです」
―― 主演を真野恵里菜さんがつとめられるのは最初から決まっていたのでしょうか?
篠崎:そうです。最初に丹羽多聞アンドリウプロデューサーから話があったときに「『怪談新耳袋』をお願いしたい、主演は真野恵里菜さんで」というのが前提だったんです。それで、ちょうど『怪談新耳袋』をやることが内々で決まったころに真野さんにお会いしたんです。たまたま別の仕事でBS−TBSに来ているときに紹介してくれて、丹羽さんが「ホラーは好きなの?」って聞いたら「観るのも怖いんです」って真野さんが言っていたのを覚えてますね(笑)。そのときは彼女はまだ『怪談新耳袋』をやるとは知らなかったし、マネージャーさんも知らなかったんじゃないかな。ぼくたちと真野さんの事務所の社長さんくらいしか知らない時期かもしれませんね。
―― 女優としての真野恵里菜さんの印象はいかがでしたか?
篠崎:お会いしたあとに、三宅くんが過去に手がけて真野さんが主演しているドラマ(「東京少女 真野恵里菜/さよならお父さん」2009年/堀江慶監督)を見せてもらったりしたんです。ぼくらはよく“段取り芝居”という言い方をするんですけど、シナリオに書いてあるト書きをただそのまま表情とか作ってかたちで演じてしまうと、ものすごく嘘くさいものになってしまうんです。真野さんはそういう感じの人ではなくて、ちゃんと撮影現場とか相手の俳優さんとのやりとりの中で生まれた感情を大事にする人だなということをすごく感じたので「これはいけるでしょう」という感じでした。うまく演じるのでなく役をちゃんと生きている。
―― たとえば登場人物が悲しむ場面だったら“悲しい”という記号を演じる俳優さんって多いと思うんですよね。でも真野さんはそうじゃなくて、もっとダイレクトに“悲しい”って感情を表現している感じがしました。
『怪談新耳袋 怪奇/ツキモノ』より。大学生・あゆみがバスの中で奇妙な女性に声をかけたことから怪異が始まる……
篠崎:そうそう、そうなんですよ。『ツキモノ』の中で、彼女が夜の学校の中で追いかけられて物陰に隠れるシーンがあるんですけど、真野さんはそこで泣いているんです。それは彼女がほんとうにそういう感情になって、自然に涙が出てきたんですね。段取りで「こうやって」とか、途中で止めて「ハイここで目薬差します」とかってことでは全然ないんです。それはすごいなあと思いましたね。
―― 個人的に印象に残っているのが、やはり『ツキモノ』で真野さん演じる主人公が同級生とちょっと衝突するところがありますよね。そのときの真野さんの表情というかリアクションが、なんでこんな表現ができてしまうんだろうと。
篠崎:教室のところですよね。あそこはね、まず1回リハーサルをしてみたんですよ。そしたら感情がちゃんとつながっている感じですごくよかったので、ワンシーンワンカットで全部撮っているんです。そこにいる4人の女の子全員がフレームに入るカメラ位置で、最初から最後まで長回しで撮ったんです。それを撮ってから、もう1度同じお芝居をやってもらって真野さんのアップの表情だけを撮っているんです。というのは、あそこはセリフのやり取りで感情が出てくるから「じゃあアップの表情だけください」というやり方ではできないんですよ。それで、全体で1回、真野さんのアップで1回の、2回だけ、2テイクで撮ってます。完成した作品では、なるべく4人が一緒にフレームの中にいるほうを優先して使いながら「ここの表情だけはアップで欲しいな」ってところは真野さんのアップを入れていったという感じですね。
―― もちろん、監督が真野さんから引き出したものや、脚本によって真野さんから引き出されたものはたくさんあると思うのですが、逆に真野さんが監督や三宅さんから引き出したというか、真野さんが主演だからこそ、こういう方向での作品作りができたというところもあるのではないのでしょうか?
篠崎:当然そういう部分はあります。映画はみんなで作るものですからね。三宅くんはイン前に「真野ちゃんはミューズ(※9)だ」と言っていました。「前に一緒にした仕事がすごくよかったので、今度もちゃんとしたものにしたい」と。だからどういうシチュエーションがあれば真野さんが活きるか、映画の中でリアルな人間として存在できるかということをすごく考えていたと思うんですよね。ぼくはむしろ、それに乗っただけ(笑)。やはり三宅くんの真野さんへの信頼がベースにあると思います。シナリオがそういうふうに表現されていたから、ぼくはあまり余計なことをしないで、それを見届けるのが仕事だと思ったんです。
―― 真野ちゃん主演ならではの部分かなと思うのが、作品の持っているある種のストレートさなんですよね。「ホラー映画がなにを描くのか」ということが、特に『ノゾミ』ではかなりストレートに表現されてる印象を受けたんです。
篠崎:それも三宅くんによるところが大きいでしょうね。三宅くんは宣材物では「シックスセンスの持ち主」とキャッチーな書かれ方をしていますけど、すごく繊細な人だし、話をしていても言外に含まれているニュアンスまで読み取るくらい鋭い人なんです。だから、たぶん子供のころ大変だったんじゃないかなって思うんですよ。気がつかなくてもいいことまでいろいろなことに気がついていたんだろうなっていうのは、今回の映画を撮ってみて思ったことだなあ。それは必ずしも霊的なことだけじゃないですよ。人の心の暗部というか……。「生きてる人の心が見えない人には、死んだ人の姿なんて見えないよ」って『ノゾミ』のセリフは、三宅くんの実感でしょうね。その一方で怖い霊体験もしてて、ほんとに街中を歩いていてしゃがんでいる人がいるので「大丈夫ですか」と声をかけたら人間じゃなかったみたいなことがあると話していましたし、そうするとワッと寄ってくる感じがあるというんです。『ツキモノ』にはそういうシーンが出てきますよね。それから『ノゾミ』でストレートに出ているのは三宅くん自身がいま実感していることで、それは「なにがいま世の中に歪みをもたらしているのか」という、この映画のひとつのテーマでもあるんですよ。去年、彼が脚本と監督をやった『呪怨 白い老女』もそうで、そのころから三宅くんの中に出てきたひとつのメッセージ性だと思うんです。彼はそれを説教調にはしないんだけど、すごく繊細なかたちで脚本に出ている気がしましたし、それは大事にしたいと思いました。
―― 今回は、ホラーに造詣の深い篠崎監督と、やはりホラーの膨大な知識を持つ三宅さんと、素晴らしい女優である真野恵里菜さんのコラボレーションで「ホラー映画はこういうことが表現できるんだ」ということを2010年に示す作品になっていると思います。監督ご自身は、作品が完成してどのようにお感じになられていますか?
篠崎:今回の作品は「新耳袋」という優れた原作が元になってはいますけど、ある種そこから自由に飛翔している部分があるんです。そのコアの部分は原作の「新耳袋」にあるエッセンスから外れていないとぼくは信じているのですが、三宅くんのオリジナルと言っていいくらいの広がりを見せていますし、なおかつ、真野恵里菜さんというほんとにお芝居が好きだという女優さんが主演してくれて、そういう贅沢な場に自分が関われたのは幸せだと思っています。それから、一緒になって面白がってくれるカメラマンをはじめとしたスタッフの人たちと仕事ができたことが自分にとっては大きかったですね。これを踏まえて、またホラーをやりたいですね。次もやらせてほしいな、『怪談新耳袋 続・怪奇』を(笑)。
- ※9:ギリシャ神話に登場する女神・ムーサの英語名。詩歌、音楽、文芸、舞踏、学問を司る女神であり、そこから「芸術を喚起する存在」の意味で使われることも多い
(2010年7月28日/キングレコード本社にて収録)
怪談新耳袋 怪奇
- 監督:篠崎誠
- 脚本:三宅隆太
- 出演:真野恵里菜 坂田梨香子 鈴木かすみ 吉川友 北原沙弥香 秋本奈緒美 ほか
2010年9月4日(土)より、シアターN渋谷ほか全国順次ロードショー